HEIAN BLOG 宗教教育 BLOG

記事一覧

今月の言葉《宗教教育係》 2017年04月01日(土)10時00分

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四月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2017年03月01日(水)08時12分

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三月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成28(2016)年度 御命日法要【2月】 2017年02月16日(木)08時10分

【ご案内】

青色(しょうしき)青光(しょうこう) 黄色(おうしき)黄光(おうこう) 
赤色(しゃくしき)赤光(しゃっこう) 白色(びゃくしき)白光(びゃっこう)   『仏説阿弥陀経』

■それぞれが光り輝く世界

お経は「真実」説く
 『仏説阿弥陀経』というお経に、極楽浄土について説かれています。それによると、極楽浄土には、綺麗な池があって、池の底には、金の砂が敷き詰められている。そして、池には、大きな蓮の花が咲いていて、青色の蓮の花は青い光を放ち、黄色の蓮の花は黄色い光を放ち、赤色の蓮の花は赤い光を放ち、白色の蓮の花は白い光を放ち、よい香りを漂わせている。それが極楽浄土だというのです。
 このような話をすると、すぐに「極楽浄土なんて本当にあるんですか」と言う人がいますが、極楽浄土は「あるか、ないか」と問うのではなく、「どのような世界か」ということを聞くことが大切なのです。
 また、お経には「事実」が説かれているのではく、「真実」が説かれているということも忘れてはならないでしょう。『阿弥陀経』の教説も、青色の蓮の花が青い光を放っているという事実が説いているのではなく、私が私色に、あなたがあなた色に、それぞれがそれぞれに光り輝く世界、それが真実の世界であり、極楽浄土というさとりの世界だということを説いているのです。

生老病死にも光
 ある方が、
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」の「青黄赤白」の所を「生老病死」の漢字と入れ替えて、「生色生光 老色老光 病色病光 死色死光」と味わわれました。生が生のまま光り輝き、老が老のまま光り輝き、病が病のまま光り輝き、死が死のまま光り輝く。
それがさとりの世界であり、真実の世界なのです。
 このようなさとりの世界について聞けば聞くほど、私のあり方がそうなっていないことに気づかされます。いい・悪い、好き・嫌いと周りのいのちを分け隔てして傷つけたり、老い・病み・死んでいくことはダメになることだと悩み苦しんだり。
 み教えを聞くということは、さとりの世界とはどのような世界かということを聞かせてもらうことであり、その世界が今の私の人生を支え、真実に導いてくださるのです。すべてのものが光り輝き、人生のすべてが光り輝く、そんな世界に出遇わせていただきましょう。

(『本願寺新報』2016(平成28)年11月1日「いのちの栞」龍谷大学非常勤講師 小池秀章)

おかげさまで ~140周年~ ありがとう“感謝”

2月 御命日法要 
○ 日時 2月16日(木)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 佐長道亮 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年02月01日(水)08時00分

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二月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2017年01月01日(日)09時00分

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一月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成28(2016)年度 御命日法要【12月】 2016年12月16日(金)08時15分

【ご案内】

PHP研究所創設70周年記念 ◆特別対談◆
とらわれず、執着しないことが大切です
      遠藤保仁(プロサッカー選手・ガンバ大阪)×大谷光淳(西本願寺 門主)

 親鸞聖人の血脈を継ぐ西本願寺の新しい門主と、サッカー日本代表でも活躍するガンバ大阪キャプテンのお二人に、PHP創設70周年を記念し、普段から大切にしていることを話していただきました。


遠藤 初めてお目にかかります。お会いするのをとても楽しみにしていました。
大谷 こちらこそ、ありがとうございます。テレビでは、サッカーの試合をよく見ています。たとえば野球とは、スタジアムの雰囲気がかなり違いますね。
 遠藤さんは、サッカーの魅力は何だと思いますか。
遠藤 ボールに集中して、ゴールを決める、ゴールを守るというのは、とにかく楽しいです。それから、チームメイトと助け合いながら、喜びや悔しさを分かち合って、一つずつステップアップできるのは大きな喜びです。

余計なことを考えずに全力を出す
大谷 遠藤さんはべテランですね。若い人たちにはどんな指導をしますか。
遠藤 たとえば、周りの選手がミスした場合、僕はまず褒めるんですよ。「こういうプレーのほうがよかったんじゃないか」といったことは試合後に言いますが、選手にはそれぞれ自分のサッカー観があります。だから、その選手が自信を持って自分のプレーをしたのであれば、ミスをしても褒めますね。そもそもミスをしない人はいませんから。
大谷 人はどうしても、物事を自分中心に考えてしまいがちです。だから、自分が思っていることと違うことをされると、「どうして?」と思ってしまいます。そうしたことを考えても、遠藤さんがおっしゃった視点を持つことは、とても大事だと思います。
遠藤 「自分の短所を隠さない」ことも、大事にしています。足が遅いことやへデイングが苦手なことなどの短所があるのですが、それを隠さずにオープンにした上で、伸ばすように努めています。僕の短所をほかの選手が得意にしている場合もあるので、「お願い、ここは頼むよ」と言うこともあります。その代わり、自分のいい部分でほかの選手からしたら短所になる部分を、その選手のために僕が補うこともあります。
大谷 すばらしいですね。私は自分の短所を隠したくなる(笑)。ただ、少なくとも自分の短所に気づかないと隠しようもない。その意味では、自分の身に引き寄せて考えたり、人の話を聞いたりして、常に自分のことも意識することが大切でしょうね。
 プロスポーツ選手には、高い技術と強い精神力が求められると思いますが、遠藤さんはどちらがより重要だと思いますか。
遠藤 精神面、メンタルだと思います。「体を動かすのは心」だと、僕は思っているので。もちろん技術も大切ですが、「最後にものを言うのは根性」といった場面もあります。つらくても、ここで走らなきゃいけない、といった場面で走れるかどうかは、気持ちの強さにかかってくると思います。
大谷 きつい状況で、がんばれる源は何でしょうか。
遠藤 「勝ちたい」という思い、執念ですね。絶対に優勝したい、とか。日本代表の選手には、そうした執念を持った、メンタルの強い選手が多いように感じます。
 ただ一方では、心を〝さら〟にして臨むことも大切だと思っています。特に試合では、余計なことを考えずに、その場に集中して、全力を出し切ることが大事です。
大谷 「とらわれない」「執着(しゅうじゃく)しない」ことが仏教では大事な教えの一つです。自分の考えにとらわれると、悩みや苦しみの原因にもなります。自己中心的な考えに陥っていないか、ときおり省みることが必要でしょうね。
遠藤 相手チームについても、味方の選手についても、情報は可能な限り入れるけれど、それらを踏まえた上で、さらというか、白紙の状態で試合に臨むことが望ましいような気がします。

「受け容れてもらえる」安心感を
大谷 自分の置かれている状況やまわりの状況を把握したうえで、そのときどきにいい選択ができることが大切ですね。
 私も人と懇談させていただく際、自分が話したいことを前もって用意しますが、すべて出そうとせずに、できるかぎりその場の状況に合わせるように心がけています。
 ところで、遠藤さんにとって、理想のチーム、あるいは理想の監督といったものはありますか。
遠藤 監督が何も言わないチームがいいですね(笑)。選手が自ら気づき、自ら動いて、結果を出す。監督は指示を出したら、あとはべンチに座って見ているだけ。そういうチーム、そういう監督が一番よいと思います。でも、どこのチームの監督もだいたい怒鳴っていますけどね(笑)。
大谷 新聞に書いてありましたが、最近、急に成績のよくなった大学野球のチームがあるようです。そこでは監督が代わって、学生がコーチとしてサインなども出すようになったそうです。選手が自主的に考え、行動するようになったことが、好成績につながっているのだと思います。
遠藤 実際にブレーしているのは、選手なので、本来であれば、選手が気づいて「こうしたほうがいい」と監督に言って、許可を得るのが一番いいのです。監督からアクションして、選手がリアクションするというのはあまりよくないと思います。
大谷 監督と選手の信頼関係について、お話しいただけますか。
遠藤 重要なことですね。選手は「監督から必要とされている」と思えば、自分自身に責任感が出てきます。すると「このチームを、この監督を勝たせる!」「勝てるチームにしていきたい!」という主体的な気持ちが自然に出てきます。そのなかで相談したり、意見を交わしたりすると信頼関係を築くことができます。
大谷 なるほど。人と人との関係はなかなか簡単に築けるものでないですし、宗教の場合も、一般生活の場合も、信頼、つまり「受け容れてもらえる」という安心感が大切ではないかと思います。


以上、『PHP11月』PHP研究所創設70周年記念号に特別対談として掲載されました。この内容は、下記の著書に収録されています。

『ありのままに、ひたむきに ~不安な今を生きる~ 』西本願寺門主 大谷光淳著
  親鸞聖人の血脈を継ぐ第25代門主が語る難しい時代を生きるヒント!
                                               PHP研究所648円(税込)

対談●遠藤保仁さん(ガンバ大阪)とともに
ぶれることなく
思いを伝える
ともに、よい方向をめざして


おかげさまで ~140周年~ ありがとう“感謝”

12月 御命日法要 
○ 日時 12月16日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 小川智成 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2016年12月01日(木)08時00分

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十二月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成28(2016)年度 御命日法要【11月】 2016年11月14日(月)08時13分

【ご案内】

このたびPHP研究所から、大谷光淳ご門主著述の『ありのままに、ひたむきに』~不安な今を生きる~【定価;本体600円(税別)】が発刊されました。  ※平成28年9月21日

まえがき
 私たちは日々、喜びだけでなく、さまざまな出来事に悩み、苦しみながら生きています。仕事上の行き詰まり、人間関係、あるいは病気など……。人生、よいときもあれば、悪いときもあります。どんなときも前向きに安心して生きていける、そんな心のよりどころがあればよいなと思っても、答えはなかなか見つかるものではありません。
 そんなとき、どこまでも自分を深く見つめた先人たちの教えは、素晴らしいヒントを与えてくれます。はるか昔、インドのお釈迦さまや、鎌倉時代の親驚聖人は、それぞれに自分自身を見つめられ悩み抜かれたすえに、世の中と人生のありのままの真理に気づかれました。その言葉は民族や地域、時代を超えて、真剣に生き、悩み続ける人たちの心のよりどころとなってきました。
 人はいま、平和を求めながらも互いに争い、豊かさを求めて、かえって貧しさと不安を拡大しています。自分の心の不安だけではなく、社会の矛盾に翻弄され、私たちはまるで不安の荒海を漂う小舟のようです。このような状況の中でも、振り回されることなく、生き抜くためにはどうすればよいのでしょうか。答えの一つが「日々の一瞬一瞬を、まずはありのままに受け止めて、そしてひたむきに精いっばい生きていくこと」だと思います。
 本書では、心の不安や社会の矛盾に振り回されることなく、「ありのままに、ひたむきに生きていく」という私の思いを語らせていただきました。強くなくてもいい。力がなくてもいい。悩みは「生きるよりどころ」を見つけ出す糸口にもなります。
 いま、さまざまな悩みをかかえておられるお一人おひとりにとって、この小さな本が、大きな喜びと幸せへのきっかけとなることを願ってやみません。


第1章一瞬一瞬を精いっぱい生きる
第2章困難な時代をともに生き、ともに歩む
第3章現代に生きる仏教の教え、親鸞聖人の教え

対談●遠藤保仁さん(ガンバ大阪)とともに
ぶれることなく思いを伝える ともに、よい方向をめざして
対談●大平光代さん(弁護士)とともに
親と子が安心できる社会に お寺をほっこりできる場に

あとがき 龍谷山 本願寺(西本願寺)について

おかげさまで ~140周年~ ありがとう“感謝”


11月 御命日法要 
○ 日時 11月14日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行のみ  ※ 終了後、臨時職員会議(専任教職員)
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2016年11月01日(火)10時25分

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十一月

今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成28(2016)年度 仏参【10月】 校長講話 2016年10月19日(水)17時04分

 みなさん、おはようございます。
 後期始業式で、本年4月に発行いたしました冊子「平安の願い“三つの大切”」については、今日の仏参で話しますと言いました。今一度、『建学の精神』を確認しておきます。
 龍谷大平安の『建学の精神』は「浄土真宗の精神」です。では、「浄土真宗の精神」とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。何度聞いても難しいですね。では、具体的にどういう心を持ち、どういう生き方をするのかという日常の心得として、「ことばを大切に」「じかんを大切に」「いのちを大切に」という“三つの大切”を掲げているのです。
「ことば」は「南無阿弥陀仏」とお名号を称えることによって、阿弥陀さまから「必ず救い取るぞ」と呼び掛けられ、誰もが仏さまに願われた存在であることに気付かされること、他人への思いやりの形が言葉で表れます。
「じかん」は「諸行無常」という言葉があるように、ものごとは時々刻々と移りゆき、必ず過ぎてしまうものです。生きている今を大切にしてほしいという思いを込めています。
「いのち」は、阿弥陀さまからの預かりものです。阿弥陀さまの願いのかけられた尊い「いのち」と思えた時、仏さまを悲しませない生き方をしようと考えるようになるのです。だからこそ大切にしてほしいということです。これが龍谷大平安の願いです。
 それでは、前期の始業式と前期初めの仏参で、「平安の願い“三つの大切”」から「ことばを大切に」と「じかんを大切に」の内容を紹介しましたので、いよいよ“三つの大切”の「いのちを大切に」について、
紹介いたします。

中学生に向けた文章で、次のように記しております。

 しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで こわれて消えた
 しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
 生まれてすぐに こわれて消えた
 風風吹くな しゃぼん玉飛ばそ

 誰もが一度は口ずさんだことのある童謡「しゃぼん玉」の歌詞です。作詞者は野口雨情(うじよう)さんと言います。
 野口さんが童謡の普及に四国へ行っている時、2歳になる娘さんが病気で亡くなったとの知らせが届きました。
 愛するわが子を突然に失った悲しみの中で、あまりにもはかなく消えたわが子のいのちを想い、この歌を作ったと言われています。このしゃぼん玉を通して、私たちのいのちについて考えてみましょう。
 みんな一人ひとりにいのちがあり、そしてそれは「たったひとつのいのち」です。
私たちにはお父さんやお母さんがいて、そのお父さんやお母さんにも、お父さんお母さんがいます。というように、ずっとずっとつながっていて、そうしたつながりの中で、私たちが生きているのです。ですから、たくさんの方からいただいたいのちと言えるでしょう。
 そのいのちを大切にし、屋根まで飛ぶしゃぼん玉のように大きく成長してほしい、はかない世の中ではありますが、雄々しくたくましく元気に育ってほしい、と願わずにはいられません。そんな願いが、みなさん一人ひとりにかけられているのです。
 しかしながら私たちは、自分ひとりで生きていくことはできません。毎日いただいている食事ひとつをとっても、お米やお野菜を作る人、それを運ぶ人、売る人がいます。そのお米やお野菜で、食事を作ってくださる方々がいます。このようなたくさんの方たちの支えのおかげで、私たちは食事をいただくことができ、たったひとつの大切ないのちを、今日から明日へつなぐことができるのです。
 このように私たちは、多くのつながりの中に生きています。あなたも私も、一人ひとりかけがえのない、尊いいのちを生きているのです。「いただいているいのち」「願われているいのち」「支えられているいのち」。「建学の精神」のもとで謳われている、そのようないのちを生きている自分であることを忘れないでください。

 とこのように記しています。毎週一回行われます龍谷大平安での仏参で「南無阿弥陀仏」とお念仏することは、阿弥陀さまのご本願を鏡として自分を照らしてみる、つまり、仏さまの鏡に照らして自分を見つめてみるという大切な時間なのです。
 最後に、10月の「今月の聖語」に宗教教育係が『ダンマパダ』の言葉を記してくれています。ちょうど、正門を入って直ぐ左の黒板を見てくれていますか?どんな言葉かと言いますと、

 先ず自分を正しくととのえ、次(つ)いで他人を教えよ。

と、このような言葉です。どのような解説をしてくれているかと申しますと、

 ストレートに心に響く言葉だと思います。まさに自分自身のことを言われているような気になりませんか。みなさんは、この言葉を読んで、どのように感じたでしょうか。
 不思議なもので、人の欠点はよく見えてしまいます。私たちは、つい人の欠点や至らないところを指摘しがちですが、自分自身のことは案外見えていないことが多いかも知れません。
 人の言動ばかりに気を取られて、肝心の自分自身を見失ってしまってはいけませんね。人に何か言う前には、必ず一度立ち止まり、自分自身の言動を振り返ってみることが大切です。
 仏陀が述べるように、日々の言動をこの機会にしっかりと見つめ直して、まずは自分自身を正しく整えることに努めましょう。合掌

 どうぞみなさん、仏参では、「南無阿弥陀仏」のお念仏を通して、阿弥陀さまのお慈悲の心を聞かせていただき、少しでも阿弥陀さまを悲しませない生き方を求めて日々を送りましょう。
 その生き方を心がけることが、お互いに敬い合い、助け合いながら、日々の生活を送ることにつながるのです。他人への思いやりの心をもって、日々過ごしていただくことをお願いしまして仏参の話を終わります。