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2022(令和4)年9月 御命日法要について 2022年09月13日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 久し振りに会う知人に「お互い年を取りましたね」と話しかけられた。「お互い」という語に引きつけられる。この語に「自分自身も年をとりました」という共感の思いが込められているからだ。私たちは、老いること、そして死という問題を無意識にさけているところがある。いくら今の状態が続けばいいと思ってもみんな老いる。「みんな」に、自分自身が入っているかということが肝心である。「お互い」と発した知人は、仏教を学び、聞いてこられた方でもある。『安楽集』に「万川(ばんせん)の長流に浮うかべる草木(そうもく)ありて、前は後ろを顧みず、後ろは前を顧みず、すべて大海に会えするがごとし。世間もまたしかなり。豪貴・富楽自在なることありといへども、ことごとく 生老病死を勉(まぬが)るることを得ず」とある。これは生きる姿をよく表しているように思える。前を流れる草木は、後から流れてくる草木を待つことはしない。また後ろの草木も同じである。自分のことだけを考え、ほかにこころを寄せるということをしないということだ。まさに自己中心的な生き方である。このような態度からは「お互い」とか「共に」ということばはでてこないであろう。親鸞聖人のご生涯に、指導者的態度はどこにもみられない。一生を貫き通しておられたのは、「共に」如来の本願を聞いていくという立場であった。共感しあう世界、そこには温かく包みこむような、そして、柔らかい雰囲気さえ漂ってくる。

「2022(令和 4)年 9 月 1 日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

9月 御命日法要
○ 日時 9月13日(火) 16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 三ケ本義唯(みかもと ぎゆい)師(浄土真宗本願寺派布教使)