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祝 龍谷大学付属平安高等学校 第66回卒業証書授与式 2014年03月01日(土)12時40分

学校長式辞

 暦の上では、二十四節気の一つ啓蟄を目の前に控え、寒さも漸く峠を越えたようであります。校庭には二本の紅梅がありますが、今日の佳き日に合わせたかのようにほころびを見せ、春の訪れを感じる季節となりました。本日ここに、龍谷大学付属平安高等学校の 第66回卒業証書授与式 を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派総長、龍谷大学学長、法人理事・評議員の先生方をはじめ、学園同窓会、親和会・平安会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜りましたことに、衷心より御礼を申し上げます。
 保護者のみなさまには、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。卒業生396名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 それでは、私からみなさんに贈る言葉として、1月24日の終業式にお話ししました「雑談の大切さ」のおさらいをしておきましょう。(「雑談力が上がる話し方」斎藤孝より)
 私たちの毎日は、雑談をしながら生きているといっても過言ではありません。言い換えれば、私たちは、ほぼ、100%、雑談によって人とコミュニケーションをとっているのです。それなのに、最近は〝要件しか話せない〟あるいは〝要件もろくに話せない〟若者が増えています。「要件さえ伝われば、それでいいじゃないか」とおっしゃる方も多いでしょう。確かにそれはそうでしょう。しかし、「要件しか話せない」のでは、世の中を渡っていくことはできません。
 私たちの会話には「要件を伝える会話」と「それ以外の会話」の二種類がありますが、この「要件以外の話」つまり、雑談ということになりますが、これが最も大切なのです。
 では、この雑談が持つ意味とは何でしょうか。それは、これから先、相手との関係をスムーズに運ぶための〝地ならし〟的役割です。雑談というのは、人間関係やコミュニケーションにおける〝水回り〟的な役割を持っています。わかりやすく言えば、みなさんがよく言う「空気読めよ!」の〝空気〟これを作るものが雑談です。その場にいる人たちと同じ空気を共有するため、場の空気を作るために雑談があるのです。
 人間関係そのものを家に例えれば、要件のある、意味のある話ができる力、あるいは日本人として日本語がきちんと話せる力が土台・基礎工事になります。その上に、一個人、社会人として必要な人間性という骨組みがあり、さらに、さまざまな社会的経験を積んで身につけるマナー、人との付き合い方、コミュニケーション能力などで〝家〟が形作られていきます。このマナーや人との付き合い方やコミュニケーション能力というのは、私たちの日常に必要不可欠なものです。それが、人間関係を築く礎となる人間力だからです。この人間力を、学校という集団生活の場で身に付けるのです。
 例えると、外観に直接は表れてこないけれど、建物にとって欠かせないのが水回り。ここが詰まったままでは、どこか苦しくて居心地の悪い家になってしまうでしょう。雑談とは、家における水回りのごとく、人間関係を気詰まりなく、スムーズに動かしていくために不可欠なコミュニケーションのファクターなのです。
 龍谷大平安での3年間・6年間で、その土台になる感性、つまり、「こころの知性」をしっかりと磨いてくれたと思っております。
 どうぞ、外観には直接は表れてこないけれど、建物にとって欠かせない〝水回り〟にあたる雑談、人間関係を気詰まりなく、スムーズに動かしていくために必要なコミュニケーションの要素である雑談の大切さを覚えておいてください。われわれは一人では生きていけない、他に支えられて生かされているからこそ、人と人との関係性を何よりも大切にしなければならないのですよ。
 最後に、みなさんの卒業アルバムに、平安の三つの大切「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という言葉に添えて『煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我』という言葉をしたためさせてもらいました。これは、私たちが、日々お勤めする『正信念仏偈』の中の、七高僧のお一人、源信和尚(かしよう)の述懐の箇所にある一節であります。
――悲しいかな、煩悩のためにわが眼はおおわれてしまって真実の有様を見ることができないですが、よろこばしいかな、如来は大慈悲の心をもって、倦みつかれることなく、常にわが身を照らし続けて下さっているのですよ――
 われわれ凡夫は、煩悩によって本当の姿、真実の姿をついつい見失ってしまいますが、阿弥陀如来は常に私たちを照らして下さっています。そんな中で、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させましょう。すると、素直な心と謙虚な心が根づきます。そんな心のありようを意識して日々の生活を送りましょう。
 次の日本を、そして世界を背負って立つみなさんに、こうして涵養した「宗教的情操」こそが、これからの人生の基盤に据えられることを願っております。
 平安学園は、明治9(1876)年に産声を上げました。創立から数えますとみなさんは136期生ということになります。どうぞ、龍谷大平安で青春を過ごしたことを誇りに、自らのいのちを磨き続ける人生を送られますことを心より念じて、私の式辞といたします。