記事一覧

今月の言葉《宗教教育係》

ファイル 288-1.pdf

二月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成29(2017)年度 高等学校第3学年 後期終業式

学校長式辞

 お正月を過ぎ3週間を経過しておりますが、あらためまして、みなさん、本年もよろしくお願いします。
 さて、お正月は、ほんの束の間だったかも知れませんが、家族がコタツを囲み、もしくは、年末年始旅行に出かけお正月を外で迎えた人もいるかも知れません。少しはゆっくり過ごせましたか。そのお正月も2日からのセンター入試直前演習で最後の調整をして、先々週のセンター試験に臨んだみなさんは、たいへん、お疲れさまでした。この後も、2月・3月と入試本番を控えておりますので気を抜かず頑張ってください。
 卒業式まであと一ヶ月余りとなりましたが、あらためて、龍谷大平安について少しだけ触れておきます。明治9(1876)年に滋賀県彦根の地に「金亀教校」として創立されました。そして、126年間男子校でありました平安は2003(平成15)年に男女共学となり、5年後の2008(平成20)年に龍谷大学付属平安中学校・高等学校と校名を変更し、10年が経ちます。そして、一昨年、めでたく創立140周年を迎え、今春卒業生であるみなさん、476名が卒業されましたら、卒業生総数は、約43,000名を超えます。
 今日は、先々週、1月12日の報恩講で、浄土真宗本願寺派布教使 南條了瑛先生にお話いただいた内容をご紹介させていただきます。
 まず、報恩講のしおりに記された『報恩講について』のところをお読みになりました。
 「報恩講とは、親鸞聖人の教えによって、阿弥陀如来の教えに遇わせていただいたご恩に対して、感謝の心をもって、聖人のお亡くなりになった日を機縁に聖人のご遺徳を偲ぶ行事です。浄土真宗において最も重要な行事です。」という所を強調されました。この中で、「阿弥陀如来の教えに出遇わせていただいたご恩」という所を取り上げ、この「出遇う」ということについて説明くださいました。
 仏教では、「出遇う」には二種類があり、一つ目は「直接目と目で出遇うこと」、二つ目は「聞いて出遇うこと」です。親鸞聖人は、二つ目の「聞いて出遇うこと」を非常に大切になさっていました。
 この「聞いて出遇う」ということについて、具体的なエピソードをご紹介くださいました。

 亡くなられたご主人のお葬式をたった一人でなさったご婦人のお話です。お葬式に行かれた南條先生は、参列者が誰もおられず、ご婦人が一人ぽつんと座っておられる光景に驚かれました。
 そのご婦人は、「両親も亡くし、唯一であった主人も亡くし、いよいよ本当に一人ぼっちになってしまいました」とうなだれ、「悲しくて、寂しくて、どうしようもありません」とお気持ちを打ち明けられたそうです。先生は、ただただ黙って聞いているしかありませんでした。
 でも、そのあとに、そのご婦人の口から出てきた言葉は、「一人だけれども一人じゃない」という言葉です。ご婦人は、「ここにはもう主人はいませんが、いつでも亡くなった主人の心を聞いて出遇っているから一人じゃありません」とおっしゃったそうです。「ご主人の心を聞いて出遇っている。だから寂しいけれどひとりぼっちじゃありません。」と、おっしゃったのです。
 このお話から、私たちが、阿弥陀さまのお心と出遇うことも同じであることを学ばせていただき、「聞いて出遇う」という意味を深く理解させていただきました。
 そのあと、次のように続けられました。阿弥陀さまのお心を「大悲心」と言います。「大悲心」の悲とは、あなたを慈しむという慈悲の心です。阿弥陀さまという仏さまは、あなたの苦しみをわが苦しみとして、いつでも、どこでも引き受けてくださるお方です。
 私たちは、一人ぼっちだと感じて苦しむことがありますが、決して一人ではなく、阿弥陀さまがいつも私たちの心の中で私たちの気持ちに寄り添ってくださっているのです。
 そして、このことをわかるようにしてくださったのが、親鸞聖人なのです。

 もう一つ、エピソードをお話いただきました。それは、南條先生の留学時のお話です。これからの僧侶は、英語でお説教をしなければならないと考えられた南條先生は、1年間、アメリカのカリフォルニア州バークレーで留学生活を送られました。
 大きな夢を抱いて留学されたのは良いですが、あまりの英語で話すスピードの速さについていけず、早く日本に帰りたいと思い続けておられたそうです。その時、日系のシバタさんという女性が、たいそう優しくしてくださり、いろいろとお世話をしてくださいました。南條先生よりも、だいぶ年は上だったのですが、もしかして、好意を抱いているのかなと思うくらい優しく接してくださったようです。
 実は、そうではなく、シバタさんのお爺さんとお婆さんは日本人でこの日本にお住まいでした。小さい頃、シバタさんはよく日本に来られていたようですが、日本語の飛び交う中で、何もわからないけれど愛想笑いをしていた幼い頃の経験がありました。
 ちょうど、南條先生が、何を話しているのかさっぱりわからないけれど、適当にわかったような顔をして、愛想笑いをしながらその輪の中にいる姿が、シバタさんの幼い頃の体験と重なったのです。あなたの気持ち、私のことのようによくよくわかるよ!と寄り添ってくださったのでした。
 実に、いつでも、どんなときでも、あなたの気持ち、我がことのように、私たちに寄り添ってくださっている阿弥陀さまのお心がそこにあるのです。
 私たちは、日常生活の中で、悩みや苦しみを抱えながら生きていかなければなりません。そんな私たちに、お釈迦さまは「必ず救い取るぞ」の阿弥陀さまのご本願をお説きくださり、人がひととして生きる道をお示しくださいました。
 その教えを受けて、真実の人生を歩まれた親鸞聖人は、阿弥陀さまのご本願を聞きひらいた時、自己を真摯に見つめ、かけがえのない「いのち」を大切に生きていく道が開かれてくると教えてくださいました。
 龍谷大平安の3年間・6年間は、みなさんの心に「思いやりの心」を育て、「自制・協力・調和の心」を育む。そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいというのが、龍谷大平安の願いであったのです。
 そして、具体的な日常の心得として、「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけてきたのです。「IQ」や「偏差値」のような数字では表すことのできない大切なもの、それが、「EQ」、「こころの知性」、「こころ」です。この「こころ」を磨くことが、実は、仏教的なものの見方のできる人間に成長することです。
 そのことに気づくことが、龍谷大平安で過ごしたことの意義でもあるのです。
 これからの時代、人工知能(AI)あるいは人型ロボットの進化で、「人が生きていくこと」の意味が、改めて問われるようになってきます。だからこそ、人が人として生きる道について、それぞれが自らがしっかり考える必要性が問われてきます。こういう時代にあるからこそ、「EQ」(こころの知性)を磨く大切な修練の期間が龍谷大平安で過ごした学校生活だったのです。
 みなさんは、これから、高校生からほとんどが大学生を経て、大人の社会に入って行かれますが、本当の意味で、目先の目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、つまり、ありのままの自分を見つめ、しっかりと「こころの進歩」を意識して、そういう生き方を心がけて日々精進してくださることをお伝えして私の式辞といたします。

御礼 平安関東同窓会・硬式野球部関東OB会 総会・懇親会

平成30年1月20日(土)KKRホテル東京に於いて、17:00~硬式野球部関東OB会総会、17:40~関東同窓会平成29年度総会、18:30~合同の懇親会が開催されました。懇親会では、選抜大会や全国大会に出場を決めたクラブを紹介させていただき、中学チアダンス部ウインターカップ4連覇、フェンシング部中学2年生で世界大会に出場して好成績を残している生徒がいることなどを報告し、楽しい一時を過ごさせていただきました。お世話いただきました同窓のみなさまに心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

今月の言葉《宗教教育係》

ファイル 284-1.pdf

一月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成29(2017)年度 御命日法要【12月】

【ご案内】

伝灯奉告法要 首都圏協賛行事のシンポジウム「次世代リーダーズサミット 誰一人取り残さない」の冒頭で、ご門主が「お言葉」を述べられました。=11月8日築地本願寺本堂

 念仏者の生き方と現代的課題

 伝灯奉告法要は、鎌倉時代、宗祖親鸞聖人によって説かれた浄土真宗のみ教えが、聖人から数えて750余年、第25代門主となる私まで連綿と伝えられ、それを有縁の皆さまとともに慶ぶことができたことを阿弥陀如来に申しあげますとともに、これから先も、み教えが広く伝わることを願って勤められたものです。法要の初日に私は、智慧と慈悲からなる阿弥陀如来のお心に出遇った私たち念仏者が、この現実の世界でどのように生きていくかということについて、詳しく述べさせていただきました。
 おさとりを開かれた仏さまの智慧の眼から見られたこの世界の真実とは、すべての物事は限りない過去から一瞬もとどまることなく、絶えず変化・生滅しており、しかも、それらすべての物事は、必ず互いに関わりあって存在しているということです。そのような中に、自分自身で単独に、固定した実体として存在しているものは何ひとつないのです。このありのままの真実を、仏教の専門用語では縁起・無常という言葉で解き明かされています。
 しかしながら、私たちはこのありのままの真実に気づかず、常に物事を自分の都合が良いように考え、自己中心的にしか見ることができません。こうした自己中心的な考え方や物事の見方を仏教では、無明煩悩といいます。このような私たちが、あらゆるものを救おうという阿弥陀如来のお慈悲の心を聞かせていただく時、自己中心的にしか生きられない私であることに気づかされ、少しずつではありますが、阿弥陀如来のお心に導かれ、煩悩を克服していく生き方へとつくり変えられていくのです。
 今日の世界には、テロや武力紛争、経済格差、地球温暖化、核物質の拡散、差別を含む人権の抑圧など、国の内外で、世界規模での人類の生存に関わる困難な問題が山積しています。そして、世界では実に多くの方々が、このような現状の中で悲しみ苦しまれています。すべてのいのちあるものを必ず救おうという阿弥陀如来のお心を知らされた私たち念仏者は、他の人びとの悲しみや苦しみに無関心ではいられません。もちろん、私たちは生きている限り、自己中心的な欲望である無明煩悩を克服しきれるわけではなく、仏さまのように、すべての人びとの幸せを何物にも優先して第一に願うというような、執われのない完全に清らかな行いはできません。しかし、それでも仏法を依りどころとして生きていくことで、他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間に育てられていくのです。(ご門主のお言葉より)

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

12月 御命日法要 
○ 日時 12月18日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 楠 深水 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

2017 第21回 中学校音楽祭

学校長挨拶

 音楽の三要素は「リズム」「メロディー」「ハーモニー」です。その中でも「ハーモニー(和音)」とは、二つ以上の音が、同時に鳴っているときに生まれる音の響きのことです。
 「ハーモニーを奏でる」という言い方は、音だけでなく味や色のことでも使いますが、意味は「調和、一致」または「和声、和音」です。語源はギリシャ語の「接合」を意味する言葉で、物と物とをつなぎ合わせることです。それが転じて「調和」を表す言葉になりました。
 合唱においては、それぞれのパートの声が『調和』のとれた響きとして、聞く人に届くことが大切です。聞く人に「心地良いハーモニーを奏でる歌」として届くには、心地よく感じる和音・和声を奏でる合唱でなければなりません。
 さあ、『調和』のとれた素晴らしいハーモニーによる、クラスの一体感を見せてください。楽しみにしています。

御礼 第4回 学校説明会

2017年12月10日(日)本校講堂におきまして『第4回学校説明会』を開催いたしましたところ、午前10時~(中学受験生対象)約110組、午後1時~(高校受験生対象)約400組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2018年度入試の学校説明会」に、休日にも関わりませず、たくさんの方にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、龍谷大平安のあゆみを映像でご覧いただきましたが、お陰さまをもちまして、昨年、創立140周年を迎えさせていただきました。この140年の歴史と伝統を心のよりどころとして、「建学の精神」、つまり、「浄土真宗の精神」を広く深く伝えたいという願いのもとに「『建学の精神』の伝播と醸成」を教育の根幹に据えました。
 また、今年度の生徒手帳には、「求道(ぐどう)」と記させていただきました。『阿弥陀仏の本願』を『鏡』として、自己を深く見つめ、真摯に生きることのできる人間に成ることをめざす。と意義づけました。
 それでは、本校で行う宗教教育について、少しだけお話いたします。
 今日は、大人から子どもまで誰もが知っているアンパンマンのお話をします。作者はご存知やなせたかしさんです。この漫画には、私たちがしっかりと心に留めておかなければならないことを教えてくれています。
 それは、アンパンマンは、「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言いません。アンパンマンが言うのは、「あ!バイキンマン!また、イタズラしたな!許さないぞ!」と言います。つまり、悪いのは、バイキンマンという「人格」ではなく、イタズラという「行為」であるということです。
 正に、罪を憎んで、人を憎まずですね。やったことに問題があるのであって、その人を否定するものではないということ、このことを、しっかりと胸に刻んでおきましょう。
 さて「アンパンマンのマーチ」を見ると、実はアニメでは流れない3番の歌詞の一節に「時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで」とあります。
 お釈迦さまはお悟りをひらかれた後、最初の説法で、「諸行無常」・「諸法無我」・「涅槃寂静」という三つの真理を示されました。これは、お釈迦さまが、この世の中の本当のこと、仕組みををしっかりと心に持ちなさいということを教えてくださいました。この「時は早く過ぎる 光る星は消える」というところには、あらゆるものは時間とともに、時々刻々と変化するという「諸行無常」が歌われています。とても深い詩的な一節です。
 もう一つ、やなせたかしさんが、アンパンマンに込めた大切な想いがあります。子供番組のスーパーマンものを見るのが大好きだったやなせさんは、正義の味方というけれど、本当の正義とは、敵をやっつけることではなく、実は「我々が、本当にスーパーマンに助けてもらいたいのは、たとえば、失恋して落ち込んでいる時、おなかがすいてたおれそうな時、あるいは旅先でお金がなくなった時、その他色々と悩み苦しんでいる時、そういう細かいところに気がつく優しいスーパーマンがいてほしい」とおっしゃっています。
 私たちのご本尊である阿弥陀如来という仏さまは、目には見えないですが、いつでもどこでも、この私とご一緒くださる仏さまです。私たちが苦しいとき、悩んでいるとき、まさに阿弥陀さまご自身の痛みとして、まったく同じ気持ちで、「しんどいな、つらいな」と胸が痛んでくださっている。そういうお方です。
 私たちは、仏さまのような行いはできなくても、一人一人がそれぞれの場で正しい生き方を目指し、少しでも仏さまに近づく努力を、精一杯させていただくことが大切だと思います。
 みなさんには、ありのままの自分を見つめ心を磨いて欲しい、そして、人と人とを繋ぐことばを大切に、今というじかんを大切にして、いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのちを磨き輝かせて欲しいというのが龍谷大平安の願いであります。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

今月の言葉《宗教教育係》

ファイル 280-1.pdf

十二月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

2017(平成29)年度 校友関係物故者追悼法要

学校長挨拶
 本年度、学園関係者およびそのお身内の方々が34名お亡くなりになられました。本日はその方々を追悼する法要を勤修し、これを機縁として私の生き方を学ぶという意義深い日であります。
 さて、それではお亡くなりになられた方々は、いったいどこへ行ってしまわれたのでしょう。そう思うと、悲しみどころか不安で、とても辛い気持ちになります。
 お釈迦様は、私たちはこの世で愛する人と必ずお別れをしなければならないという苦しみを『愛別離苦』と名付けて、八つの思うようにならない苦しみの一つに数えられました。
 では、お亡くなりになられた方々は、どこへ行かれたのか?と言いますと、その答えは今、みなさんと歌いました追悼のうた『み仏に抱かれて』に歌われております。

・1番の歌詞には、君ゆきぬ「西の岸」とあります。
  彼岸は、西の方角にあるとされます。西方浄土のことです。
・2番の歌詞には、君ゆきぬ「慈悲の国」とあります。
  仏様のお心を表す言葉が慈悲です。人々をいつくしみ、苦しみを取り去る心です。この心に満ちた国のことです。
・3番の歌詞には、君ゆきぬ「花の里」とあります。
  四季の花々が咲き競う美しい世界です。
・4番の歌詞には、君ゆきぬ「宝楼閣(たまのいえ)」とあります。
  仏説阿弥陀経には、宝石でできた建物が描写されています。

 つまり、この「西の岸」「慈悲の国」「花の里」「宝楼閣」の四つとも、お浄土・阿弥陀如来の国を指す言葉であります。亡くなられた方は、仏さまにすくわれてお浄土へ行かれたのです。すでに仏さまになっておられますからご安心ください…と歌われています。
 ですが、亡き方はお浄土にいき、それで終わりということではありません。親鸞聖人は「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり」とお示しくださっています。
 すでに仏となられ、お浄土からの還相摂化(せっけ)のおはたらきにより、還相の菩薩となって私たちに、はたらきかけ慈悲の光を照らし続けてくださっているのです。分かり易くいうと、私が、亡き人々のことを案じていたのですが、実は、亡き人々の方から「いつまでも悲しんでばかりはおれませんよ!しっかり生きなさい!」と案じられている立場であったのです。
 本年5月31日、第25代専如ご門主の『伝灯奉告法要』ご満座のご消息で、「私たち一人ひとりが真実信心をいただき、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただきましょう。」とお示しくださいました。
 このことに、一日も早く気づき、私のいのちを精一杯磨き輝かせる努力をしましょう。それが、いのちを大切にし、先に逝かれた方々に応える私の生き方であったことに気づくことになるのです。
 本日は、ようこそお参りいただきました。

平成29(2017)年度 御命日法要【11月】

【ご案内】

 私が暮らす滋賀でも寺院やご門徒宅での報恩講が始まった。以前に比べると、寺院でつとめる報恩講のお座の数が減っている。同様に、ご門徒宅で営まれる報恩講も減少傾向に有り、お参りされる人も減ってきた。ご開山親鸞聖人のご門徒をお預かりしている身として、何とも恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 いくら努力しても少子高齢化の流れは止まらず、空き家は増え続けている。こうした状況の下では、数百年にわたって護持継続してきた寺院の苦悩は計り知れないものがある。過疎化に歯止めがかからず、人が減ったかわりにサルやイノシシ、シカが横行し、住民はその対策に追われている。大都市では考えられない日常であり、こうした限界集落がそこかしこに増えている。
 しかし、そんな中にも、ご法義を大切にしてお念仏を心の支えとして生きている人たちがいる。広い住まいに暮らす高齢者たちは、大きなお仏壇のお給仕を続け、決して投げ出すことなく、諦めてはいない。長年住み続けたわが家こそが安住の地であり、落ち着く場所なのだ。
 報恩講のお参りの先々で広がる、喜びの笑顔。苦しみも悲しみも十分に味わってきたからこそ、お念仏の教えに耳を傾け、うなずく人たち。これまでの人生に感謝をしながら、今日を生かされる喜びをかみしめて「ありがたい」と合掌されるお姿が尊いとしみじみと感じる季節である。(F)
 「2017(平成29)年11月1日(水曜日) 第3285号 本願寺新報 より」

 報恩講とは…親鸞聖人の顕わされたお念仏に生きるものが、その御祥月命日を機縁として、み教えに出遇えた慶びと感謝の想いをこめて、その恩徳に報ずるために勤められるもので、真宗において最も重要な法要です。
 親鸞聖人は承安3年4月1日(1173年5月21日)にご誕生され、弘長2年11月28日に90年のご生涯を終えられました。この日を西暦に当てると1263年1月16日となり、西本願寺では「御正忌(ごしょうき)」として1月9日から16日まで7昼夜にわたって厳修することになっていますが、一般では「御取越(おとりこし)」「御引上(おひきあ)げ」と称して、それぞれ日を定めて勤められています。
 龍谷大学では、1639(寛永16)年に前身である学林を創立された西本願寺第13代良如(りょうにょ)上人の御祥月(ごしょうつき)命日に合わせて10月18日に厳修しています。
 付属平安高等学校・中学校では、新暦の1月16日にお勤めすることとしておりますが、中学入試の日程によって、前後のご本山法要期間内になるべく厳修するようにしています。
底知れぬ虚偽の中に迷い、深い空しさの中に生きる私たちに対して、親鸞聖人が人の世に生まれ、真実をお念仏に求め、お念仏に生きられ、その真実を顕らかにして下さったことの意義を改めて自覚しましょう。

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

11月 御命日法要 
○ 日時 11月16日(木)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 吉岡義信 師
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

ページ移動