今月の聖語・言葉を紹介します。
今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示今月の聖語
【今月の聖語】
ただ誹られるだけの人、またただ褒ほめられるだけの人は、
過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。 『法句経』
私たちは様々な人との関係の中で生きています。どんな人とも仲良く付き合っていくことができればいいのですが、現実には「あの人は苦手だ」と感じることもあります。
ですが、その「苦手な人」が他の人にとっては「いい人」だと言われていた、という経験をした人はいませんか。つまり、「苦手な人」というのは、自分にとって苦手な人のことであって、誰にとっても苦手な人ではないということなのです。同様に「いい人」も、誰にとってもいい人だとは限りません。
このように私たちは自分の都合によって人を「いい人」、「苦手な人」と勝手に判断してしまいがちです。今月の聖語は、「ただ悪くいわれるだけのいやな人もいなければ、ただほめたたえられるだけのいい人もいない。人を勝手に判断してはならない」と語りかけているように思われます。
人を一面的にしか見ることができない私たちのあり方を今一度見つめ直したいものです。
【今月の言葉】
母が己の独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。 『スッタニパータ』
昔、筆者の娘がベッドの上で飛び跳ねてあそんでいました。飛び跳ねた後、バランスを崩してあごのあたりを「ゴーン」と壁にぶつけてしまったのです。その様子を見て妻が一言目に言った言葉が、「あー痛い痛い」です。自分のあごが壁にあたったわけではないのに、子供を自分のことのように思って「痛い」と言ったのでした。
同じように仏さまは、自分と他者という対立を超えて、他者の痛みを自分の痛みとして受け取られ、自分の命をかけて他者を守られます。さらには限られた者だけではなく、一切の生きとし生けるものに対して、そうした慈しみのこころを起こされます。
今月の言葉は、そうした仏さまの無量の慈しみのこころを示されるとともに、限られた慈しみのこころしか持ち得ない私たちのあり方を問うているように思われます。
合掌