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2024(令和6)年9月 今月の聖語・言葉について 2024年09月02日(月)08時00分

今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示

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【今月の聖語】
とも同朋にもねんごろにこころのおはしましあはばこそ 『末灯鈔』         

今月の聖語は親鸞聖人の言葉ですが、親鸞聖人は念仏の教えを共に歩む人たちを「御同朋」と呼ばれました。そうした人たちにも大切に思う心を持ち合う。ねんごろは「懇ろ」と書き、心がこもっている様子を意味しますが、もとは「根も凝(こ) ろ」という言葉で、地中にある複数の根がからみ合っているような状態のことを指します。
クラスで考えると、クラスメイトがたくさんいて、根のように見えないところでつながり合っているのではないでしょうか。 今月は文化祭や体育祭といった大きな行事があり、各クラスで連日準備を進めていることでしょう。各行事に向けて、からみ合う根のように結束力を強め、互いに協力し助け合いながら取り組んでいってください。

【今月の言葉】
根を養えば樹は自ら育つ 東井義雄

今月の言葉は、日本の教育者である東井義雄先生の言葉です。立派に伸びている樹は、その分、土の中でしっかりとした根を張っています。当然、その根の部分は表には見えません。根を土台(基礎・基本)と考えたとき、その根をしっかり養っていけば、おのずと成長につながります。皆さんは、勉強や部活動、習い事などに日頃励んでいると思います。どれにおいても、知識を学んだり、技術を身に付けるためには、土台(基礎・基本)が大切です。
 ちょうど先月、パリ五輪が開催されました。海外開催での五輪におりては、日本人選手の金メダルの数も過去最多となりました。2000年のシドニー五輪の女子マラソンで、金メダルを取った元陸上競技選手の高橋尚子さんが、「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く」という言葉を座右の銘にされていました。高校時代、高橋尚子さんはなかなか芽が出ませんでした。そんな時に、恩師から贈られた言葉だそうです。そして、諦めずに走り続けた結果、土台となる根を養うことで、五輪という舞台で活躍するまでに至ったのです。
 誰しも、何をやってもうまくいかないような厳しい時期があります。そんなときは、今月の言葉を思い出し、どのように行動して強い根を張ればいいのか考えてみてください。 

2024(令和6)年8月 今月の聖語・言葉について 2024年08月01日(木)10時00分

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今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示

【今月の聖語】
和顔愛語
『仏説無量寿経』
 
 今月の聖語はおだやかな顔で、やさしい言葉をもって人に接しましょうという意味です。仏さまがどのような時でも、和(やわ)らいだお顔で、誰に対しても愛(いと)おしむ言葉でもって接していかれたことからこの言葉が示されました。
 仏教ではお金や所有物がなくても人にプレゼントができると考えます。笑顔、気遣いの言葉もそのプレゼントの一つです。しかもそのプレゼントによって、相手も気持ちが「和」らぎ、同じプレゼントがかえってくるかもしれません。
 一日一回「ありがとう」(笑)と。和顔愛語のプレゼントを交わしていきたいものですね。

【今月の言葉】
耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、
諸々(もろもろ)の道の人に会うこと、適当な時に理法(りほう)についての教えを聞くこと、これがこよなき幸せである。
                     『スッタニパータ』
 
 幸せって何でしょうか。仏教では精神的豊かさだと説かれています。具体的には根本的な煩悩である「怒り・貪り・無明」の克服です。ではどのようにして克服できるのでしょうか。
 まず、怒り。「なぜ私にそんなことを言うのか…」。心無い言葉に、怒りがこみ上げることがあります。怒りから離れるには、怒りをあらわにせず、ただ「耐え忍ぶこと」だと言います。その習慣によって、さらなる困難から心を平静に保つことができると言われています。
 次に、貪りの心。「あれもほしい。ああなりたい。こうしたい…」。そんな貪りの心から離れるヒントは、与えることにあります。ものを与えることだけではありません。挨拶や励ましなどの「ことばのやさしさ」をプレゼントすることも与えることです。
 何よりも問題なのは無明、すなわち教えを知らないこと。両親・先生・先輩・友人などの尊敬・信頼できる「人に会うこと」、仏教の「教え(理法)を聞くこと」を通して、精神的な豊かさを得ることができるのです。  
 これらの精神的な豊かさが、「こよなき幸せ」だと今月の言葉は教えてくれています。

7月御命日法要 2024年07月16日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 「遠目にはお寺の屋根と柿若葉」。全国紙の俳壇に掲載された一句に目がとまった。みえたままをさりげなく詠まれ、さわやかな印象が残った。「お寺の屋根」がみえただけだが、そこにさまざまな思いが凝縮されているようにも拝察できる。こころのふる里を感じとられたのかもしれない。また、お寺に思い出があったのであろうか。小さな頃に遊んだことを思い出されているのかも、といろんなことが想像でき、お寺のある風景にこころ和ませられる。かつて、著名な仏教学者が「仏教が今日まで伝わってきているのは、お寺があったからですね」と語っておられた。お寺があるということ自体、その意味が大きいと言わなければならない。私が暮らしているところでは、かつては夕方にお寺の鐘の音が遠くから聞こえてきていた。しかし、環境も様変わりし、騒々しい生活音の中にその音がかき消されているのであろうか。聞こえることがなくなってきているように感じる。鐘の音に触れると、お寺の存在を感じるとともに、私と同じように、その音を聞きながら今日一日を無事に感謝し、帰途に就いていた人もきっといたであろうと想像する。家の外から聞こえてくる鳥の鳴き声に、鳥の姿がこころにみえてくるように、音を通してみえてくるものがある。浄土真宗は聴聞を大切にする宗教である。すなわち「聞」の宗教、「聞名(もんみょう)」の宗教である。名とは言うまでもなく南無阿弥陀仏である。私のところに届くその名を通してみえてくるものがある。

「2024(令和 6)年 7 月 1 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


7月御命日法要
○ 日時 7月 16 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 朝山大峻 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2024(令和6)年7月 今月の聖語・言葉について 2024年07月01日(月)10時00分

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今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示

【今月の聖語】
もしも為すべきことであるならば、それを為すべきである。『ダンマパダ』

 『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 七月に入り、一学期も残すところあと僅かとなりました。早いもので、二〇二四年も後半に突入します。学校生活、学業、部活動など何事においても節目は大切なものです。自分自身を様々な角度から見つめ直していきましょう。
 さて、「今月の言葉」で掲げている釈尊の言葉には続きがあり、「それを断乎として実行せよ」と述べられています。「自分の為すべきことを為す」そして、「断乎として実行する」、このことは決して簡単なことではありませんが、意思を強く持ち実行に移してこそ意味があります。おそらく、みなさんも自分が為すべきことは、ある程度見えていることが多いのではないでしょうか。節目にあたり、もう一度自分自身が為すべきことを振り返り、実行に移していきましょう。

【今月の言葉】
戦いで百万の敵に勝つよりも ひとりの自己に克つひとが まことの最上の勝利者よ。
『ダンマパダ』

 日常生活において、勉強やクラブ活動などで自分との戦いを試される場面はたくさんあると思います。そのなかで、つい人と比べて優越感や劣等感を感じて、喜んだり悩んだりしているのが私たちなのかも知れません。
 しかし、本当に大切なことは、「自分自身に克つ」ことなのだと釈尊は教えます。もちろん、クラスや部活動で互いに刺激し合い高め合うことの出来る仲間の存在も必要であり、大切です。ですが、最後は自分との戦いに尽きるのではないでしょうか。
 最大のライバルは自分の外にあるのではなく、自分自身なのだと改めて教えられる言葉だと思います。何事においても、自分で限界を決めず、向上心を常に持ちながら自分自身を高めていきたいですね。今月の言葉で述べられている釈尊のお言葉を日常の教訓としながら過ごしていきましょう。

6月御命日法要 2024年06月18日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 カエルの大合唱が聞こえる時期がきた。近所を歩くと、田植えも終わり、雨も降って絶好の居場所がしつらえられた、と喜びの声をあげているようだ。しかし、少し歩くと様子は一変してくる。田は宅地に変貌し、住宅が建築中だ。こうして田がなくなっているのは、私の近所だけの話ではない。カエルの立場からすると、すみかが狭められ、生きづらくなっている。ひょっとして、カエルの鳴き声は喜びの声ではなく悲鳴かもしれない。カエルたちを追い込んでいるのは、ほかならぬ我々人間である。人間に潜むおごり、たかぶりと無関係ではないように思えてくる。共に生きていこうという優しいこころは微塵も残っていないのではないだろうか。
  ある寺院の掲示板に「頭は低く、目は高く、心は広く」ということばが掲げられていた。私の姿は全くの逆で、「頭は高く、目は低く、心は狭く」ということだと深く思いしらされる。謙虚さということを忘れるべきではないだろう。思いあがるこころは、できるだけ抑えていかねばと思う。頭を低くするということこそが、共生していけるということではないか。そして互いに讃えあうこころを大切に、自と他の距離を小さくし、対話していくことが平和実現への道のりではなかろうか。仏教は、その出発点から平和主義、平等主義を標榜してきた教えである。また、親鸞聖人も「世のなか安穏(あんのん)なれ、仏法ひろまれ」とおっしゃる。争いのない世界が実現することを願うばかりである。

「2024(令和 6)年 6 月 1 日(土曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


6 月御命日法要
○ 日時 6 月 18 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 渡辺雅俊 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2024(令和6)年6月 今月の聖語・言葉について 2024年06月01日(土)09時00分

今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示

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【今月の聖語】
あたかも一つの岩の塊(かたま)りが風に揺(ゆる)がないように、賢者は非難と称賛とに動じない。 『ウダーナヴァルガ』

 「賢者」とは、何事にも動じないで、心が乱れない人のことです。他人から非難されることは、誰にとっても不愉快なことであり、なかなか動じずにはいられません。そのことをひどく気にして、落ち込んでしまいます。逆に、他人から称賛される(褒められる)と嬉しいものです。ちょっと褒められただけで、人はすぐ有頂天になります。
お釈迦さまのように優れた方であっても、当時はさまざまな人から非難され、ときには中傷や迫害を受けました。しかし、お釈迦さまはそれらに対して、一切弁解しませんでした。仏教には「忍辱(にんにく)」という言葉があり、こうした非難などに耐え忍ぶことを教えています。どれだけ非難や称賛という強い風を受けたとしても、私たちも一つの岩の塊りのように動じず、じっと耐えて冷静に対処できるように心がけたいものです。


【今月の言葉】
あたかも、母が己の独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。 『スッタニパータ』

 いよいよ六月に入り、梅雨の時期がやってきました。日本ではだいたい一ヶ月ほど続きますが、インドでは雨期が三、四ヶ月も続くそうです。お釈迦様は、雨期に芽生える草木を枯らしたり、繁殖する虫に対して殺生(せっしょう)することを防ぐため、外での修行を禁じて一ヵ所に定住するよう勧められました。そして、母親がわが子を命がけで護るように、一切の動植物のいのちに対しても、はかりしれない慈しみのこころを持つように言われています。私たちの日常で考えてみると、ついつい虫を殺したり、花を枯らしてしまったという経験があると思います。お釈迦様のように、全ての生き物に慈しみのこころを持つことは簡単なことではないかもしれません。ですが、少しでも意識して思いやりのこころがあれば、この無量の慈しみのこころを起こすことはできるのではないでしょうか。

令和6年度 宗祖降誕会・開校記念式 2024年05月21日(火)15時16分

 本日は10時より本校講堂にて、宗祖降誕会・開校記念式を勤めました。高校1年生のみ宗祖降誕奉讃法要(音楽法要)のため、本山参拝しました。

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 本校の宗祖降誕会では、本願寺派布教使の若林唯人先生のご法話をいただきました。若林先生は30歳ぐらいのとき、各宗派のお坊さんたちと、2か月に1回『フリースタイルな僧侶たち』というフリーペーパーを発行されていた方で、毎回1万5千部を全国のカフェや本屋、お寺に置かせていただき、日頃は原稿に赤を入れるなど、当時は原稿の編集に明け暮れたそうです。

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 若林先生はご法話の中で、親鸞聖人が「私が阿弥陀様のお名前をよぶ声であると同時に、阿弥陀さまが私たちによびかけてくださる声である」と教えてくださり、端的に言うと、「私にまかせよ、そのまま救う」とよびかけてくださっているとお話されました。この「そのまま」という言葉は、私が引き受けたということを表す言葉です。そのたとえとして、若林先生が夜遅く帰ってこられた際、家のことを1日やって疲れ、ソファーで寝ておられた奥様が洗い物をそのままにしていました。そんな奥様に対して、「寝ていいから、食器はそのまま置いといて」と一言告げられ、それを聞いた奥様は就寝されました。その後に「翌朝になって、もし食器がシンクにそのままだったなら、妻からしばらく口をきいてもらえなっただろう」と添えました。「そのまま」という言葉には、「食器を洗うのは、私が引き受ける」という意味が含まれており、そこには行動が伴うのです。
  さて、阿弥陀さまは、私たちのことを川で溺れているような存在だと思われています。溺れている人に今更泳ぎ方を教えても、岸までたどり着けるそんな能力はありません。岸の上で見守っている人は、その溺れている人をほってはおけないと、溺れている人のもとまで近づいてそのまま抱きかかえ、安全な岸の上まで苦しむ人を抱え上げます。「われにまかせよ、そのまま救う」と仰る阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」というお念仏となり、私の口からこぼれ出てできます。若林先生は、「口からこぼれ出るということは、南無阿弥陀仏が私に至りとどいている証拠なのだ」と仰いました。その阿弥陀さまの「よび声」を親鸞聖人は喜ばれたのです。
 この度の宗祖降誕会のご法話を通して、生徒たちにあらためてお念仏を聞かせていただくことを大切にしてほしいです。

開校記念講演 2024年05月14日(火)17時07分

本日は開校記念講演ということで、本校卒業生であるガンプ鈴木氏が来校されました。ガンプ鈴木氏は世界中の人たちとの交流を目的に、人力車で世界一周を目指している方です。
13時半より講堂でドキュメンタリー映画が上映され、引き続いて講演会がありました。

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生徒たちは映画や講演を聞き、ガンプ鈴木氏から「何事にも諦めずにやり続けることが大事」ということを学びました。

5月御命日法要 2024年05月14日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 「横顔のことば」というエッセーに出会った。人の横顔を見るのが好きだという。エッセーに影響されて、人の横顔を見てみると、正面から見るいつもの表情とは違って見える。また、見えなかったものが、少し角度を変えただけで浮かび上がるように視界に入ってくることがある。昔、国宝第 1 号に指定された広隆寺の弥勒菩薩を拝見したとき、気がつくと横から眺める位置に立っていたことを思い出した。そのしなやかな線と柔和な美しさに感動を覚えたものだ。私たちは常に正面から物を見ようとする習慣に生きている。自然なことかもしれないが、横から、そして角度を変えてみることは、ただ平面的な評価ではなく、奥深くその人を見ていくことになるように思う。すっかり定着したオンライン会議。そこには正面の顔ばかりで横顔がない。それは不自然だとそのエッセイストは言う。そして、ことば自体が変質してしまうことが大きいとも。オンライン式では 1 人ずつ順番に話すので、いきおい「正面のことば」になってしまうのに対し、対面式では、まわりから小さく聞こえる声もとりあげることができる。「正面切ったことば」「 俯(うつむ)きがちなことば」「横顔のことば」などがあると言う。ことばにも表情があるようだ。哲学者・大峯顕氏は、生きたことばには匂いや響きがあると言われていた。浄土真宗は聴聞、きくということを大切にする宗教である。ことばの表情、そして匂いや響きを聞いていきたい。
「2024(令和 6)年 5 月 1 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


5 月 御命日法要
○ 日時 5 月 14 日(火)16 時~ ※防災訓練後
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
※当日は諸行事のため、勤行(おつとめ)のみ。

2024(令和6)年5月 今月の聖語・言葉について 2024年05月01日(水)09時00分

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今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示

【今月の聖語】
 親鸞は弟子一人ももたずそうろう  『歎異抄』
 
 『歎異抄』は唯円が書いたものとされています。唯円は親鸞聖人の弟子の一人で、聖人にはその他にもたくさんの弟子がいたと伝えられています。
 ところが親鸞聖人は、今月の聖語を仰います。「自分に弟子は一人もいない」と。その理由は、仏さまの前では師も弟子もなく、誰もが同じ念仏の道を歩んでいるからです。
 私たちは社会の中で様々な立場を与えられます。例えば、学校ではクラス役員・クラブのキャプテン・先輩後輩などです。ときには人の上に立ったり、指導する立場になることもあるでしょう。しかし広い視点で見れば、皆同じ道を歩む仲間です。
 傲慢(ごうまん)になることなく、人とのご縁を大切にしたいものです。

【今月の言葉】
今を生きて咲き今を生きて散る花たち
今を忘れて生き今を忘れて過ごす人間たち
                         坂村真民

 今月の言葉は「今というじかんの大切さ」を示しています。
 さて筆者の庭には四月の中旬頃から椿(つばき)の花が咲いていました。毎年この季節になると、たくさんの大きな花を咲かせたかと思うと、また二週間ほどでその花を地面にぽとぽとと落として散っていくのです。
 眺めていてきれいだなと思う反面、すぐに散っていくので寂しさも感じます。同時に、「すべてのものは移ろいゆく」というお釈迦さまの諸行(しょぎょう)無常(むじょう)の理(ことわり)を思うと、椿だけに限ったわけではないことに気づかされます。老・病・死は、人間も含めたすべての生きとし生けるものに訪れるのです。
 しかし翻(ひるがえ)って私たちの「今」を考えてみるといかがでしょうか。無常の道理を頭でわかっていても、今を漫然と過ごしてしまうことがあるかもしれません。今月の言葉は私たちに厳しく問いかけているのではないでしょうか。
 本当に今、大切にすべきことは何か、と。

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