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不安の中でも、仏さまと共に 2020年05月28日(木)16時00分

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 新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた多くの方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、罹患されている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。さらに、懸命に治療・対策にあたられている医療従事者の方々をはじめ、私たちを支えてくれているすべての方々に深く敬意と感謝を表します。
 このような状況ですが、6月1日から学校再開ができそうです。素直に喜ばせて頂くとともに、不安の多い中であっても、仏さまの学校に通わせていただくことの意義についても改めて考えて参りたいと思います。
 本願寺のホームページに次のように示され、新たなポスターが紹介されていました。ポスターの紹介文を以下引用し、ポスターのデータを添付致します。ご覧ください。
 
 「いつまで続くとも見通せない、この新しい感染症に、どう向かい合っていくべきかを考えたとき、足元をしっかり見据えておく必要があるでしょう。
 事は医学の領域ですから、まずは医師の科学的判断と指示を基本とすべきです。
 一方で、私たちの心の中は、必ずしも科学的・理性的な判断ができるわけではなく、「罹患(りかん)してしまうのではないだろうか」、「死んでしまうかも知れない」といった不安も、しばしば起こります。その不安は煩悩(ぼんのう)のしわざ。お釈迦さまのように悟れていませんから、煩悩のわが身は死ぬまで変わりません。
 そんな不安の中でも、「そのままのあなたを引き受ける」と立ち上がられた阿弥陀さまは、はたらきつづけておられます。
 ご門主さまはご消息の中で「縁起(えんぎ)や無常(むじょう)・無我(むが)というこの世のありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の私たちも決して見捨てられることはありません」(取意)と述べておられます。このようにお慈悲の真実を、その心を聞かせていただくことにより、人生のさまざまな状況の中で、右往左往しながらも、目の前の現実にきちんと向き合う道が開かれてくるのです。
 おやさしい南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)に、「ありがとう」と感謝のお念仏が出てくることでしょう。」

2020(令和2)年度「宗祖降誕会・開校記念式」について 2020年05月21日(木)13時00分

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 本日5月21日は、「宗祖降誕会・開校記念式」となっております。本来であれば、全校生徒でお参りするところですが、臨時休校中のため、行事の概要と教職員で行った行事の様子をお伝えします

(1)宗祖降誕会について
 親鸞聖人は1173(承安3)年5月21日、京都の日野の里にお生まれになりました。父は日野有範<ひのありのり>、母は吉光女<きっこうにょ>という方です。聖人9歳の春、青蓮院<しょうれんいん>で得度し、「範宴<はんねん>」と名のり、比叡山で天台宗の学問と修行の日々を過ごされました。
 比叡山に登った聖人は学問や修行に励まれますが、自力の教えに限界を感じられ、比叡山を下りることを決心されました。そこで、聖人は「六角堂」に通われました。そして95日目の暁に夢告を受けられ、法然聖人に出会い、お弟子になられました。しかし、法然聖人と過ごす日々は長くは続きませんでした。1207(承元元)年「承元の法難<じょうげんのほうなん>」に遭い、親鸞聖人は越後(新潟県)へと流罪<るざい>となりました。その後流罪が赦されましたが、すぐに京には帰らず、関東に移られ約20年間の伝道生活を送られました。聖人62歳頃、京に帰られ、親鸞聖人の主著である『教行信証』<きょうぎょうしんしょう>をはじめ、数多くの書物を執筆されました。そして、1263年1月16日、90年の生涯を静かに閉じられました。
 本日は、親鸞聖人のお誕生をお祝いする宗祖降誕会です。聖人の説かれる教えとは、阿弥陀仏の慈悲に照らされ、一切の衆生が本願念仏によって平等に救われるという教えです。親鸞聖人がお示しになった念仏を拠り所に、生かされている喜びをかみしめ、報恩感謝の生活を送りたいと思います。
 また、本日は「開校記念日」であり、本校の前身である金亀教校が滋賀県に開校したのも5月21日です。つまり、本日は宗祖の誕生と本校の開校を祝う日となります。


(2)「開校記念式」について
 今より144年前、1876年5月21日に本校の前身である「金亀教校〈こんききょうこう〉」が滋賀県の彦根城のほとりに開校しました。この日は、親鸞聖人のお誕生をお祝いする「宗祖降誕会」でもあり、本校では毎年、開校記念式と併せてお祝いの法要を執り行っております。


(3)2020(令和2)年度 「宗祖降誕会・開校記念式」について
日時:2020(令和2)年5月21日(木)12時から
会場:本校講堂
※本校教職員のみで実施

式次第
1.合掌・礼拝
2.真宗宗歌
3.読経 「讃仏偈」
4.校歌斉唱
5.恩徳讃
6.合掌・礼拝


 最後に、「行事要文」を載せておきます。これは行事の肝要を短い文章でまとめたものです。宗教行事の際には、代表生徒2名が朗読します。ご一読ください。

行事要文
 平安時代の末期、政治は混乱を極め、戦乱が絶えることなく、天災が相継ぎ、人々は不安な生活を送っていました。そのような時代に、浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、京都日野の里で誕生されました。1173年5月21日のことです。
 親鸞聖人は、9歳の春、出家得度し、比叡山の僧侶となられ、およそ20年間学問と修行に励まれました。しかし、迷いを離れる道を見出すことができずにおられた29歳の時、法然聖人に出会われ、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏する身となられたのでした。念仏者、親鸞聖人の誕生でした。
 その後、90年の生涯を終えられるまで、結婚して家庭をもち、妻を愛し子どもを育て、人間親鸞として人生を歩みながら、お念仏を喜ばれました。そして、いかなる人間でも、あゆむことのできる仏の道、南無阿弥陀仏のみ教えを、不安と苦悩の世に生きる人々に伝え広めていかれたのです。
 親鸞聖人のご誕生からおよそ700年後の1876年、浄土真宗のみ教えを建学の精神に掲げ、本校は誕生しました。
 本日は、お念仏の教えをお示しくださった親鸞聖人のご誕生をお祝いする行事であり、そのみ教えを建学の精神に謳う本校の開校記念を共に祝う日でもあります。 合掌

2020(令和2)年5月 御命日法要について 2020年05月19日(火)10時00分

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私たちのちかい
一、自分の殻に閉じこもることなく
  穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 ウイルス学、電子顕微鏡学の世界的権威であった東ひがし昇先生の著書『力の限界―自然科学と宗教』を思い出し、あらためて読んでみた。偉大な科学者の姿に満腔まんこうの敬意を表したい。先生は単に科学者というだけではなく、深い宗教的な世界に生きられた方でもある。特に『歎異抄』によって目を開かれ、さらに、よき師に遇あわれたことを懐かしく回想されている。
ある新聞に寄せられた文では、「自然界における生命バランスはまことに妙であり、一方が他を撲殺したとき、ともだおれの結果をまねく。生命集団のきびしい鉄則が厳存している」と言われ、これは仏教の縁起の思想に通じるものだとおっしゃる。
 この短いことばに謙虚な心を垣間見る思いがする。それは、生命のバランスということは、憍慢きょうまんなこころからは見えてこないように思えるからだ。おごりたかぶるこころからは互いに支え合って生きていくという発想は起こってこないといってよい。
 日常生活でも慢心ということばが使われる。プロ野球のある球団がリーグ3連覇を達成したとき、そのことを報ずる記事の中に、「慢心なき黄金期を迎えました」という活字が目に止まった。時々思い出している。すべてのものは、互いに関係し合いながら成立する。単独で存在するということは考えられない。そのことに気づくとき、謙虚なこころが出てくるといえる。それが人間を輝かすことにつながっていく。そう思えてならない。(O)
「2020(令和2)年5月1日(金曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
5月 御命日法要
○ 日時 5月19日(火)13時30分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

コロナ禍に対する仏教者(念仏者)の姿勢 2020年05月14日(木)10時00分

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 今回の新型コロナウイルスが社会に与える影響は計り知れません。

 その社会を生きる人間として、これから先どのように生きていけばよいのでしょうか。

 浄土真宗本願寺派総長であり、学校法人龍谷大学の理事長でもあります石上智康先生が、声明を出されました。また、本願寺から新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスターも出されています。

 添付データをご覧ください。

 宗門校に通う一生徒として、浄土真宗を学ぶ一学生として、知っておいてくださいね。

「花まつり」と甘茶配布について 2020年05月08日(金)09時00分

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◇「花まつり」と甘茶配布について
 
 本校では毎年5月8日に花まつりを行っています。花まつりとは、仏教の開祖であるお釈迦さまの誕生日を祝う行事です。
 休校中で、みなさんと共にお祝いをすることができませんでしたが、出勤している教職員のみでお参りを致しました。
 例年通り甘茶を配布します(5/11発送予定)ので、自宅で家族の方と共に、お釈迦さまのお誕生を祝いながら、甘茶をお楽しみください。また、このような不安な時期だからこそ、いつもよりも仏教に耳を傾けませんか。
 新入生は、なぜ花まつりと言われるのか、またなぜ甘茶なのか、疑問に思うかもしれませんが、以下の「花まつりによせて」を読んでみてください。
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◇「花まつり」によせて

 お釈迦さまは今から約2500年前、紀元前5、6世紀頃インドのヒマラヤのふもとルンビニーの花園で釈迦族の王子として誕生されました。父はスッドーダナ王(浄飯王)、母はマーヤー夫人(摩耶)といいます。ある日母のマーヤーが出産のための里帰りの途中、ルンビニーの花園で休憩されたときにお釈迦さまは誕生されたといわれています。
 お釈迦さまの誕生には伝説があります。ある夜、マーヤー夫人は六本の牙を持つ白い大きな象が自分の胎内に宿る夢を見ました。そして、マーヤー夫人はその後すぐに身ごもられました。妊娠されたマーヤー夫人は、
出産のために実家へ里帰りをするための旅の途中、ルンビニー園で休息をとられました。そのとき、そこに咲くアショーカの花に右手をふれたとき、マーヤー夫人の右脇からお釈迦さまが誕生されたと伝えられます。
 男子の誕生によって後継者をえたスッドーダナ王は歓喜しましたが、マーヤー夫人はお釈迦さまを生んで七日で亡くなってしまいました。生まれてすぐに母を失ったお釈迦さまを養育したのが、父スッドーダナ王が後妻としてむかえたマハーパジャーパティーでした。彼女はマーヤーの妹にあたる人物です。実母と
かわらない愛をこめてお釈迦さまを育てられたマハーパジャーパティーは、後にお釈迦さまがさとりをひらき「仏陀」になられたとき、懇願して出家し、教団初の尼僧となるのです。
 さて、みなさんも知っていると思いますが、お釈迦さまが゙誕生されたときに七歩歩まれ「天上天下唯我独尊」(天にも地にもただわれひとり尊い)と宣言されたことは有名な話です。「唯我独尊」という言葉は「この世で自分が一番偉い」という独善的な意味ではありません。この言葉は「世界にたった一つしかないわたしたちの存在は(唯我)、それぞれかけがえのない尊いいのちである(独尊)」ということであります。したがって、私たちは他に代わることの出来ないかけがえのないいのちを生きています。このように、お釈迦さまの説かれた教えを大切にしながら日々の生活を送っていただきたいと思います。
 お釈迦さまが誕生された日は4月8日とされ、灌仏会(かんぶつえ)、花まつりなどの名で各地で仏事が営まれています。ルンビニーの花園になぞられた「花御堂」(はなみどう)とよばれる花でかざった小堂に灌仏盤という水盤の上に安置した誕生仏の像の頭上に柄杓で甘茶を注ぎます。
 本来であれば、「花まつり」は毎年お釈迦さまが誕生されたとされる4月8日に行うべきですが、平安では5月に行うのは、4月は入学式などの行事と重なるためであることをお知りおき願います。 合掌   

2020(令和2)年5月 今月の聖語・言葉について 2020年05月01日(金)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
世の中安穏なれ 仏法ひろまれ           親鸞聖人 

 筆者の祖父は本校(旧制中学校)の卒業生です。昭和二十一(一九四六)年に卒業しました。現在の人工芝グラウンドは、戦時中には食糧確保のため芋畑だったと聞いています。一九四五年八月一五日の終戦まで、祖父はクラブ活動どころか学徒動員のため工場で武器を作っていたそうです。
 学校で学び、クラブで元気に活動できるのは、「世の中安穏」すなわち世の中が平和であるからです。時代を超えて万人が願う平和。しかし昨今、その「平和」が揺らいでいます。新型コロナのパンデミックにとどまらず、戦争・差別・貧困など。
 聖語で親鸞聖人は「世の中が平和になってほしい、仏教がひろまってほしい」と示されています。聖人は仏さまの声に耳を傾けながら、内面の平和ひいては世の中の平和を仏教に求められた方です。
 二〇二二年四月から成人年齢が十八歳に引き下がります。現高一以下の生徒のみなさんは高三で成人となります。誰かが平和をつくってくれるわけではありません。平和をつくるのはみなさんです。

□今月の言葉
戦いで百万の敵に勝つよりも ひとりの自己に克(か)つひとが まことの最上の勝利者よ。 『ダンマパダ』

 仏教では貪欲(とんよく)(欲張り求めるこころ)・瞋恚(しんに)(怒りのこころ)・愚痴(ぐち)(真実を知らないこと)という煩悩こそ、苦の原因だとされます。仏道を歩む上では、誰かと競争するのではなく、自らの内なる煩悩を克服することが大切だとされます。
 さて、社会は大変なことになっていますが、みなさんは元気に過ごせていますか。政治家やメディアは「人類と新型コロナとの戦い」だといいます。しかし実際の戦いは地道なもので、「Stay Home」とか「マスク着用・手洗い・うがい」です。ワクチンや抗ウイルス薬が流通するまで、我慢強く感染予防に努めるしかありません。まさに、自分との戦いです。
 しかし、自分との戦いは、ウイルス予防だけに限りません。これまでにない在宅時間の長さに生活の乱れが懸念されます。昼夜逆転、暴飲暴食、運動不足、ゲームのやりすぎなど。ウイルス感染による被害はもちろん、生活習慣の劣化による健康被害も心配です。
 しかし、このような時だからこそできることは必ずあります。自分にできることを考えて過ごしましょう。ウイルスにも、そして自己にもうち克つことで、ともに最上の勝利者となりませんか。合掌

2020(令和2)年4月 御命日法要について 2020年04月14日(火)09時00分

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私たちのちかい
一、自分の殻に閉じこもることなく
  穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 「聞くことの深さは、深い語りを生ずる」―どこかで出会った言葉である。私たちは人の話をよく聞いているだろうか。家庭でも、社会でもゆっくり話すことなく、すれ違いが多くなっているような気がする。自分の都合によって聞くことも聞かないこともあるようだ。ただ、人は誰でも聞いてほしいという思いをもっていることは確かである。
 現代は、聞くということが忘れられ、また、下手になったという指摘がある。その理由もいろいろあり、核家族化が進んだ、映像メディアの隆盛といったことなどが挙げられている。一度、聞くという意義について考えてみなければなるまい。深い聞き方とは、相手の立場に身を置くということだと思う。単に発せられた言葉を聞くだけでは、深く聞いたとは言えないからである。どういう状況、背景において、どういった思いから出てきた言葉であるか、そこまで踏み込んでいく、そこに深さがある。
 さらに、深く聞くということは、深い語りを生ずるのである。その語りの深さには、他に対する思いやりのこころ、優しさが潜んでいるように思われる。よく知られた「和顔愛語」の愛語には、深く聞くということが前提にあるということである。大切に考えていかねばならないことだといえる。
 親鸞聖人は「賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す」と言われる。ここに示されることは法然聖人の教えを聞くということと同時に、聖人の人格に接するということでもある。味わい深い言葉である。 (0)
      「2020(令和2)年4月1日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

4月 御命日法要
○ 日時 4月14日(火)15時~
○ 場所 ※講堂(通常は礼拝堂にて勤修されますが密閉密集密接を避けるため変更いたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ ◎ みなさん、お揃いでお参りください

2020(令和2)年4月 今月の聖語・言葉について 2020年04月01日(水)09時00分

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 今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
遇いがたくして 今遇うことを得たり 『教行信証』

 この言葉は、親鸞聖人が書かれた『教行信証』に出てくるもので、親鸞聖人ご自身が尊敬すべき師に出遇えたこと、そして真実の教えを聞くことが出来たことへのよろこびを述べられています。
 親鸞聖人はここで「遇」という字を用いていますが、この字は「偶然あう」という意味です。みなさんの日常を振り返ってみても、たまたま同じ学校だった、たまたまクラスが一緒だった、たまたま同じクラブ活動だったなど、人との出遇いとは正に偶然だと思います。4月に入り新入生は中学生活、高校生活がスタートします。2年生、3年生も年度が変わり、新学年として新たな気持ちで始業式を迎えたことだと思います。
 新しい環境になり、この1年もみなさんにとって多くの出遇いがあることでしょう。様々な出遇いを大切にしてほしいと思います。そして、平安での浄土真宗のみ教えとの出遇いも改めて大切にしてください。


□今月の言葉
好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓び迎えられる。
つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによってひとの悪意を身に受けることがない。 『ウダーナヴァルガ』

 『ウダーナヴァルガ』とは、釈尊がふと口にした言葉集という意味であり、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句で表したものです。
 新年度を迎え、新入生にとっては新たな環境での学校生活が始まります。また、中高共に2年生、3年生にとっては、新たなクラスでの学校生活が始まります。そのような中で、今月のこの言葉を頭に入れて過ごしてください。
 仏教では、人間の行いのことを「業〈ごう〉」と言います。そして、その業には3種類あり、それらを合わせて「三業〈さんごう〉」と言います。「身業」は身体での行為、「口業」は私たちが発する言葉のこと、「意業」は、心のはたらきのことです。
 今月の言葉を「三業」に照らし合わせてみると、「口業」に当てはまります。家族をはじめ、クラスやクラブ活動など多くの人との繋がりの中にいます。やはり、自分勝手で自己中心的な発言は慎むべきです。今月の言葉をしっかりと踏まえ、一度自分自身がどのような言葉を発しているか、あなたの「口業」を改めて見つめ直してみましょう。 合掌

涅槃会を勤修いたしました! 2020年02月08日(土)18時51分

2月8日(土)午前10時から、龍谷平安中学・高校合同の涅槃会を勤修いたしました。式次第及び行事要文は、次のとおりです。

式 次 第

開式の言葉
1  「行事要文」
2   献灯・献華 
3  「敬礼文」・「三帰依」
4  「さんだんのうた」・・・校長・生徒代表焼香
5  「念仏」
6   法話・・・長倉 伯博 先生
7  「恩徳讃」
8   合掌・礼拝
閉式の言葉

行事要文

写真八十歳を迎えられた釈尊は、故郷への最後の旅に赴かれたが、途中で病に倒れられた。そして、クシナガラの沙羅の林の、大きくそびえる二本の木の間に身を横たえられた。入滅の近いことを悟られた釈尊は、弟子たちに最後の説法をなさった。
 弟子たちよ、皆それぞれに、自らを灯火とし、よりどころとせよ。他をよりどころとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ。他の教えをよりどころとしてはならない。
 弟子たちよ、わたしの終わりは近い。別離も遠いことではない。しかし、悲しんではならない。この世は無常であり、生まれたものは必ず死ぬのである。今、わたしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すことなのである。
 弟子たちよ、今はわたしの最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。仏の本質は肉体ではない。さとりである。肉体は滅びても、さとりは永遠に法として生きている。わたしの亡き後は、わたしの説いてきた法がおまえたちの師である。
 釈尊八十年の人としての人生の旅は、ここクシナガラの沙羅双樹の下で終わった。しかし、釈尊の説かれた教えは、二千数百年を経た今も、世界の人々の心の中に生き続けている。

写真本日、この涅槃会でご法話をいただいたのは、長倉伯博 先生です。先生のプロフィールは、次のとおりです。

■ 長倉伯博プロフィール
1953年、鹿児島県生まれ。鹿児島県善福寺住職。
早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。龍谷大学大学院修士課程修了。
浄土真宗本願寺派布教使。日本緩和医療学会会員。国立滋賀医科大学非常勤講師。
浄土真宗本願寺派ビハーラ活動者養成研修会修了。
地元鹿児島で、医師や看護師とともに「鹿児島緩和ケア・ネットワーク」を立ち上げ、医療チームの一員として終末期の患者やその家族のケアに取り組むほか、全国の宗教団体や大学等で、宗教と医療の終末期医療における協働を呼びかける講演を行う。

先生のお話は、全校生徒の胸に深く染みこみました。目に涙を浮かべていた生徒もひとりやふたりではありません。私も何度ハンカチを目に当てたことか。お話の内容をここに紹介することは大変に難しいことです。保護者の皆さまは、是非お子様にお聞き尋ねください。また、次のURLを、開いていただくとお話の一端がうかがい知れます。是非ともご一読ください。
※  http://kpcn.umin.jp/05-02.html

仏教青年会連盟 涅槃会の集い 2020年01月31日(金)20時34分

1月30日(木)、午後2時から、本校講堂にて京都府私立中学校高等学校仏教青年会連盟の『涅槃会の集い』を開催させていただきました。この集いには、本校を含む12校の加盟校の生徒の皆さんに参加していただきました。

式次第は、次のとおりです。
開式の言葉
1 行事要文   ・・・  当番校代表生徒
2 献灯 献華  ・・・  当番校代表生徒
3「敬礼文」 「三帰依」 ・・・ 導師焼香
4「さんだんのうた」 ・・・ 校長 焼香
5「念仏」
6「涅槃会の歌」・・・ 加盟各校代表生徒 焼香
7「仏教青年会会歌」
8 校長挨拶、講師紹介
9 記念法話・・・ 三浦明利 先生
10「恩徳讃」
11 合掌・礼拝
閉式の言葉

≪ 涅槃会によせて ≫
写真 涅槃会とは、80歳でこの世を去られたお釈迦さまを偲び、またお釈迦さまの説かれた教えに耳を傾ける行事です。
 お釈迦さまは、35歳のとき悟りを開き、亡くなるまでの45年間、インド各地を巡り多くの人々に教えを説かれました。お釈迦さまは80歳のとき、生まれ故郷であるカピラヴァットゥに向けて最後の旅に出たといわれています。その旅路の途中、クシナガラでお釈迦さまはお亡くなりになりました。クシナガラに到着する前に訪れたパーヴァーという村でチュンダから差し出された食べ物にあたったことが原因だと考えられています。 
お釈迦さまは体調を崩されながらも旅を続け、クシナガラに到着しました。そこで、沙羅双樹の間に頭を北にして横になりました。「世は無常であり、会う者は必ず別れねばならぬのがこの世の定めである。怠ることなく精進せよ。」という言葉が最後の教えとなりました。入滅は2月15日であったと伝えられています。
私たちは時として「変わらないもの」を望みますが、そう思っている私自身も変わっていきます。すべては移り変わることが「真実」であると釈尊は教えます。あの頃に戻りたいと思っても当然の事ながら戻ることは出来ません。今日という一日もまさに最初で最後になります。「無常」という教えから、今日という一日を一生懸命生き抜くことの大切さを改めて考えさせられるように思います。

写真記念のご法話は、浄土真宗本願寺派の龍王山光明寺のご住職、三浦明利 様からいただきました。先生は、2011年に龍谷大学大学院を修了し、同年、CD「ありがとう-私を包むすべてに」でシンガーソングライターとしメジャーデビューされ、本願寺仏教音楽・儀礼研究所研究生を経て、仏教の心を盛り込んだ作詞、作曲、演奏活動に取り組んでおられます。シンガーソングライターの生き様が、新しい女性の生き方として注目され、新聞やテレビ、ドキュメンタリー映画ででも取り上げられています。また、エッセイストとして執筆活動もおこない、『わたし、住職になりました』(アスペクト刊)も出版されています。

※ 次のURLもご参照ください
https://columbia.jp/artist-info/miuraakari/prof.html