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阪急梅田駅での合同写真展

 暑い日が続いていますが、みなさん如何お過ごしでしょう? 鉄道研究部1年生が1名入部しました。その部員を含め8月5日~7日まで全国交流会に参加するために長野県まで行ってきます。
 
 今日は合同写真展の報告をさせて頂きます。

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 今年はじめての企画として「全国高校鉄道研究部合同写真展2018」を開催いたします。
 これは、神奈川県高文連鉄道研究専門部会が呼びかけて集まった7府県17校の高校鉄道研究部が行う合同写真展で、阪急電鉄梅田駅をお借りして2018年7月20日(金)より開催いたします。

◆期間:
2018年7月20日(木)~8月16日(木)

◆場所:
阪急電鉄梅田駅構内(茶屋町改札口側 神戸線 京都線下)

◆参加校:合計17校

(兵庫県)灘高等学校、雲雀丘学園高等学校
(京都府)京都共栄学園高等学校、龍谷大学付属平安高等学校
(大阪府)高槻高等学校
(奈良県)東大寺学園高等学校、西大和学園高等学校
(埼玉県)自由の森学園高等学校
(千葉県)東海大学付属浦安高等学校
(神奈川県)神奈川県高文連鉄道研究専門部会より8校
県立磯子工業高等学校、県立神奈川総合産業高等学校
立花学園高等学校、県立平塚中等教育学校、県立藤沢工科高等学校
法政大学第二高等学校、県立向の岡工業高等学校
県立横浜清陵高等学校

 「鉄道研究部」は模型好きばかりではありません。また写真好きばかりでもありません。研究誌『近江鉄道の研究』もかなり進んでいます。
 学校教育の中で、趣味の領域を越え色々なことが学べる場がクラブ活動です。

 また梅田の合同写真展の様子や全国交流会のことをお知らせします。

春の撮影旅行 2

 更新が遅れすいません。春の撮影旅行の第2回目の報告をさせて頂きます。

 鹿児島を出発し、熊本での集合となりました。指宿枕崎線を狙うグループ。熊本入りするグループに分かれました。
 指宿枕崎線のグループは「西大山」をめざしました。昔と違い駅の周辺にはお店も多々出来ているとか。大きな変化です。その後熊本へ。

 また熊本グループも市内、三角線などをウロウロしたようです。熊本地震で崩れた熊本城。桜が咲き始めていました。また三角線では有明海の島へ出向き、少しのんびりもしています。

 「鉄分補給」だけでなく、その土地を味わい尽くす良い旅だったと思います。

ファイル 772-1.jpg (山川駅にて)

ファイル 772-2.jpg (解体中の旧熊本駅)

ファイル 772-3.jpg (三角駅)

ファイル 772-4.jpg (島で出逢ったネコ)

春の撮影旅行

 3月26日~29日までの春の撮影旅行について報告をさせて頂きます。今回は鹿児島、熊本、長崎、福岡への撮影旅行です。
 ドラゴンゼミや勉強合宿があり、行き先は早々に決まっていたものの、日程がなかなか決まりませんでした。その上、新燃岳が噴火するというアクシデントもあり、「本当に大丈夫か?」という思いも起こってきました。
 不思議なもので、旅行中新燃岳の噴火は起こりませんでした。

 26日午後に大阪南港へ集合。その前から「鉄分補給」にかかった3年生の迫力に頭を垂れておりました。
 そのままサンフラワーで一路志布志港へ。出港が遅れ志布志港着岸も30分近く遅れました。

ファイル 758-1.jpg (サンフラワー 志布志港にて)

 乗車予定のバスに乗れず、15分歩き近くのバス停へ。その後垂水港からフェリーで鹿児島市内へ入りました。

ファイル 758-2.jpg (鹿児島湾より垂水港を望む)

ファイル 758-3.jpg (フェリーからの桜島)

 その後、市内電車で各々が自由行動。フェリーの寝台が狭く、その上中高生が多かったので、それ程遠くには行きませんでした。早々にホテルに入った人も多かったようです。

 一方で竜ヶ水まで行く人もおり、改めて自然の恐ろしさを、記念碑で感じている人もいました。

ファイル 758-4.jpg (竜ヶ水駅の碑)

ファイル 758-5.jpg (竜ヶ水駅より桜島を望む)

 翌日に向け、ゆっくりと時間をすごした27日でした。

 

4校合同写真展終了

 11月9日より阪急梅田駅で行っていました「4校合同写真展」は11月30日に終了しました。
 授業が終わり、梅田に駆けつけるまで1時間強かかります。撤収作業には灘中学・高校、雲雀丘中学・高校のみなさんが先に到着をされていました。

 開催期間中、2度写真が気になって梅田へ行きました。昼間はあまり人通りがなかったのですが、ラッシュ時は多くの人が通られます。仙台での全国交流会の様子を読んで下さっている人がいたことは、とても嬉しかったです。私たちの思いが少しでも伝わったかなあ…と感じた瞬間でした。

 さて次年度も同じような企画をするということです。それまでに写真を一杯撮りたいと考えています。

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撤収を終えて

 梅田へ足を運んで下さったみなさま。有難うございました。

4校合同写真展の開催

 11月9日、灘中学・高校、雲雀丘学園中学・高校鉄道研究部のみなさんと阪急梅田駅で合流しました。龍谷大平安中学・高校、灘中学・高校、雲雀丘学園中学・高校、神奈川県立藤沢工科高校4校合同で写真展を実施することになったのです。他校と合同でこのようなことをするのは初めてです。急なお話でテーマ性も持てず、寄せ集めで写真を展示となったことが残念です。ただ撮り屋だけではなく、乗り屋、模型屋、紙屋(収集鉄)を含め、作品を持ってきた人のものを展示しています。

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 また夏休みに行われた「全国高等学校鉄道研究部交流会」の簡単な報告や写真も展示しています。「航空自衛隊松島基地」「野蒜(のびる)駅」の写真がありますので、「東日本大震災」で私たちが学んだものを写真から感じてください。

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 尚、期間と場所は以下の通りです。

 また関西の高校鉄道研究部にも次回は呼びかけたいと考えています。詳しくは雲雀丘学園中学・高校の鉄道研究部に連絡をお願いします。

期間  11月9日(木)~11月30日(木)
場所  阪急梅田駅構内ギャラリーコーナー   http://www.hankyu.co.jp/station/service/gallery.html

  阪急梅田駅2階茶屋町口改札と2階中央改札をつなぐ通路
http://www.hankyu.co.jp/station/pdf/map/umeda.pdf

※ 京都線側には「龍谷大平安中学・高校」「神奈川県立藤沢工科高校」、神戸線側通路には「灘中学・高校」「雲雀丘学園中学・高校」の展示になっています。

全国鉄道研究部交流会報告 No.6

 最終日の報告になります。5回の報告と考えたのですが、1回分多くなったことお許し下さい。

 仙台での交流会終了後、八戸へ向かいました。東北はねぶた祭をはじめお祭りの真っ最中でした。京都のお祭りとは違う派手なお祭りにびっくりしました。気温は日中で30度程度。夕方から夜は20度前後でしたから、肌寒いくらいでした。

 八戸に着き次第、青森、盛岡、久慈など各々の思っている方面へ出かけました。

 下の写真は久慈方面へ行った写真です。舞鶴、宮津方面でしか京都府内では海が見られません。太平洋からのきつい風。遠くに見える船…。クラブ帰りなのかどこかの高校生が乗り込んできました。1時間に1本あるかないかのダイヤ。どの時間帯でも帰宅出来る私たちとは大違いです。でも談笑する姿、スマホをいじる姿は私たちと同じです。

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 下は今年度で八戸線での運行が最後となるキハ40。国鉄時代の車両が淘汰されていくのは残念ですが、日々利用されている地元の人の声が大切です。新車両になり、どのように思われるのでしょう。

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 久慈から三陸鉄道に乗りました。下の写真は三陸鉄道です。北リアス線も被害はあったものの南リアス線よりずっとましだったと聞きます。

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 しかしまだ護岸工事は続いていました。下はその写真です。

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 各々が充分に鉄分を補給し、三沢から伊丹まで飛行機で帰りました。関西は連日33度をこえる猛暑。夜も熱帯夜。しっかり夏バテになりかけました。

 鉄研は単に好きな車両を追いかける、模型で車両を走らせるだけのクラブではありません。交流会や撮影旅行へ行き「なぜ」を問う。そして色々なことを感じ取り、その大切さを自分たちで考えていくクラブです。

 次年度は長野県で行われます。是非次年度もお目にかかりましょう!

※ 学園祭が行われています。この報告は中学鉄道研究部ブログに報告させてもらいます。

 

全国鉄道研究部交流会報告 No.5

伝承館についてから、八戸までの話しです。

 まず被災者のメッセージが詰まった映像を観ました。津波の映像はやはりショックです。津波がきているのに「歩くことしか出来ないお年寄り」「車が呑まれていく瞬間」「壊れていく家」「避難所での生活」「ごみという名の思いで」…。

 この野蒜駅での上下線の交換。発車後1分での地震。まさか1分後に地震が起こるとは誰も思っていなかったでしょう。「あっ、〇〇が乗ってる。仙台へ行くのかな?」「久しぶりやね。どこ行くの?」 その列車ではこんな会話が交わされ、人々はまた色々な思いの中で生きておられたのだと思います。以下の写真が「旧野蒜駅」です。またその野蒜駅にあった券売機です。

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 ところがわずか1分で、その人たちの思いが断ち切られたのでした。生死を分けた列車。下りは小高い丘に停車し、津波からの被害を免れた。上りはマニュアル通り乗客を避難所へ避難させると津波が襲ってきた。そしてその津波に呑まれてしまった…。
 下の写真は旧野蒜駅待合室です。青色部分まで津波が到達したらしいのです。

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 日頃からお釈迦様や親鸞聖人のお話を聴いていますが、これほどまでに実感をした経験はなかったです。

 伝承館を出て、上り列車が津波に呑み込まれた時点まで歩きました。下は避難された野蒜小学校です。旧線の踏切跡から撮ったものです。下のもう1枚の写真右奥の家に、電車が流されて止まったそうです。

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 平安の3つの大切。「ことばを大切に、時間を大切に、時間を大切に」ということです。その言葉を思い出した時、想像すればするほど心がとても痛くなりました。我々はどのような生き方をしているのでしょう? 再考した次第です。

 この伝承館を最後に、各学校がバラバラになり次年度の長野大会で出逢うことを約束し、私たちは八戸へ移動したのでした。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

全国鉄道研究部交流会報告 No.4

8月2日のことを報告させて頂きます。

 野蒜(のびる)駅に集合した後、東松島市震災復興伝承館へ移動しました。伝承館は旧野蒜駅です。この東松島市だけで、1000人以上の人がお亡くなりになり、未だ行方が分からない人も25人おられます。新しい野蒜駅では、全く想像がつかない状態でした。しかし移動しているところで、震災の爪痕が残っていました。

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 上の写真は、野蒜駅から旧野蒜駅の方向に向かい撮影したものです。見ていただいて分かるように、ほぼ何もありません。移動中多くの人に驚いたのか犬が吠えていました。家があっただろうと思われる痕跡が沢山あり、「暑い、暑い」と言いながら歩いていた人も少しずつ話しをしなくなっていきました。

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 次に旧駅に近くなったところで、写真のような看板を見つけました。話しのよると、地主さんが「何かあった時に」と山の中に簡単な避難所をつくられていたということです。地震が起こり、津波発生と同時に近所の人が逃げ込み、数十名助かったということを聞きました。
 何もなかった時、その地主さんがどのような目で見られていたのかは分かりません。しかし数十名の人が助かったことから考えれば、常に私たち自身が大きなことについて忘れているように感じました。阪神淡路大震災の時は、やはり災害が身近であっただけに、我々も意識していたはずですが…。

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 そうこうしているうちに、伝承館へ着きました。建物のところに青色の看板があります。ここまで津波の水がきたのです。もちろん海からはそこそこ距離がありますし、また駅の前には川もあります。そこを通り越してやってきた波は私たちには想像出来ませんでした。

 その後の伝承館でのお話になったのですが、そのことは次回報告させてもらいます。

※ 9月3日(日)に雲雀丘中学・高校の文化祭へ行ってきました。その報告は中学部ブログに書かせてもらいます。

全国鉄道研究部交流会報告 No.3

8月1日午後のことを報告します。

 松島基地を後にし、仙石東北ラインを利用して会場の東北福祉大学へ向かいました。昨年は参加出来なかったのですが、久しぶりに関東の学校みなさん。また雲雀丘中学・高等学校のみなさんとお出逢いしました。

 着いていきなりの「司会進行」の依頼。2年生、よく踏ん張って司会進行をしてくれました。

 まず神奈川県連渡邊和敏先生の挨拶の後、東北福祉大学星山幸男先生から「仙山線の交流電化」について講演を聞きました。かなり疲れていたのですが、「交流電化の実験線として仙山線が利用された意味」「十河国鉄総裁の訪問」などのことを聞きました。このお話から「新幹線」との関連が考察出来たことは大きかったです。

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 その後各学校での活動報告や取り組みを発表し、ジオラマだけでなく研究誌にも力を入れていることが分かりました。その後、40分ほど各学校の人と挨拶をしました。ただ一番落ち着いたのは雲雀丘の生徒さんと話しをした時です。

 雲雀ヶ丘中学・高校、灘中学・高校、洛星中学・高校、京都共栄中学・高校、京都工芸学院高校など、文化祭で寄せて頂いたり、来て頂いたりしていますから、雲雀丘中学・高校のみなさんの顔を見てホッとした思いでした。9月2日・3日に文化祭だと聞いたので、是非寄せて頂き、模型や研究などのことを色々教えて頂こうと思います。

 交流会の後、集合写真を撮り、仙山線、仙石線を利用し松島海岸へ帰りました。いよいよ今回のメインテーマである「野蒜駅と震災」について2日目の交流会で学ぶことになります。

 次回は2日のことを報告させてもらいます。

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全国鉄道研究部交流会報告 No.2

8月1日午前のことを報告します。

 松島海岸を出発し、仙石線で矢本駅へ。その途上での写真です。

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 ある駅に停車した時に写しました。異様に高い防潮堤です。おそらく震災がなければ、綺麗な海岸が見えていたのだと思います。松島海岸から矢本までは仙石線でもかなり大きな被害を受けたところです。この防潮堤を見ていて、まだ東日本大震災の実感がわかない状況でした。

 本校卒業生が航空自衛隊松島基地に勤務していた関係で、基地見学をお願いしました。当日ブルーインパルスがある関係で、お忙しい中見学をさせて頂いた次第です。もちろんメインテーマは震災学習です。

 メディアでは報道されていなかったことを多く聞きました。その中で印象深かったお話を述べさせてもらいます。

1 トラックで破損されていなかったものは3台。すぐに石巻へ物資輸送のため移動したこと

2 三陸海岸の救助を任されていたのに、救助隊が出せず悔しい思いをされたこと

3 重機もないのに、全隊員さんで滑走路を3日間で元に戻し、輸送機などを受け入れたこと

4 近所の片付けを手伝うにも「法的な問題」もあり、なかなかお手伝いもできなかった。当時の司令官が判断し、隊員が動かれたこと。「武器が流れ込んでいるかもしれませんから…」と言って各家庭をお邪魔され、「泥だらけですね。これでは分からないから、泥掻きをしますね」と言いながら、復興のお手伝いをされたこと

5 自分たちも被災をしているにもかかわらず避難所へ行き、物資輸送、医療、捜索、埋葬他、多くの仕事をこなされたこと

 隊員さんの思いがつまったお話を30分程度聞き、また当時の写真を見せて頂きながら、如何に私たちが「東日本大震災のことを知らないのか」を思い知った次第です。無関心であったのかもしれません。
 松島基地にはブルーインパルスの飛行機の尾翼があります。当時流され、使用不可能になった飛行機の尾翼です。「震災のことを忘れないように」「自衛官の使命を心に刻むために」ということでした。

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 最後に当日石巻でブルーインパルスが飛ぶということだったので、その飛行機を見せて頂きました。残念ながら私たちは飛行機が飛ぶところを見ることは出来ませんでした。石巻の人を勇気づけるための1つのイベントだということ。多くの人たちが癒やされたのでは…と思います。

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 忙しい中、松島基地の隊員のみなさま有難うございました。また仕事もあるのに、色々お世話になったOGのTさん。本当に有難うございました。

 次回は午後からの交流会第1日目のことをお知らせします。

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