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平成26(2014)年度 龍谷大学付属平安高等学校 卒業証書授与式 2015年02月28日(土)13時30分

学校長式辞
 暦の上では、二十四節気の一つ啓蟄(けいちつ)を目の前に控え、寒さも漸(ようや)く峠を越えたようであります。校庭には二本の紅梅がありますが、今日の佳き日に合わせたかのようにほころびを見せ、春の訪れを感じる季節となりました。本日ここに、龍谷大学付属平安高等学校の 第67回卒業証書授与式 を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派総務山階照雄様、龍谷大学学長赤松徹眞様、法人理事・評議員の先生方をはじめ、学園同窓会、親和会・平安会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜りましたことに、理事長とともに、衷心より御礼を申し上げます。
 保護者のみなさまには、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。卒業生472名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 さて、昨年、みなさんの高校3年生という時間は、実に思い出深い一年間でしたね。まず、硬式野球部の選抜大会初優勝から始まり、西本願寺の「御影堂」と「阿弥陀堂」が国宝に、ご門主が第25代専如ご門主に法統が継承されました。特に、硬式野球部の偉業は、みなさんが一生の思い出として語れるものとなりましたね。私たちにとってもたいへん誇りに思います。そして、この上ない喜びであります。
 それでは、私からみなさんに贈る言葉として、1月23日の終業式の話をおさらいしておきましょう。
 私たちは、日々を健やかに過ごしたいと誰もが願っています。しかし、そもそも「健やか」とか「健康」とは、どういうことかとなりますと、なかなか答えるのが難しいです。それは、医学的なものだけでなく、メンタルヘルスの問題である「心の病」があるからです。こうしたものの多くが、日常的なストレスから、生ずるような社会になってしまいました。
 そこで、ある医療社会学者が、「SOC(首尾一貫感覚)」に注目されました。
 首尾一貫感覚「SOC」には、三つの要素があると言われています。すなわち「理解可能感」「処理可能感」「有意義感」です。簡単に言うと、「わかる感」「できる感」「やるぞ感」です。
一つ目の(わかる感)とは、自分の置かれている状況を、一貫性のあるものとして理解し、説明や予測が可能であるとみなす感覚のことです。
 二つ目の(できる感)とは、少々困難な状況に陥っても、それを解決し、先に進めるだけの能力が自分にはそなわっているという感覚のことです。
 三つ目の(やるぞ感)とは、今やっていることが、自分の人生にとって意義のあることであり、時間や労力などを費やす価値があるという感覚です。
 ということでおわかりのように、いずれも根拠はないけれど自分に自信が持てるということであり、この世の中に対する基本的信頼感でもあります。つまり、自分を(わかるぞ)、自分で(できるぞ)、よし(やるぞ)と自分で「感じられる」ことが大切なのであります。要するに、気持ちの持ちよう、心の有りよう、ということになりますね。
 では、どうすればSOCを高めることが出来るかというと、まず言えることは、さまざまな状況において、自分自身で判断し、自ら進む方向性を自分で決めるように意識することです。ただし「なんでもかんでも、自分で決める」という意味ではありません。積極的に行くか、流れに任せるかの選択も含めて自分から意識的に行なうという意味です。このような選択の場面では、自分で出来ることを見極めつつ、積極的に適度なストレスを引き受けていくことも、SOCを高めるには大切なことです。その際、一つはっきり言えることは、このSOCを高めるには、人間関係が重要であるということです。
 みなさん、振り返ってみて学校行事やクラブ活動を思い出すと、そのこと自体を成功させることが「しんどい」というよりは、むしろ、クラスやクラブでの人間関係を上手く持って行く方が「しんどかった」のではないですか。困った時や自分一人で理解できない状況を迎えた時、一人孤立したままではSOCを高めることは非常に難しく、「困った」とか「大変だ」と言い合える仲間がいるというだけで、乗り越えやすさは格段に違ったのではないでしょうか。
 人間関係そのものを家にたとえれば、基本的生活習慣が、土台・基礎工事になります。その上に、社会人として必要な人間性という骨組みがあり、さらに、社会的経験を積んで身につけるマナー、人との付き合い方、コミュニケーション能力で〝家〟が形作られていきます。
 このマナーや人との付き合い方やコミュニケーション能力というのは、みなさんのこれからの人生において必要不可欠のものです。それが、良好な人間関係を築く礎(いしずえ)となる「人間力」なのです。みなさんの過ごした龍谷大平安での3年間や6年間は、勉強を学ぶことはもちろんですが、それよりも何よりも集団生活の中で人間関係を構築する修練の場だったのです。その土台になる感性、つまり「こころの知性『EQ』」を磨く大切な期間だったのです。これからもSOCを上手く高め、どこででも常に、良好な人間関係を作ってください。
 目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、それは「こころの知性『EQ』」だったのです。どうぞ、大学やそれから先、社会に出てからも良好な人間関係を築くための「こころの知性」の大切さを覚えておいてください。われわれは決して一人では生きていけません、他に支えられて生かされているからこそ、人と人との関係性を何よりも大切にしなければならないのですよ。
 最後に、みなさんの卒業アルバムに、平安の三つの大切「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という言葉に添えて『煩悩障眼雖不見(ぼんのうしようげんすいふけん) 大悲無倦常照我(だいひむけんじようしようが)』という言葉をしたためさせてもらいました。
これは、私たちが、日々お勤めする『正信念仏偈』の中の、七高僧のお一人、源信和尚の述懐の箇所にある一節であります。
――悲しいかな、煩悩のためにわが眼はおおわれてしまって真実の有様を見ることができないですが、よろこばしいかな、如来はお慈悲の心をもって、倦(う)みつかれることなく、常にわが身を照らし続けて下さっているのですよ――
 われわれ凡夫は、煩悩によって本当の姿、真実の姿をついつい見失ってしまいますが、阿弥陀如来は常に私たちを照らして下さっています。そんな中で、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させましょう。すると、素直な心と謙虚な心が根づきます。そんな心のありようを意識して日々の生活を送りましょう。
 次の日本を、そして世界を背負って立つみなさんに、こうして涵養した「宗教的情操」こそが、これからの人生の基盤に据えられることを願っております。
 平安学園は、明治9(1876)年に産声を上げました。創立から数えますとみなさんは137期生ということになります。どうぞ、龍谷大平安で青春を過ごしたことを誇りに、自らのいのちを磨き続ける人生を送られますことを心より念じまして、私の式辞といたします。