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4月御命日法要

4月16日(月)午後4時から本校礼拝堂において御命日法要が営まれました。私にははじめての経験でしたが、本当に大勢の先生方がお参りになりました。
申し上げるまでもなく御命日法要は、親鸞聖人のご命日に営まれるもので、聖人の御命日1月16日(旧暦11月28日)により、龍谷平安では毎月16日前後に法要を勤修させていただいております。
御法話は、副校長 燧土勝徳 先生で、そのお話しになった内容の一部を、お許しをいただいて紹介させていただきます。

□ よく、私たち真宗では、なぜお祈りしないのか?と尋ねられますが、平安では、「お祈り」という言葉は基本的に使いません。それは、浄土真宗は「祈りなき宗教」だからです。私の方から祈って救われるのではなく、阿弥陀さまの方から「悩み苦しむあらゆる人々を救いたい」と願われ、そのおはたらきによって、私が救われていくところに、浄土真宗の真髄があります。
 自分の生き方や考え方について、常に「これでいいのかな」と自分を省み自分を見つめることを繰り返すのが本来の仏教です。「病気が治りますように」とか「試験に合格しますように」と、自分の欲望を仏さまに押しつけるような行為は、仏教の因果の道理からもありえないことです。ですから、浄土真宗は自分勝手な祈りを説かないのです。

□ あるお寺の幼稚園児が、「ぼくの家は給食費を払っているから、いただきますなんて手を合わせなくてもいいんだ」と言って、幼稚園の先生を困らせたそうです。
 園長である住職さんは、「この子のお母さんは大学を出ていますが、最近は大学までにこんなことさえも学ばないんですね。よくよく考えたら、実は私たち一銭も払っていないんです。確かにお金を払ってますが、それはお米やお魚、お肉を扱う人間の手間賃と経費です。私たちは、豚さんたちには一銭も払ってません。海に行ってお魚に餌をやっていません。だから、ごめんなさい、あなたのいのちを殺して、いただきます、と言うのです」と教えてくれました。
 お金を払えば都合のままに殺していい、と言うのなら居直りです。「ごめんなさい」と謝らなければならないのは私のほうです。仏さまのみ教えに生かされるとき、「いただきます」「ごめんなさい」という生き方が恵まれるのです。

□ さて、本校創立140周年の時の記念品として、折り畳み傘を用意いたしました。その記念品に「思いやり(慈悲)の傘」という栞を添え、そこにこう記しました。
「おかげさまで~140周年~ありがとう〝感謝〟」
突然の雨、困っている人にそっと差し出すやさしい心、そんな「思いやりの心」を育みたいというのが、平安の願いです。そこで、龍谷大学付属平安高等学校・平安中学校の創立140周年を記念し、「感謝」の気持ちを込めてこの記念品”思いやりの傘”をお贈りさせていただいたのです。

それぞれが私にとりましては本当に心にしみとおる御法話でした。

※ 朝、通勤のとき、七条通に面した興正寺さんのお庭に咲きほこる「牡丹」の大輪を見つけました。「牡丹」の西洋での花言葉は Compassion"おもいやり”です。
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高校3年生進路ガイダンス

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4月14日(土)午後2時から高校3年生保護者の皆さま対象の進路ガイダンスを実施いたしました。全体会・コース別説明会と学級懇談会が開かれたわけですが、全体会の中での私の話の一部を紹介させていただきます。

いよいよご子女が最終学年を迎えられましたが、お子様方の卒業後の進路設計はいかがでしょうか。プログレスコースなどの生徒の皆さんは龍谷大学にお進みなるわけですが、現在、龍谷大学には10の学部と多くの学科・専攻が開設されています。人文科学系、社会科学系、自然科学系の本当に多岐にわたっています。皆さんが必要とする学習のための学部・学科を、もう決められていますか。中高一貫特進、選抜特進のコースの生徒の皆さんは、自らが志望する学部・学科・専攻がどのような大学に開設されているのか、先ずそこから調べ上げていかなければなりません。
進学希望の大学選びの要諦は、決して大学のブランド力や偏差値をその基準としてはならないということです。
先ず自らの「遠い未来」、すなわち自分の人生の最充実期にどのような形で社会貢献を果たしているのか?、そのためには大学でどのような力を身に着けておかなけらばならないのか?、その力が身につく学部・学科・専攻は?、そしてそれはどの大学に用意されているのか?この観点からの大学選びが本当に大切になってきます。大学進学は、人生の目標ではなく、人生目標を達成するための事前の目的・手段にしかすぎません。このことをしっかりと胸に秘めて、本意に従った、慎重かつ大胆な専攻・学科・学部、そして大学選びをよろしくお願いします。
自分の志望する進学先を確保するには、受験→合格→入学を確実なものとすることが必要となります。高校時代にどれぐらいの準備時間が必要となるのでしょうか?一般的には、3学年合計の所謂受験勉強が3,500時間必要になるといわれています。3年生単学年の学習時間は1,500時間でしょうか。入学試験日はすでに決定され、生徒の皆さんの受験のゴール日はすでに設定されています。自分の学習量の蓄積具合に応じてゴールが先延ばしになることは決してありません。早くにスタートを切った者、ゴール日まで3,500時間の学習量を蓄積し終えた者にこそ”栄冠”が約束されます。
このことを肝に銘じて、生徒の皆さんは「自律的で主体的な自己実現」のため渾身の力を振るってください。私たち教職員も持てる限りの指導・援助を行います。
どうか保護者の皆様方も、すばらしく力強い”受験生の父””受験生の母”となられますことをお願いいたします。

「自今」とは?

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生徒手帳に記載の「自今」を説明いたします。生徒達には、オリエンテーション合宿や始業式にて、直接に解説いたしました。

「自今」は、「自今生涯」の省略形で、校長就任に際して揮毫の依頼を受けましたとき、即座にこの二文字にしようと思い立ちました。実は、揮毫などということは過去に経験もなく、”文字を書くとは恥をかくこと”とよく承知していますので、およそ200枚の練習の成果です。まさに御笑覧ください。
「自今生涯」、かつてお教えをお受けました堀場製作所最高顧問の故堀場雅夫様の座右の銘のひとつであったと伺っております。堀場様は申し上げるまでもなく株式会社堀場製作所の創業者で、日本最初の学生起業家としても著名な方です。意味は「今より始めて、生涯をかけて努力を積み重ねよ」ということで、「自らの未来は自らの意志と努力で自らが切り拓きなさい」ということに通じます。
生徒達には次のように解説いたしました。

過去という過ぎ去った時間は二度と回復しない。反省と教訓を汲み取ることは大切であるとしても、過去はどう努力しても修正できないものです。ただし今から生涯にわたる時間は、君たちの意志と努力でどのようにも創りあげることができます。未来は自らの意志でどのようにも切り拓くことができる。このことを肝に銘じて、新年度、新学期、今この瞬間から怠りなく努め始めましょう!
「自今」には、このような私の願いが込められています。

この二文字は、新任校長である私自身の覚悟と自らへの戒めを表すものでもあります。

平成30年度入学式

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4月5日(木)、龍谷大学付属平安高等学校中学校の入学式が挙行されました。
浄土真宗本願寺派社会部長 白川 了真 様、龍谷大学 学長 入澤 崇 様、平安同窓会 会長 藤松 喜久次 様ならびに平安保護者会 会長の寺田 崇雄 様はじめ多数のご来賓列席の下、厳粛な雰囲気の中でのすばらしい入学式でした。
式辞を紹介して、入学生にお伝えした私の思いの一端を紹介いたします。

□ 入学式式辞(中高それぞれの式辞を編集)

 春爛漫、まさに春の花が咲き、光に満ち満ちた時候となりました本日、ただいまは高等学校新入生419名、中学校新入生92名の龍谷大学付属平安高等学校中学校への入学を許可いたしました。
 新入生の皆さん、本校へのご入学、本当におめでとう!
 保護者の皆さま、ご子息ご息女のご入学、まことにおめでとうございます。
心よりのお祝いを申し上げますとともに、教職員一同に成り代りまして皆様方への歓迎の意をお伝えさせていただきます。
 申し上げるまでもなく、この龍谷大学付属平安高等学校中学校は、創立以来142年目を迎える浄土真宗本願寺派の宗門校で、その建学の精神は、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願を旨とする「浄土真宗の精神」です。本校は、阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。
 この建学の精神を校是とし、これを実現するための日常の心得として、
ことばを大切に じかんを大切に いのちを大切に
という三つの「大切」を掲げ、これらを本校生徒の“心”とし“生き方”といたします。
 「ことば」とは、南無阿弥陀仏の名号を唱えることによって、阿弥陀様から「必ず救いとるゾ!」 と呼びかけられ、誰もが等しく仏に願われた存在であることに気づかされることで、したがって他人に投げかける言葉は 思いやりに満ちたもの であらねばなりません。
 「じかん」は、諸行無常という言葉があるように絶えず変化し決して永遠のものではないということです。したがって 生きているこの今を大切にしてほしい という思いをこめています。
 「いのち」は、阿弥陀様からいただいもの。だからこそ これ以上ないほどに大切にしてほしい と願っております。
 さて、これから始まろうとする平安での3(6)年間。新入生の皆さんは、どのような学校生活を思い描かれているでしょうか。
 子供から大人へ、未成年から成人へという、永い人生の中でも一番に起伏と変化にとんだ、かけがえのない3(6)年間となるはずです。
 私たち教職員は、「魅力ある、奥行深い、幅広い授業」で皆さんを魅了したいと思っております。学ぶことの楽しさ、大切さを深く感じ取り、如何に自分が無知であるかを自覚することによって、新たな知への貪欲なまでの探究心を持ち続けてください。本校校歌の締めくくりにも「おおはげめよ、はげめよ、われら学の徒」とあります。
 さらに、私は「文武を併修して、両道を極める」こともお願いしたいと思います。本校では、その力量が全国レベルに達したものも含めて数多くの運動系、文科系の部活動に、大勢の生徒達が青春という花を咲かせています。どうか新入生の皆さんも、正課活動の授業に全力を傾注することを基本としながらも、放課後の学園生活を部活動に費やし、与えられた資質や能力を、自分自身の興味・関心に応じて、多方面に開花させていただきたいと思います。併せて、両道を極めることが如何に困難であるかということも実感して、活躍する先輩たちへの尊敬の念を持ち合わせていただければ、君たちの人間力にもさらに向上が見られるのではと期待しています。
 長いようで短い3(6)年間になるかとは思いますが、高校三年生にもなり、満十八歳の誕生を迎えると、君たちは「成人者」と認められ、保護者の方々や私たち教職員と同等の憲法上法的な権利を保障され義務を負うこととなります。すなわち、君たちの精神的な成長には個々万別の差異はあるとしても、社会的には「成人・大人」として処遇され、自らの人生にも自らが大きな責任を負うこととなるわけです。中学から高校にかけての期間は最後のチャンスです、人生という永い道のり中での一番の充実期という「遠い未来」を見据えて、自己の将来設計をいかに実現していくかということの。そして、高校卒業時という、たちまちの「近い将来」にどのような進路設計を立て、平安の教育の成果とともにそれをどのように実現していくのか。私たちは、君たちの進路実現を、君たちが学ぶ専門コースの目的に応じて龍谷大学や難関大学への進学で図りたいと決意しています。「遠い未来」を見据えて「近い将来」の目標を達成する。この君たちの自律的で主体的な営みへの指導・援助に、平安は全力を注ぎ、平安の命運をかけたいと思います。
結びに、保護者の皆様方に再度のお祝いを申し上げ、本校が展開いたします学校教育へのご協力と、皆様方の慈愛に満ちた家庭教育との相乗で、本日ご入学の生徒の皆さんが、この平安での学びを通じて大きな成長を遂げられますことを念じ申し上げ、式辞といたします。

校長ブログ開始宣言!

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新任校長の 関目六左衞門 です。

龍谷大学付属平安高等学校中学校の第14代校長に2018年4月1日付で就任いたしました。
本日から「校長ブログ」を開始いたします。
よろしくお願いいたします。

簡単に自己紹介をいたします。

生年月日:1951年8月21日(66歳)
出身:滋賀県野洲市
出身大学:1978年3月 龍谷大学大学院文学研究科東洋史学修士課程終了
職歴:1978年4月 京都市立高等学校社会科教諭
      ※ 西京商業高等学校、堀川高等学校に勤務
2012年3月 京都市立西京高等学校、同付属中学校 校長 退職
2017年3月 京都嵯峨芸術大学(当時)教授(教職課程特任教員) 退職
2018年3月 龍谷大学教職課程非常勤講師、京都府テニス協会事務局長 退職
2018年4月 龍谷大学付属平安高等学校中学校 第14代校長 就任

何卒よろしくお願いいたします。

平成29(2017)年度 御命日法要【3月】

【ご案内】
 3月11日で東日本大震災発生から7年、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災から23年が経ちました。現在も多くの被災者が、避難生活を余儀なくされておられます。時間とともに記憶から薄れてしまいそうになりますが、私たちはこのことを決して忘れることなく心に刻んでおかなければなりません。そして、今こうして今日のこの日が迎えられたことを、心から「ありがたい」と感謝いたしたいと思います。

 この冬は、強力な寒気団が次々と押し寄せ、各地は豪雪に見舞われた。(中略)
 2月6日からの豪雪では、福井県の国道8号線で約1500台もの車が足止めされた。近隣のコンビニやガソリンスタンドの品も底をつき、運転手は身動きできない極寒の車内でひたすら耐えた。その人たちを地元住民たちが助け、食事や飲み物を差し入れたと聞いた。その温かいニュースは私たちの心に温もりを伝え、情の大切さをあらためて教えてくれた。 大寒波で日本列島が冷え込む中、熱かったのが韓国・平昌で開かれた冬季五輪。テレビでは連日特番が組まれ、選手たちの躍動に胸を熱くした。特に大会中盤で明るい知らせを届けてくれたのがフィギュアスケート男子の羽生結弦選手と、スピードスケート女子500㍍の小平奈緒選手の金メダルだった。大けがや挫折など幾多の困難を乗り越えてつかんだその結果もさることながら、私たちの心を熱くしてくれたのは、惜しくも頂点に届かなかった他国のライバル選手を労い、励まし、たたえ合う姿だった。
 見ず知らずのドライバーに食事を届けた人も、国を超えた選手同士の握手も、そこにあるのは他を気遣い、たたえる「共感」の心。そこに温もりが生まれることを教えてくれた人々に感謝したい。(F)  
「2018(平成30)年3月1日(木曜日)『赤光白光』本願寺新報 より」


「世は無常 怠りなく努力」龍谷大学付属平安高等学校3年生

 3年間を通してよく耳にしたのは、「世は無常である。怠りなく努力せよ」という釈尊のお言葉。仏教の根本的な「無常観」を表している言葉です。
 平安高校では仏参や宗教行事、教室に掲示された言葉などさまざまな場面で「無常」を意識することができました。そのおかげで自分の行動に意味や目的を持つようになり、本当に充実した日々を送ることができました。また、悩みを抱えている時や少し浮かれている時には、「永遠に続かない」と自分に言い聞かせ、前向きに進むことができたように思います。
 これから大学生、社会人と自由に時間の使い方を選ぶことができるようになる前に、このような貴重な経験ができたことに感謝しています。卒業後も変わらず、充実した時間を自分で生み出すことができるよう、「無常」という考え方を念頭に置きつつ、怠りなく努力をしていきたいです。
「2018(平成30)年2月20日(火曜日)『宗門校に学んで』本願寺新報 より」

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

3月 御命日法要
○ 日時 3月16日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 藤井和乗 先生              ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

平成29(2017)年度 龍谷大学付属平安中学校 卒業証書授与式

学校長式辞

 春のお彼岸を目の前にし、校庭の紅梅も見事に花を咲かせ春の訪れを感じる今日の佳き日、龍谷大学付属平安中学校の第71回卒業証書授与式を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派社会部部長 白川了信様、龍谷大学副学長 藤原直仁様、法人理事・評議員の先生方をはじめ、平安同窓会、親和会・保護者会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜り、衷心より御礼を申し上げます。
 保護者のみなさまには、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。
卒業生141名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 さて、みなさんは3年前、小学校を卒業してまだあどけなさが残る1年生として平安の門をくぐられました。入学式の式辞では、みなさんに「大きなことでなくてもいい。人は、日常のささやかな行いによって、喜びの種をまき、花を咲かせることができる」という、お釈迦さまの教えを話しました。
 そして、式辞の最後には、金子みすゞさんの詩を紹介いたしました。

よそから来た子は/かわいい子、/どうすりゃ、おつれに/なれよかな。
おひるやすみに/みていたら、/その子は桜に/もたれてた。
よそから来た子は/よそ言葉、/どんな言葉で/はなそかな。
かえりの路で/ふと見たら、/その子はお連れが/出来ていた。

 どうして友達になろうか、それぞれの育った環境も言葉も違うから、どんな言葉で話せばいいだろうか、という不安もあるかも知れませんが心配はいりません。ふと見たら、お連れが出来ています。どうか、心が喜ぶ素敵な言葉を使って、優しい思いやり溢れる言葉を口にしてください。このことを心がけていただければ、素晴らしい友、仲間が自然と出来ます。と申しました。どうでしたか?
 今年は、141名の生徒がいてくれましたので、昨年の12月から約3ヶ月間にわたり、数分間の面談をいたしました。平安中学の3年間を振り返り、今の気持ちは?という質問をさせてもらいました。みなさん、口を揃えて、「楽しかった」「最初は心配だったけど良い友達ができた」「充実していた」「成長できた」と言ってくれました。中には「色々あったけど…今となってはいい思い出です」と言う生徒や「三年間先生に迷惑ばかりかけてすいませんでした」という生徒もいました。
 いずれにしましても、笑みを浮かべて「良き仲間に巡り会えた」「充実していた」そして「楽しかった」と言ってくれたことが、何より本当に心から嬉しく思いました。そして、みなさんの成長がうかがえました。ほんの数分でしたが、みなさんとのお話は本当に楽しかったです。みなさん一人一人の顔に、満足感や充実感が漲っていました。私の方から感謝の言葉を言わせてください。「本当にありがとう!」
 さて、みなさんが、高校を卒業される時、同窓会からの記念品として『仏教聖典』をいただくのですが、その中に「ほとけの『おしえ』」について、記されている一節があります。
「第1章 第二節 不思議なつながり」と題された節に次のように記されています。

 人びとの苦しみには原因があり、人びとのさとりには道があるように、すべてのものは、みな縁(条件)によって生まれ、縁によって滅びる。
 雨の降るのも、風の吹くのも、花の咲くのも、葉の散るのも、すべて縁によって生じ、縁によって滅びるのである。
 この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、また、この心も 経験と知識とによって育ったものである。
 だから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならない。
 網の目が、互いにつながりあって網を作っているように、すべてのものは、つながりあってできている。
 花は 咲く縁が集まって咲き、葉は 散る縁が集まって散る。ひとり咲き、ひとり散るのではない。
 縁によって咲き、縁によって散るのであるから、どんなものも、みなうつり変わる。ひとりで存在するものも、常にとどまるものもない。

という仏教の根本の教え、つまり、「縁起(ご縁)」ということ、「無常」ということが記されています。
 龍谷大平安では、こうした宗教教育を育んでまいりました。その宗教的情操教育が少なからずみなさんの心に培われたことが、先月2月20日の本願寺新報『宗門校に学んで』に掲載された記事からうかがえます。それは、本校高校3年生の「世は無常 怠りなく努力」と題した文章で、次のように記してくれています。

 3年間を通してよく耳にしたのは、「世は無常である。怠りなく努力せよ」という釈尊のお言葉。仏教の根本的な「無常観」を表している言葉です。
 平安高校では仏参や宗教行事、教室に掲示された言葉などさまざまな場面で「無常」を意識することができました。そのおかげで自分の行動に意味や目的を持つようになり、本当に充実した日々を送ることができました。また、悩みを抱えている時や少し浮かれている時には、「永遠に続かない」と自分に言い聞かせ、前向きに進むことができたように思います。
 これから大学生、社会人と自由に時間の使い方を選ぶことができるようになる前に、このような貴重な経験ができたことに感謝しています。卒業後も変わらず、充実した時間を自分で生み出すことができるよう、「無常」という考え方を念頭に置きつつ、怠りなく努力をしていきたいです。

と、このように綴ってくれています。実に龍谷大平安でみなさんが学んだ意義がここにあるのです。
 龍谷大平安の3年間は、みなさんの心に「思いやりの心」を育て、そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいとの願いのもとに、日常の心得として「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけてきたのです。
 私たちの日常を見ますと、学校では多くの知識を増やして成績上位を目指し、会社に勤めると業績を上げてより高い収入と地位を目標とします。そのために、受験戦争など激しい競争社会を生み出してきました。
 こうした学歴や出世、収入などは、他人と比較して外から見えるものです。でも、外から見えない「大切なもの」があります。自分の内にある「こころの成長」です。
 「こころの成長」とは、ほかの人と比べてよりよい人間になることを言うのではありません。自分がいかにいたらない人間であるか、いかに自己中心的な人間であるかに気づきはじめることを言います。そこに気づけば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉にもあるように、おのずから他人に対して謙虚になります。
 私たちの日常は「すべて他人が悪い」と思い、人の「良さ」や「痛み」に心を向けることなく、自己中心的に暮らしています。「自分は間違っていない、すべて他人が悪い」と思い込んでしまいがちです。
 しかし、自他のいのちを見つめはじめれば、自己中心的で傲慢な生き方が、「お陰さま」の中で暮らす柔らかな感謝の暮らしへと変わります。そして、自己を真摯に見つめたとき、自分自身のいたらなさを知り、素直な心と謙虚な心が芽ばえ、ここに「人」としての成長があるのです。
 最後に、このあと、平安高等学校に進まれる人、他校へ進学される人がいますが、どうぞ、龍谷大学付属平安中学校で身につけた、素直な心と謙虚な心を持って高等学校でも頑張ってください。龍谷大平安が涵養したこの「こころ」を基盤にして、未来に羽ばたかれんことを心より念じ、私の式辞といたします。 

平成29(2017)年度 高等学校 第1・2学年後期終業式

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 さて、今日は嬉しいお知らせからいたします。もうすでに、みなさんはご存知だと思いますが、本校卒業生の辻 一弘さん(昭和63年卒業)が、日本時間でいいますと、3月5日(月)第90回アカデミー賞メイク・ヘアスタイリング賞を受賞されました。10年ぶり3度目のノミネートで初受賞されました。
 本年、2018年3月30日公開予定の映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』で主演ゲイリー・オールドマンの特殊メイクを担当した日本人アーティストであります。
 ゲイリー・オールドマンの迫真の演技を盛り立てた特殊メイクは、毎日およそ3時間半を要し、似ても似つかないその風貌をチャールズへと変身させたその完成度の高さは話題となっており、高い評価を得ていました。
 この部門では、日本人初の受賞ということで、教職員・在校生のみなさんはもちろんのこと、学校関係者ならびに平安の同窓生にとって誇りであり、この上ない喜びであります。
 さて、クラブ活動では、フェンシング部の男子が、19年連続22回目・女子が4年連続4回目の選抜大会出場、卓球部の男子が、20年連続26回目・女子が3年連続3回目の選抜大会出場、剣道部の男子が、3年ぶり3回目の選抜大会に出場してくれます。
 また、ウィンターカップで高校は団体2位、中学は4連覇を達成してくれました常連のチアダンス部も、今月末に開催されます全国大会にも中学高校ともに出場してくれます。個人では陸上部男子が日本ジュニア室内陸上競技大会60㍍で第5位に入賞してくれました。また、女子では10月に開催された愛媛国体で京都チームの第一走者をつとめ全国2位に輝いてくれています。柔道部も個人81㎏級で全国高等学校柔道選手権大会に出場してくれます。これから、大会に挑む各クラブの全国での活躍を心より期待いたしております。
 いよいよそれぞれの学年のフィナーレを迎えようとしています。この1年は、みなさんそれぞれにとって成長の1年でしたか。進歩の1年でしたか。
 今日は、高校3年生の卒業証書授与式でお話した内容をご紹介いたします。
 まず、3月1日、3年生の476名がこの学舎を巣立っていきましたので、平安中学・高校の卒業生総数は約43,000名を超えました。知っておいてください。
 さて、みなさんも、卒業の時に同窓会からの記念品として『仏教聖典』をもらわれます。その中に「ほとけの『おしえ』」について、記されている一節があります。第1章の第二節に、「不思議なつながり」と題されて、次のように記されています。

 人びとの苦しみには原因があり、人びとのさとりには道があるように、すべてのものは、みな縁(条件)によって生まれ、縁によって滅びる。
 雨の降るのも、風の吹くのも、花の咲くのも、葉の散るのも、すべて縁によって生じ、縁によって滅びるのである。
 この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、また、この心も 経験と知識とによって育ったものである。
 だから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならない。
 網の目が、互いにつながりあって網を作っているように、すべてのものは、つながりあってできている。
 花は 咲く縁が集まって咲き、葉は 散る縁が集まって散る。ひとり咲き、ひとり散るのではない。
 縁によって咲き、縁によって散るのであるから、どんなものも、みなうつり変わる。ひとりで存在するものも、常にとどまるものもない。
 すべてのものが、縁によって生じ、縁によって滅びるのは永遠不変の道理である。だから、うつり変わり、常にとどまらないということは、天地の間に動くことのない、まことの道理であり、これだけは永久に変わらない。

と、このように教えてくださっています。私たちがよく使う「ご縁」という言葉は、仏教の根底を成す考え方で、お釈迦さまが説いた大切な教えである「縁起」に由来しています。
 お釈迦さまはさとりを開かれ、その後45年間にわたりさまざまな教えを説かれましたが、その教えの根本が「縁起」であるといわれています。「縁起」とは、この世のあらゆるものは時間的にも、互いに関係し合い、結びつき合って存在しているのであり、バラバラに存在しているようであっても、個別に単独で存在しているものはないという、この世の真実のあり方を示しています。
 親鸞聖人も「遠く宿縁を慶べ」と述べられています。仏法に出あい、阿弥陀さまのみ教えに導かれる身となったことを、遠い過去からのはかり知れない「ご縁」によって与えられ導かれてきたと慶ばれているお姿は、「縁起」の理念のもとに、「ご縁」をこよなく慶ばれているお姿のあらわれであります。
 また、仏教の根本的な理念を示す三法印という教えがあります。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つですが、こうした仏さまの教えをみなさんは、宗教の授業や宗教行事などさまざまなところで学んでいます。
 このような宗教的情操教育が、少なからずみなさんの心に培われたことが、先月2月20日の本願寺新報『宗門校に学んで』に掲載された記事からうかがえます。本校3年生の「世は無常 怠りなく努力」と題した文章で、次のように記してくれています。

 3年間を通してよく耳にしたのは、「世は無常である。怠りなく努力せよ」という釈尊のお言葉。仏教の根本的な「無常観」を表している言葉です。
 平安高校では仏参や宗教行事、教室に掲示された言葉などさまざまな場面で「無常」を意識することができました。そのおかげで自分の行動に意味や目的を持つようになり、本当に充実した日々を送ることができました。また、悩みを抱えている時や少し浮かれている時には、「永遠に続かない」と自分に言い聞かせ、前向きに進むことができたように思います。
 これから大学生、社会人と自由に時間の使い方を選ぶことができるようになる前に、このような貴重な経験ができたことに感謝しています。卒業後も変わらず、充実した時間を自分で生み出すことができるよう、「無常」という考え方を念頭に置きつつ、怠りなく努力をしていきたいです。

と、このように綴ってくれています。実にみなさんが龍谷大平安で学ぶ意義はここにあるのです。そして、少しでも、巣立っていった卒業生の心に薫習できたことを、心から嬉しく思いました。
 学校という学舎(まなびや)は、勉強を学ぶことはもちろんですが、それよりも何よりも集団生活の中で良き友人関係を構築する修練の場です。その土台になる感性、つまり「こころの知性『EQ』」を磨く大切な期間です。それぞれ3年生や2年生に進級しますが、「こころの成長」を意識して、良好な人間関係を作ってください。
 最後に、目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、「こころの知性」の大切さを再確認して、われわれは決して一人で生きているのではなく、他に支えられて生かされているからこそ、人と人との関係性を何よりも大切にしなければならないということを、今一度確認しておきましょう。
 そして、明後日3月11日は、東日本大震災からちょうど7年となります。また、1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きましてから今年で23年が経過しました。時間とともに記憶から薄れてしまいそうになりますが、私たちはこのことを決して忘れることなく心に刻んでおかなければなりません。そして、今こうして今日のこの日が迎えられたことを、心から「ありがたい」と感謝いたしたいと思います。
 本日から3日間、生徒会執行部が中心となって、京都タワー前およびアバンティー前にて募金活動を行います。何も出来ないかもしれませんが、こうした活動を通して寄り添う気持ちはしっかりと持っていましょう。ご協力の程よろしくお願いします。
 みなさんは、これから、それぞれ上の学年と進まれ、一段一段大人の階段を上って行かれます。繰り返しになりますが、本当の意味で、目先の目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、つまり、ありのままの自分を見つめ、しっかりと「こころを磨くこと」を意識して、そういう生き方を心がけて日々精進してくださることをお伝えして私の式辞といたします。

 東日本大震災募金活動について
 ・日程)平成30年3月9日(金)~3月11日(日)13:30~15:30
  場所)京都タワー前及びアバンティー前

平成29(2017)年度 龍谷大学付属平安高等学校 卒業証書授与式

学校長式辞

 一雨ごとに少しずつ気温が上がり、日差しも徐々に暖かくなってまいりました。校庭には、二本の紅梅がありますが、そのうちの一本が今日の佳き日に合わせたかのように少しほころびを見せ、春の訪れを感じる季節となりました。
 本日ここに龍谷大学付属平安高等学校の第70回卒業証書授与式を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派社会部賛事 藤澤りえ 様、龍谷大学学長 入澤 崇 様、法人理事・評議員の先生方をはじめ、平安同窓会、親和会・保護者会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜り、衷心より御礼を申し上げます。
 保護者のみなさまには、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。卒業生476名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 本校もお陰さまで、一昨年創立140周年を迎えさせていただきました。ちょうどみなさんは、創立から数えますと140期生という記念すべき卒業生ということになります。そして、後期終業式でも申しましたが、本日476名が巣立たれますので、この間の卒業生は 43,000名 を超えることとなります。
 さて、みなさんが、本日、同窓会からの記念品として受け取られます『仏教聖典』に「ほとけの『おしえ』」について、記されている一節があります。
「第1章 第二節 不思議なつながり」と題された節に次のように記されています。

一、人びとの苦しみには原因があり、人びとのさとりには道があるように、すべてのものは、みな縁(条件)によって生まれ、縁によって滅びる。
 雨の降るのも、風の吹くのも、花の咲くのも、葉の散るのも、すべて縁によって生じ、縁によって滅びるのである。
 この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、また、この心も 経験と知識とによって育ったものである。
 だから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならない。
 網の目が、互いにつながりあって網を作っているように、すべてのものは、つながりあってできている。
 一つの網の目が、それだけで網の目であると考えるならば、大きな誤りである。
 網の目は、ほかの網の目とかかわりあって、一つの網の目といわれる。 網の目は、それぞれ、ほかの網が成り立つために、役立っている。

二、花は 咲く縁が集まって咲き、葉は 散る縁が集まって散る。ひとり咲き、ひとり散るのではない。
 縁によって咲き、縁によって散るのであるから、どんなものも、みなうつり変わる。ひとりで存在するものも、常にとどまるものもない。
 すべてのものが、縁によって生じ、縁によって滅びるのは永遠不変の道理である。だから、うつり変わり、常にとどまらないということは、天地の間に動くことのない、まことの道理であり、これだけは永久に変わらない。 と、このように教えてくださっています。

 龍谷大平安の3年間・6年間は、こうした宗教教育を育んでまいりました。その宗教的情操教育が少なからず、みなさんの心に培われたことが、先月2月20日の本願寺新報『宗門校に学んで』に掲載された記事からうかがえます。
 それは、本校3年生の「世は無常 怠りなく努力」と題した文章で、次のように記してくれています。

 3年間を通してよく耳にしたのは、「世は無常である。怠りなく努力せよ」という釈尊のお言葉。仏教の根本的な「無常観」を表している言葉です。
 平安高校では仏参や宗教行事、教室に掲示された言葉などさまざまな場面で「無常」を意識することができました。そのおかげで自分の行動に意味や目的を持つようになり、本当に充実した日々を送ることができました。また、悩みを抱えている時や少し浮かれている時には、「永遠に続かない」と自分に言い聞かせ、前向きに進むことができたように思います。
 これから大学生、社会人と自由に時間の使い方を選ぶことができるようになる前に、このような貴重な経験ができたことに感謝しています。卒業後も変わらず、充実した時間を自分で生み出すことができるよう、「無常」という考え方を念頭に置きつつ、怠りなく努力をしていきたいです。と、このように綴ってくれています。
 実に龍谷大平安でみなさんが学んだ意義がここにあるのです。そして、少しでも、みなさんの心に薫習できたことを、心から嬉しく思いました。
 最後に、みなさんが今日、受け取られます卒業アルバムに、平安の三つの大切「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という言葉に添えて『煩悩障眼雖不見(ぼんのうしようげんすいふけん) 大悲無倦常照我(だいひむけんじようしようが)』という言葉をしたためさせてもらいました。
 これは、私たちが、日々お勤めする『正信念仏偈』の中の一節であります。
 ―悲しいかな、煩悩のためにわが眼はおおわれてしまって真実の有様を見ることができないですが、よろこばしいかな、如来はお慈悲の心をもって、倦(う)みつかれることなく、常にわが身を照らし続けてくださっているのですよ―ということです。
 自己中心的なものの見方や考え方しかできない私たちでありますから、その中で、本当の姿、真実の姿をついつい見失ってしまい、物事をありのままに受け容れることができなくなります。
 だから、色々なことで悩み苦しみます。それでも、阿弥陀如来は常に私たちを照らしてくださっています。阿弥陀さまははたらき続けていてくださいます。
 安心して、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させることを心がけましょう。すると、素直な心と謙虚な心が根づくのです。そんな心のありようを意識して、日々の生活を送りましょう。
 次の日本を、そして世界を背負って立つみなさんに、こうして涵養した「宗教的情操」こそが、これからの人生の基盤に据えられることを願っております。どうぞ、龍谷大平安で青春を過ごし、卒業生になることに誇りをもってください。それこそが、伝統につながっていくということを知っておいてください。そして、その伝統だけが重要なのではなく、みなさん一人ひとりが、その伝統の最前列にいることを意識することが大切なのだということをしっかりと自覚し、自らのいのちを磨き続ける人生を送られますことを心より念じまして、私の式辞といたします。

今月の言葉《宗教教育係》

ファイル 289-1.pdf

三月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

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