HEIAN BLOG 校長 BLOG

記事一覧

平成28(2016)年度 龍谷大学付属平安高等学校 卒業証書授与式 2017年03月01日(水)12時30分

学校長式辞

 三寒四温と申しますが、一雨ごとに気温が上がり、日差しも徐々に暖かくなってまいりました。校庭には、二本の紅梅がありますが、そのうちの一本が、今日の佳き日に合わせたかのように開花し春の訪れを感じる季節となりました。
 本日ここに龍谷大学付属平安高等学校の第69回卒業証書授与式を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派社会部賛事 辻本順爾 様、龍谷大学学長 赤松徹眞 様、法人理事・評議員の先生方をはじめ、平安同窓会、親和会・保護者会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜り、衷心より御礼を申し上げます。
 保護者のみなさまには、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。卒業生411名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 明治9(1876)年滋賀県彦根の地に「金亀教校」として産声を上げました龍谷大平安も、昨年11月12日にご門主さまご臨席のもと、創立140周年記念式典を挙行させていただきました。その記念すべき年に卒業されますみなさんに、心よりお祝いを申し上げます。本日411名が巣立たれますので、この140年間の卒業生は 約43,000名 となります。そして、卒業生のみなさんは、創立から数えますと139期生ということになります。
 さて、ちょうど1年前の卒業証書授与式、みなさんの先輩たちには「ワトソン」という人型ロボットのお話をいたしました。みなさんには、1月20日の終業式で、人工知能(AI)のお話をいたしました。正に、科学が、私たち人間が発する言葉の意味も理解し、対応できるまでに進化してきました。
 終業式の式辞で大谷光淳ご門主のお書きになった「『ありのままに、ひたむきに』~不安な今を生きる~」という御本の内容に触れましたが、覚えてくれているでしょうか。
 これからの時代、人工知能あるいは人型ロボットの進化で「人が生きていくこと」の意味が改めて問われるようになってくる。おそらく、いまの四十代半ばから下の人たちにとっては、社会の中で今、人がしている仕事を、ロボットがどんどんこなしていく時代に直面し、それは、極めて現実的な問題になるという話です。
 人間関係の悩み一つをとっても、携帯電話のなかった時代と今とでは違い、携帯電話(スマートフォン)を通話目的だけで使っている人と、不特定多数の人とつながるツールとして使っている人とでは、かかえる問題が違ってきています。
 特に、情報源は、新聞・テレビ、本しかなかった私たちと違い、若い世代の人たちの情報源は、インターネットという媒体に変化し、人との交流にはSNSを使う人が増えています。当然、そこで起こり得る問題は、不特定多数の人との交流が招く問題などです。そう考えれば、こうした、SNSなどのツールを、どううまく活用するかを考えていかなければならないということです。
 人工知能(AI)の話に戻りますと、人間とロボットの違いは何であるのか。その違いは、私たち人間には心があるということです。だからこそ宗教を持つということでありましょう。
 科学技術の発達した現代であるからこそ、私たち人間の本当の意味での生き方が問われることになります。そして、それは、日々の生活の中で、私たちがどのように自分の命の問題を考え、周りの家族の方、友達のことなどを考え生活していくかということにつながっていくことになります。
 日常生活の中で、悩みや苦しみを抱えながら生きていかなければならない私たちにとって、お釈迦さまは「必ず救い取るぞ」の阿弥陀さまのご本願をお説きくださり、人がひととして生きる道をお示しくださいました。その教えを受けて、真実の人生を歩まれた親鸞聖人は、阿弥陀さまのご本願を聞きひらいた時、自己を真摯に見つめ、かけがえのない「いのち」を大切に生きていく道が開かれてくると教えてくださいました。
 龍谷大平安の3年間・6年間は、みなさんの心に「思いやりの心」を育て、「自制・協力・調和の心」を育む。そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいとの願いのもとに、日常の心得として「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけてきたのです。
 ここで、前門さまの著述『人生は価値ある一瞬(ひととき)』という御本の中から「こころの進歩」と題された内容を紹介します。
 わたしたちは、生まれたときから常に、「進歩」することを生活の原理としています。学校では、多くの知識を増やして成績上位を目指し、会社に勤めると、業績を上げてより高い収入と地位を目標とします。近代の日本人を導いてきたのはこの「進歩」の思想で、確かに優れた点もたくさんありました。しかし、他方では、受験戦争など激しい競争社会を生み出してきたのも事実です。
 こうした学歴や出世、収入などは、他人と比較して外から見える「進歩」だとすれば、同じ「進歩」でも、外から見えない「進歩」があります。自分の内面における「こころの進歩」です。
 「こころの進歩」とは、ほかの人と比べてよりよい人間になることを言うのではありません。自分がいかにいたらない人間であるか、いかに自己中心的な人間であるかに気づきはじめることを言います。そこに気づけば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という箴言にもあるとおり、おのずから他人に対して謙虚になります。
 とはいえ、人間はなかなか自分を正しく見られません。ともすると、よい点は過大に認め、悪い点は割り引いて見るなど、自分に甘く、他人に厳しくなりがちです。自分のほんとうの姿は無意識に見ないようにしてしまうからで、それだけに、「こころの進歩」を意識して生きる必要があると思います。
 と記されています。正に、自分中心にしか見ることが出来ない愚かな自分への気づきではないでしょうか。
 みなさんが今日、受け取られます卒業アルバムに、平安の三つの大切「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という言葉に添えて『煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我』という言葉をしたためさせてもらいました。
 これは、私たちが、日々お勤めする『正信念仏偈』の中の一節であります。
――悲しいかな、煩悩のためにわが眼はおおわれてしまって真実の有様を見ることができないですが、よろこばしいかな、如来はお慈悲の心をもって、倦みつかれることなく、常にわが身を照らし続けてくださっているのですよ――
 自己中心的なものの見方や考え方しかできない私たちであります。その中で本当の姿、真実の姿をついつい見失ってしまい、物事をありのままに受け容れることができなくなり、だから、色々なことで悩み苦しみます。それでも、阿弥陀如来は常に私たちを照らしてくださっています。阿弥陀さまははたらき続けていてくださいます。
 安心して、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させることを心がけましょう。すると、素直な心と謙虚な心が根づくのです。そんな心のありようを意識して、日々の生活を送りましょう。
 次の日本を、そして世界を背負って立つみなさんに、こうして涵養した「宗教的情操」こそが、これからの人生の基盤に据えられることを願っております。どうぞ、龍谷大平安で青春を過ごし、卒業生になることに誇りをもってください。それこそが、伝統につながっていくということを知っておいてください。そして、その伝統だけが重要なのではなく、みなさん一人ひとりが、その伝統の最前列にいることを意識することが大切なのだということをしっかりと自覚し、自らのいのちを磨き続ける人生を送られますことを心より念じまして、私の式辞といたします。