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令和4年度 報恩講 2023年01月12日(木)13時30分

本日は本校において、10時から報恩講をお勤めしました。報恩講とは、親鸞聖人を偲びつつ、親鸞聖人の教えを聞かせていただく行事です。

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法話のご講師は、本願寺派布教使の朝山大俊先生でした。朝山先生は今年が親鸞聖人がご誕生されて850年であることを紹介され、次いで、親鸞聖人が誕生された年(1173年)がどのような状況であったかを、鴨長明の『方丈記』の内容を挙げながら語られました。生まれた時代は違えど、その時代に生きられ出家された親鸞聖人に対しての思いを馳せました。

また、師匠と弟子の関係性から、朝山先生は親鸞聖人の弟子であった唯円坊が書き記した『歎異抄』より、1つのエピソードを語られました。親鸞聖人が「千人の人を殺せば、おまえは必ず往生できる」と唯円坊におっしゃり、「親鸞聖人をいうことには決して背かない」と言った唯円坊が、「千人どころか一人も殺すことはできません」と返答。そのとき親鸞聖人が「おまえが一人すら殺すことができないのは、おまえの中に、殺すべき縁が整っていないからである」とおっしゃったという内容です。「さるべき業縁もよをせば、いかなるふるまいもすべし」とあるように、時代や環境によってどのような行いもしてしまう可能性あるということを、自分の身に置き換えて考えさせられました。

2023(令和5)年1月 今月の聖語・言葉について 2023年01月01日(日)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。 
                          『ダンマパダ』

 『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 ここで述べられているように、釈尊は自己に打ち克つことの大切さを説いています。日常生活を振り返ると、私たちはよく周りの人と比較し、そこで優越感や劣等感を感じることがあるのではないでしょうか。もちろん、周りの人からの良い刺激を受け、自らを高めていくことは大切なことです。しかし、本当に重要なことは、自分以外の他と比較して得られるものではなく、自分自身の壁を乗り越えた先にある成長や、自ら掲げた目標に対する達成感ではないでしょうか。
 新年を迎えました。今月の聖語で釈尊が示すように、「自己にうち克つこと」を日常の教訓として、今年も勉強やクラブ活動など、自らの目標に日々精進していきましょう。


【今月の言葉】
とおく、いのちをもたずして、今日ばかりと、おもえ  蓮如上人

 今月の言葉は、浄土真宗代八代宗主の蓮如上人のお言葉です。「いつまでもいのちがあると思わず、今日だけのいのちかも知れないと思いなさい」という意味です。
 みなさんは一休という僧侶を知っていますか。とんちが有名で、実際に室町時代に生きた臨済宗の僧侶です。蓮如上人も一休さんと同じく室町時代の僧侶で、宗派を超えて交流があったことが伝えられています。
 一休さんは次のような歌を残されました。
  門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

一休さんは正月に骸骨を竹の棒に差して、「ご用心、ご用心」と言いながら京の都を歩き回ったそうです。正月は新年を迎え、めでたい日です。しかし、一休さんが言うように同時にいつ訪れるかわからない死にも近づいていると言えます。
 蓮如上人と一休さんが共通して述べられていることは、無常である今(今日)という時間、いのちの尊さだと思います。新年を迎えたことを喜びつつ、限りある時間やいのちとしっかりと向き合っていきたいですね。
合掌

2022(令和4)年12月 御命日法要について 2022年12月13日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 すっかりと山々が紅葉している。そこに太陽の光が当たるとさらに美しい。全山燃えるようだという表現があるほどだ。その太陽の光の散乱で赤く美しくなる現象が夕焼けだ。太陽の光の美しさを表現する「燃」と「焼」の2文字。「燃焼」という一つの熟語があるように、2文字の表現は同じ意味のようにも思えるが、微妙な違いがあり、全く重なるわけではない。光の美しさを表現した2つの言葉はそれぞれが必要である。同様に水が器から流れ出ることを指す表現でよく使われる「こぼれる」と「あふれる」もそうである。同じような意味ではあるが、2つには違いがある。そして、どちらの言葉も必要なのである。園児たちがよく歌っている童謡に「チューリップ」がある。「さいた さいた チューリップの花が ならんだ ならんだ あか しろ きいろ」という歌詞は、チューリップの花には変わりはないが、「あか」「しろ」「きいろ」という色の違いが歌われている。同じ花でも違いがあるということを認めて、そして、最後の歌詞となる。「どの花見ても きれいだな」。同じようではあるが、全く重なるわけではないのは私たち人間も同じ。全てが同じようになるのではなく、いろんな違いがあっていいと、互いの違いを認め合うことが大切である。仏さまの目線は「チューリップ」の歌と同じ「どの花見ても きれいだな」である。1人1人がそれぞれに輝いている世界を仏さまは教えてくださっている。

「2022(令和4)年12月1日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

青色(しょうしき)青光(しょうこう)・黄色(おうしき)黄光(おうこう)・赤色(しゃくしき)赤光(しゃっこう)・白色(びゃくしき)白光(びゃっこう) 『仏説阿弥陀経』


12月 御命日法要
○ 日時 12月13日(火)13時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 野田 茜 師(浄土真宗本願寺派布教使) 

令和4年度 成道会 2022年12月02日(金)16時00分

本日は2学期期末考査最終日で、期末考査後、本校講堂にて成道会の行事がありました。2限目(10時05分~)が高3学年のみ、3限目(11:10~)が高2学年以下に分け、本願寺派布教使の野田茜先生にご法話いただきました。

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成道会とは、お釈迦さまが菩提樹の下で悟りを開かれたことを記念する行事です。そのお釈迦さまのお弟子であった、チューラパンタカのお話をされました。お釈迦さまの教えを1つも覚えることができず、自分の名前すら忘れてしまうチューラパンタカ。そんなチューラパンタカに対して、お釈迦さまは毎日掃除をするようほうきを渡し、掃除をするときに必ず「塵を払おう、垢を払おう」と言うように勧められました。言われたとおりに掃除をしていたある日、綺麗にした道を子供たちが汚しました。それを見たチューラパンタカは、ほうきを振り上げて怒鳴りましたが、その時自分の心が汚れていることに気づきます。その後、チューラパンタカは一所懸命修行して悟りを開いたといいます。

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野田先生は「なぜチューラパンタカは悟りを開けたんでしょうか?」と質問されました。チューラパンタカが悟りを開けたのは、お釈迦さまがその人の個性を見抜き、その人にピッタリの教えを説いて下さったからでした。お釈迦さまが説かれた『阿弥陀経』の中にも、「青色青光 黄色黄光、赤色赤光、黄色黄光、白色白光」とあります。まわりの人と比べて落ち込んでいた野田先生は、この言葉を通して「人と比べることなく自分の良いところを出し切ればよいのだ」と思われ、まわりへの見方(景色)が変わり、友達が輝いて見えるようになったそうです。

私たちは、ついつい誰かと何かを比べてしまいがちです。今日のご法話を通してお釈迦さまの教えを聞かせていただき、比べることなく自分の個性(色)を出していきたいものです。

2022(令和4)年12月 今月の聖語・言葉について 2022年12月01日(木)08時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
聖教(しょうぎょう)はよみやぶれ 『蓮如上人御一代記聞書』

 今月の聖語は、本願寺第八代宗主の蓮如上人のお言葉です。この『蓮如上人御一代記聞書(ききがき)』の中で、聖教(聖典)は仏教を開かれたお釈迦さまや、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のお言葉に出会うことのできるものなので、それを読み破るくらい開いて読むことが聖教を大切にすることになると仰せです。
 たとえば英単語を覚えたいと思ったとき、みなさんは英単語帳を用いると思います。英単語を見て覚える時は、マーカーペンで線を引くなどして、何度も何度も繰り返し、ページをめくって暗記していくと思います。それを繰り返していくことで、めくった部分がだんだん黒くなり、使いすぎてカバーがはがれてしまうこともあるでしょう。しかし、それは必死に覚えたという努力の蓄積とも言えます。本は読むためのものであり、何度も繰り返し読むことが、本を大切にしていると言えるのではないでしょうか。単語帳に限らず、各教科の教科書を読み破るくらいの思いで勉強してみましょう。


【今月の言葉】
ひとつの言葉でけんかして ひとつの言葉で仲なおり
ひとつの言葉はそれぞれに ひとつのこころをもっている 吉野 弘     

 言葉には不思議な力があります。たった一言で人を喜ばせ、励まし勇気づけることができます。またその一方で、人の心を深く傷つけるというマイナスの要素も持ち合わせています。ちょっとしたことで友達とけんかになったとき、みなさんの態度はどうでしょうか。きっと相手に対して怒りの感情をぶつけてしまうでしょう。もちろん、相手にも心があるわけですから、同じような状況に陥ると思います。ですが、「ごめんね」「自分が悪かった」と一言謝ることによって、元の間柄に戻せたりします。
このように、言葉というものは「心」であり、良くも悪くも大きな影響を及ぼすものです。私たちは、友達や家族など近い間柄になればなるほど、言葉の使い方にも気が緩んでしまいがちです。今月の言葉を通して、いま一度自分を振り返ってみてください。

宗教教育係

2022(令和4)年11月 御命日法要について 2022年11月15日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

仏典には多くの譬喩(ひゆ)が散りばめられている。教えの中心に焦点があてられているため、理解する上で大きな役割を果たしている。釈尊をはじめ多くの高僧は巧みな譬喩の担い手であった。原始経典に説かれる譬喩のなかに、「この世間に三種の人がいる。岩に書いた文字のような人、砂に書いた文字のような人、水に書いた文字のような人」とある。「岩に書いた文字のような人」とは何か。岩に書かれた文字は、風雨にさらされながらも、何十年、何百年たっても消えることはない。そのように、怒り、腹立つこころがいつまでもやむことなく続くことをあらわしている。次の「砂に書いた文字のような人」とは、砂に文字を書くことは簡単にできるが、同時に消えるのも早い。次々と腹立つこころが起こっては消え、消えては起こる。そんな状況を想像することができる。穏やかなときもあるということか。最後に「水に書いた文字のような人」。水の上に文字を書くことはできない。たとえ、何度も何度も書こうとしても、水の上に点すら残ることはない。これが意味するところは、他人の悪口や不快なことばを聞いても少しもこころにとどめることなく、その跡がないということである。柔和なこころで満ちている人を指す。私は三種のうちのどの文字にあたるのだろうか。一つの譬喩から日頃気づかなかったことに気づかされていく。それは、知らなかった私の姿が知らされていくということにほかならない。

「2022(令和 4)年 11 月 1 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


11月 御命日法要
○ 日時 11 月 15 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 宰務 清子(さいむ きよこ)師(浄土真宗本願寺派布教使)

2022(令和4)年11月 今月の聖語・言葉について 2022年11月01日(火)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
宮商和して自然なり  親鸞聖人

「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド♪」 
 おなじみの西洋七音階に対して、古来から日本のお経や雅楽では、「宮・商・角・微・羽」の東洋五音階を用います。その中でも、「宮」と「商」の二つの音は、ぶつかり合って聞こえる不協和音の関係で、西洋音階でいうドとレのような隣り合う音です。
 聖人は今月の聖語を通して、お浄土の世界では、その不協和音が調和していくと示してくださいました。自分の音も相手の音も、ぶつかり合うことなく響き合っていくということです。それを「自然なり」と示されました。
 日頃の学校生活の中で、時にはぶつかり合い、「不協和音」が出てしまうこともまったくないとは言えないでしょう。
 互いを認め合うべきだと分かっているつもりが、いざ「自分が正しい」と思い込むと、なかなか譲れません。そうしたこの私のあり方を見抜き、放っておけないと立ち上がられたのが阿弥陀さまです。阿弥陀さまのお浄土からメッセージに耳を傾けてみませんか。

【今月の言葉】
やれなかった やらなかった どっちかな      相田みつを

「どうせ自分には無理」「時間がない」「誰かが反対する」
私たちは何かに挑戦しようとするとき、往々にして失敗を恐れ、「やらない」という選択をしがちです。
しかし、もし挑戦する気持ちが少しでもあれば、何か一つでも自分にできることはあります。多くの場合、できることがないわけではなく、やろうとしないだけなのです。  
今月の言葉は、やろうとしなかった、すなわち「やらなかった」過去の自分に対して厳しく自省を促す言葉だと味わうことができます。その自省の先にこそ、本当の意味での挑戦の第一歩が期待できるのではないでしょうか。

合掌

2022(令和4)年10月 御命日法要について 2022年10月11日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

黄金色になった稲田のあぜ道に真っ赤な花が彩る時期となった。ヒガンバナという名称は、秋の彼岸の頃に咲くのでこの名がある。この花に「西方の極楽世界を教え、いざなってくれているように見える」と言った人がいた。ヒガンバナには別名が多い。それは多くの人に知られ、生活の中で語られてきた証拠であろう。曼殊沙華(まんじゅしゃげ)もそのひとつで、仏典に由来した名である。曼珠沙華はサンスクリット語でマンジューシャカといい、柔軟草と訳す。見るものをして剛強を離れしめるという天の草との説明がある。また経典には「釈尊が経を説き竟(おわ)って天は曼陀羅華(まんだらげ)、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨降らし、仏の上及び諸々の大衆に散じた」ともある。ほかにも、真っ赤な色が死と結びつくところから「シビトバナ」「ユウレイバナ」「ハカバナ」とも呼ばれる。北原白秋の「曼殊沙華(ひがんばな)」という詩には「GΟNSHAN(ゴンシャン)GΟNSHAN 何処へゆく 赤い御墓の曼殊沙華(ひがんばな)曼殊沙華 今日も手折りに来たわいな」とある。山田耕筰の曲がつき、何か恐ろし気な雰囲気が伝わってくるが、子を亡くした母親が子の年を数える苦悩が歌われているという。この花は、飢饉の時などの救荒作物ともなった。田のあぜに植えられているのは、モグラを防ぐためとも聞いた。花期は 1 週間程度とのこと。盛りの頃を見て、心落ち着く時間を持ちたいものである。

「2022(令和 4)年 10 月 1 日(土曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

10 月 御命日法要
○ 日時 10 月 11 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 田坂 亜希子 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2022(令和4)年10月 今月の聖語・言葉について 2022年10月01日(土)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
人の生を受くるは難く やがて死すべきものの 今生命(いのち)あるは 有り難し『法句経』
 
 釈尊の教えに次のようなものがあります。
 ある時、釈尊は大地の砂を手にすくい、弟子たちに次のように質問しました。「この手のひらの砂の数と大地の砂の数は、どちらが多いでしょう。」この問いに対し、弟子は答えました。「もちろん大地の砂の数の方が多いです。」すると釈尊は、静かにうなずかれて、「その通りです。この世の中に生きているものは大地の砂の数くらいたくさんいるけど、人間としていのちを恵まれるものは、手のひらの砂の数ほどわずかなものだよ。」と答えられました。
 この世には多くの生物が生きており、その中で、今人間として生きていることの有り難さ、不思議さを改めて実感させられます。
数え切れないほどのご縁で人としてこの世に生まれ、そして限りある「いのち」を今こうして生きています。普段過ごしている一日が、実は大変尊いものだと再認識させられる言葉だと思います。

【今月の言葉】
見えないところで つながりあって生きているのは 竹だけではない 東井義雄

 みなさんは普段の生活の中で竹を目にすることがありますか。竹は地中の地下茎によって繁殖します。多くの竹林は、もとは一本の竹を植え、次々に地下茎をのばして大きな林になりました。つまり、何十本もの竹があっても一つの植物体だと言うことができるでしょう。
 私たちのあり方に重ねてこの言葉を味わってみてください。竹の地下茎のように様々な人とのつながりがあり、その「おかげさま」で今の暮らしがあります。もちろん、人だけでなく自然や動植物などの支えの中にも生かされているのです。
 つい目に見えるつながりには目が行きがちですが、自分自身が気付かず、目に見えないところでもしっかりと支えられて私たちは生かされているはずです。改めて広い視野であなた自身のつながりを振り返ってみてください。また、このつながりや支えに気付いたとき、周囲にどのような行為がとれるか考えてみてください。 合掌

2022(令和4)年9月 御命日法要について 2022年09月13日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 久し振りに会う知人に「お互い年を取りましたね」と話しかけられた。「お互い」という語に引きつけられる。この語に「自分自身も年をとりました」という共感の思いが込められているからだ。私たちは、老いること、そして死という問題を無意識にさけているところがある。いくら今の状態が続けばいいと思ってもみんな老いる。「みんな」に、自分自身が入っているかということが肝心である。「お互い」と発した知人は、仏教を学び、聞いてこられた方でもある。『安楽集』に「万川(ばんせん)の長流に浮うかべる草木(そうもく)ありて、前は後ろを顧みず、後ろは前を顧みず、すべて大海に会えするがごとし。世間もまたしかなり。豪貴・富楽自在なることありといへども、ことごとく 生老病死を勉(まぬが)るることを得ず」とある。これは生きる姿をよく表しているように思える。前を流れる草木は、後から流れてくる草木を待つことはしない。また後ろの草木も同じである。自分のことだけを考え、ほかにこころを寄せるということをしないということだ。まさに自己中心的な生き方である。このような態度からは「お互い」とか「共に」ということばはでてこないであろう。親鸞聖人のご生涯に、指導者的態度はどこにもみられない。一生を貫き通しておられたのは、「共に」如来の本願を聞いていくという立場であった。共感しあう世界、そこには温かく包みこむような、そして、柔らかい雰囲気さえ漂ってくる。

「2022(令和 4)年 9 月 1 日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

9月 御命日法要
○ 日時 9月13日(火) 16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 三ケ本義唯(みかもと ぎゆい)師(浄土真宗本願寺派布教使)

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