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2022(令和4)年8月 今月の聖語・言葉について 2022年08月01日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え
                       『教行信証』
 
 学校生活やクラブ活動などで、「去年まで後輩扱いされていた私が先輩と呼ばれるようになった」。一学期を終えて、そのような経験をした人はいませんか。「亀の甲より年の功」と言われるように、年齢を重ねてこそ得られる経験や知識は、後輩はもっていないもの。先輩は惜しみなく教え、後輩は気兼ねなく聞く。学びの場である学校では、そんな関係が望ましいと言えるでしょう。
 とはいえ現実には、先輩が頼りなくて素直に話を聞けなかったり、後輩が生意気でついつい教えることが億劫になったりすることもあるかもしれません。
 今月の聖語で親鸞聖人は、「さきに生まれたものは後に生まれた者を導き、後に生まれたものは先に生まれたものをたずねていきなさい」と、おっしゃっています。先輩は後輩を導き、後輩は先輩をたずねる。ごく当たり前のことかもしれませんが、今一度、大先輩である宗祖のお言葉にたずねていきたいものです。

【今月の言葉】
善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すな。善いことばを口に出したほうが良い。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。
                    『ウダーナヴァルガ』
 
 仏教では、人の行為と言葉と心の三つをあわせて、身口意の三業(さんごう)と言います。業とは簡単に言えば行為のことです。それら三つを善いものにすることが悟りを開くために大切だと説かれます。
 例えば、本校の日常の心得に「ことばを大切に」があります。「正確な言葉・やさしい言葉・ていねいな言葉」を口に出すことが大切だということです。仏道を歩み、悟りを開くためにも、また人間関係を良好に保つためにも、それは大切なことなので、善い行為といえるのです。
 しかし翻って私たちのあり方を見つめてみますと、なかなか善いことばを発することができません。自分にとって都合の悪い人に対しては「うざい」「むかつく」と言葉を荒げてしまうことがあるかもしれません。また直接口に出さなくても、悪意を隠しきれないこともあり得ます。たとえ善いことばを口にしても、内心は打算的な意図をもつこともないともいえません。結果、悩みや苦しみを味わってばかりいるのが私たちではないでしょうか。
 仏さまは、そうした私たちのあり方をすでに見抜いて、「南無阿弥陀仏」と真実の言葉となって現れて、「そういうあなたこそ救いの目当てだ」と喚(よ)びかけておられます。実は、南無阿弥陀仏こそ、私たちを悟りに導く「善いことば」なのです。
 いま一度、本校の日常の心得である「ことばを大切に」を深く味わってみませんか。

2022(令和4)年7月 御命日法要について 2022年07月12日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

SDGsの前には、地球に優しく、環境に優しくという言い方がよくされていた。その頃のコラムに「人類の歴史を地球の歴史に比べれば、泡みたいなものだ。人類は地球に依存して生きている。戦争や環境破壊によって地球を傷つけているのは人間で、地球に優しくなんていうのは思いあがりもはなはだしい。それよりも、人間お互いもっと誠実に仲よく生きなさいと地球は言うだろう」とあった。最近「優しい」の大和ことばの語源を知って少し驚いた。「痩せる」という意味だそうだ。「優しい」という語に、思いやりや親切、明るさや柔らかさといった意味を連想していたが、ことばの色合いが違って見えた。優しさには、痩せ細るほどの思いが伴い、つらく、耐え難いという意を内に秘めているようだ。
仏教説話にあるキサーゴータミーという女性の名が浮かんだ。キサとはパーリ語で「痩せる」「やつれた」という意味である。わが子の死を受け入れることができず、子どもを生き返らせようと、痩せてしまうほど走り回って、効く薬を求めていく。ある賢人に教えられて釈尊のもとにたどり着き、その指示に従って家々を訪ねていく。キサーゴータミーは人間誰しも死ぬものだということに気づかされ、わが子の死を受け入れていく、という話だ。
優しいということばを私たちは簡単に使っているが、そんなに生易しいことばではなかった。痩せる思いで苦しんだ中から出てくるのが優しさである。実に重い意味が含有されているように思う。

「2022(令和4)年7月1日(金曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

7月御命日法要「教職員宗教研修」 
○ 日時 7月12日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 勤行(讃仏偈)のみ

2022(令和4)年7月 今月の聖語・言葉について 2022年07月01日(金)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
善く説かれたことばも、それを実行しない人には実りがない。『ダンマパダ』
  
うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれた言葉も、それを実行しない人には実りがない。

 釈尊は、仏道を歩む上で指針とすべきことをこのように表現されています。
釈尊が述べるように、善い教えでも、それを実行に移さなかったら意味がありません。当たり前のことのように思いますが、みなさんの実生活に置き換えて振り返ってみると、果たして実行に移すことが出来ているでしょうか。
中学校生活や高校生活には限りがあります。諸行無常という言葉が示すように、時間はあっという間に流れていきます。今月は7月ということで、2022年も後半に入りますね。併せて今月末には1学期の終業式があり、来月からは2学期が始まります。ここを節目の時期だと捉えて、改めて自分自身の日常を振り返ってみましょう。

【今月の言葉】
めぐりあいのふしぎに てをあわせよう   坂村真民
 
 私たちは不思議な縁によってこの世に誕生し、今こうして様々なめぐり逢いを重ねながら生きています。もはや遡ることも困難なことですが、確かに過去からの「いのちのバトン」を受け継ぎ、今ここにいます。そして、不思議な縁が重なり、多くの出逢いのなかで日々過ごしています。この出逢いはもちろん人だけではありません。
 親鸞聖人は「あう」ということを表現する時に「遇」という漢字を選んで使用されています。これは「たまたまあう」という偶然性を意味します。親鸞聖人は、み教えや自身を導いてくれた師匠と出遇えたことに、感謝と慶(よろこ)びの想いを書物に書き記されています。みなさんにとっても、浄土真宗のみ教えに出遇えたことは、平安に通っていることが縁だと言える人もいることでしょう。どうぞこの縁を大切にしてください。
 「めぐりあいのふしぎに てをあわせよう」この言葉を深く味わいながら、改めて「出遇い」に感謝し、日々の生活を送っていきたいですね。  合掌

2022(令和4)年6月 御命日法要について 2022年06月14日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

雨期を迎えると、「安居(あんご)」という仏教行事が始まる。雨安居(うあんご)とも夏安居(げあんご)ともいう。釈尊在世の頃から戸外で托鉢などはせず、3、4カ月ほど定住して修行などをした期間のことをいう。雨期になると、遊行の道に小動物(虫)が這い出るので踏み殺すおそれがあること、洪水による犠牲者が後を絶たず、その危険を避けるためとも学者はいう。釈尊最後の安居。病に倒れた釈尊が入滅されるかもしれないと心配された時があった。弟子の阿難は、最後に特別なことばを残されるのではと期待を抱く。その心を察した釈尊は「隠すような教師の 握拳(にぎりこぶし)は、存在しない」と語った。秘密にする教えはない。すべて平等に説いてきたではないかという。この対話は、普段からよく聞いておくことが大事だということを言っているのではないか、と思われる。釈尊と弟子の関係は、経典にみられる対話を通して知ることができる。その対話がなければ経典はおろか、仏教そのものが成り立たないと言われることがある。経典とは釈尊との対話集であるといっていいのかもしれない。釈尊のおそばに 25 年間いて、対話を続けた阿難。沈黙の対話もある。『観無量寿経』にみられる釈尊と韋提希の関係がそれだ。苦悩にあえぐ韋提希は釈尊に愚痴をこぼすのである。しかし釈尊は黙って聞かれるだけであった。龍谷ミュージアムで春季特別展「ブッダのお弟子さん」が開催中だ。教えが直接、人と人との関係に
よって伝わっていくということをご覧いただきたい。

「2022(令和4)年6月1日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

6月御命日法要
○ 日時 6月14日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 渡辺 有 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2022(令和4)年6月 今月の聖語・言葉について 2022年06月01日(水)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
貪愛(とんない)の心、常によく善心を汚し、瞋憎(しんぞう)の心、常によく法財を焼く。『教行信証』

 今月の聖語は、親鸞聖人の著作である『教行信証』に記されている言葉です。貪愛の心とは、欲望にまかせて貪(むさぼ)り求めようとする心のこと。瞋憎の心とは、自分の思い通りにならないことに対して、怒りや憎しみの感情を抱くことです。ここでいう善心とは、自分らしく生きたいという思いを指し、法財とは自分という存在を表しています。親鸞聖人は、欲望にまかせて貪ることが、自分らしく生きたいという心を覆い隠し、そこから起こっている怒りや憎しみが自分を壊してしまうと述べられています。この貪りを生み出すのが、執着(とらわれの心)にほかなりません。欲しいものが出てくると、「あれが欲しい、これが欲しい」という欲望が生じます。そして、欲しいものが手にはいらないと怒りが生じ始めます。その怒りは周囲に害を与え、ついには自分さえも壊すことにもつながります。こうした心が日常生活で湧き起ってくる中、少しでもそうならないようにしっかりと自分を見つめることが大切です。


【今月の言葉】
この身に受けているいのちは限りないつながりと
限りない関わりのうえに賜(たまわ)っている 宮城顗(しずか)

6月は梅雨の時期です。雨の日が続けば、どんよりした気持ちになりますが、植物にとっては恵みの雨で必要不可欠なものです。また植物に限らず、私たち人間にとっても、雨が降らなければ稲や野菜などが実らず、私たちの生活にも大きな影響を及ぼします。仏教では、こうしたつながりを「縁起」という言葉で表します。すべての物事が互いに関わり合って存在しているということです。数かぎりない縁(多くのいのち)によって、私たちは生かされているということです。私たちは食事をする時、肉や魚など多くのいのちをいただきます。だから食べる前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」という感謝の言葉を言うのです。食べ物をいただくということは、いのちをいただくということなのです。
ところで、まだまだ新型コロナウイルスの感染がおさまらない中、4月より各クラスで昼食指導が続いています。これを機に、今年度から中学だけでなく高校でも、浄土真宗本願寺派が奨励する「食前のことば」「食後のことば」の唱和を実施しています。今月の言葉と合わせて、私のいのちがどういう経緯で成り立っているのかを、あらためて考えてみましょう。

宗教教育係

令和4年度 宗祖降誕会・開校記念式 2022年05月21日(土)15時00分

今日は本校において、宗祖降誕会並びに開校記念式を実施しました。5月21日は、浄土真宗をお開きになられた宗祖親鸞聖人のご誕生をお祝いするとともに、開校した記念すべき日でもあります。

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朝8時40分から「中学・高1の部」、時間差で10時40から「高2・高3の部」でした。

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今回は北海道より「チームいちばん星」の皆さんをお呼びし、「いのち」をテーマにした朗読をお願いしました。北海道で浄土真宗本願寺派の僧侶・女性僧侶たちが有志で立ち上げたチームで、朗読に照明や映像、そして歌を織り交ぜながら、「いのち」をテーマにした作品を作り続けておられます。生徒たちは今日の朗読を通じて、いのちの大切さをあらためて考えたことだと思います。

2022(令和4)年5月 御命日法要について 2022年05月17日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


帰依し合掌し礼したてまつれ 『観経疏』
                     
生活の中で育まれること  川添泰信(龍谷大学名誉教授)

平等の作法
日常生活の挨拶の仕方の一つに握手があります。近年では、日本でもごく日常的に行われているようにも感じます。新型コロナウイルスの感染拡大で、握手代わりに、肘(ひじ)と肘をあわせる様子がよくテレビに映っています。握手は、「武器は持っていません」「友好的ですよ」という意味合いで始まったとよく
聞きます。握手は古代からあるそうですが、今日のように浸透したのはクエーカーの影響だそうです。森本あんりさんの著書に「今日、全世界で一般的になった『握手』は、クエーカーが始めた平等の新しい作法だった」とあります。17 世紀半ば、イギリスで起こったキリスト教のピューリタン系の一派であるクエーカーは、人は平等であるという宗教的教えから、誰と挨拶するにも、握手による作法を実践したそうです。当時の貴族社会においては、女性は右足を後ろに引き、膝を少し折り曲げる所作をするのが習慣だったそうです。今日では日常的な握手ですが、クエーカー教徒から握手の挨拶を求められた当時の貴族はさぞ驚いたのではないかと想像します。

手を合わせる
両手を胸の前に合わせる合掌はどうでしょうか。合掌は、仏教が起きる以前のインドを起源とした敬礼の所作で、もともと挨拶として行われていました。もちろん、仏教では、仏さまなどを礼拝する際に用いていますが、現代の日本でも、仏さまに手を合わす以外に日常生活にも浸透しています。それが食事の前後に行う合掌です。生活の中で手を合わすこの習慣はすばらしいものだと思います。ただ、学校給食の時の合掌を止めさせてほしいという要望があったという報道に驚いていましたが、今は、外食の際に周りを見ると合掌する人を余り見かけません。家庭の中で、合掌して食事をする習慣が希薄になっているのでしょうか。食事は、私たちが生きていく上での基本です。自身の命を紡(つむ)ぐ食べ物に、感謝の念を持つのは大いに意味のあることです。そして、私たち仏教徒にとって、合掌は仏への帰依とともに、生かされて生きる感謝の表現であろうと思います。その思いは、知的な理解だけではなく、日々の生活によって、育まれるのではないかと思います。

「2022(令和 4)年5月 1 日(日曜日)本願寺新報『いのちの栞』より」


〇食前のことば
「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。」
「深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。」
〇食後のことば
「尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。」
「おかげで、ごちそうさまでした。」

食前のことば解説
わたしたちは、食べ物をいただくことで、毎日を過ごしています。この食事には多くのいのちをいただいています。またこの食事がわたしの口に届くまでには、多くの方のご苦労もありました。阿弥陀さまは、わたしたちが、多くのいのちと、みなさまのおかげによって、初めて生きることができているのだと、明らかにしてくださいました。このご恩を思い、お食事を大切にいただきましょう。

食後のことば解説
お食事をいただいたわたしたちは、尊いおめぐみをいただきました。多くのいのちと食事を用意してくださった方々のご苦労を思い、そのおかげでいのちをいただいています。いまここにいのちあるわたしを、必ず救うと願い、支えてくださっているのが阿弥陀さまです。このご恩を思い、阿弥陀さまの願いに応えようと、精一杯に生きていきましょう。


5月御命日法要
○ 日時 5月17日(火)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 鴬地(おおち)清登 師(浄土真宗本願寺派布教使)

令和4年度 花まつり 2022年05月07日(土)16時00分

今日は花まつりを講堂でお勤めし、今年度は生徒全員が講堂に入りました。花まつりは、仏教をお開きになられたお釈迦さまの誕生をお祝いする行事です。

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まず、10時から中学と高1学年の部でした。そして、浄土真宗本願寺派布教使の藤澤彰祐先生のご法話をいただきました。藤澤先生は、お釈迦さまがお生まれになった時、むくっと置き上がって七歩あゆんで「天上天下唯我独尊」とおっしゃったという誕生話をされました。この言葉をお釈迦さまがおっしゃったのは本当であり、天の上にもこの大地の上にも、私にとって代わるいのちはないんだ。私はかけがえのないいのちを生きている。私はたった一人の存在、尊いいのちを生きているんだとおっしゃったのです。「かけがえがない」とは、かけかえることができないということです。制服のボタンをかけ間違えることがありますが、それはかけがえがきくということです。「かけがえがない」ということは、交換や代用することができないということです。
また、阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」の仏さまとなって、あなたのたった一つのかけがえのないいのちの価値を見抜き、自分で自分のいのちの尊さに気づけないあなたに、私がそのいのちの尊さを教えようとされています。阿弥陀さまは「天上天下唯汝(ゆいじょ)独尊」と言うてくださり、この汝とは「あなた」という意味です。

ところで、藤澤先生は中学校に入学して環境が変わり、友達が離れて孤立されたそうです。その時とてもしんどい思いをされましたが、担任の先生がそのことに気づき、自分のことを見てくれていた(知ってくれていた)人がいたことに安心されました。阿弥陀さまも私のことを全部見抜き知ってくださっている。藤澤先生は聴いている生徒たちに「みなさんはその大きな力強い教えに出遇われ、いまは有り難いなぁと思えないかもしれないが、いつかふと有難いなぁと思えることがくると思います」と、その思いを伝えられました。

続いて高2・3年の部では、浄土真宗のお念仏とは何かをお話されました。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀さまの正式なお名前であり、阿弥陀さまのお名前をよびながら阿弥陀さまの存在を確かめるということです。藤澤先生は在家の方(お寺の出身ではない人)と結婚される際、お義父さんから「結婚するということは、もうあんたは息子や」と言われて嬉しかったそうです。そのお義父さんに対して、何かをアピールすることもなく、今までしてきた悪事を懺悔(ざんげ)することこともない。ただただ「お義父さん」と呼べばいい。阿弥陀さまに対しても同じことで、私たちは何かをアピールする必要もなく、「南無阿弥陀仏」とお名前をよばせていただきながら、阿弥陀様を確認させていただくのです。これが浄土真宗のお念仏というものだと、藤澤先生はおっしゃいました。

また、藤澤先生は「大丈夫」という仏教用語を紹介されました。「大丈夫」とは『涅槃経』というお経に出てくる言葉で、大いなる丈夫なお方、つまり仏さまのことをいいます。藤澤先生の娘さんが歩けるようになってすぐの頃、よくこけて泣いていました。両親が「大丈夫、大丈夫」と声をかけたところ、娘さんは起き上がり、自分で自分の肩をトントンして泣き止んだそうです。それは親の存在を確かめているしぐさであり、父である藤澤先生はその姿を見て「南無阿弥陀仏というのはこういうことなんだな」と思われました。私たちが「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すのも同じであり、決して倒れることのない大いなる丈夫な阿弥陀さまが、あなたは大事な存在であるということを私に知らせてくださっている。私たちに「大丈夫」の安心を与えてくださっているのが阿弥陀さまなのです。今日のご法話を聴いて、あらためてお念仏を申したいものです。

2022(令和4)年5月 今月の聖語・言葉について 2022年05月01日(日)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。
今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
田畠は雑草によって荒れ ひとは貪欲によってすさむ 『法句経』

 十年ひと昔とよく言われます。十年ほど前には「電話を携帯できる」だけでも十分魅力的だった携帯電話は今や、ますます高性能になり、カメラ、テレビ、インターネット、オーディオプレーヤー、ゲームなども携帯できるようになり、スマートフォンと呼ばれるようになりました。めざましい科学技術の発展に驚くばかりです。
 ですがこれは、時と場所を選ばずに自分の欲求を満たせるようにしたいという人間の欲望がなせるわざといえるかもしれません。大人も子供もついつい時間を忘れて楽しい機能に心を奪われてしまいます。勉強、家族との会話、将来のことを考える大切な時間を一時の享楽のために浪費しかねません。
 さて、田畑はほっておくと、雑草は次々と生い茂り、土壌は荒れ、作物は実りません。同様に、我々の心もほっておくと、「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい」というむさぼりの心が次々と起こり、コントロールできない「すさんだ」状態になりかねません。
 携帯に夢中になっているそこのあなた、こんな釈尊の忠告も携帯してくださいね。

【今月の言葉】
再び通らぬ 一度きりの尊い道を いま歩いている 榎本栄一

「勉強が大変」「友達とうまくいかない」「クラブで結果がでない…」
毎日が楽しく充実することもあれば、そうでない時もあるかもしれません。何をやってもダメ、むしろやる前から悪いイメージばかり。がんばらねばとはおもうが、どこか空元気(からげんき)。
そんなあなた、心配しなくても大丈夫。家族、先生、友人、クラス メートはあなたのそばにいてくれます。失敗しても、大変なときでも、つらいときでも、知らないところでたくさんの人々に支えられているのです。そして仏さまにも・・・。
みんなに支えられている道だからこそ「尊い」のです。しかも、その道は「一度きり」ゆえ、なお尊いといえるのです。
そのような「一度きりの尊い道をいま歩いている」。そう思えるところに、どんな失敗も困難も引き受けていける力強さをたまわることができるのではないでしょうか。

2022(令和4)年4月 御命日法要について 2022年04月19日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

「あなたは何のために生まれてきたか」。仏教では人生を四苦といい、生、老、病、死が苦しみと説く。生まれることもその中にある。生があるから老、病、死があり、生と死は切り離すことはできない。だから、生も苦しみの範疇(はんちゅう)に入る。ある人が「死が怖いのではない。むなしく終わるのがさびしいのだ」と言った。毎日同じことをくり返して終わるなら、むなしさが残るという人もあろう。全て順調でも、むなしさというすき間風を感じるという人も。そして、常に比較の中で生き、時に満足しながらも、最後はむなしく終わってしまうのではないかと不安になる。そう考えると、生きていること自体がむなしいことに思えてくる。むなしさに終わらない人生の歩みを教え示してくださっているのが釈尊であり、親鸞聖人である。うららかな陽春、花まつりの季節である。釈尊は誕生されて「天上天下唯我独尊」と声をあげられたという。これは、この苦しみの世界から安穏な世界に至る道があることを示されていることばである。親鸞聖人も「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき」とおっしゃる。聖人のご誕生 850 年の法要も近づく。何のために生まれてきたのか、どういう生き方をしているのか、経教(きょうきょう)という鏡に映してみたい。浄土真宗で一番大事なことは、ご本願を聞くということである。それは、自己自身の姿が知らされるということであり、生きることの意味、死の意味が知らされるということでもある。

「2022(令和4)年 4 月 1 日(金曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

4月 御命日法要
○ 日時 4 月 19 日(火)16 時~
○ 場所 ※講堂
○ 法話 勤行(讃仏偈)のみ