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御礼 第2回 学校説明会 2014年10月13日(月)15時30分

平成26年10月13日(祝)生徒保護者対象学校説明会を開催いたしましたところ、台風接近に伴いお足元の悪い中、午前10時からの中学は約60組総勢150名、午後1時からの高校は約150組総勢300名の皆さまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。特に、午後の高校は台風の影響で公共交通機関が運休になるとのことで、急遽、全体説明会を取りやめました。よって時間を短縮して個別の対応とさせていただきましたため、少し待ち時間が出てしまいました。心よりお詫び申し上げます。あと2回[11月16日・12月7日]生徒・保護者対象の学校説明会を開催させていただきますのでお忙しいとは存じますが、ぜひお越しくださいますようお願い申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2015年度入試の学校説明会」にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、ちょうど約1年前の2013年9月7日、2020年のオリンピックが東京で開催されることに決まりました。その際、本校出身の太田雄貴君も招致アンバサダー・オリンピアンとして、立派なプレゼンを披露してくれました。その時、一時、流行語となったのが、招致"Cool Tokyo"アンバサダーの滝川クリステルさんのプレゼンで冒頭に述べられた『おもてなし』という言葉です。滝川クリステルさんのプレゼンはこのように始まりました。
「東京は皆さまをユニークにお迎えいたします。日本語ではそれを『おもてなし』という言葉で表現いたします。それは、見返りを求めないホスピタリティの精神。それは先祖代々受け継がれながら、現代の日本の文化にも深く根付いています。『おもてなし』という言葉は、いかに日本人が互いに助けあい、お迎えするお客様のことを大切にするかを示しています。」という内容でありました。
 人間には、他人の気持ちを感じ取るという素晴らしい能力が備わっています。微妙な表情や仕草や、声のトーンなどから、相手の気持ちを読み取ることで、人と人とのコミュニケーションは成り立っています。
 実は人間は「脳」によつて他者の感情を読み取って共感しています。顔を見ることで、その人の心理状態から性格まで、私たちは実にたくさんのことを読み取っています。普段あまり意識することはありませんが、私たちの脳は、周囲の人の微妙な表情や仕草の意味を読み取っています。まるで気温を肌で感じるかのように、意識することなく自然にそうしています。そして、無意識のうちに他者から読み取った感情は自分にも移っていますから、イライラした気分なんかは、言葉にしなくても、声や態度に出てしまいます。そうすると、嫌味を言い合うまでもなく、お互いに嫌な気分になっていたりします。逆に、楽しい気分も伝わりますから、自分の身の回りの人を楽しませてあげれば、それが自分に返ってきます。だから、楽しい人の周りには、自然と人が集まってきますし、逆に、孤独で不平不満ばかりを言っている人は、周りから嫌がられ、ますます孤独に陥ってしまうことになります。
 他人の気持ちや状態を正しく認識する能力や、相手を喜ばせたいと思う気持ちは、万国共通の本能です。そして、人にもてなされて幸せだと感じることができるのは、そのような行為が、自発的な他者を思いやる心から起こるからでしょう。そこに心温まる人との交流が生まれるのです。この思いやりの心が正に『おもてなし』であります。
 少し『おもてなし』ということについて、触れておきましょう。
 例えばレストランでウェイターがおしぼりを持ってくることであったり、旅館で布団の準備がされていることなどは「サービス」と呼ばれます。しかし、おしぼりを渡すときに「お仕事お疲れ様です」という言葉を掛けたり、敷かれた布団の横に「ゆっくりとお休みなさいませ」と一言書いたメモを添えたりすることは『おもてなし』と呼ばれます。つまり、お客様にとって、想定内のことはサービスでしかなく、お客様の期待をいい意味で裏切るような気遣いこそが『おもてなし』とされるのです。つまり、「想定外の気遣い」ですね。おもてなしは、相手のことを慮(おもんぱか)る気持ちから生まれるものです。
 そして、滝川クリステルさんのプレゼンにもありましたように「見返りを求めないホスピタリティの精神」つまり、見返りを求めない思いやりの心です。
 外国では、レストランなどで接客を受けるとチップを支払います。あのチップは、接客してくれた店員のサービス料として任意ではありますが支払っているわけです。一方、日本ではどうでしょう。高級レストラン・ホテルからコンビニまで、程度の差はあるにせよ、店員は無償で同じお客様として丁寧な扱いをしてくれます。見返りを求めず、相手を敬い丁寧に扱うことが出来るのは日本人の良いところであり、これこそが『おもてなし』と言えます。つまり、日常生活において「見返りを求めず相手を敬い丁寧に接すること」であります。
 この『おもてなし』の精神こそ、龍谷大平安で生徒たちに常々言っている「EQ]です。いつまでも親や先生を頼らず、自分自身でしっかりと磨きなさいと言っている『こころの知性』のことです。
 心を一本の幹(き)に例えた時に土の中にあって、目に見えない根っこの部分を磨くことが「平安の心の教育」だと考えています。
 これを龍谷大平安では「宗育」と申しておりますが、この「宗育」があってこそ、根っこから吸収されるすべての栄養源「EQ]こころの知性を人間力として枝に運ぶことが出来るのです。
 さて、龍谷大平安は、面倒見のいい学校だということをあちらこちらから言われ、たいへん嬉しく思っております。しかし、私はもう一歩先に行きたいと考えています。と言いますのは、面倒見がいいと言っても、乳幼児には乳幼児の、小学生には小学生の年齢に応じたケアがあって、中学生や高校生にとっては面倒見の良さは「分かるまで教える」ことではないと思います。
 中高生の年齢には「わかろうとする心をつくる、その手伝いをする」ことが面倒見がいいということだと考えます。本当の意味で真の自立をさせるために、龍谷大平安は、面倒見の良さは変わりませんが「上質の面倒見の良さ」を提供することをお約束いたします。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。