HEIAN BLOG 宗教教育 BLOG

記事一覧

令和4年度 花まつり 2022年05月07日(土)16時00分

今日は花まつりを講堂でお勤めし、今年度は生徒全員が講堂に入りました。花まつりは、仏教をお開きになられたお釈迦さまの誕生をお祝いする行事です。

ファイル 505-1.jpg ファイル 505-2.jpg 

まず、10時から中学と高1学年の部でした。そして、浄土真宗本願寺派布教使の藤澤彰祐先生のご法話をいただきました。藤澤先生は、お釈迦さまがお生まれになった時、むくっと置き上がって七歩あゆんで「天上天下唯我独尊」とおっしゃったという誕生話をされました。この言葉をお釈迦さまがおっしゃったのは本当であり、天の上にもこの大地の上にも、私にとって代わるいのちはないんだ。私はかけがえのないいのちを生きている。私はたった一人の存在、尊いいのちを生きているんだとおっしゃったのです。「かけがえがない」とは、かけかえることができないということです。制服のボタンをかけ間違えることがありますが、それはかけがえがきくということです。「かけがえがない」ということは、交換や代用することができないということです。
また、阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」の仏さまとなって、あなたのたった一つのかけがえのないいのちの価値を見抜き、自分で自分のいのちの尊さに気づけないあなたに、私がそのいのちの尊さを教えようとされています。阿弥陀さまは「天上天下唯汝(ゆいじょ)独尊」と言うてくださり、この汝とは「あなた」という意味です。

ところで、藤澤先生は中学校に入学して環境が変わり、友達が離れて孤立されたそうです。その時とてもしんどい思いをされましたが、担任の先生がそのことに気づき、自分のことを見てくれていた(知ってくれていた)人がいたことに安心されました。阿弥陀さまも私のことを全部見抜き知ってくださっている。藤澤先生は聴いている生徒たちに「みなさんはその大きな力強い教えに出遇われ、いまは有り難いなぁと思えないかもしれないが、いつかふと有難いなぁと思えることがくると思います」と、その思いを伝えられました。

続いて高2・3年の部では、浄土真宗のお念仏とは何かをお話されました。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀さまの正式なお名前であり、阿弥陀さまのお名前をよびながら阿弥陀さまの存在を確かめるということです。藤澤先生は在家の方(お寺の出身ではない人)と結婚される際、お義父さんから「結婚するということは、もうあんたは息子や」と言われて嬉しかったそうです。そのお義父さんに対して、何かをアピールすることもなく、今までしてきた悪事を懺悔(ざんげ)することこともない。ただただ「お義父さん」と呼べばいい。阿弥陀さまに対しても同じことで、私たちは何かをアピールする必要もなく、「南無阿弥陀仏」とお名前をよばせていただきながら、阿弥陀様を確認させていただくのです。これが浄土真宗のお念仏というものだと、藤澤先生はおっしゃいました。

また、藤澤先生は「大丈夫」という仏教用語を紹介されました。「大丈夫」とは『涅槃経』というお経に出てくる言葉で、大いなる丈夫なお方、つまり仏さまのことをいいます。藤澤先生の娘さんが歩けるようになってすぐの頃、よくこけて泣いていました。両親が「大丈夫、大丈夫」と声をかけたところ、娘さんは起き上がり、自分で自分の肩をトントンして泣き止んだそうです。それは親の存在を確かめているしぐさであり、父である藤澤先生はその姿を見て「南無阿弥陀仏というのはこういうことなんだな」と思われました。私たちが「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すのも同じであり、決して倒れることのない大いなる丈夫な阿弥陀さまが、あなたは大事な存在であるということを私に知らせてくださっている。私たちに「大丈夫」の安心を与えてくださっているのが阿弥陀さまなのです。今日のご法話を聴いて、あらためてお念仏を申したいものです。

2022(令和4)年5月 今月の聖語・言葉について 2022年05月01日(日)09時00分

ファイル 504-1.jpegファイル 504-2.jpg

今月の聖語・言葉を紹介します。
今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
田畠は雑草によって荒れ ひとは貪欲によってすさむ 『法句経』

 十年ひと昔とよく言われます。十年ほど前には「電話を携帯できる」だけでも十分魅力的だった携帯電話は今や、ますます高性能になり、カメラ、テレビ、インターネット、オーディオプレーヤー、ゲームなども携帯できるようになり、スマートフォンと呼ばれるようになりました。めざましい科学技術の発展に驚くばかりです。
 ですがこれは、時と場所を選ばずに自分の欲求を満たせるようにしたいという人間の欲望がなせるわざといえるかもしれません。大人も子供もついつい時間を忘れて楽しい機能に心を奪われてしまいます。勉強、家族との会話、将来のことを考える大切な時間を一時の享楽のために浪費しかねません。
 さて、田畑はほっておくと、雑草は次々と生い茂り、土壌は荒れ、作物は実りません。同様に、我々の心もほっておくと、「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい」というむさぼりの心が次々と起こり、コントロールできない「すさんだ」状態になりかねません。
 携帯に夢中になっているそこのあなた、こんな釈尊の忠告も携帯してくださいね。

【今月の言葉】
再び通らぬ 一度きりの尊い道を いま歩いている 榎本栄一

「勉強が大変」「友達とうまくいかない」「クラブで結果がでない…」
毎日が楽しく充実することもあれば、そうでない時もあるかもしれません。何をやってもダメ、むしろやる前から悪いイメージばかり。がんばらねばとはおもうが、どこか空元気(からげんき)。
そんなあなた、心配しなくても大丈夫。家族、先生、友人、クラス メートはあなたのそばにいてくれます。失敗しても、大変なときでも、つらいときでも、知らないところでたくさんの人々に支えられているのです。そして仏さまにも・・・。
みんなに支えられている道だからこそ「尊い」のです。しかも、その道は「一度きり」ゆえ、なお尊いといえるのです。
そのような「一度きりの尊い道をいま歩いている」。そう思えるところに、どんな失敗も困難も引き受けていける力強さをたまわることができるのではないでしょうか。

2022(令和3)年4月 御命日法要について 2022年04月19日(火)09時00分

私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

「あなたは何のために生まれてきたか」。仏教では人生を四苦といい、生、老、病、死が苦しみと説く。生まれることもその中にある。生があるから老、病、死があり、生と死は切り離すことはできない。だから、生も苦しみの範疇(はんちゅう)に入る。ある人が「死が怖いのではない。むなしく終わるのがさびしいのだ」と言った。毎日同じことをくり返して終わるなら、むなしさが残るという人もあろう。全て順調でも、むなしさというすき間風を感じるという人も。そして、常に比較の中で生き、時に満足しながらも、最後はむなしく終わってしまうのではないかと不安になる。そう考えると、生きていること自体がむなしいことに思えてくる。むなしさに終わらない人生の歩みを教え示してくださっているのが釈尊であり、親鸞聖人である。うららかな陽春、花まつりの季節である。釈尊は誕生されて「天上天下唯我独尊」と声をあげられたという。これは、この苦しみの世界から安穏な世界に至る道があることを示されていることばである。親鸞聖人も「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき」とおっしゃる。聖人のご誕生 850 年の法要も近づく。何のために生まれてきたのか、どういう生き方をしているのか、経教(きょうきょう)という鏡に映してみたい。浄土真宗で一番大事なことは、ご本願を聞くということである。それは、自己自身の姿が知らされるということであり、生きることの意味、死の意味が知らされるということでもある。

「2022(令和4)年 4 月 1 日(金曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

4月 御命日法要
○ 日時 4 月 19 日(火)16 時~
○ 場所 ※講堂
○ 法話 勤行(讃仏偈)のみ

2022(令和4)年4月 今月の聖語・言葉について 2022年04月01日(金)12時00分

ファイル 502-1.jpg

今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光  『仏説阿弥陀経』

 今月の聖語は、『仏説阿弥陀経』というお経に説かれている言葉です。浄土というさとりの世界に咲く蓮の花を示した内容で、「池の中の蓮華といえば、その大きさはまるで車輪のようで、青い花からは青い光、黄色の花からは黄色の光、赤い花からは赤い光、白い花からは白い光が放たれ、それぞれが神秘的で香ばしく咲いています」と述べられています。これはすべてのものが、それぞれの色に光り輝いていることを表しています。みなさんもすでに目にしたことがあるかもしれませんが、金子みすずさんの「わたしと小鳥とすずと」という詩にも「みんなちがってみんないい」と述べられています。
 これらの言葉から、私たちも人それぞれ異なる個性を持っており、それぞれが光り輝く存在だと改めて気付かされると思います。新年度を迎え、新しい環境での学校生活がスタートします。クラスでも新たな人との出会いがあることでしょう。今月の聖語に示されるように、人それぞれ異なる個性を互いに認め合い、受け入れ合い、自他共に輝いていけるような関係を築いていきたいですね。

【今月の言葉】
人間で大事なのは心であり、言葉はその心の生の声  山本空外

 ある詩の一部を紹介します。
  「心」は誰にも見えないけれど、「心づかい」は見える。
  「思い」は見えないけれど、「思いやり」は誰にでも見える。
これは宮澤章二という詩人が書かれたものです。今から十一年前、東日本大震災後にテレビで流れていた公共広告機構のCMで紹介されていました。
 確かに心は目に見えません。大事なものだとわかっていてもコロコロと変化するもので、なかなか掴みどころがありません。ただ、今月の言葉では「言葉」で、紹介した宮澤章二さんの詩では「心づかい」や「思いやり」という行為に心のあり様が表れてくることが述べられています。
 日々の学校生活の中でも自分の言葉と行為、そして心と向き合って過ごしてください。平安では「三つの大切」の一つに「言葉を大切に」を掲げています。言葉を大切にすることは、あなた自身の心を整えることにもつながるでしょう。日常のふとしたときに自分自身を振り返ってみてください。

2022(令和3)年3月 御命日法要について 2022年03月16日(水)09時00分

ファイル 501-1.pdf

私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 朝夕必ずお仏壇にお参りをしているという友人(僧侶ではない)の家を訪ねた時だった。「お仏壇は亡き母が求めたもので、正信偈などのおつとめを私につないでくれたのは、母の朝夕の『さあ、まいるで』の言葉だった」と話してくれた。その彼が今は娘と孫にそれをつないでいる。「形は心をつくり、心は形をあらわす」ということばが浮かんだ。衣服を整えれば心もそれに伴う。また、敬う心があれば、ことばや態度にあらわれる。それなのに、形と心を分離させて、心こそ大事だからと形を無視したり、逆に心よりも形を重んずべきということがある。これは、物を一つの方向からのみで見ようとすることに似ている。
 仏典に、仏弟子の舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)が過去世に絵師だった頃、宮殿で絵を描いたという話がある。出来栄えを見にきた王さまが、舎利弗のほうの壁に一筆も描かれていないことに機嫌を悪くした。しかし、2、3歩下がって見てくださいという声に従い、下がって見てみると、何とも言えない趣きの絵が王さまの目に入ってきた、というのである。少し角度を変えただけで見えるものが大きく違ってくるのである。一つの方向からのみで判断したり、評価すべきではないということだ。形も心も、どちらも大切に扱わなければならない。形あっての心、心あっての形ということである。友人の姿を見て、母からのお仏壇を通して、母の心が彼に伝わっていると感じた。形と心を次の世代に伝える友人に頭が下がった。

「2022(令和 4)年 3 月 1 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

3月 御命日法要
○ 日時 3 月 16 日(水)16 時 00 分~
○ 場所 ※講堂(密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ


◆2022 年(令和 4 年)3 月 1 日発行『本願寺新報』の第1面には、「つながりを深めたい」と題して
「ハワイ開教区『3C 目指し新聞創刊』」の記事が掲載されていましたのでご紹介いたします。あわせて、開教区紙「KaLeoKāhea(カレカーヘア)」を添付いたします。ハワイ開教区(松本エリック開教総長)は昨年 11 月、開教区紙「KaLeoKāhea」を創刊、アメリカ・ハワイ州にある全 33 寺院のメンバー(門信徒)に配布した。今後は年 4 回発行していく。タイトルはハワイ語、英訳すると「The Calling Voice」。同開教区の玉本ウォーレン理事長は「阿
弥陀さまのよび声という意味合い。新聞を通してハワイ教団とメンバー1 人 1 人とのつながりが深まり、み教えが広まることを願って」と話す。紙面はアメリカの一般紙と同サイズ(約 54 ㌢×約 28 ㌢)で 8 ページ建て。創刊号には、松本開教総長、玉本理事長の挨拶、仏教青年会活動、仏教婦人会の交換学生プログラム、マカワオ本願寺の盆踊りでメンバーが寺院活動費のために行う食事販売、宗門校の高校(パシフィック・ブディスト・アカデミー)の紹介など、メンバーに開教本部や各地の寺院のさまざまな取り組みを知ってもらおうと、盛りだくさんの内容を掲載する 発刊のきっかけは 2019 年、当時の当山パイパー理事長が退任前、「今日のハワイ開教区があるのは、先人のご苦労のおかげ。仏法が生活に溶け込み、お念仏を喜んだ先人のように、今のメンバーも自覚を持ち、寺院のサポートを継続してほしい。そのために、自分のお寺だけでなく、ほかのお寺のことも知ってもらうことが大切。情報交換は開教区の活性化につながる」と、松本開教総長に広報誌の発刊を要望した。この思いを引き継いだ玉本理事長は、松本開教総長を編集長に、開教使、メンバーとともに 6 人で構成する編集委員会を立ち上げた。メンバー向けの開教区報を発行する北米開教区から、情報の集め方や紙面の作り方などを学び、何度も編集会議を重ね、創刊にこぎ着けた。松本開教総長は「新聞の目的は 3 つの〝C〟にある。Communication(コミュニケーション)〔対話〕、Connection(コネクション)〔つながり〕、Compassion(コンパッション)〔慈悲〕で、開教区全体のコミュニケーションの向上と、一つの組織としてお互いにつながりあっているという一体感、そして、新聞を通して阿弥陀さまのお慈悲を感じてもらいたい」と期待を込める。

「2022(令和 4)年 3 月 1 日(火曜日)本願寺新報より」


※ Pacific Buddhist Academy(PBA)と平安学園(現学校法人龍谷大学)の間において、2005(平成 17)年 5 月 19 日に『交流プログラムに関する覚書』が交わされている。
・親鸞聖人の教えを共有する Pacific Buddhist Academy 及び平安学園が、その建学の精神に基づいて生徒の交換留学に尽力することとし、(中略)それぞれの社会や文化の違いを超えて、相互理解を深め、浄土真宗の精神に基づき世界平和に貢献できる青年を育成することを目的とする。*1.基本構想より抜粋
・(前略)語学研修を積極的に進め、生徒はもちろん、教職員・保護者の相互交流を深める、(以下省略)*2.両校及び宗門の役割より抜粋

「Pacific Buddhist Academy and Heian High School Exchange Program-Agreement」
より

2022(令和4)年3月 今月の聖語・言葉について 2022年03月01日(火)12時00分

ファイル 500-1.jpgファイル 500-2.jpg

今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
つくべき縁あればともない はなるべき縁があればはなる  『歎異抄』    

 『歎異抄』という書物の中で、親鸞聖人は人の縁について語られています。私たちは、この聖語のように条件が整えば一緒になり、離れなければならない縁が整えば離れてしまうのです。学校生活で考えてみると、この縁によって、先生と生徒の関係にはじまり、クラスの友人同士やクラブの先輩・後輩と関係が成り立っています。これは人と人との関係に限ったことではなく、今の私はさまざまなつながりの中にいます。これを仏教では「縁起」と呼んでいます。この聖語から、私たちは出会いと別れの縁の中にいることに気づかされます。
  さて、いよいよ3月に入りました。3月は卒業シーズンでもあります。ちょうど3月1日に、高三生が卒業の日を迎えました。在校生である皆さんの中には、クラブなどでお世話になった先輩たちが卒業し、とても寂しい思いをしている人もいるでしょう。今は携帯のある時代ですから、お互いに連絡を取り合ったり、これからも会おうと思えば会えます。しかし、本校で一緒に学校生活を送ることはもうできません。そう考えると、縁のあるときはとても貴重な時間でもあり、一つひとつの縁を大切にせずにはおれません。

【今月の言葉】
みんなちがって みんないい 金子みすゞ

  今月の言葉は、童話詩人の金子みすゞさんの詩「私と小鳥と鈴と」に出てくる一節です。この詩の中に登場するのは、空を飛ぶことができる「鳥」と、きれいな音を出す「鈴」、そしてみすゞさん本人です。みすゞさんは「鳥」や「鈴」のようなことはできないけれど、「私」は「鳥」よりも地面を速く走り、「鈴」よりもたくさんのうたを知っている。そのことに対して、、「みんなちがって、みんないい」と言っています。私たちは、いつも誰かと比べて生活していないでしょうか。あの人にはできるのに、私にはできないと悲観することさえあります。「私と小鳥と鈴と」の詩には、それぞれできること、できないことがあるけれども、それらに対して優劣をつけるという見方はありません。
  ところで、『阿弥陀経』という経典の中に、「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光」という句があります。青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放っているということです。それぞれの色が個性を持ち、力いっぱい咲くことで、一つに調和していくのです。これについては、みなさんの各クラスでイメージすると理解しやすいと思います。それぞれが個性を持ち、それを認め合うことが大切なのだということを、今月の言葉から考えてみましょう。

宗教教育係

2022(令和3)年2月 御命日法要について 2022年02月15日(火)09時00分

ファイル 499-1.pdf

私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

新型コロナウイルス感染症が世界的に広がり始めてから2年が過ぎた。新たな変異株の出現などもあり、いまだ収束の気配はない。先月営まれた本山の御正忌報恩講は、参拝人数を制限して指定席にし、通夜布教は録画配信にするなど対応に追われた。マスク姿で参拝された門信徒の方々とともに親鸞聖人のご遺徳を偲
しのんだ。この2年、経済的にも大きな影響を受け続けている。ある民間会社の調査では、新型コロナが原因で倒産した法人・個人事業主は全国で 2730 件(1 月 28 日現在)にのぼるそうだ。業種別に見るとやはり飲食関係が多く、飲食店が最多の 453 件、食品卸(おろし)は3番目に多い 141件だった。こうした社会に少しでも役立とうと活動する若者たちに出会った。売り上げの落ちた飲食店の支援に取り組む宗門校・龍谷大学の学生である。新型コロナの影響でリモート講義が増え、キャンパスに人の姿が消えた影響で収入が激減した近隣のパン店。その店に日頃の恩返しをと、対面授業再開後、キャンパス内での出張販売の協力を申し出た。学生は1回目の出張販売後に、お店の方から『売れてよかったよ。ありがとう』と声をかけられた。とてもうれしかった。やってよかった」と話した。学生が日頃から受けていた恩を知り、感謝の行動に移した姿に学びたい。今の社会には、感謝の心で過ごすことが大事だと深く感じた。そのためには、まず自分が恩を受けていることを知るのが第一歩。

「2022(令和 4)年 2 月 10 日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

2月 御命日法要
○ 日時 2 月 15 日(火)16 時 00 分~
○ 場所 ※講堂(密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

オンライン涅槃会 2022年02月08日(火)16時00分

 本日は、本校の礼拝堂で涅槃会を勤修しました。そして、昨年と同じくオンラインとなりました。

ファイル 498-1.jpg

 この度のご講師は、浄土真宗本願寺派布教使の朝山大俊先生です。朝山先生は本校の卒業生でもあり、貴重なご法話をいただきました。

ファイル 498-2.jpg

 最初に、朝山先生は「仏さまに手を合わすのはどういう意味か」ということについてお話されました。仏さまに手を合わせて頭を下げる(合掌・礼拝)のは、仏さまのことを尊敬する、あるいは仏さまを人生におけるよりどころにするという意味です。そして、仏さまの姿かたちに現れ出たお心こそ、人生におけるよりどころとしていきますということを表すために頭を下げるのです。そして、その仏さまのお心が言葉になって説かれたのが、お経です。

  天親菩薩が「お経とは何なのか」ということについて、「最清浄法界等流」と示されています。最も清らかなる世界から等しく流れ出たものがお経であり、仏さまのお悟りの心そのものが言葉となって現れ出ているということです。『仏説観無量寿経』の中に、「仏さまの心とは、大慈悲これなり」と説かれているように、その心とは「大慈悲心」です。「大」とは、分け隔てがないということです。「慈悲」とは、他の者の幸せを自らの幸せとし、他の者の悲しみや苦しみを自らの悲しみや苦しみとして引き受けていくということです。つまり、あらゆるいのちの幸せが私の幸せであると受け止め、あらゆるいのちの悲しみや苦しみが私の悲しみや苦しみとして引き受けるという心を「大慈悲心」というのです。

 朝山先生はその後に、「人の幸せは嬉しいですか。悲しんでいる人や苦しんでいる人がいたら、かわいそうやなぁと思っても、代わってあげたいとは思わないのではないですか」と、投げかけられました。私たちは他人の幸せよりも自分の幸せを考えてしまいがちです。他人のことを考えられるのは心に余裕があるときであり、心に余裕がなくなると自分の幸せが一番だと思ってしまう。それが私たちの本性であると指摘されました。
 
 さらに、「自分さえよければいいという心を持ちながら、仏さまを拝む身になれたことはすごいことです。お釈迦さまがお出ましにならなければ、あり得なかったことです」とおっしゃいました。私たちが仏さまを拝む身になったということは、尊いものが何なのかを知らされた姿です。尊いものが知らされたら、尊くないものがわかる。尊いものが仏さまのお心である「大慈悲心」だとしたら、尊くないものはその反対の心、つまり自分さえよければよいということです。つまり、「それはよくないことなんだな、恥ずかしいことなんだな」ということに気づかされるということが、尊いことが知らされるということなのです。

  今日の朝山先生のご法話に聴聞し、仏さまに手を合わせつつ、そうならないように意識していきたいものです。

2022(令和4)年2月 今月の聖語・言葉について 2022年02月01日(火)09時00分

ファイル 497-1.jpegファイル 497-2.jpeg

今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
足ることを知らない者は富んでいても貧しい 『遺教経』

 筆者が小学生の時、スーパーファミコンというゲーム機が発売されました。欲しくて仕方がなかったですが、お小遣いでは買えません。親に買って貰えたとき、天にも昇る気持ちでした。
 ですが、しばらくすると他のゲームソフトが欲しくなってきます。学校の休み時間、友達から「新しいゲームソフトが出た」と聞きまた欲しくなる。が、一つ数千円ほどの値段は小学生には簡単に手が届かない。欲しいけど買えない。その繰り返しで、最初はゲーム機を買えただけで満足だったのに、いつの間にか不満だらけです。
 欲しいものが手に入っても、また欲しいものが出てくる。ものだけではない、地位も名誉も。「足ることを知らない」とはこのようなことです。いつまでも満たされないのですから、精神的には貧しいのです。それを釈尊は「富んでいても貧しい」と仰(おっしゃ)っています。
 もちろんお正月のお年玉はうれしいですが、額(がく)の多少に関わらず思い出して下さい。「足ることを知った」時、よろこびはひとしおだということを・・・。

【今月の言葉】
仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。 『蓮如上人御一代記聞書』
 
 「明日があるさ明日がある♪」
 坂本九さんが歌った八十年代の名曲です。今でもCMで、耳にすることがあります。
 さて、予習復習、家の手伝いなど、今日中にすべきことがあっても、スマホ・ゲーム・テレビの誘惑に負けて、「明日があるさ」と後回しにしてしまうことはありませんか。楽観的になることも必要な時もありますが、目先の享楽(きょうらく)に心を奪われ、大事なことを見失うのは要注意。
蓮如上人は「仏法については、明日ということがあってはならない」と、おっしゃられています。人間のいのちは、はかないもので、明日はどうなるかわかりません。にもかかわらず、時間に追われた生活の中では、仏法を聞くということも、おろそかになってしまいがちです。
 今月の言葉は、本当に大切にすべきことをついつい後回しにしてしまう我々の姿を言い当てられ、忠告されているのです。

令和3年度 報恩講 2022年01月13日(木)11時14分

本日は本校において、報恩講をお勤めしました。報恩講とは、親鸞聖人のご命日をご縁として、親鸞聖人のご恩に報いる集まりであり、浄土真宗では最も大切な法要です。また、親鸞聖人を通して私たちが阿弥陀さまに出遇わせていただいたということを喜ばせていただく御縁でもあります。

ファイル 496-1.jpg

この度のご講師は、本願寺派布教使の鴬地清登先生でした。鴬地先生は、親鸞聖人が「阿弥陀さまと出遇うときには、阿弥陀さまのお心を聞かせていただくことです。そして、南無阿弥陀仏というお念仏は、阿弥陀さまが私たちを喚(よ)んでくださっている声です」と教えてくださっていることをお話されました。どのように喚(よ)んでくださっているのかと言えば、「あなたのいのちを決して空しくは終わらせない」ということです。私たちが「無駄だ、無意味だ」と思うことであっても、阿弥陀さまから見れば、それは人生において尊いことであり、何一つ無駄なことではないということです。

ファイル 496-2.jpg

鴬地先生は、親鸞聖人の比叡山での修行について話された後、ご自身のことを紹介されました。元々在家のご出身で、同志社大学法学部で法律を学ばれ、20歳から29歳までの9年間、司法試験を受け続けたそうです。当時の受験者数は8~9千人が受け、合格するのは2千人。受け続けることでどんどん自分の世界にとわれ、自分よりも上位の受験者に対して劣等感を持ち、また下位の受験生に対しては優越感を持たれた鴬地先生。また、今までの時間が無駄だと感じられました。後に僧侶へ転身後、「人と比べて喜んだら相手が傷つく、人と比べて悲しんだら自分に傷つく」という言葉に出遇われます。ご法話を含めて、本日の行事を通じて、あらためて阿弥陀さまのお心を聞かせていただく御縁となれば幸いです。

ページ移動