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2023(令和5)年5月 御命日法要について 2023年05月16日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


「『教行信証』のこと、『難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海を度する大船』と初めてお聴きしたのは、鷺森(さぎのもり)別院での降誕会の時、とても良いひと刻でした」。年の初め、和歌山に暮らす伯母から届いた包みに、こんな手紙が添えられていた。伯母は住職である父のすぐ上の姉で、一般家庭に嫁いだ。幼稚園の先生だったこともあってか、誰に対しても子どもに接するように物腰が柔らかく、穏やかで聞き上手。実家である寺の法座に参っても、本堂の隅で控えめにしているような人で、どちらかといえば教学的な言葉と縁のない印象だった伯母の手紙に、親鸞聖人が書かれた『教行信証』の冒頭、総序のご文が、半世紀以上前の法座で聞いた話としてつづられていたことに、小さな驚きを覚えた。み教えとの出遇いは人それぞれ。人生を揺さぶられるような出来事がきっかけになることもあるだろうし、幼い頃からそばにあって、気がつけばすでに仏さまに抱かれていたと味わう人もいる。率直にまだわからないと自問する人もいるにちがいない。伯母にとっては、どうだっただろうか。62 年前、伯母はどんな縁で降誕会に参ったのか。講師の言葉は 21 歳の彼女にどう響いたのか。そして、これまでの月日、「難度海を度する大船」がどのように寄り添い続けてきたのかと、あらためて想像する。まもなく、850 年の節目の降誕会。手紙の最後には「お参りの刻がとても楽しみです」とあった。

「2023(令和 5)年 5 月 10 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

5 月 御命日法要
○ 日時 5 月 16 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 田坂亜紀子 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年5月 今月の聖語・言葉について 2023年05月01日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし 
                        『歎異抄』

 学校で残って勉強するが、結局友達としゃべってしまって本末転倒。体力増強と思い毎朝早起きしてランニングしようと決めたが、三日坊主。
 何かをしようとおもっても、まわりの環境によって志(こころざし)半(なか)ばで全うできなかった経験をした人は多いのではないでしょうか。
 今月の言葉の意味は、「因縁(いんねん)次第では、人間はどのような行いをもしてしまうということ」です。仏教ではものごとがおこる原因を因といい、間接的な原因を縁といいます。特に縁を強調するところに仏教の大きな特徴があります。
 自分の意志が「因」だとすれば、状況・環境は「縁」。因のみならず縁をも視野に入れて考え行動することが大切です。「縁次第で何をしでかすか分からない」という人間の弱さ。そして、「縁次第で何でもできてしまう」という無限の可能性。今月は宗祖降誕会です。親鸞聖人の言葉を通して、その奥深い人間観を聞かせて頂きましょう。

【今月の言葉】
今を生きずに いつを生きる ここを生きずに どこを生きる             
                         大神 信章

「ちょっと待って」
 ある日、筆者が子供と話をしている時、携帯電話に連絡が入ったので、返答しようとしました。スマホを操作する姿を見て、子供は不機嫌な様子でこう言いました。
「またさわってる!」
はっと気付かされました。今自分は子供と話をしていると思っていましたが、実は心ここにあらずの状態でした。申し訳ないと思い、携帯電話をとっさにしまいましたが、子供はそのことをすでに見抜いている様子でした。「もっと今ここにいる自分をみて」と、言われているように感じました。
 スマートフォンなどのICT端末で、時間や場所を問わず、手軽にコミュニケーションができるようになりました。しかし大切なのは、家族・友人・仲間・先生等と、「今・ここ」で過ごすかけがえのない時間です。にもかかわらず、すぐにそのことを忘れてしまいがちです。
 今月の言葉は私たちに問いかけながら、今という時間の大切さを教えてくれているように思われます。

2023(令和5)年4月 御命日法要について 2023年04月18日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

野球の世界大会、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、日本が劇的な優勝を飾り、多くの人を感動の渦に巻き込んだ。準決勝後の、日本チームで活躍した大谷翔平選手のインタビューだった。けがを押して出場し、献身的に頑張る味方選手などを賞賛し、大谷選手は「身を粉にして、チームのために頑張ってくれている」と語った。若い世代からはあまり聞かない「身を粉にして」という言葉が出てきて驚いた。また、日系人選手のラーズ・ヌートバー選手が日本代表で広めた、両手でペッパーミル(胡椒ひき)をまわすようなパフォーマンスも、「身を粉にして働く」という意味合いだと、実況のアナウンサーが解説していた。「身を粉にして」という言葉。浄土真宗の教えを聞く身としてすぐに思い浮かぶのが、親鸞聖人が最晩年にお書きになった『 正像末和讃』の中にある「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」だ。「恩徳讃」として広く親しまれている。「身を粉にして」も返せないほどのご恩を阿弥陀如来からいただき、そして、阿弥陀如来の教えを伝えてくださった釈尊、浄土の祖師方には、骨を砕くほどの感謝をしても感謝しきれない、と受け止められた聖人の言葉である。このたびの慶讃法要を機縁に、あらためて「身を粉にして」お念仏の教えを私に伝えてくださった聖人に深く感謝し、お念仏の道を歩ませていただいている喜びをかみしめたい。

「2023(令和 5)年 4 月 10 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

4 月 御命日法要
○ 日時 4 月 18 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 朝山 大俊 師(浄土真宗本願寺派布教使)

令和5年度 花まつり 2023年04月10日(月)13時08分

今日は1学期始業式を兼ねて、花まつりを講堂で勤修しました。例年よりも1ヵ月早い実施となり、9時から中学・高1の部を開式しました。

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法話の前に山脇校長先生より式辞が述べられ、その後で本願寺派布教使の田坂亜紀子先生よりご法話をいただきました。

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田坂先生は、まず「おめでとう」と「寿(ことぶき)」という言葉について解説してくださいました。入学といった人生の節目を迎える時に、「おめでとう」という言葉を遣ってお互いを祝福します。「おめでとう」という言葉は、元々愛しいという気持ちを表す「愛(め)でる」という言葉と、その気持ちが爆発した状態を表す「いたす」が合わさったものです。またいのちを表す「寿(ことぶき)」という漢字も遣っていますが、漢字が中国から入ってくる前は「ことほぐ」という日本語を遣っていいたことから、「寿」の読み仮名に「ことぶき」を当てたというお話でした。そんな田坂先生のお寺でご法話をされたある先生が、「いまの時点でいついかなるときでも自分のいのちをおめでとうと祝福し、まわりの人におめでとうという気持ちを持ちながら接していたでしょうか?」と問われたそうです。私たちは段々馴れ合っていくと、そのような気持ちを忘れてしまうのではないでしょうか。「いつでもどこでも変わることなく、自分のいのちやまわりのいのちを考えることは難しく、何事があっても変わらずにこのいのちを祝福してくださる南無阿弥陀仏という仏さまがおられるのです。そして、仏さまのお心を学ばせていただく中に、ちょっとずつ見え方が新しく新鮮になっていくのではないかと思います」と、法話を締めくくられました。

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10時からは高2・3の部が引き続き実施され、「諸行無常」という言葉を説明されました。日本人の多くは平家物語の影響で「儚(はかな)いな」という印象を持ってしまうが、「儚い」だけでなく「成長する」ということも諸行無常です。「夕焼け 小焼けで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」という歌がありますが、田坂先生のお寺は山口県の集落にあります。夕方6時になるとお寺の鐘(現在2代目)がなり、初代の鐘は太平洋戦争中に金属が不足して金属供出令が出され、お寺の鐘も供出しなければなりませんでした。そのような話を同じお坊さんの先輩に話をしたら、その先輩からベトナムの鐘の話を聞きたそうです。戦争があったベトナムで「ココナッツ坊さん」というあだ名で親しまれたお坊さんが、みんなが暗く沈んでいるときに、ベトナム中に散らばっている銃弾や砲弾の残骸(金属)を集め、鐘を作ろうとされました。実際に集め回ってお寺の鐘が完成し、そのお祝いの法要が営まれました。その時の挨拶の内容は、以下のとおりです。

「親愛なる銃弾よ、親愛なる砲弾よ。私はあなたたちがこうして一つになることを手助けいたしました。あなたたちは前世では人々を殺したけれども、後世では毎朝人々の目を覚めさせるために役立っていくのです」

「親愛なる」という言葉はなかなか出なかっただろうが、お釈迦様が「この世は諸行無常である。すべてのものは止まらず移り変わっていく」とおっしゃったように、ココナッツ坊さんは「かつて人を傷つけてしまった金属片たちが、今度は人々に気持ちのよい朝の目覚めや、人間として大切な愛や理解というものへの気づきを促していくような音を奏でる鐘に生まれ変わることだってあるじゃないか」と考えられたようです。田坂先生は「鐘が戦争で持って行かれ、武器に使われてしまって悲しい歴史があったんだな」という時点でとどまっていたことに気づかされたとおっしゃいました。この話を聴き、生徒たちもそれぞれ考えさせられた時間になったのではないでしょうか。

2023(令和5)年4月 今月の聖語・言葉について 2023年04月03日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
先意承問 『仏説無量寿経』
 
 今月の聖語は、『仏説無量寿経』というお経に出てくる言葉です。浄土真宗の本山である本願寺の御影堂門には「和顔愛語」という言葉が掲げられています。「おだやかな顔で、やさしい言葉をもって、人に接しましょう」という意味です。今月の聖語である「先意承問」は、先に紹介した「和顔愛語」に続く言葉です。「先に相手の気持ちを察して、その思いを受け取る」という意味です。
 新入生のみなさんにとっては新たな学校生活がスタートします。学年が変わった三年生と二年生にとっても新たな環境での生活がこれから始まります。クラス替えもあり、初めて接する人も出てくることでしょう。今月の聖語にも示されるように、周囲の人と調和の取れた関係を築いていくためにも、目配りや気配りを心がけ、相手の気持ちを察することを大切にしていきたいですね。新生活にあたり教訓になる教えだと思います。

【今月の言葉】
自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。『スッタニパータ』

 今月の言葉は、『スッタニパータ』という、釈尊の教えが収められたお経に書かれている言葉です。仏教では、人間の行いのことを「業〈ごう〉」といいます。そして、その業には三種類あり、それらを合わせて「三業〈さんごう〉」と呼びます。一つ目は「身業」で、身体での行為、二つ目は「口業」で、私たちが発する言葉のこと、三つ目は「意業」で、心のはたらきのことです。今月の言葉は「三業」のなかで「口業」に当てはまります。
 日常生活を振り返ると、家族をはじめ、クラスやクラブ活動など多くの人との繋がりの中で過ごしています。やはり、自分勝手で周囲の人を苦しめる発言は慎むべきです。今月の言葉をしっかりと踏まえつつ、本校が掲げる「三つの大切」の一つである「言葉を大切に」を改めて心に留めて日々の生活を送ってきましょう。
 併せて今月は釈尊の誕生を祝う「花まつり」が執り行われます。釈尊の教えにしっかりと耳を傾け、新年度のスタートを切りましょう。     合掌

2023(令和5)年3月 御命日法要について 2023年03月14日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 友人との会話の中で、恩師のことが話題にのぼると、互いに口をそろえるように「厳しくて優しい先生」という思い出が出てくる。
厳しさと優しさということばは、一見大きくかけ離れた感を抱かせるが、実は互いによりそうような関係にも思えてくる。つまり、厳しさの中に優しさが、優しさの中に厳しさを感じとっていく世界が知らされるということである。本当の優しさは、厳しさの中から出てくるものであろう。恩師の姿を偲びながらそのようにも思えてきた。「明来闇去(みょうらいあんこ)」ということばがある。光によって闇が破られるという意味だが、闇があるから明かりがあると見ることができるのではないだろうか。また、闇をよく見るものは、光を見るともいう。闇は私たちの姿である。その煩悩具足の凡夫である私を見つめるということは、同時に仏さまの光の中に浴しているということである。短日植物であるアサガオは、夏至を過ぎて昼が短くなっていかないと花芽をつけることはない。朝の光を受けて咲くその前に、長くなっていく夜の闇の中で育てられているのである。3月は別れの季節である。別れを悲しむと言うことは、出会いのそのご縁を深く味わっているということであろう。親鸞聖人はその生涯の中で悲しみを深く味わわれた方である。そして、本願に出遇(であ)われ、導かれることにより、それを超えて生きる道を、力強く歩んで行かれた。私たちも聖人を慕い、み教えを聞いていく日々を送りたい。
「2023(令和 5)年 3 月 1 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

3月御命日法要
○日時 3月14日(火) 16時~
○場所 礼拝堂
○勤行 正信念仏偈
○法話 藤澤彰祐(しょうゆう)師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年3月 今月の聖語・言葉について 2023年03月01日(水)08時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
善知識(ぜんぢしき)の仰せなりとも、成るまじきなんど思ふは、大きなるあさましきことなり。                                 
『蓮如上人御一代記聞書』

  本願寺第八代宗主の蓮如上人のお言葉です。善知識(念仏の教えを勧めてくれる人)が仰ることに対して、できないと思うようなことであっても、まずはできると思ってやるように勧めておられます。普段、「自分にはできない」と思うようなことでも、「頑張ってやってみよう」という気持ちで取り組むことで成し得たりします。むしろやらなかったことによって、後にから「やっぱりやっておけばよかった」と後悔してしまうかもしれません。本当にできるかどうかはやってみないとわかりませんし、「自分にはできない」と決めつけるのではなく、蓮如上人が言われるように、まずは「自分にはできる」と自信を持って、何事にも失敗を恐れずにやってみるよう心がけてみましょう。


【今月の言葉】
好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこ)び迎えられる。つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによってひとの悪意を身に受けることがない。
『ウダーナヴァルガ』                     
                    
 人に何かを伝えるとき、皆さんは何を意識していますか。ことばを発する際、お釈迦さまは「常に好ましいことばを語れ」と仰っておられます。相手のことを考え、優しいことばや思いやりのあることばであれば、聞いた相手はそのことばを歓び迎えてくれるでしょう。しかし、自分勝手で攻撃的なことばを発してしまえば、相手を不快にさせてしまいます。日頃からそのようなことばを使っていれば、いつしか人から悪意を受けるようになるでしょう。ことばの遣い方を間違えると、相手の心を傷つけてしまうということです。好ましくないことば遣いをしていても、自分ではなかなか気づかないものです。「今月の言葉」を通して、日頃の自分を振り返ってみてください。

2022(令和5)年2月 御命日法要について 2023年02月14日(火)08時00分

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たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

人間は強いところ、すぐれたところを見せたがるものだ。反対に弱く、劣ったところは知られたくない。ところが、弱いところ、本音をさらけ出すと、それを受けとる側は構えをはずして普段のままの態度で接してくれて、意外に話もはずむ。私たちには、いつも自分を虚飾で装い、他よりすぐれていると思われたいという気持ちがどこかに潜む。知らず知らずに自分をよく見せようとし、見栄えも尊大さも全くないということは、まず考えられない。自己中心的に生きるということは世間でよく言われることばだが、そこに集約されるように思える。梅の花が咲きはじめ春の兆しがみられる。木々も春を迎えて色鮮やかになるが、冬もいい。ある俳人が、木々の葉が厳しい寒気にあたって落葉し、裸の木となり、色を失った野山となる。それを眺めるとなんとなく安らぎをおぼえる。それは、虚飾を捨てきった風景のせいであろうかと言った。虚飾ということばにかぎりない深みを感ずることである。親鸞聖人は、中国の善導大師のことば「外に賢善精進の相(そう)を現じ、内に虚仮(こけ)を懐(いだ)くことを得ざれ」を読みかえられ、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり」とされた。大きな内容の転換である。どこまでも虚仮不実な身であると聖人はいただかれたのである。そうした我々がまかせよ、かならず救うという南無阿弥陀仏のよび声を聞き、如来の願力によって救われていく。聖人ご誕生あればこそ、このみ教えに出遇あえたのである。

「2023(令和 5)年 2月1日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

2月御命日法要
○ 日時 2月14日(火)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 杉本光仁(ありひと)師(浄土真宗本願寺派布教使)

※1月16日(月)御正忌報恩講法要ご満座 新しい「領解文(りょうげもん)」(浄土真宗のみ教え)についての御消息が発布(別添)

令和4年度 涅槃会 2023年02月08日(水)14時00分

本日10時から涅槃会をお勤めしました。昨年と一昨年はオンライン配信でしたので、ようやく講堂でのリアル涅槃会となりました。

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ご講師は、浄土真宗本願寺派布教使の藤澤彰祐(しょうゆう)先生でした。藤澤先生は子どもの頃から「醤油」と人にからかわれ、ご自身の名前を嫌いだったそうです。しかし、大人になって「お念仏のみ教えを大事にしていってほしい」という願いが込められていることに知り、その名前の奥に込められた願いにったときに、ご自身の名前を好きになったと言います。そして、「これが出会い直しというものだ」とおっしゃいました。

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次に、お釈迦さまと阿弥陀さまの違いについてお話されました。お釈迦さまは2500年前にインドでお生まれになった方ですが、阿弥陀さまは人間の体をもってお生まれになった方ではありません。
お釈迦さまは亡くなられたのではなく、さとりとして私たちを導き、仏法に出遇えるようにご縁を結んでくれている。心の目を見開いたときに出遇える究極のさとりの世界に入っていかえれたことから「涅槃に入られた」と言い、お釈迦さまがさとりの心の目で出遇っていかれたのが阿弥陀さまなのです。そして、お釈迦さまは「自分の人生の意味もいのちの意味も、阿弥陀様に出遇わないと出遇えないよ」と私たちに説いてくださったのです。そして、藤澤先生は「仏さまの心に出遇うということが、本当の自分に出遇うということ」だと示されました。

最後に、お釈迦さまの弟子の一人であったシュローナのエピソードをお話されました。自分の足で歩く必要すらなかったお金持ちのシュローナは、お釈迦さまの弟子となります。しかし、歩くことがなったシュローナは托鉢にまわることすらままならず、教団を去ろうとします。それを見たお釈迦さまは、ヴィーナ(弦を弾いて演奏するインドの發弦楽器)の名手だったシュローナに対し、ヴィーナの弦を通して「人や過去、理想の自分と比べず、あなたにとってできることを精一杯やりなさい」と諭したのでした。そのお言葉に触れたシュローナは、教団を去ることをやめ、いのち終えるまで自分の精一杯の努力をされたのでした。このシュローナと自分を重ねたとき、生徒たちはいろいろ考えせられたのではないでしょうか。

2023(令和5)年2月 今月の聖語・言葉について 2023年02月01日(水)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
急いで善を行え 心が悪を楽しむ前に            『ダンマパダ』

 今月の聖語は、釈尊が示された言葉です。心が悪いことを楽しむ前に、急いで善い行いを行いなさいという意味です。
 さて昔、中国のあるところに、木の上にお坊さんが住んでいました。木の上に住んでいたので、鳥の巣和尚おしょう
とも呼ばれていました。
 ある時、白居易という有名な詩人がその和尚に次のような質問をしました。
 「仏教の大意とは何でしょうか」と。和尚は答えます。「悪いことをせず善いことをするということだ」と。続いて白居易は言います。「そのようなことは三歳の子どもでも知っています」と。さらに和尚は答えます。「三歳の子供でも知っているが、八十歳の老人でも行うのは難しい」と。
 この逸話が示すのは、善い行いをすることが大切なことは誰でもわかっているけれど、実行に移すのは本当に難しいことです。なぜそれが難しいのかに対する答えはこの逸話には示されませんが、今月の聖語はその答えを示してくださっているように思われます。
 寝る前におかしを食べ過ぎてしまった」「ゲームをやりすぎてしまった」・・・。
 ついつい悪いことを楽しんでしまうのがこの私です。でも少し立ち止まって、今月の聖語を思い出してくださいね。

【今月の言葉】
×より○がよく見える「心の目」を大切に       東井義雄
 
 数年前、筆者の担当する授業でたびたび集中力を欠いて私語をしたり、寝たりする生徒がいました。当時彼は、私の中では評価の「悪い」生徒でした。
 ある日仏参中にある先生が倒れられました。「バタン」という音で、周囲は騒然となりましたが、その中でいち早く先生の近くまで歩み寄り、手を握り「大丈夫ですか」と尋ねたのは、その「悪い」生徒でした。そのとっさの判断の良さは、大人を凌ぐものでした。目が覚める思いがしました。
 人間を一面的に評価してはならないし、そもそもできないということをその生徒が教えてくれたように思います。まさにこれは、一面的な見方にしばられない、そして一人一人の愚かさも尊さもまるごと認めていてくださる仏さまの視点です。もちろん仏さまと同じようにはなれませんが、家族・友人・クラスメイトとのさまざまな人間関係の中で、この視点を大切にしていければと思います。