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2023(令和5)年4月 今月の聖語・言葉について 2023年04月03日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
先意承問 『仏説無量寿経』
 
 今月の聖語は、『仏説無量寿経』というお経に出てくる言葉です。浄土真宗の本山である本願寺の御影堂門には「和顔愛語」という言葉が掲げられています。「おだやかな顔で、やさしい言葉をもって、人に接しましょう」という意味です。今月の聖語である「先意承問」は、先に紹介した「和顔愛語」に続く言葉です。「先に相手の気持ちを察して、その思いを受け取る」という意味です。
 新入生のみなさんにとっては新たな学校生活がスタートします。学年が変わった三年生と二年生にとっても新たな環境での生活がこれから始まります。クラス替えもあり、初めて接する人も出てくることでしょう。今月の聖語にも示されるように、周囲の人と調和の取れた関係を築いていくためにも、目配りや気配りを心がけ、相手の気持ちを察することを大切にしていきたいですね。新生活にあたり教訓になる教えだと思います。

【今月の言葉】
自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。『スッタニパータ』

 今月の言葉は、『スッタニパータ』という、釈尊の教えが収められたお経に書かれている言葉です。仏教では、人間の行いのことを「業〈ごう〉」といいます。そして、その業には三種類あり、それらを合わせて「三業〈さんごう〉」と呼びます。一つ目は「身業」で、身体での行為、二つ目は「口業」で、私たちが発する言葉のこと、三つ目は「意業」で、心のはたらきのことです。今月の言葉は「三業」のなかで「口業」に当てはまります。
 日常生活を振り返ると、家族をはじめ、クラスやクラブ活動など多くの人との繋がりの中で過ごしています。やはり、自分勝手で周囲の人を苦しめる発言は慎むべきです。今月の言葉をしっかりと踏まえつつ、本校が掲げる「三つの大切」の一つである「言葉を大切に」を改めて心に留めて日々の生活を送ってきましょう。
 併せて今月は釈尊の誕生を祝う「花まつり」が執り行われます。釈尊の教えにしっかりと耳を傾け、新年度のスタートを切りましょう。     合掌

2023(令和5)年3月 御命日法要について 2023年03月14日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 友人との会話の中で、恩師のことが話題にのぼると、互いに口をそろえるように「厳しくて優しい先生」という思い出が出てくる。
厳しさと優しさということばは、一見大きくかけ離れた感を抱かせるが、実は互いによりそうような関係にも思えてくる。つまり、厳しさの中に優しさが、優しさの中に厳しさを感じとっていく世界が知らされるということである。本当の優しさは、厳しさの中から出てくるものであろう。恩師の姿を偲びながらそのようにも思えてきた。「明来闇去(みょうらいあんこ)」ということばがある。光によって闇が破られるという意味だが、闇があるから明かりがあると見ることができるのではないだろうか。また、闇をよく見るものは、光を見るともいう。闇は私たちの姿である。その煩悩具足の凡夫である私を見つめるということは、同時に仏さまの光の中に浴しているということである。短日植物であるアサガオは、夏至を過ぎて昼が短くなっていかないと花芽をつけることはない。朝の光を受けて咲くその前に、長くなっていく夜の闇の中で育てられているのである。3月は別れの季節である。別れを悲しむと言うことは、出会いのそのご縁を深く味わっているということであろう。親鸞聖人はその生涯の中で悲しみを深く味わわれた方である。そして、本願に出遇(であ)われ、導かれることにより、それを超えて生きる道を、力強く歩んで行かれた。私たちも聖人を慕い、み教えを聞いていく日々を送りたい。
「2023(令和 5)年 3 月 1 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

3月御命日法要
○日時 3月14日(火) 16時~
○場所 礼拝堂
○勤行 正信念仏偈
○法話 藤澤彰祐(しょうゆう)師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年3月 今月の聖語・言葉について 2023年03月01日(水)08時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
善知識(ぜんぢしき)の仰せなりとも、成るまじきなんど思ふは、大きなるあさましきことなり。                                 
『蓮如上人御一代記聞書』

  本願寺第八代宗主の蓮如上人のお言葉です。善知識(念仏の教えを勧めてくれる人)が仰ることに対して、できないと思うようなことであっても、まずはできると思ってやるように勧めておられます。普段、「自分にはできない」と思うようなことでも、「頑張ってやってみよう」という気持ちで取り組むことで成し得たりします。むしろやらなかったことによって、後にから「やっぱりやっておけばよかった」と後悔してしまうかもしれません。本当にできるかどうかはやってみないとわかりませんし、「自分にはできない」と決めつけるのではなく、蓮如上人が言われるように、まずは「自分にはできる」と自信を持って、何事にも失敗を恐れずにやってみるよう心がけてみましょう。


【今月の言葉】
好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこ)び迎えられる。つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによってひとの悪意を身に受けることがない。
『ウダーナヴァルガ』                     
                    
 人に何かを伝えるとき、皆さんは何を意識していますか。ことばを発する際、お釈迦さまは「常に好ましいことばを語れ」と仰っておられます。相手のことを考え、優しいことばや思いやりのあることばであれば、聞いた相手はそのことばを歓び迎えてくれるでしょう。しかし、自分勝手で攻撃的なことばを発してしまえば、相手を不快にさせてしまいます。日頃からそのようなことばを使っていれば、いつしか人から悪意を受けるようになるでしょう。ことばの遣い方を間違えると、相手の心を傷つけてしまうということです。好ましくないことば遣いをしていても、自分ではなかなか気づかないものです。「今月の言葉」を通して、日頃の自分を振り返ってみてください。

2022(令和5)年2月 御命日法要について 2023年02月14日(火)08時00分

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たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

人間は強いところ、すぐれたところを見せたがるものだ。反対に弱く、劣ったところは知られたくない。ところが、弱いところ、本音をさらけ出すと、それを受けとる側は構えをはずして普段のままの態度で接してくれて、意外に話もはずむ。私たちには、いつも自分を虚飾で装い、他よりすぐれていると思われたいという気持ちがどこかに潜む。知らず知らずに自分をよく見せようとし、見栄えも尊大さも全くないということは、まず考えられない。自己中心的に生きるということは世間でよく言われることばだが、そこに集約されるように思える。梅の花が咲きはじめ春の兆しがみられる。木々も春を迎えて色鮮やかになるが、冬もいい。ある俳人が、木々の葉が厳しい寒気にあたって落葉し、裸の木となり、色を失った野山となる。それを眺めるとなんとなく安らぎをおぼえる。それは、虚飾を捨てきった風景のせいであろうかと言った。虚飾ということばにかぎりない深みを感ずることである。親鸞聖人は、中国の善導大師のことば「外に賢善精進の相(そう)を現じ、内に虚仮(こけ)を懐(いだ)くことを得ざれ」を読みかえられ、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり」とされた。大きな内容の転換である。どこまでも虚仮不実な身であると聖人はいただかれたのである。そうした我々がまかせよ、かならず救うという南無阿弥陀仏のよび声を聞き、如来の願力によって救われていく。聖人ご誕生あればこそ、このみ教えに出遇あえたのである。

「2023(令和 5)年 2月1日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

2月御命日法要
○ 日時 2月14日(火)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 杉本光仁(ありひと)師(浄土真宗本願寺派布教使)

※1月16日(月)御正忌報恩講法要ご満座 新しい「領解文(りょうげもん)」(浄土真宗のみ教え)についての御消息が発布(別添)

令和4年度 涅槃会 2023年02月08日(水)14時00分

本日10時から涅槃会をお勤めしました。昨年と一昨年はオンライン配信でしたので、ようやく講堂でのリアル涅槃会となりました。

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ご講師は、浄土真宗本願寺派布教使の藤澤彰祐(しょうゆう)先生でした。藤澤先生は子どもの頃から「醤油」と人にからかわれ、ご自身の名前を嫌いだったそうです。しかし、大人になって「お念仏のみ教えを大事にしていってほしい」という願いが込められていることに知り、その名前の奥に込められた願いにったときに、ご自身の名前を好きになったと言います。そして、「これが出会い直しというものだ」とおっしゃいました。

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次に、お釈迦さまと阿弥陀さまの違いについてお話されました。お釈迦さまは2500年前にインドでお生まれになった方ですが、阿弥陀さまは人間の体をもってお生まれになった方ではありません。
お釈迦さまは亡くなられたのではなく、さとりとして私たちを導き、仏法に出遇えるようにご縁を結んでくれている。心の目を見開いたときに出遇える究極のさとりの世界に入っていかえれたことから「涅槃に入られた」と言い、お釈迦さまがさとりの心の目で出遇っていかれたのが阿弥陀さまなのです。そして、お釈迦さまは「自分の人生の意味もいのちの意味も、阿弥陀様に出遇わないと出遇えないよ」と私たちに説いてくださったのです。そして、藤澤先生は「仏さまの心に出遇うということが、本当の自分に出遇うということ」だと示されました。

最後に、お釈迦さまの弟子の一人であったシュローナのエピソードをお話されました。自分の足で歩く必要すらなかったお金持ちのシュローナは、お釈迦さまの弟子となります。しかし、歩くことがなったシュローナは托鉢にまわることすらままならず、教団を去ろうとします。それを見たお釈迦さまは、ヴィーナ(弦を弾いて演奏するインドの發弦楽器)の名手だったシュローナに対し、ヴィーナの弦を通して「人や過去、理想の自分と比べず、あなたにとってできることを精一杯やりなさい」と諭したのでした。そのお言葉に触れたシュローナは、教団を去ることをやめ、いのち終えるまで自分の精一杯の努力をされたのでした。このシュローナと自分を重ねたとき、生徒たちはいろいろ考えせられたのではないでしょうか。

2023(令和5)年2月 今月の聖語・言葉について 2023年02月01日(水)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
急いで善を行え 心が悪を楽しむ前に            『ダンマパダ』

 今月の聖語は、釈尊が示された言葉です。心が悪いことを楽しむ前に、急いで善い行いを行いなさいという意味です。
 さて昔、中国のあるところに、木の上にお坊さんが住んでいました。木の上に住んでいたので、鳥の巣和尚おしょう
とも呼ばれていました。
 ある時、白居易という有名な詩人がその和尚に次のような質問をしました。
 「仏教の大意とは何でしょうか」と。和尚は答えます。「悪いことをせず善いことをするということだ」と。続いて白居易は言います。「そのようなことは三歳の子どもでも知っています」と。さらに和尚は答えます。「三歳の子供でも知っているが、八十歳の老人でも行うのは難しい」と。
 この逸話が示すのは、善い行いをすることが大切なことは誰でもわかっているけれど、実行に移すのは本当に難しいことです。なぜそれが難しいのかに対する答えはこの逸話には示されませんが、今月の聖語はその答えを示してくださっているように思われます。
 寝る前におかしを食べ過ぎてしまった」「ゲームをやりすぎてしまった」・・・。
 ついつい悪いことを楽しんでしまうのがこの私です。でも少し立ち止まって、今月の聖語を思い出してくださいね。

【今月の言葉】
×より○がよく見える「心の目」を大切に       東井義雄
 
 数年前、筆者の担当する授業でたびたび集中力を欠いて私語をしたり、寝たりする生徒がいました。当時彼は、私の中では評価の「悪い」生徒でした。
 ある日仏参中にある先生が倒れられました。「バタン」という音で、周囲は騒然となりましたが、その中でいち早く先生の近くまで歩み寄り、手を握り「大丈夫ですか」と尋ねたのは、その「悪い」生徒でした。そのとっさの判断の良さは、大人を凌ぐものでした。目が覚める思いがしました。
 人間を一面的に評価してはならないし、そもそもできないということをその生徒が教えてくれたように思います。まさにこれは、一面的な見方にしばられない、そして一人一人の愚かさも尊さもまるごと認めていてくださる仏さまの視点です。もちろん仏さまと同じようにはなれませんが、家族・友人・クラスメイトとのさまざまな人間関係の中で、この視点を大切にしていければと思います。

令和4年度 報恩講 2023年01月12日(木)13時30分

本日は本校において、10時から報恩講をお勤めしました。報恩講とは、親鸞聖人を偲びつつ、親鸞聖人の教えを聞かせていただく行事です。

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法話のご講師は、本願寺派布教使の朝山大俊先生でした。朝山先生は今年が親鸞聖人がご誕生されて850年であることを紹介され、次いで、親鸞聖人が誕生された年(1173年)がどのような状況であったかを、鴨長明の『方丈記』の内容を挙げながら語られました。生まれた時代は違えど、その時代に生きられ出家された親鸞聖人に対しての思いを馳せました。

また、師匠と弟子の関係性から、朝山先生は親鸞聖人の弟子であった唯円坊が書き記した『歎異抄』より、1つのエピソードを語られました。親鸞聖人が「千人の人を殺せば、おまえは必ず往生できる」と唯円坊におっしゃり、「親鸞聖人をいうことには決して背かない」と言った唯円坊が、「千人どころか一人も殺すことはできません」と返答。そのとき親鸞聖人が「おまえが一人すら殺すことができないのは、おまえの中に、殺すべき縁が整っていないからである」とおっしゃったという内容です。「さるべき業縁もよをせば、いかなるふるまいもすべし」とあるように、時代や環境によってどのような行いもしてしまう可能性あるということを、自分の身に置き換えて考えさせられました。

2023(令和5)年1月 今月の聖語・言葉について 2023年01月01日(日)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。 
                          『ダンマパダ』

 『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 ここで述べられているように、釈尊は自己に打ち克つことの大切さを説いています。日常生活を振り返ると、私たちはよく周りの人と比較し、そこで優越感や劣等感を感じることがあるのではないでしょうか。もちろん、周りの人からの良い刺激を受け、自らを高めていくことは大切なことです。しかし、本当に重要なことは、自分以外の他と比較して得られるものではなく、自分自身の壁を乗り越えた先にある成長や、自ら掲げた目標に対する達成感ではないでしょうか。
 新年を迎えました。今月の聖語で釈尊が示すように、「自己にうち克つこと」を日常の教訓として、今年も勉強やクラブ活動など、自らの目標に日々精進していきましょう。


【今月の言葉】
とおく、いのちをもたずして、今日ばかりと、おもえ  蓮如上人

 今月の言葉は、浄土真宗代八代宗主の蓮如上人のお言葉です。「いつまでもいのちがあると思わず、今日だけのいのちかも知れないと思いなさい」という意味です。
 みなさんは一休という僧侶を知っていますか。とんちが有名で、実際に室町時代に生きた臨済宗の僧侶です。蓮如上人も一休さんと同じく室町時代の僧侶で、宗派を超えて交流があったことが伝えられています。
 一休さんは次のような歌を残されました。
  門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

一休さんは正月に骸骨を竹の棒に差して、「ご用心、ご用心」と言いながら京の都を歩き回ったそうです。正月は新年を迎え、めでたい日です。しかし、一休さんが言うように同時にいつ訪れるかわからない死にも近づいていると言えます。
 蓮如上人と一休さんが共通して述べられていることは、無常である今(今日)という時間、いのちの尊さだと思います。新年を迎えたことを喜びつつ、限りある時間やいのちとしっかりと向き合っていきたいですね。
合掌

2022(令和4)年12月 御命日法要について 2022年12月13日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 すっかりと山々が紅葉している。そこに太陽の光が当たるとさらに美しい。全山燃えるようだという表現があるほどだ。その太陽の光の散乱で赤く美しくなる現象が夕焼けだ。太陽の光の美しさを表現する「燃」と「焼」の2文字。「燃焼」という一つの熟語があるように、2文字の表現は同じ意味のようにも思えるが、微妙な違いがあり、全く重なるわけではない。光の美しさを表現した2つの言葉はそれぞれが必要である。同様に水が器から流れ出ることを指す表現でよく使われる「こぼれる」と「あふれる」もそうである。同じような意味ではあるが、2つには違いがある。そして、どちらの言葉も必要なのである。園児たちがよく歌っている童謡に「チューリップ」がある。「さいた さいた チューリップの花が ならんだ ならんだ あか しろ きいろ」という歌詞は、チューリップの花には変わりはないが、「あか」「しろ」「きいろ」という色の違いが歌われている。同じ花でも違いがあるということを認めて、そして、最後の歌詞となる。「どの花見ても きれいだな」。同じようではあるが、全く重なるわけではないのは私たち人間も同じ。全てが同じようになるのではなく、いろんな違いがあっていいと、互いの違いを認め合うことが大切である。仏さまの目線は「チューリップ」の歌と同じ「どの花見ても きれいだな」である。1人1人がそれぞれに輝いている世界を仏さまは教えてくださっている。

「2022(令和4)年12月1日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

青色(しょうしき)青光(しょうこう)・黄色(おうしき)黄光(おうこう)・赤色(しゃくしき)赤光(しゃっこう)・白色(びゃくしき)白光(びゃっこう) 『仏説阿弥陀経』


12月 御命日法要
○ 日時 12月13日(火)13時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 野田 茜 師(浄土真宗本願寺派布教使) 

令和4年度 成道会 2022年12月02日(金)16時00分

本日は2学期期末考査最終日で、期末考査後、本校講堂にて成道会の行事がありました。2限目(10時05分~)が高3学年のみ、3限目(11:10~)が高2学年以下に分け、本願寺派布教使の野田茜先生にご法話いただきました。

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成道会とは、お釈迦さまが菩提樹の下で悟りを開かれたことを記念する行事です。そのお釈迦さまのお弟子であった、チューラパンタカのお話をされました。お釈迦さまの教えを1つも覚えることができず、自分の名前すら忘れてしまうチューラパンタカ。そんなチューラパンタカに対して、お釈迦さまは毎日掃除をするようほうきを渡し、掃除をするときに必ず「塵を払おう、垢を払おう」と言うように勧められました。言われたとおりに掃除をしていたある日、綺麗にした道を子供たちが汚しました。それを見たチューラパンタカは、ほうきを振り上げて怒鳴りましたが、その時自分の心が汚れていることに気づきます。その後、チューラパンタカは一所懸命修行して悟りを開いたといいます。

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野田先生は「なぜチューラパンタカは悟りを開けたんでしょうか?」と質問されました。チューラパンタカが悟りを開けたのは、お釈迦さまがその人の個性を見抜き、その人にピッタリの教えを説いて下さったからでした。お釈迦さまが説かれた『阿弥陀経』の中にも、「青色青光 黄色黄光、赤色赤光、黄色黄光、白色白光」とあります。まわりの人と比べて落ち込んでいた野田先生は、この言葉を通して「人と比べることなく自分の良いところを出し切ればよいのだ」と思われ、まわりへの見方(景色)が変わり、友達が輝いて見えるようになったそうです。

私たちは、ついつい誰かと何かを比べてしまいがちです。今日のご法話を通してお釈迦さまの教えを聞かせていただき、比べることなく自分の個性(色)を出していきたいものです。