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報恩講 2021年01月16日(土)16時15分

 今日は報恩講。親鸞聖人のご命日の法要である。例年であれば講堂で御法話を聴くなどをしていたのだが、コロナのこともあり、初めてWEBでお話を聴くことになった。講師は本願寺派布教師で本校の北に位置する知真保育園園長の苗村隆之先生のお話を伺った。
 
阿弥陀仏の眼差し

 今日は親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」です。親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」のお心とメッセージを伝えて下さった方です。今日はその南無阿弥陀仏の眼差しについてお話をしたいと思います。

 教典には「お浄土は金色に輝いている」と書かれています。そこにいる人たちが「金色に輝いている」から、そのように言われているのです。ではみなさんの家族、友だちは輝いているでしょうか。あまり気にしませんよね。そこに人は「ああおるなあ」済んでしまいます。しかしよくよく生活を振り返ると輝いているときがあるのです。私自身の経験ですが、子どもが生まれたとき、これほどにまで子どもが金色に輝いている時はありませんでした。一方で、「こんちくしょう」と思ったときは誰もが「全く輝いて見えません」。自分に勝手なコンタクトレンズがはまって「人」を見ているようです。

 教育者の水谷修先生から「ウサギとカメ」の話を知っているかを問われたことがありました。このお話は明治の頃、「油断大敵」という題で語られていたそうです。駆け比べをして、居眠ったウサギがカメに負けるわけです。カメの勝ちでお話は終わります。実はその続きがあるようです。勝負に負けたウサギはとても悔しかったそうです。そこで再度試合を申し込んだようです。カメは了承をし、再度試合になったようです。そうするとまたカメが勝ったのでした。その理由はカメが勝負の方法を変え、ゴールを島というのです。カメは泳げますが、ウサギは泳ぐことが出来ず、ゴールまでたどり着けなかったということのようです。
水谷先生は「大人の価値観で子どもの価値観を曇らせていないか?」と問われました。確かに我々は大人の価値観で図っています。つい「はよせい」「〇〇するな」と言ってしまいます。私たちは「自分の居場所(価値観)を奪われることが一番イヤなこと」を知っていながら、子どもに条件をつけます。「カメはカメで良い」「ウサギはウサギで良い」と、どうして言えないのでしょう。でも阿弥陀様はそうではありません。ありのままで良いと言ってくれているのです。あなたや私の「ありのまま」をそのまま引き受けてくださるのです。歎異抄では「仏かねてしろしめして」と書かれていることからもわかります。

 さて新人保育士研修会を毎年2月に開催をしています。新しく保育士になる人を対象に研修会をしているのです。その研修会では「恐怖の人差し指」というのがあります。講師の先生から指を指されて受講生の先生に質問をされるのです。
あるとき次のような質問がありました。どの保育園にもすぐにやることが苦手な子がいます。誰からも「遅い」と言われる子がいますよね。「集合」と声をかけたとき、その一番「遅い子」が、誰よりも早く集まるためにはどうすべきかと問われました。もちろん方法はいくらでもあります。その先生はその先生の方法をお話しされました。最後にその先生がお話しされたのは「保育士は子ども一人一人のために悩むということが大切」だということでした。

 阿弥陀さんが示すポーズは「阿弥陀様が私たちを抱きしめてくれていることを示している」のです。私たちは幼少期に多くの人からいっぱい抱っこをしてもらった嬉しい思い出がります。阿弥陀様のポーズは「私の良いところも悪いところ、そのままの私を引き受けてもらっている姿」です。ですから保育園では抱っこをとても大切にしてもらっています。

 私は勉強が大嫌いでした。だから夏休みは楽しみでした。しかし夏休みを超えるための大きなハードルがあります。「通知票」です。小学校中学年まで成績が悪く、父親によく怒られました。そこで両親は勉強が出来るようにと思い、私を塾に入れたのです。ただ何を間違ったのか「進学塾」に入れられてしまい、私は十二指腸潰瘍になったのです。塾に行く前におなかが痛くなります。でもその塾へ自転車に乗せて母親が塾へ運んだのでした、だから私は母親が嫌いでした。嫌々行っていた塾です。中学入試を失敗しました。でも勉強は嫌いでしたが、それなりに一生懸命に勉強はしたつもりです。試験の結果を塾の先生に電話で伝えていると、後ろの部屋で母親が泣いていました。そして電話が終わると私を抱きしめ「しんどかったな。辛かったな。もっと遊びたかったな」と言って抱きしめて泣いてくれたのです。母親を「鬼婆」と思っていたのですが、そうではなく私のありのままを受け止めてくれたのです。まさにその抱きしめられたことは、阿弥陀様に抱きしめられたのと同じことだと思っています。
 
 これから生きていく中で、今までにないくらいの「理不尽」に遭遇するかもしれない。その時に自棄になりたくもなる。しかし自棄になっても解決にはならない。
 「自棄」になっている人を冷ややかに見ることも出来る。一方でその「自棄」につきあうことも出来る。今日のお話を聴き、自分であればどのようなことが出来るのかをしっかり考えて欲しい。