HEIAN BLOG 宗教教育 BLOG

記事一覧

2022(令和4)年1月 今月の聖語・言葉について 2022年01月01日(土)09時00分

ファイル 495-1.jpgファイル 495-2.jpg

今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
善き人々は 遠くにいても輝く ‐雪を頂く高山のように  『ダンマパダ』

 釈尊が述べられるように、善き人は遠くにいても輝いているように思います。ここでいう「善き人」とは仏教的な意味では、仏教が目指すべき煩悩を離れた「真理(さとり)に達した人」を指します。このような人を釈尊は雪山に譬え輝いていると讃えておられます。
 この言葉を広く日常生活に置き換えて考えてみると、例えば「何事も一生懸命に取り組む人」、「仲間を大切にする人」、「部活動において凄い技術を持っている人」などが「善き人」に当てはまるのではないでしょうか。そして、それらの「善き人」は自分自身にとって、仮に学校やクラス、部活は違ったとしても、キラキラと輝いて見えるのではないでしょうか。
 仏教の教えを学ぶなかで、釈尊が説く「善き人」という意味を味わい、今年も自分自身と深く向き合いながら日々の学校生活を送っていきましょう。

【今月の言葉】
今を生きて咲き 今を生きて散る 花たち 
今を忘れて生き 今を忘れて過ごす 人間たち  坂村真民

 花壇や道端に咲いている花を見てあなたは何を感じるでしょうか。坂村さんは、その花と自分自身の姿を重ねたのでしょう。この詩には続きがあります。「ああ花に恥し 心いたむ日々」と締め括られています。
 日々の生活の中で、つい忘れがちになってしまいますが、「今」という時間を大切にし、道端の花が美しく彩るように、私たちも自分という花を精一杯咲かせていきたいものです。ふと花を見たとき、「今を忘れて生きていないか、過ごしていないか」と思い出してください。
 新しい年(2022年)がスタートしました。改めて時間の早さと「無常」を感じます。何事においても節目の時期は大切なものです。平安の「三つの大切」の一つでもある「時間」を改めて心に留め、勉強や部活動など、それぞれの目標に向けて、「今」を忘れず、日々精進していきましょう。

親鸞聖人御誕生850 年・立教開宗 800 年慶讃法要 プロモーション動画の配信について 2021年12月15日(水)13時00分

このたび、2023(令和5)年にお迎えいたします親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要のご修行に向け、プロモーション動画が制作されました。この慶讃法要プロモーション動画は、本校中学3年の生徒にもご協力いただき撮影されたものです。ぜひ、多くのみなさまにご覧いただきますようお願い申し上げます。

浄土真宗本願寺派
「親鸞聖人御誕生 850 年・立教開宗 800 年慶讃法要」プロモーション動画
<収録内容>オープニング
親鸞聖人のご生涯について
立教開宗について
法要の趣旨・期日について
本願寺(文化財)のご紹介と参拝のご案内
エピローグ
愛唱歌「みんな花になれ」のご紹介

https://www.hongwanji.kyoto/info/000933.html

2021(令和3)年12月 御命日法要について 2021年12月14日(火)09時00分

ファイル 493-1.pdf

2021(令和3)年度 御命日法要【12月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

いささか古い話だが、こころに残る話を 3 つばかり。まずはカナダ(カナダ開教区)の僧侶から直接聞いた話。メンバー(門信徒)の家にお参りにいくと、玄関のドアに「犬に注意」と掛けてあった。それが 2 度目にお参りしたときには「人間に注意」に変わっていた。その僧侶は、救いのはたらきを受ける己の姿をあらわす〝機の深信(じんしん)〟を交えながらその話を語ってくださった。この家に住んでいる人はきっと仏法を聞かれる方なのだろう。
次は、新聞紙上での話。やはり外国でのこと。ある動物園で、「世界一怖い動物」という看板が檻(おり)にかけてあった。見にきた人は恐る恐る中をのぞいたが、何もいない。よく見ると近くに鏡が置いてあり、それに自分の顔が映っているのであった。最後はこんな話。今度は日本のこと。これも随分前の話になる。福井の吉崎別院にお参りにいったときだった。かなり人生の経験を積まれた女性が朝食の準備をされている。そこへ若者 2 人がやってきて尋ねている。蓮如上人の伝説にある鬼の面が置いてある所が 2、3 カ所あるが、どれが本物か。その女性は「本物の鬼が見たかったら、そこに鏡がある。それに自分の姿を映してごらん」と言われた。私たちは常日頃から、自分の顔や姿を見るために鏡の前に立っている。しかし、鏡に映る自分を「なんと恐ろしい姿だ」と見ることはないであろう。仏法を聞くということは、鏡に映すように己の本当の姿が知らされていく、ということなのである。
「2021(令和 3)年 12 月 1 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

12月 御命日法要
○ 日時 12月14日(火)16時00分~
○ 場所 ※礼拝堂(中学音楽祭予行で講堂を使用するため礼拝堂にておつとめいたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

令和3年度 成道会 2021年12月07日(火)16時00分

本日は、本校において成道会をお勤めしました。成道会とは、仏教を開かれたお釈迦さまが悟りを開かれた日です。3限目が高3の部で、高3生が後期考査最終日を終えて講堂に集まりました。

ファイル 492-1.jpg

5月の宗祖降誕会から引き続いて、広島の中村啓誠先生よりご法話をいただきました。まず、式次第の冊子に載せていた『ダンマパダ』の御文を挙げられました。

「戦いで百万の敵に勝つよりも ひとりの自己に克つひとが まことの最上の勝利者よ」
『ダンマパダ』

続いて、キアヌ:リーブス主演の映画『リトルブッダ』より、お釈迦さまが悪魔に打ち克った(これを「降魔成道」という)場面を紹介されました。菩提樹の下で瞑想をしていると、お釈迦さまの前にたくさんの軍隊が現れ、一斉に火矢をお釈迦さま目掛けて放ったところ、お釈迦さまの頭の上で花となって舞いました。この軍隊はお釈迦さまの心の中にある怒りの心(正確には「瞋恚」という)であり、お釈迦さまを苦しめている悪魔というのは、そうした煩悩の心であり、まさに「敵は我の中にあり」ということです。その煩悩に打ち克った日が、12月8日なのです。

また、12月8日は「真珠湾攻撃の日」でもあります。日本軍の奇襲攻撃によって大勝利を納めましたが、中村先生は「その日は日本人が負けた日なのです。誰に負けたのかというと、自分の心(アメリカを滅ぼしたいという怒りの心)に負けたのです。アメリカもまた、原爆投下の日(8月6日)に煩悩によって負けたのだと思います」とおっしゃいました。

そして後半では、旧日本銀行広島支店長らが被災者のために業務を再開させ、焼けてしまって預金通帳や印鑑を持たない人たちに対して、求められた分の金額を提供したというお話がありました。その後、預金帳簿を確認したところ、銀行側が余分に出したお金はなく、それは被災者が誰一人「嘘をついて多額な金額を引き出そうとしなかった」ということでした。中村先生はその史実について、「アメリカは原爆で広島の街や人を焼いたかもしれないが、広島の人たちの心に宿っている仏の心までは焼くことができなかった。己の中の煩悩に振り回されないように、仏さまならどう生きていくのかを考えて行動するか。それが真の勝利者だと思う」と、法話を締めくくられました。

ファイル 492-2.jpg

続いて、4限は中学・高1・高2の部でした。高2は講堂、それ以外の学年は各クラスで視聴となりました。お釈迦さまが悟られた「諸行無常(すべてのものは移り変わり、滅びないものはこの世にはない)」についてお話されました。その際、「すべてのことには終わりがあるという考えは、人の気持ちを楽にする。ずっと物事が続いていくと、そのものの魅力は半減する」と述べられました。次に、アップルの創立者である故・スティーブ・ジョブズ氏を紹介されました。ジョブズ氏は17歳の時から、毎朝、鏡を見て「もしも人生最後の日だとしたら、君がやろうとしていることは、本当にやりたいことなのか」と、自分に問いかけていたそうです。「今日が人生最後の日だったら、いのちというのは短いから、だからこそ今私が何をしなければならないのかがはっきりしてくるのだと思います。ずっと生きているのだったら、人生の目的がわからなくなるんだろう」と、中村先生はジョブズ氏から教えられたそうです。今日の成道会は、あらためて「いのちの尊さ」を考える時間となりました。

2021(令和3)年12月 今月の聖語・言葉について 2021年12月02日(木)09時00分

ファイル 491-1.jpgファイル 491-2.jpg

今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
目的を捨てて楽しみばかり向かう人は、やがて正しい道を歩む人を羨(うらや)む。
『ダンマパダ』

 いよいよ今年も残り1ヶ月となりました。12月に入ったことで、来年の抱負などを考えている人もいることでしょう。現在、新型コロナウィルスによる感染者も減少傾向にありますが、海外で感染確認された変異株「オミクロン株」が、日本でも感染が確認されました。再び感染が拡大するのではないかという不安がよぎりますが、やらなければならないことがあれば、感染防止に配慮しながら、目的や目標に向かってやるべきだと思います。
 さて、今月の聖語はお釈迦さまの言葉です。ゴールを目指して道を走っていたのに、つい寄り道をしてしまい、後でちゃんとゴールした人を見て羨む。たとえば、テストで良い点数をとるために勉強していたにも関わらず、休憩のつもりでついテレビを観たり、携帯を長い時間触ってしまったようなものでしょう。その結果、テストで点数が取れず、「あのとき遊んだりせず、もっと勉強しておけばよかった・・・」と後悔し、しっかりと勉強して良い点を取ったクラスメートを見て羨む。
 今月上旬は、高三学年が最後の後期考査、高2学年以下はSUTが実施されます。テスト勉強は大変だと思いますが、今月の聖語のようにならないよう、精一杯頑張りましょう。

【今月の言葉】
一番あてにならぬのはわが心です 武宮 礼一(のりかず) 

 よく「他人(の心)はあてにならない」と言いますが、実は一番あてにならないのは私の心なのかもしれません。私たちは、自分の都合や損得勘定(何が得で、何が損なのか)によって、物事を判断しているのではないでしょうか。たとえば、仲の良い友達であれば、相手のことを好きだという気持ちが強いでしょう。しかし、一旦喧嘩になってしまえば、仲の良い友達であっても、相手を嫌いになってしまうことさえあります。こうしたように、人の心というものは、状況に応じてコロコロ変わってしまうのです。また、私たちには自己中心的な心があり、その心の中には物差しというものがあります。その物差しで、他人や物事を測り、判断したり決めたりしているのです。他人と接する場合、相手にも物差しがあり、その物差しは人によって違うのです。そして、自分の物差しが決して正しいとは限りません。私の心はあてにはならないものであることを、一度見つめ直すことが大切なのだと思います。

宗教教育係

2021(令和3)年11月 御命日法要について 2021年11月16日(火)09時00分

ファイル 490-1.pdf

2021(令和3)年度 御命日法要【11月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

ある結婚式の帰り、ふと「邂逅(かいこう)と別離」ということばが浮かんだ。同時にかなり前の結婚式のことも。挨拶に立った方が、お二人にはこれから別れが始まります、という趣旨の話をされた。こんなところで、とも思ったが、よく考えてみると、出会いがあるということは別れる日の来ることを作っているのだと思えば納得できる。めぐりあうことと離れることは決して別物ではないと思えてくる。仏教では、生者必滅 会者定離と説く。生まれたらみんな滅んでいく。その「みんな」の一語に私が入っていけるか問いたくなる。また、別れの悲しみを避けようとすれば、会わなければよいのだが、そうはいかない。四苦八苦のなかには、愛別離苦、怨憎会苦という苦がある。親鸞聖人は別離の悲しみを深く味わわれた方である。ご幼少の頃に両親と別れられ、流罪にあたっては法然聖人と、また60歳を過ぎた頃の帰洛に際しては関東の門弟たちとそれぞれ別れ、晩年には、信じきっていたわが子・善鸞を義絶されている。私たちはいつまでもいい状態が続くことを願っている。このままでいたいと思う。しかし、現実はそうはいかないし、何が起こるかわからない。その場合、よく口から出てくるのが無常という語だ。「白骨の御文章」には、「すでに無常の風きたりぬれば」というくだりがある。遠くで吹いている風が、たまたま吹いてくるのではない。無常の風は必ず吹くのであり、その風は常に私のまわりを吹いている。

「2021(令和 3)年 11 月 1 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

11月 御命日法要
○ 日時 11月16日(火)16時00分~
○ 場所 ※講堂(今年度も密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

2021(令和3)年11月 今月の聖語・言葉について 2021年11月01日(月)09時00分

ファイル 489-1.jpegファイル 489-2.jpeg

今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
すべてのいのちあるものに限りない慈しみの心を持つべきである。
                        『スッタ二パータ』

 昨年、高知県沖で保護されたアオウミガメが、移送先の水族館でレジ袋などのプラスチックごみを排泄し続けたという新聞記事がありました。当初一カ月間は餌を食べることができなかったといいます。
 プラスチックごみは年間八百万トン以上が海に流れ込み、破砕されてマイクロプラスチックとなります。それらを食べた魚を人間が食べることにより、健康を害する状況が発生してきています。人間が自然界のみならず、自分たちにとっても脅威となっていることを認めざるを得ません。
 さて今月の聖語はブッダがお示しになられた言葉です。「限りない慈しみの心」とはすべてのいのちあるものの声なき声に耳を傾け、自分のことのように悲しみ、救わんとする心のことです。
 そのような、ブッダの御心に照らして、今、我々人間はこれまでのあり方を省みて、これからのあり方を考える時に来ているのではないでしょうか。すべての存在は互いに関わり合って生きているのであって、陸に住む私と、海に住むウミガメや魚と深くつながっています。すべてのいのちあるものが共に生きる道こそが、人間も豊かに生きる道となるのです。

【今月の言葉】
 これからがこれまでを決める
                 藤代聰麿

 後期が始まり一ヶ月が経ちました。これまでの学校生活を振り返ってみて、どうでしたか。
 「勉強をしなければならないとわかっているけど、やる気がでない…」「仲間とうまくいかず、つらい…」。これまでに悩みを抱えてきた人は少なくないかもしれません。
 たしかに、これまで(過去)がこれから(未来)を決めることはあります。また、これまでにやってしまったことを変えることも、なかったことにすることもできません。
 しかし、これからの生き方次第で、これまでの過去のもつ意味が変わることがあります。現状の問題点を打開しようとするならば、過去の失敗は良い経験になります。一方で、現状に満足し自らを省みないのであれば、失敗は失敗のままです。そういう意味で、過去は変わるものであり、変えられるものなのです。
 「私には無理…」「これまでもそうだったから…」と一歩踏み出せずにいるあなたの背中を、後押ししてくれる。そのような力を今月の聖語はもっているのではないでしょうか。

2021(令和3)年10月 御命日法要について 2021年10月12日(火)09時00分

ファイル 488-1.pdf

2021(令和3)年度 御命日法要【10月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


『ご親教「浄土真宗のみ教え」をいただく』が、10 月 1 日本願寺出版社から刊行されました。ご門主が、「私たちも(親鸞)聖人の生き方に学び、次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を」として、立教開宗記念法要(4 月 15 日)のご親教で示された「浄土真宗のみ教え」を多くの人に味わっていただければ幸いです。

浄土真宗のみ教え
南無阿弥陀仏
「われにまかせよ そのまま救う」の 弥陀のよび声
私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ
「そのまま救う」が 弥陀のよび声
ありがとう といただいて
この愚身(み)をまかす このままで
救い取られる 自然の浄土
仏恩報謝の お念仏

み教えを依りどころに生きる者 となり
少しずつ 執(とら)われの心を 離れます
生かされていることに 感謝して
むさぼり いかりに 流されず
穏やかな顔と 優しい言葉
喜びも 悲しみも 分かち合い
日々に 精一杯 つとめます

10月 御命日法要
○日時 10月12日(火)16 時00分~
○場所 ※講堂(引き続き密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

2021(令和3)年10月 今月の聖語・言葉について 2021年10月01日(金)11時00分

ファイル 487-1.jpgファイル 487-2.jpg

今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
愚かな者は、悪いことを行なっても、
その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。 『ダンマパダ』

 早いもので十月に入りました。秋休みを挟んで六日から後期がスタートします。何事においても節目は大切なものです。それぞれの目標に向かい、引き続き精進していきましょう。
 さて、「今月の聖語」は釈尊のお言葉です。この言葉は「しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。」と続きます。
 この言葉をみなさんの日常に置き換えて考えてみてください。良くないとわかっていても習慣になり、なかなか止められないことはないでしょうか。仏教では「自業自得」を説きます。つまり、自分自身の行為の結果は自分自身に返ってくるということです。釈尊が、その行為の報いが現れたときには苦悩を受けると述べているように、最終的に苦しむのは自分自身なのです。後期という節目にあたり、自身の心や行動を見つめ直し、良い習慣を心がけて過ごしていきたいですね。日頃の過ごしたかを一度振り返ってみましょう。

【今月の言葉】
たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心をうるおす  殿村進 
                             
 みなさんの日常では、どのような言葉が交わされていますか。今までの生活を振り返ると、誰かの一言で救われた人、元気や勇気をもらった人もいるでしょう。その反面、嫌な思い、つらい思いをした人もいると思います。今月の言葉が示すように、言葉がもつ影響力は大きなものだと言えます。当然のことながら、相手に寄り添い、人の心を潤すような言葉を心がけたいものです。
 以前、次のような言葉を目にしました。作者は詩人の吉野弘という方です。詩の一部になりますが、紹介します。
  正しいことを言うときは少しひかえめにするほうがいい
  正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい
暴言や汚い言葉だけでなく、良かれと思って発した言葉も言い方次第で相手を傷つけてしまうということです。自分自身が正しいことを言っていると思っているときこそ、言葉を慎重に選んだ方が良いかも知れません。一言の重みを改めて感じながら言葉を発していきたいですね。

~緊急事態宣言解除を受けて~ 2021年10月01日(金)09時00分

政府は、「マスクをしましょう」「三密(密閉・密集・密接)を避けましょう」「不要不急の外出をしないようにしましょう」と行動の自粛を呼びかけています。海外では、強い自粛要請をしている地域がありますが、日本では法律上、強制力のある行動の制限ができず、個々の意識に委(ゆだ)ねられています。緊急事態宣言下において、多くの人が外出を自粛している中、一部の無自覚な人の行動から感染が広がるケースもみられました。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために一番大切なことは、私たち一人ひとりの自覚と責任です。

 仏教の根本をなす教えに「縁起(えんぎ)の理(ことわり)」があります。たとえば、チューリップの花は、その球根から咲きます。球根が原因(因)で花は結果(果)です。しかし、球根だけでは花は咲かず、温度・土質・水分・肥料・日光・人間の細心の手入れなど、さまざまな条件(縁)が球根にはたらいて花は咲くのです。このように、すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、それを因縁生起(いんねんしょうき)=縁起というのです。現実には、因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっています。日常、よく「縁起が良い・悪い」という言葉を聞きます。吉凶のきざしという意味なのでしょうが、本来は、他の多くのものの力、恵み、お蔭(かげ)を受けて、私たちは生かされているという、仏教の基本的な教えなのです。
(本願寺出版社「くらしの仏教語豆事典」より)
 
このように、すべてが関係しあっているからこそ、個人の行いが周囲へと影響するのです。自他を区別して、自己中心的な行動に出るのではなく、仏さまの教えである「縁起の理」から、自他の関係性やつながりを大切にする過ごし方に気づかされます。
 緊急事態宣言は解除されましたが、非常事態の今だからこそ、あらゆるものが縁起によって成り立っているという視点に立ち、自他共に心豊かに生きることのできる社会を実現しましょう。そして、他者への思いやり(利他)の心をもって学校生活を送りましょう。

平安の願い ~三つの大切~ 「ことば・じかん・いのちを大切に」

宗教教育係