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令和5年度 花まつり 2023年04月10日(月)13時08分

今日は1学期始業式を兼ねて、花まつりを講堂で勤修しました。例年よりも1ヵ月早い実施となり、9時から中学・高1の部を開式しました。

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法話の前に山脇校長先生より式辞が述べられ、その後で本願寺派布教使の田坂亜紀子先生よりご法話をいただきました。

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田坂先生は、まず「おめでとう」と「寿(ことぶき)」という言葉について解説してくださいました。入学といった人生の節目を迎える時に、「おめでとう」という言葉を遣ってお互いを祝福します。「おめでとう」という言葉は、元々愛しいという気持ちを表す「愛(め)でる」という言葉と、その気持ちが爆発した状態を表す「いたす」が合わさったものです。またいのちを表す「寿(ことぶき)」という漢字も遣っていますが、漢字が中国から入ってくる前は「ことほぐ」という日本語を遣っていいたことから、「寿」の読み仮名に「ことぶき」を当てたというお話でした。そんな田坂先生のお寺でご法話をされたある先生が、「いまの時点でいついかなるときでも自分のいのちをおめでとうと祝福し、まわりの人におめでとうという気持ちを持ちながら接していたでしょうか?」と問われたそうです。私たちは段々馴れ合っていくと、そのような気持ちを忘れてしまうのではないでしょうか。「いつでもどこでも変わることなく、自分のいのちやまわりのいのちを考えることは難しく、何事があっても変わらずにこのいのちを祝福してくださる南無阿弥陀仏という仏さまがおられるのです。そして、仏さまのお心を学ばせていただく中に、ちょっとずつ見え方が新しく新鮮になっていくのではないかと思います」と、法話を締めくくられました。

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10時からは高2・3の部が引き続き実施され、「諸行無常」という言葉を説明されました。日本人の多くは平家物語の影響で「儚(はかな)いな」という印象を持ってしまうが、「儚い」だけでなく「成長する」ということも諸行無常です。「夕焼け 小焼けで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」という歌がありますが、田坂先生のお寺は山口県の集落にあります。夕方6時になるとお寺の鐘(現在2代目)がなり、初代の鐘は太平洋戦争中に金属が不足して金属供出令が出され、お寺の鐘も供出しなければなりませんでした。そのような話を同じお坊さんの先輩に話をしたら、その先輩からベトナムの鐘の話を聞きたそうです。戦争があったベトナムで「ココナッツ坊さん」というあだ名で親しまれたお坊さんが、みんなが暗く沈んでいるときに、ベトナム中に散らばっている銃弾や砲弾の残骸(金属)を集め、鐘を作ろうとされました。実際に集め回ってお寺の鐘が完成し、そのお祝いの法要が営まれました。その時の挨拶の内容は、以下のとおりです。

「親愛なる銃弾よ、親愛なる砲弾よ。私はあなたたちがこうして一つになることを手助けいたしました。あなたたちは前世では人々を殺したけれども、後世では毎朝人々の目を覚めさせるために役立っていくのです」

「親愛なる」という言葉はなかなか出なかっただろうが、お釈迦様が「この世は諸行無常である。すべてのものは止まらず移り変わっていく」とおっしゃったように、ココナッツ坊さんは「かつて人を傷つけてしまった金属片たちが、今度は人々に気持ちのよい朝の目覚めや、人間として大切な愛や理解というものへの気づきを促していくような音を奏でる鐘に生まれ変わることだってあるじゃないか」と考えられたようです。田坂先生は「鐘が戦争で持って行かれ、武器に使われてしまって悲しい歴史があったんだな」という時点でとどまっていたことに気づかされたとおっしゃいました。この話を聴き、生徒たちもそれぞれ考えさせられた時間になったのではないでしょうか。