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2017(平成29)年度 校友関係物故者追悼法要

学校長挨拶
 本年度、学園関係者およびそのお身内の方々が34名お亡くなりになられました。本日はその方々を追悼する法要を勤修し、これを機縁として私の生き方を学ぶという意義深い日であります。
 さて、それではお亡くなりになられた方々は、いったいどこへ行ってしまわれたのでしょう。そう思うと、悲しみどころか不安で、とても辛い気持ちになります。
 お釈迦様は、私たちはこの世で愛する人と必ずお別れをしなければならないという苦しみを『愛別離苦』と名付けて、八つの思うようにならない苦しみの一つに数えられました。
 では、お亡くなりになられた方々は、どこへ行かれたのか?と言いますと、その答えは今、みなさんと歌いました追悼のうた『み仏に抱かれて』に歌われております。

・1番の歌詞には、君ゆきぬ「西の岸」とあります。
  彼岸は、西の方角にあるとされます。西方浄土のことです。
・2番の歌詞には、君ゆきぬ「慈悲の国」とあります。
  仏様のお心を表す言葉が慈悲です。人々をいつくしみ、苦しみを取り去る心です。この心に満ちた国のことです。
・3番の歌詞には、君ゆきぬ「花の里」とあります。
  四季の花々が咲き競う美しい世界です。
・4番の歌詞には、君ゆきぬ「宝楼閣(たまのいえ)」とあります。
  仏説阿弥陀経には、宝石でできた建物が描写されています。

 つまり、この「西の岸」「慈悲の国」「花の里」「宝楼閣」の四つとも、お浄土・阿弥陀如来の国を指す言葉であります。亡くなられた方は、仏さまにすくわれてお浄土へ行かれたのです。すでに仏さまになっておられますからご安心ください…と歌われています。
 ですが、亡き方はお浄土にいき、それで終わりということではありません。親鸞聖人は「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり」とお示しくださっています。
 すでに仏となられ、お浄土からの還相摂化(せっけ)のおはたらきにより、還相の菩薩となって私たちに、はたらきかけ慈悲の光を照らし続けてくださっているのです。分かり易くいうと、私が、亡き人々のことを案じていたのですが、実は、亡き人々の方から「いつまでも悲しんでばかりはおれませんよ!しっかり生きなさい!」と案じられている立場であったのです。
 本年5月31日、第25代専如ご門主の『伝灯奉告法要』ご満座のご消息で、「私たち一人ひとりが真実信心をいただき、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただきましょう。」とお示しくださいました。
 このことに、一日も早く気づき、私のいのちを精一杯磨き輝かせる努力をしましょう。それが、いのちを大切にし、先に逝かれた方々に応える私の生き方であったことに気づくことになるのです。
 本日は、ようこそお参りいただきました。

平成29(2017)年度 御命日法要【11月】

【ご案内】

 私が暮らす滋賀でも寺院やご門徒宅での報恩講が始まった。以前に比べると、寺院でつとめる報恩講のお座の数が減っている。同様に、ご門徒宅で営まれる報恩講も減少傾向に有り、お参りされる人も減ってきた。ご開山親鸞聖人のご門徒をお預かりしている身として、何とも恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 いくら努力しても少子高齢化の流れは止まらず、空き家は増え続けている。こうした状況の下では、数百年にわたって護持継続してきた寺院の苦悩は計り知れないものがある。過疎化に歯止めがかからず、人が減ったかわりにサルやイノシシ、シカが横行し、住民はその対策に追われている。大都市では考えられない日常であり、こうした限界集落がそこかしこに増えている。
 しかし、そんな中にも、ご法義を大切にしてお念仏を心の支えとして生きている人たちがいる。広い住まいに暮らす高齢者たちは、大きなお仏壇のお給仕を続け、決して投げ出すことなく、諦めてはいない。長年住み続けたわが家こそが安住の地であり、落ち着く場所なのだ。
 報恩講のお参りの先々で広がる、喜びの笑顔。苦しみも悲しみも十分に味わってきたからこそ、お念仏の教えに耳を傾け、うなずく人たち。これまでの人生に感謝をしながら、今日を生かされる喜びをかみしめて「ありがたい」と合掌されるお姿が尊いとしみじみと感じる季節である。(F)
 「2017(平成29)年11月1日(水曜日) 第3285号 本願寺新報 より」

 報恩講とは…親鸞聖人の顕わされたお念仏に生きるものが、その御祥月命日を機縁として、み教えに出遇えた慶びと感謝の想いをこめて、その恩徳に報ずるために勤められるもので、真宗において最も重要な法要です。
 親鸞聖人は承安3年4月1日(1173年5月21日)にご誕生され、弘長2年11月28日に90年のご生涯を終えられました。この日を西暦に当てると1263年1月16日となり、西本願寺では「御正忌(ごしょうき)」として1月9日から16日まで7昼夜にわたって厳修することになっていますが、一般では「御取越(おとりこし)」「御引上(おひきあ)げ」と称して、それぞれ日を定めて勤められています。
 龍谷大学では、1639(寛永16)年に前身である学林を創立された西本願寺第13代良如(りょうにょ)上人の御祥月(ごしょうつき)命日に合わせて10月18日に厳修しています。
 付属平安高等学校・中学校では、新暦の1月16日にお勤めすることとしておりますが、中学入試の日程によって、前後のご本山法要期間内になるべく厳修するようにしています。
底知れぬ虚偽の中に迷い、深い空しさの中に生きる私たちに対して、親鸞聖人が人の世に生まれ、真実をお念仏に求め、お念仏に生きられ、その真実を顕らかにして下さったことの意義を改めて自覚しましょう。

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

11月 御命日法要 
○ 日時 11月16日(木)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 吉岡義信 師
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

御礼 第3回 学校説明会(高校受験生対象)

2017年11月12日(日)午後1時から本校講堂におきまして『第3回高校受験対象学校説明会』を開催いたしましたところ、約350組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただき心より御礼申し上げます。

学校長挨拶

 本日は本校の「2018年度入試の学校説明会」に、休日にも関わりませず、たくさんの方にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、龍谷大平安のあゆみを映像でご覧いただきましたが、お陰さまをもちまして、昨年、創立140周年を迎えさせていただきました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、本年、創立141年目を迎えるにあたり、この140年の歴史と伝統を心のよりどころとして、「建学の精神」、つまり、「浄土真宗の精神」を広く深く伝えたいという願いのもとに「『建学の精神』の伝播と醸成」を教育の根幹に据えました。
 また、今年度の生徒手帳には、「求道(ぐどう)」と記させていただきました。『阿弥陀仏の本願』を『鏡』として、自己を深く見つめ、真摯に生きることのできる人間に成ることをめざす。と意義づけました。
 それでは、龍谷大平安がどのような生徒を育てたいのかということを少しだけお話しさせていただきます。
 3年前の第86回選抜高等学校野球大会で硬式野球部が初優勝を果たしてくれました。甲子園での100勝まであと1勝に迫っております。その野球ですが、ホームベースを逆さまにすると家の形になりますね。実はサッカーやバスケットなど数ある球技の中で、ボールではなく「人」がゴールして得点するのは野球だけです。
 まず、バッターが一塁に出ます。次に、自分の力で盗塁するかもしれませんが、監督のサインを受け次のバッターが、一塁にいるランナーを二塁・三塁に進めます。こうして野球はバッター・ランナーコーチなどみんなの力で塁上にいる「人」を前に進めて、ホームに迎え入れて、一点ずつ加点していく競技です。
 こうして考えると、正に、ホーム、家です。家族みんなで協力してつくられる理想の家族です。学校ではホームルームクラスになります。秋は、文化・体育の祭典が各校で開催され、本校もすでに実施しましたが、文化祭や体育祭や音楽祭、そして球技大会など、クラスがまとまって活動するものすべてが、この「人」をホームに迎え入れて一点ずつ加点していく野球に象徴されているように思います。
 それぞれ一人ひとりが、みんなのためにという思いを持って支え合うところに、家族の絆、クラスの絆、仲間との絆が生まれるのです。学校では、学業はもちろんのことですが、それ以上に大切なものを学びます。つまり、「集団の中の個のあり方」、集団生活を通して自分を磨く場所が学校なのです。
 そして、家族や仲間や先生、地域のみなさんなど、そういったすべてのものに支えられ生かされていると感じられた時、いのちの大切さに気づくことができるのです。こうした気づきこそ、龍谷大平安が育てたい生徒の姿であります。
 それでは最後に、龍谷大平安が大切にしている「ことば・じかん・いのちを大切に」をまとめておきます。
 「ことば」は「南無阿弥陀仏」とお名号を称えることによって、誰もが仏さまに願われた存在であることに気付かされること、他人への思いやりの形が言葉で表れます。
 「じかん」は、ものごとは時々刻々と移りゆき、必ず過ぎてしまうものです。生きている今を大切にしてほしいという思いを込めています。
 「いのち」は、阿弥陀さまからの預かりものです。阿弥陀さまの願いのかけられた尊い「いのち」と思えた時、仏さまを悲しませない生き方をしようと考えるようになるのです。
 さきほども申しましたが、龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問だけではありません。他人に対する思いやりの心を磨くことにあります。
 こうした心の教育を理念の根幹に据えて、進学校化に向けての教育改革もしっかりと進めております。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

今月の言葉《宗教教育係》

ファイル 276-1.pdf

十一月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成29(2017)年度 御命日法要【10月】

【ご案内】
 9月23日「秋分の日」を彼岸中日として、各地で彼岸会法要が営まれたことと思います。爽やかな秋風が吹き出すと、もうお彼岸の季節。「あぁそろそろ」と力レンダーを確かめてお墓参りに行かれた方も多いのでは。今年のお彼岸はどんな心持ちで過ごされたでしょうか。お彼岸のいわれと浄土真宗のおこころを味わってみたいと思います。

〈法話〉秋彼岸によせて 
                         舟川智也(仏教青年連盟指導講師)

  川の向こう岸

 まもなくお彼岸(ひがん)の季節がやってまいります。お彼岸は、仏教が発祥したインドや中国にはない日本固有の宗教行事で、太陽が真西に沈む「春分の日」と「秋分の日」を中日(ちゅうにち)とし、その前後1週間をお彼岸の時期としています。
 仏教では、私たちの世界と仏さまの世界を川の両岸に喩(たと)えて、私たちのこの世を「此岸(しがん)」といい、これに対して、阿弥陀さまの国=お浄土を「彼岸」と呼びます。『仏説阿弥陀経』には、「従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽(じゅぜさいほうかじゅうまんのくぶつどうせかいみょうわつごくらく)」と説かれ、このお浄土は西方にあると示されます。このことから、太陽が真西に沈むこの時期にお浄土を想(おも)い、仏さまのお話を聞く習わしとしているのです。
 また、「暑さ寒さも彼岸まで」というように、この時季は暑さや寒さがしのぎやすくなる頃で、落ち着いた心持ちでお聴聞ができる時期でもあります。

  「私」の上で

 さて、そんなお彼岸の過ごし方を考えてみると、家族連れだってお墓参りをする光景を思い浮かべる方も多いことでしょう。
 数年前、お彼岸を前にして、あるテレビ番組で「お彼岸特集」が組まれていました。その中で、お墓参りの時に子どもたちはどんなことを思いながら手を合わせているのか、というアンケートが紹介されていました。
 その結果、1位2位は「お礼」と「報告」。亡くなった祖父母やご先祖さまに、今の自分の姿を報告したり、お世話になったことへの感謝の意を伝えるために、お墓に向き合っているということでした。
 そんな中で、お墓参りに来た小学校高学年の男の子が、テレビ局のリポーターからインタビューされていました。
 「今、お墓にお参りしていたけど、どんな思いで手を合わせていたの?」
 「おじいちゃんに近況報告をしていました。今、僕はサッカーをしています。昨日も試合に出て勝つことができました。これからも頑張るから、おじいちゃんもそっちで頑張ってねって」
 この時、この男の子の答えを聞いたスタジオの大人たちが一様に笑い始めたのです。その笑い声に、テレビの前の私は違和感をおぼえました。
 この子の答えのどこがそんなにおかしかったのでしょうか。もしかして、「おじいちゃんもそっちで頑張ってね」という言葉でしょうか。
 確かに、「人間が死んだらおしまい」と考えている人にとっては、死は頑張りようもなくなる姿ですから滑稽(こっけい)に響くことでしょう。また、「亡くなった方は安らかに眠る」と考えている人にとっても、「頑張って」という言葉はおかしく聞こえるかもしれません。
 しかし、私たち浄土真宗の念仏者が真実信心を恵まれて命終わって「仏となる」ということは、消えてなくなるわけでも、安らかに眠ることでもないのです。「仏となる」とは、阿弥陀仏のご本願のはたらきによって浄土に生まれ、真実に目覚めたいのち、仏となることをいうのです。
 それのみならず、浄土で仏となった者は迷いの世に還(かえ)り来たって縁ある人々を護(まも)り導くはたらきをするのです。つまり、仏となった方々は、「そっち」ではなく、「こっち」=「私」の上で〝頑張って〟くださるのです。

  別れがなければ

 今、全国各地で多くの門信徒の皆さんがお寺に参詣されています。そのきっかけは何でしょうか。ご法義のある家庭に育ったから、病気にかかって人生を見つめ直すためなど、理由はそれぞれでしょうが、最も多いのは両親やきょうだい、お子さんといった親しい家族との死別がきっかけとなる場合でしょう。
 自分自身や家族のいのちが揺らいだときに、お寺の山門をくぐろうと思うのです。「死んだらおしまい」「消えてなくなる」で済んでいたものが、その一言では済まされなくなったということです。他人事であった死という問題が、わが事に変わったということです。 私たちはどんな問題でも、私ごとになったときにしか言葉は耳に入ってこないのかもしれません。
 そして、家族との死別という悲しみ中でつとめられる通夜(つや)・葬儀、法事や法要を通して、お浄土という生まれ往(ゆ)く世界を知らされ、やがて、私のいのちの上にはたらいてくださっている阿弥陀さまを知らされ、気がつけば「ナモアミダブツ」とお念仏申す身へとなっている私がいます。その私をナモアミダブツと出遇(あ)わせてくれた一連の出来事を、「私」の上で〝頑張って〟くださっていると味わうのです。
 その時その時は何も思わず、ただただ聞こえてくる言葉に耳を傾けているだけでも、振り返ってみると、「あの時の、あの出遇いが、あの別れがなければ、こうしてお寺に足を向けることもなかったなぁ」という経験は、誰しも思い当たるところがあるのではないでしょうか。
 そのお一人おひとりの導きが私を阿弥陀さまへと出遇わせてくださいました。その阿弥陀さまは自分自身のいのちの行く末がわからない私に、「あなたの生まれ往く世界はここだよ。この浄土に必ず救う、我にまかせよ」と喚(よ)びかけてくださっています。その喚び声に私たちは今ここで安心をいただくのです。
 お彼岸にあたり、先人の皆さまからのお育てにお礼を申し、あらためてお浄土のいわれを聞かせていただきましょう。
「2017(平成29)年9月10日(日曜日) 第3280号 本願寺新報 より」

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

10月 御命日法要 
○ 日時 10月16日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 石原光雄 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

平成29(2017)年度 仏参【10月】 校長講話

 みなさん、おはようございます。
 さて、今日は、大人から子どもまで誰もが知っているアンパンマンのお話をします。
 作者はご存知やなせたかしさんです。その主題歌「アンパンマンのマーチ」は、「愛と勇気だけが友達さ」という、みなさんお馴染みの歌詞です。それでは、「アンパンマンのマーチ」の本当の意味を知ってますか。
 この歌はどうしてできたかと言いますと、実は、アンパンマンは、元々大人向けの読み物でアンパンマン自身も普通の人間だったそうです。このアンパンマンの中には、私たちがしっかりと、心に留めておかなければならないことを教えてくれています。
 アンパンマンは、「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言いません。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!また、イタズラしたな!許さないぞ!」と言います。悪いのは、バイキンマンという「人格」ではなく、イタズラという「行為」であるということです。正に、罪を憎んで、人を憎まずですね。行為に問題があるのであって、人格まで否定するものではないということを、私たちは肝に銘じておきましょう。
 また、空腹の人たちの元へパン粉を届けるというところは、被災地に救援物資を届ける現在と比較的共通していますが、アンパンマンを語る上で、もう一つ知っておく必要があるのが、やなせたかしさんの弟の存在です。
 実は、やなせさんの弟は、京都帝国大学に入学後、海軍に志願し戦場において享年22歳という若さで生涯を閉じました。また、やなせさん自身も戦時中・戦後の食糧危機に直面し、非常に辛い思いをされたそうです。やなせさんは、「ぼくは戦争は大きらい」という本も書かれています。
 このような背景を知った上で、あらためて「アンパンマンのマーチ」の歌詞を見てみますと、やなせさんの平和への思いが伝わってきます。争いは絶対にしてはなりません。平和であることが一番大切なのです。
 昨年の10月1日よりご本山で10期80日間にわたる第25代専如ご門主の伝灯奉告法要がお勤めされ、本年5月31日にご満座を迎えました。そのご満座の日、ご門主のご消息が示されました。

「み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。」

と記されておりました。心安らぐ社会の実現をお示しになっておられます。また、即如前ご門主も親鸞聖人750回大遠忌の消息で、

「戦争への危機感やいのちの軽視、倫理観の欠如などによって、様々な出来事が相次ぐ現代社会にあって、私たち一人ひとりが自己中心のこころを反省して、 同じいのちを生きている相手の存在に気づくことが求められています。自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはありません。善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは、仏の智慧だけであります。聖人は、仏法がひろまり、世の中が安穏であることを願われました。」

と記されました。本当の意味で、世界中が争いのない、安穏な世の中であることを願うばかりです。
 さて、「アンパンマンのマーチ」をもう少し見てみますと、実はアニメでは流れない3番の歌詞の一節に「時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで」とあります。
 お釈迦さまはお悟りをひらかれた後、最初の説法で、「諸行無常」・「諸法無我」・「涅槃寂静」という三つの真理を示されました。これを『三法印』と言います。これは、お釈迦さまの教えの根本で、この世の道理、仕組みををしっかりと心に持ちなさいという三つの真理を教えてくださいました。この「時は早く過ぎる 光る星は消える」という歌詞には、「三法印」の中の「諸行無常」が歌われています。ありとあらゆるものは変化するという、とても深い詩的な一節です。
 最後に、やなせたかしさんがアンパンマンに込めた大切な想いの中に、「正義の味方というけれど、 本当の正義とはいったい何だろう?」ということが示されています。
 やなせさんは、元々子供番組のスーパーマンものを見るのが大好きだったそうですが、見ていて納得できないのは、スーパーマンと怪獣がやたらに大あばれし、そして、街中をメチャメチャに踏み荒しても、そのことを謝りにいったりしないことだったと言います。
 あらためて、正義の味方というけれど、本当の正義とはいったい何だろう?と考えた時、実は、「我々が、本当にスーパーマンに助けてもらいたいのは、たとえば、失恋して死にそうな時、おなかがすいてたおれそうな時、あるいは旅先でお金がなくなった時、その他色々と悩み苦しんでいる時、そういう細かいところに気がつく優しいスーパーマンがいてほしい」と言われています。正に私たちが大切にしている「寄り添う」という気持ちのことですね。
 アンパンマンは、いつも背中を押してくれるだけです。どんなヒーローよりも優しく、どんなヒーローよりも厳しいのが、アンパンマンなのです。
私たちのご本尊である阿弥陀如来という仏さまは、目には見えないですが阿弥陀さまのいらっしゃらないときはありません。いつでもどこでも、この私とご一緒くださるお方、それが、阿弥陀如来という仏さまです。阿弥陀さまは、お慈悲の仏さまです。お慈悲というのは「人が苦しんでいたら、その苦しみをわが苦しみとして共感し、その苦しみを取り除いて、そのものに安らぎを与える」ということなのです。
阿弥陀如来という仏さまは、私たちが苦しいとき、悩んでいるとき、まさに阿弥陀さまご自身の痛みとして、まったく同じ気持ちで、「しんどいな、つらいな」と胸が痛んでくださっている。そういうお方です。
 私たちは、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、一人一人がそれぞれの場で正しい生き方を目指し、少しでも仏さまに近づく努力を精一杯させていただくことが大切だと思います。
 みなさんには、ありのままの自分を見つめ心を磨いて欲しい、そして、人と人とを繋ぐことばを大切に、今というじかんを大切にし、いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのちを磨き輝かせて欲しいということをお願いしまして、本日の仏参のお話を終わります。

御礼 第2回 学校説明会

 2017年10月9日(祝)本校講堂におきまして『第2回学校説明会』を開催いたしましたところ、午前10時~(中学受験生対象)約100組、午後1時~(高校受験生対象)約340組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして心より御礼申し上げます。

学校長挨拶

 本日は本校の「2018年度入試の学校説明会」に、休日にも関わりませず、たくさんの方にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、龍谷大平安のあゆみを映像でご覧いただきましたが、お陰さまをもちまして、昨年、創立140周年を迎えさせていただきました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、本年、創立141年目を迎えるにあたり、この140年の歴史と伝統を心のよりどころとして、「建学の精神」、つまり、「浄土真宗の精神」を広く深く伝えたいという願いのもとに「『建学の精神』の伝播と醸成」を教育の根幹に据えました。
 また、今年度の生徒手帳には、「求道(ぐどう)」と記させていただきました。『阿弥陀仏の本願』を『鏡』として、自己を深く見つめ、真摯に生きることのできる人間に成ることをめざす。と意義づけました。
 それでは、少し難しいかも知れませんが、本校で行う宗教教育について、少しだけお話いたします。
 いよいよ、来年小学校で、再来年には中学校で、検定教科書を使った〝道徳科〟の授業がはじまります。では、その道徳教育とは何でしょう。たとえば、道徳では、「他人に迷惑をかけてはいけない」ということを、社会生活をする上での大切なことの一つとして掲げています。
 『私たちの道徳』という教科書にも、一人一人が守るべきものとして取り上げられており、集団生活を送る上での大切なこと、他人への思いやりが示されています。
 道徳とは、人として守るべき行為の基準を示していますから、社会という集団の中で生きていくためには、他人への配慮や思いやりのあふれる行為は本当に大切で、また、そのことについて気付いたことを、家族が一緒に話し合い、社会全体に目を向けることはとても大切なことなのです。
 ただ、私たちは「他人に迷惑をかけてはいけない」そうありたいと思っているのですが、仏教的に見ると、私という存在は、「この世で迷惑をかけずに生きていくことなどできない」と考えるのです。実はこれが、ありのままの人間の姿なのです。そういう自分を知ることから仏数は出発しています。
 私は、失敗ばかり繰り返し、愚かさや弱さを持っている人間です。「ありがとう」と言ってはまた迷惑をかける存在です。いい子になろうと思ってもいい子になれない、そういう私であることを認めて生きていくことを、「あるがままに私を見る」と言います。
 「そんなに背伸びをしなくていいからね。私のありのままの姿をしっかり見つめよう」と、宗教の時間に教えます。こういう視点を、仏さまの「智慧」から学びます。
 「いじめ」が、社会で大きな問題になっていますが、他人の痛みに寄り添い「辛いよね、悲しいよね」と一緒に涙する心を、仏さまの「慈悲」から学ぶことができます。
 私たちは、お爺ちゃんお婆ちゃんから、お父さんお母さんへと、無限のいのちを受け継いでいます。その永い永いいのちの繋がりの中で、多くのいのちに支えられ、他人にうんと迷惑をかけて生きています。迷惑をかけることでお世話になって、それでたくさんの人と繋がりを持っています。これを、仏教では「縁」と言うのです。「ご縁ですね」。ともに繋がって、ともに生きることを「縁起の理」は教えてくれています。
 小・中学生のみなさんには少し難しかったかも知れませんが、このような宗教心を持った人間教育を実現するための心の教育を龍谷大平安は実践しています。これを根幹に据えて、進学校化に向けての教育改革も着実に進めております。今後も今までにもまして、進化させ、しっかりと充実させていきたいと思っております。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

平成29(2017)年度 後期始業式

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 前期考査を終え、3日間の試験休みをおき、本日より平成29年(2017)年度後期がスタートいたします。
 さて、みなさんには、4月の仏参で『下町ロケット』のモデルといわれています植松努さんという方のお話をしました。
 小さい頃からロケットが好きだった努少年ですが、周りからはロケット打ち上げなんかできるわけないとさんざん言われながらも、お母さんが教えてくれた「思うは招く」という言葉を胸に、思い続けたら「夢が叶った」というお話でした。
 この「思い続ける」ということの大切さと、もう一つ大切な内容がありました。「どーせ無理」ではなく、他人に相談されたら「だったらこうしてみたら?」と言ってくれることの大切さです。「だったらこうしてみたら?」という一言が、この世からいじめも虐待もなくすことに繋がるのです。それが、人と人とが出逢うことの意味であり、お互いに助け合っていくことの大切さを教えています。
 このことを受けて今日は、その目標、夢を達成するために、どのようなメンタル、心を磨くトレーニングが必要かということをもう少し具体的に考えてみましょう。
 最初から「どーせ無理」ではなく、まず何事をするにも、何のためにそれをするのかという目的をしっかり持ち、その上で、短いスパンでの目標をしっかり立てることを心がける必要があります。これは、前期の始業式でもお話しました。
 植松努さんも、「アポロの月着陸」をおじいちゃんと一緒にテレビで観ていて、まず最初に、ロケットを作りたいと思ったのがきっかけでした。つまり、まず、何事においても最初の感動を忘れてはいけません。
 たとえば、スポーツでたとえてみますと、みなさんが、今やっているスポーツを初めて見たときの感動を覚えていますか?
 「わぁ!おもしろそう!! やりたい!楽しそうだ!」このように思ったのではないでしょうか。
 次に、実際にそのスポーツを初めてやったときの感動を覚えていますか?
 「楽しい! 面白い! もっと沢山やってみたい!」恐らく、こんな思いだったのではないでしょうか。
 このような率直な気持ちこそ忘れてはいけない、大切な初心の気持ちです。迷ったとき、壁にぶつかった時こそ、「初心・原点忘れるべからず」です。
 スポーツに限らず、一つのことを続けていくと、色々な困難にぶつかります。特に調子が上がらずずっと「スランプ」が続いた時、どうにかして脱け出したいけれど、いくら努力しても中々、抜け出せないことがあります。みなさんもこのようなことを経験したことがあると思います。
 こういった状態はどのようにして切り抜けたら良いでしょうか。
 では、「スランプ」に陥った時、私たちはどうしているかを想像してみてください。悩んで色々と考えるのですが、行き着くところは「元々、このスポーツが好きで面白いからやっているんじゃないのか。だから始めたのではないのか!」と、原点に立ち返るのではないでしょうか。こうして「初心に戻る」ことでモヤモヤした気持ちが晴れて、スランプが克服出来たという経験をもっているのではないでしょうか。
 トップアスリートの中にも「初心忘れるべからず」という言葉を座右の銘にしてサインなどで色紙に書く人もいます。なぜそういった言葉を書くのか。それは、日々の厳しいトレーニングの中で、たくさんの困難、スランプを克服していくときの大切な心の支えだということを知っているからです。結局、心、メンタル、気持ちの持ち方しだいということになります。
 とはいうものの、こうしたメンタルの持って行き方というのはたいへん難しいものです。初心者のうちは、やればやるだけ、どんどん上手くなっていくのが自分でも分かり、面白くなり、試合に出るだけでも楽しい気持ちになります。そうしていくうちに、もっと高い目標を持ち、それを達成したいという気持ちになります。これが、内からわく「モチベーション」、つまり「やる気」です。
 しかし、上達していくと、更にハードルが上がり、レベルの高いチームに入ったり、指導者からも厳しい要求がでてきます。いつの間にか、指導者からやれされるトレーニングになったり、顔色を伺ったりということになります。叱られるからやる、負けたら怒られるからやる、といった「外からやらされている感」となってきます。当たり前のことながら、このような気持ち「やらされている感」より、自分自身の心の内側から生まれた「モチベーション」「やる気」を持ったほうが、より強くなり、上達するのは想像が付きますよね。
 さて、あなたの気持ちは、「やらされている感」、それとも、内からわく「やる気」、どちらのタイプですか?みなさん一人一人が、初心を忘れず、その気持ちを大切にしていくことが、目的や目標達成のためには欠かせないものなのです。そして、植松さんのお母さんの言葉「思うは招く」の通り、「どーせ無理」ではなく、常に思い続け心を磨き続ければそうなる、夢は叶うという気持ちを持ち続けることが大切なのです。
 こうして、日々の学校生活では、心を磨く、メンタルのトレーニングをしているのです。と同時に、植松さんが言うように、友だちに相談されたら、相手に寄り添う思いやりの心をもって接して欲しいのです。こんなやり取りが校内に溢れることこそが、龍谷大平安の願いです。
 昨年10月1日、伝灯奉告法要初日に浄土真宗本願寺派第25代専如ご門主が「念仏者の生き方」を示されました。そこには、お釈迦さまが開かれた「仏教」、親鸞聖人が出遇われた「阿弥陀如来の救い」、そして、その教えをいただく私たちが、どのように生きていくかが説かれています。
 私たちは、仏さまの智慧と慈悲を正しく理解し、そのお心にかなうよう一人一人が行動することにより、自他ともに心豊かに生きていくことのできる社会の実現に努めたいものです。とおっしゃいました。
 それが、本校の『建学の精神』が教えるところであります。相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることが出来る他人への思いやりの心が育まれ、こうした生き方を心がけることが、いのちを磨くことに繋がっているのです。
 先日の学園祭も、みなさんは、しっかりと自分の心を磨き、確実に成長してくれています。それが証拠に、今年の学園祭も素晴らしいものとなりました。やり終えた後にみんなで互いの労をねぎらいながら涙する場面も見られました。他人への思いやりの心をもつことが何よりも大切なのであります。
 そして、学園祭の閉会式でも話しましたが、学校って何を学ぶところですか?というと、学業はもちろんのことですが、それ以上に大切なものがあります。それは、「集団の中の個のあり方」を学ぶのです。つまり、集団生活を通して自分を磨く場所が学校なのです。
 クラスの絆を確かめ合ったり、学年の垣根を越えて、仲間が協力し合ったり、そんな中で、自分一人では何もできない私たちですが、みんなに支えられて、生かされている自分というものに気づくことができるのです。このことを、しっかりと胸に刻み、みなさんそれぞれ今後も日々精進してください。

今月の言葉《宗教教育係》

ファイル 271-1.pdf

十月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

御礼 龍谷大学付属平安中学校・高等学校オープンキャンパス

平成29年9月18日(祝)オープンキャンパスを開催いたしましたところ、午前9時半からの中学全体説明会に約200組、午後1時半からの高校全体説明会に約1000組、総勢2500名近くの生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

学校長挨拶

 みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
 さて、1876年(明治9)年に創立されました本校も、お陰さまをもちまして、昨年、創立140周年を迎えさせていただきました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく宗教的情操教育を理想としてきました。
 それでは龍谷大平安で学ぶ心の教育について、少しだけお話しさせていただきます。
 今年の6月19日、春の人権学習で、北海道の僧侶たちで結成されたグループ、「チームいちばん星」をお招きし朗読劇を鑑賞いたしました。朗読に、照明と映像と歌を織り交ぜて、「いのち」をテーマにした作品を作り続けておられます。
 その朗読劇の中で、小学校の音楽教師をされていた中山真理という先生が作詞作曲された歌が歌唱されました。タイトルは「おそすぎないうちに」という歌です。
 本校も140年の歴史の中で巣立っていった子どもたちが、それぞれの時代を、どう過ごしていたのかと思いをはせた時、色々あるかも知れませんが、今の時代のありがたさをあらめて思わずにはいられません。「せっかく生まれてこられた」のだから、かけがえのないものに、何かの形でお礼がしたい、という思いでこの曲は生まれたそうです。
 その歌詞には、「なくしてしまってから、その大切さやその温かさに気づいて、悔やんだり悲しんだりしても遅すぎるよ。もしかしたら、一番この世で大切なものは、普段あまりに身近すぎて気にもとめていないかも」また、「大切な人は当たり前と決めつけてて/いると疑わないかも」とあります。
 私たちは大切なものや人の存在を当たり前に思っていますが、実は、決して、当たり前や何となくなんかじゃないのです。「遅すぎないうちに、間に合う今のうちに、出来る限りのことをしよう。生まれてこられた お礼に」と結ばれます。
 こうした本校で行うすべての行事が、正に心の教育であります。家族や仲間やすべてのものに支えられ、生かされていると感じられる、「いのちの大切さ」に気づくことができるのです。
 龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。他人に対する思いやりの心を磨くことにあります。今日は限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て存分に楽しんでください。
 本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。


『おそすぎないうちに』作詞・作曲 中山真理

【1】なくしてしまってから その大切さに気づいて
   くやんだり悲しんだりしても おそすぎるよ
   もしかしたら一番 この世で大切なものは
   ふだんあまりに身近すぎて 気にもとめていないかも
   今あるすべてのものは 当たり前なんかじゃなく
   今あるすべてのものが 奇跡的にあるとしたら
   君はどうやって それを 守るだろう
   おそすぎないうちに まにあう今のうちに
   できるかぎりのことをしよう
   生まれてこられた お礼に

【2】なくしてしまってから そのあたたかさに気づいて
   くやんだり悲しんだりしても おそすぎるよ
   もしかしたら一番 この世で大切な人は
   当たり前と決めつけてて いるとうたがわないかも
   生きてるすべての人は なんとなくなんかじゃなく
   生きてるすべての人が ぎりぎり生きてるとしたら
   君はどうやって それを 愛すだろう
   おそすぎないうちに まにあう今のうちに
   できるかぎりのことをしよう
   生まれてこられた お礼に

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