HEIAN BLOG 宗教教育 BLOG

記事一覧

平成29(2017)年度 御命日法要【10月】 2017年10月13日(金)11時42分

【ご案内】
 9月23日「秋分の日」を彼岸中日として、各地で彼岸会法要が営まれたことと思います。爽やかな秋風が吹き出すと、もうお彼岸の季節。「あぁそろそろ」と力レンダーを確かめてお墓参りに行かれた方も多いのでは。今年のお彼岸はどんな心持ちで過ごされたでしょうか。お彼岸のいわれと浄土真宗のおこころを味わってみたいと思います。

〈法話〉秋彼岸によせて 
                         舟川智也(仏教青年連盟指導講師)

  川の向こう岸

 まもなくお彼岸(ひがん)の季節がやってまいります。お彼岸は、仏教が発祥したインドや中国にはない日本固有の宗教行事で、太陽が真西に沈む「春分の日」と「秋分の日」を中日(ちゅうにち)とし、その前後1週間をお彼岸の時期としています。
 仏教では、私たちの世界と仏さまの世界を川の両岸に喩(たと)えて、私たちのこの世を「此岸(しがん)」といい、これに対して、阿弥陀さまの国=お浄土を「彼岸」と呼びます。『仏説阿弥陀経』には、「従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽(じゅぜさいほうかじゅうまんのくぶつどうせかいみょうわつごくらく)」と説かれ、このお浄土は西方にあると示されます。このことから、太陽が真西に沈むこの時期にお浄土を想(おも)い、仏さまのお話を聞く習わしとしているのです。
 また、「暑さ寒さも彼岸まで」というように、この時季は暑さや寒さがしのぎやすくなる頃で、落ち着いた心持ちでお聴聞ができる時期でもあります。

  「私」の上で

 さて、そんなお彼岸の過ごし方を考えてみると、家族連れだってお墓参りをする光景を思い浮かべる方も多いことでしょう。
 数年前、お彼岸を前にして、あるテレビ番組で「お彼岸特集」が組まれていました。その中で、お墓参りの時に子どもたちはどんなことを思いながら手を合わせているのか、というアンケートが紹介されていました。
 その結果、1位2位は「お礼」と「報告」。亡くなった祖父母やご先祖さまに、今の自分の姿を報告したり、お世話になったことへの感謝の意を伝えるために、お墓に向き合っているということでした。
 そんな中で、お墓参りに来た小学校高学年の男の子が、テレビ局のリポーターからインタビューされていました。
 「今、お墓にお参りしていたけど、どんな思いで手を合わせていたの?」
 「おじいちゃんに近況報告をしていました。今、僕はサッカーをしています。昨日も試合に出て勝つことができました。これからも頑張るから、おじいちゃんもそっちで頑張ってねって」
 この時、この男の子の答えを聞いたスタジオの大人たちが一様に笑い始めたのです。その笑い声に、テレビの前の私は違和感をおぼえました。
 この子の答えのどこがそんなにおかしかったのでしょうか。もしかして、「おじいちゃんもそっちで頑張ってね」という言葉でしょうか。
 確かに、「人間が死んだらおしまい」と考えている人にとっては、死は頑張りようもなくなる姿ですから滑稽(こっけい)に響くことでしょう。また、「亡くなった方は安らかに眠る」と考えている人にとっても、「頑張って」という言葉はおかしく聞こえるかもしれません。
 しかし、私たち浄土真宗の念仏者が真実信心を恵まれて命終わって「仏となる」ということは、消えてなくなるわけでも、安らかに眠ることでもないのです。「仏となる」とは、阿弥陀仏のご本願のはたらきによって浄土に生まれ、真実に目覚めたいのち、仏となることをいうのです。
 それのみならず、浄土で仏となった者は迷いの世に還(かえ)り来たって縁ある人々を護(まも)り導くはたらきをするのです。つまり、仏となった方々は、「そっち」ではなく、「こっち」=「私」の上で〝頑張って〟くださるのです。

  別れがなければ

 今、全国各地で多くの門信徒の皆さんがお寺に参詣されています。そのきっかけは何でしょうか。ご法義のある家庭に育ったから、病気にかかって人生を見つめ直すためなど、理由はそれぞれでしょうが、最も多いのは両親やきょうだい、お子さんといった親しい家族との死別がきっかけとなる場合でしょう。
 自分自身や家族のいのちが揺らいだときに、お寺の山門をくぐろうと思うのです。「死んだらおしまい」「消えてなくなる」で済んでいたものが、その一言では済まされなくなったということです。他人事であった死という問題が、わが事に変わったということです。 私たちはどんな問題でも、私ごとになったときにしか言葉は耳に入ってこないのかもしれません。
 そして、家族との死別という悲しみ中でつとめられる通夜(つや)・葬儀、法事や法要を通して、お浄土という生まれ往(ゆ)く世界を知らされ、やがて、私のいのちの上にはたらいてくださっている阿弥陀さまを知らされ、気がつけば「ナモアミダブツ」とお念仏申す身へとなっている私がいます。その私をナモアミダブツと出遇(あ)わせてくれた一連の出来事を、「私」の上で〝頑張って〟くださっていると味わうのです。
 その時その時は何も思わず、ただただ聞こえてくる言葉に耳を傾けているだけでも、振り返ってみると、「あの時の、あの出遇いが、あの別れがなければ、こうしてお寺に足を向けることもなかったなぁ」という経験は、誰しも思い当たるところがあるのではないでしょうか。
 そのお一人おひとりの導きが私を阿弥陀さまへと出遇わせてくださいました。その阿弥陀さまは自分自身のいのちの行く末がわからない私に、「あなたの生まれ往く世界はここだよ。この浄土に必ず救う、我にまかせよ」と喚(よ)びかけてくださっています。その喚び声に私たちは今ここで安心をいただくのです。
 お彼岸にあたり、先人の皆さまからのお育てにお礼を申し、あらためてお浄土のいわれを聞かせていただきましょう。
「2017(平成29)年9月10日(日曜日) 第3280号 本願寺新報 より」

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

10月 御命日法要 
○ 日時 10月16日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 石原光雄 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

平成29(2017)年度 仏参【10月】 校長講話 2017年10月13日(金)08時56分

 みなさん、おはようございます。
 さて、今日は、大人から子どもまで誰もが知っているアンパンマンのお話をします。
 作者はご存知やなせたかしさんです。その主題歌「アンパンマンのマーチ」は、「愛と勇気だけが友達さ」という、みなさんお馴染みの歌詞です。それでは、「アンパンマンのマーチ」の本当の意味を知ってますか。
 この歌はどうしてできたかと言いますと、実は、アンパンマンは、元々大人向けの読み物でアンパンマン自身も普通の人間だったそうです。このアンパンマンの中には、私たちがしっかりと、心に留めておかなければならないことを教えてくれています。
 アンパンマンは、「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言いません。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!また、イタズラしたな!許さないぞ!」と言います。悪いのは、バイキンマンという「人格」ではなく、イタズラという「行為」であるということです。正に、罪を憎んで、人を憎まずですね。行為に問題があるのであって、人格まで否定するものではないということを、私たちは肝に銘じておきましょう。
 また、空腹の人たちの元へパン粉を届けるというところは、被災地に救援物資を届ける現在と比較的共通していますが、アンパンマンを語る上で、もう一つ知っておく必要があるのが、やなせたかしさんの弟の存在です。
 実は、やなせさんの弟は、京都帝国大学に入学後、海軍に志願し戦場において享年22歳という若さで生涯を閉じました。また、やなせさん自身も戦時中・戦後の食糧危機に直面し、非常に辛い思いをされたそうです。やなせさんは、「ぼくは戦争は大きらい」という本も書かれています。
 このような背景を知った上で、あらためて「アンパンマンのマーチ」の歌詞を見てみますと、やなせさんの平和への思いが伝わってきます。争いは絶対にしてはなりません。平和であることが一番大切なのです。
 昨年の10月1日よりご本山で10期80日間にわたる第25代専如ご門主の伝灯奉告法要がお勤めされ、本年5月31日にご満座を迎えました。そのご満座の日、ご門主のご消息が示されました。

「み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。」

と記されておりました。心安らぐ社会の実現をお示しになっておられます。また、即如前ご門主も親鸞聖人750回大遠忌の消息で、

「戦争への危機感やいのちの軽視、倫理観の欠如などによって、様々な出来事が相次ぐ現代社会にあって、私たち一人ひとりが自己中心のこころを反省して、 同じいのちを生きている相手の存在に気づくことが求められています。自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはありません。善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは、仏の智慧だけであります。聖人は、仏法がひろまり、世の中が安穏であることを願われました。」

と記されました。本当の意味で、世界中が争いのない、安穏な世の中であることを願うばかりです。
 さて、「アンパンマンのマーチ」をもう少し見てみますと、実はアニメでは流れない3番の歌詞の一節に「時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで」とあります。
 お釈迦さまはお悟りをひらかれた後、最初の説法で、「諸行無常」・「諸法無我」・「涅槃寂静」という三つの真理を示されました。これを『三法印』と言います。これは、お釈迦さまの教えの根本で、この世の道理、仕組みををしっかりと心に持ちなさいという三つの真理を教えてくださいました。この「時は早く過ぎる 光る星は消える」という歌詞には、「三法印」の中の「諸行無常」が歌われています。ありとあらゆるものは変化するという、とても深い詩的な一節です。
 最後に、やなせたかしさんがアンパンマンに込めた大切な想いの中に、「正義の味方というけれど、 本当の正義とはいったい何だろう?」ということが示されています。
 やなせさんは、元々子供番組のスーパーマンものを見るのが大好きだったそうですが、見ていて納得できないのは、スーパーマンと怪獣がやたらに大あばれし、そして、街中をメチャメチャに踏み荒しても、そのことを謝りにいったりしないことだったと言います。
 あらためて、正義の味方というけれど、本当の正義とはいったい何だろう?と考えた時、実は、「我々が、本当にスーパーマンに助けてもらいたいのは、たとえば、失恋して死にそうな時、おなかがすいてたおれそうな時、あるいは旅先でお金がなくなった時、その他色々と悩み苦しんでいる時、そういう細かいところに気がつく優しいスーパーマンがいてほしい」と言われています。正に私たちが大切にしている「寄り添う」という気持ちのことですね。
 アンパンマンは、いつも背中を押してくれるだけです。どんなヒーローよりも優しく、どんなヒーローよりも厳しいのが、アンパンマンなのです。
私たちのご本尊である阿弥陀如来という仏さまは、目には見えないですが阿弥陀さまのいらっしゃらないときはありません。いつでもどこでも、この私とご一緒くださるお方、それが、阿弥陀如来という仏さまです。阿弥陀さまは、お慈悲の仏さまです。お慈悲というのは「人が苦しんでいたら、その苦しみをわが苦しみとして共感し、その苦しみを取り除いて、そのものに安らぎを与える」ということなのです。
阿弥陀如来という仏さまは、私たちが苦しいとき、悩んでいるとき、まさに阿弥陀さまご自身の痛みとして、まったく同じ気持ちで、「しんどいな、つらいな」と胸が痛んでくださっている。そういうお方です。
 私たちは、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、一人一人がそれぞれの場で正しい生き方を目指し、少しでも仏さまに近づく努力を精一杯させていただくことが大切だと思います。
 みなさんには、ありのままの自分を見つめ心を磨いて欲しい、そして、人と人とを繋ぐことばを大切に、今というじかんを大切にし、いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのちを磨き輝かせて欲しいということをお願いしまして、本日の仏参のお話を終わります。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年10月01日(日)12時00分

ファイル 271-1.pdf

十月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成29(2017)年度 御命日法要【9月】 2017年09月15日(金)07時43分

【ご案内】

 夏休みが約40日あった昔にくらべると、ずいぶん短くなった夏休み(約20日)が終わり、慌ただしく学園祭が開催され、まもなく前期を終えようとしています。
お盆には故郷に帰り、家族と過ごす時間は格別のもので、家族そろってお墓にお参りし、亡き人を偲び「ありがとうございました」と手を合わせると、心安らぐ思いがします。
「浄土真宗のお盆」の過ごし方は「お念仏」を通して、私自身の「いのちの依りどころ」をあきらかにしていくことであったのです。お盆の前にお示しすべきでしたが、あらためて、「浄土真宗のお盆」について学んでおきましょう。

お盆迎える心持ち
「お盆には、特別な準備が必要なのでは…」
大切な方を亡くして初めて迎えるお盆。どう迎えていいのだろうかとインターネットで検索したり、本を探す人も多いのではないでしょうか。ネットには「お盆のお供え物のしきたり」「お盆の供養の仕方」…など、いろんな宗旨、はたまた会社などの情報があふれています。
でも、ご安心ください。
浄土真宗にご縁のある方々は、お盆を迎えるための〝特別な準備〟は必要ありません。 お念仏のみ教えをいただき、仏さまの国(浄土)に生まれた亡き方々は、阿弥陀仏とともに、大いなる慈悲の心で、迷いの中で苦しむ私たちを、いつも見守っていてくださっているのです。そして、さまざまなご縁を通して私たちを仏前に誘ってくださっています。ですから、亡くなった方々の罪障を除き、冥福を祈るために行う「追善供養」は必要ありませんし、精霊棚、施餓鬼棚もいりません。
亡き方の恩に感謝し、仏さまの救いにあい、お浄土に先にいかれた方々と、やがてはお浄土であえるというみ教えを聞いていくのが浄土真宗です。その仏さまを「南無阿弥陀仏」といいます。
お念仏をとなえ、み教えを喜ぶ身になってほしいという、亡き方たちの願いを聞いていっていただきたいのです。ぜひとも、お寺で行われる法要、家庭でのお盆参りで法話を聞いてください。そして、仏さまのお話を通して、わが身を振り返る大切な機会にしていきましょう。       「2017(平成29)年8月1日 本願寺新報 浄土真宗のお盆 より」

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

9月 御命日法要 
○ 日時 9月15日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 西村了慶 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年09月01日(金)07時30分

ファイル 266-1.pdf

九月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2017年08月01日(火)08時10分

ファイル 263-1.pdf

八月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

平成29(2017)年度 御命日法要【7月】 2017年07月14日(金)17時21分

【ご案内】
    
 7月1日。今年も折り返した。この機会に、それぞれの前半を振り返ってみるのもよい。「よかった」と思う人、「ああしておけばよかった」と反省する人、いろいろと分かれるだろうが、心機一転、真新しい気持ちで後半に臨みたい。
 この気持ち、何も1年だけのことではない。人生もそうである。どこかで区切りをつけて、今日までの人生を振り返り、今日という真新しい1日を、真新しい気持ちで臨みたい。かく言う私は、いつ人生を折り返したのかを意識もしていなかった。いつまでも走り続けたい気持ちはあるが、とっくに折り返しを過ぎたのは間違いない。しかも、ゴールまで残りがどれだけあるのか…。
 もう40数年前にもなるが、本願寺でお話しされた故・利井興弘さんの言葉を思い出す。「親鸞聖人のご生涯は、慚愧(ざんき)、歓喜(かんぎ)、報恩の連続だったのでは…」と語られ、その3つを味わわれて「お恥ずかしいからありがたい。ありがたいからもったいない。もったいないからありがたい。ありがたいから恥ずかしい」と。今になってしみじみと響く。
 人生の晩年にさしかかっても、自分で都合のよいように思案し、いろいろな出会いに対して善し悪しをつけている。よいこと、悪いことであろうと、すべてはわが人生の大切な出会い。一つ一つの出会いを通して、「お恥ずかしい」「ありがたい」「もったいない」と味わうところに、今日1日を真新しく、大事に生きることができるのではないだろうか。(F)
(2017(平成29)年7月1日 本願寺新報 コラム「赤光白光」より)

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

7月 御命日法要 
○ 日時 7月14日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 寺村 篤 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年07月01日(土)14時16分

ファイル 261-1.pdf

七月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

平成29(2017)年度 御命日法要【6月】 2017年06月16日(金)07時46分

【ご案内】                         

伝灯奉告法要御満座の消息

昨年の十月一日よりお勤めしてまいりました伝灯奉告法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。十期八十日間にわたるご法要を厳粛盛大にお勤めすることができましたことは、仏祖のお導きと親鸞聖人のご遺徳また代々法灯を伝えてこられた歴代宗主のご教化によることは申すまでもなく、日本全国のみならず、全世界に広がる有縁の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことに有り難く思います。
昨年の熊本地震から一年を経過し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から六年が過ぎました。改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。どれほど時間が経過しても心の傷は癒されることなく、深い痛みを感じてお過ごしの方も多くおられるでしょう。なかでも、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散によって、今なお故郷に帰ることができず、不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおられます。思うままに電力を消費する便利で豊かな生活を追求するあまり、一部の方々に過酷な現実を強いるという現代社会の矛盾の一つが、露わになったということができます。
自分さえ良ければ他(ほか)はどうなってもよいという私たちの心にひそむ自己中心性は、時として表に現れてきます。このような凡愚の身の私たちではありますが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられることのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしょう。
凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だから何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。即如前門主の『親鸞聖人七百五十回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』には、
凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏な  れ、仏法ひろまれ」と、精一杯努力させていただきましよう。
と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであり、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このことは、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。
今、宗門が十年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりますなか、来る二○二三(平成三十五)年には宗祖ご誕生八百五十年、そして、その翌年には立教開宗八百年という記念すべき年をお迎えいたします。
改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要に向けたこれからの生活においても、私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。
み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。

平成二十九年
二○一七年  五月三十一日  龍谷門主 釋 専 如

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


6月 御命日法要 
○ 日時 6月16日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 林 重厚 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年06月01日(木)07時39分

ファイル 257-1.pdf

六月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板