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2020(令和2)年9月 御命日法要について 2020年09月15日(火)09時00分

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私たちのちかい  
一、自分の殻に閉じこもることなく
  穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく 
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 空を流れる雲の形、野山のススキの穂、庭の草花、すだく虫の音に秋の訪れが感じられる。自然の変わっていく様子に季節の移ろいをみることができる。そして、その変化に合わせて人々は生活を営んできた。しかし最近、「衣替え」のような季節の区切りを象徴する言葉があまり聞かれなくなった。食べ物で季節感を味わうということも少なくなったようだ。電車から見える大きな月を眺めようとする人もほとんどいない。みな下を向いて指を動かしている。仲秋の名月に関心を持つ人も数少なく、自然と人間との距離が大きくなっていることの証左であろうか。今年は春から夏、そして秋へと、自然にふれる時間もこころの余裕もなかった。気がつけば、秋の入口に立っていた。そして、この先は冬が待っている。人生を四季になぞらえ、たとえることも多い。長い人生も一年という時間に比定できるとすれば、本当に短く感じられてくる。かつて『青春の門』を著した五木寛之氏の、老いをテーマにした本のタイトルはルは『玄冬の門』の門』である。冬をどう迎えるかである。
 善導大師は「無常偈」で、草花を採って日中に置くとすぐに枯れてしまう。人の命もそのようなものだ、と教え示される。いま、青春のただ中にいる人は、このことばも耳に入らないかもしれない。だが、誰も一人残らず玄冬という時期に入っていくことは確実である。何のために生まれてきたのか、思い尋ねていきたいものである。
020(令和 2)年 9 月 1 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

9月御命日法要
○日時 9月 15 日(火)16 時 00 分~
○場所 講堂
○法話 ※勤行(讃仏偈)のみ
◎みなさん、お揃いでお参りください。