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2022(令和4)年2月 御命日法要について 2022年02月15日(火)09時00分

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私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

新型コロナウイルス感染症が世界的に広がり始めてから2年が過ぎた。新たな変異株の出現などもあり、いまだ収束の気配はない。先月営まれた本山の御正忌報恩講は、参拝人数を制限して指定席にし、通夜布教は録画配信にするなど対応に追われた。マスク姿で参拝された門信徒の方々とともに親鸞聖人のご遺徳を偲
しのんだ。この2年、経済的にも大きな影響を受け続けている。ある民間会社の調査では、新型コロナが原因で倒産した法人・個人事業主は全国で 2730 件(1 月 28 日現在)にのぼるそうだ。業種別に見るとやはり飲食関係が多く、飲食店が最多の 453 件、食品卸(おろし)は3番目に多い 141件だった。こうした社会に少しでも役立とうと活動する若者たちに出会った。売り上げの落ちた飲食店の支援に取り組む宗門校・龍谷大学の学生である。新型コロナの影響でリモート講義が増え、キャンパスに人の姿が消えた影響で収入が激減した近隣のパン店。その店に日頃の恩返しをと、対面授業再開後、キャンパス内での出張販売の協力を申し出た。学生は1回目の出張販売後に、お店の方から『売れてよかったよ。ありがとう』と声をかけられた。とてもうれしかった。やってよかった」と話した。学生が日頃から受けていた恩を知り、感謝の行動に移した姿に学びたい。今の社会には、感謝の心で過ごすことが大事だと深く感じた。そのためには、まず自分が恩を受けていることを知るのが第一歩。

「2022(令和 4)年 2 月 10 日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

2月 御命日法要
○ 日時 2 月 15 日(火)16 時 00 分~
○ 場所 ※講堂(密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

オンライン涅槃会 2022年02月08日(火)16時00分

 本日は、本校の礼拝堂で涅槃会を勤修しました。そして、昨年と同じくオンラインとなりました。

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 この度のご講師は、浄土真宗本願寺派布教使の朝山大俊先生です。朝山先生は本校の卒業生でもあり、貴重なご法話をいただきました。

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 最初に、朝山先生は「仏さまに手を合わすのはどういう意味か」ということについてお話されました。仏さまに手を合わせて頭を下げる(合掌・礼拝)のは、仏さまのことを尊敬する、あるいは仏さまを人生におけるよりどころにするという意味です。そして、仏さまの姿かたちに現れ出たお心こそ、人生におけるよりどころとしていきますということを表すために頭を下げるのです。そして、その仏さまのお心が言葉になって説かれたのが、お経です。

  天親菩薩が「お経とは何なのか」ということについて、「最清浄法界等流」と示されています。最も清らかなる世界から等しく流れ出たものがお経であり、仏さまのお悟りの心そのものが言葉となって現れ出ているということです。『仏説観無量寿経』の中に、「仏さまの心とは、大慈悲これなり」と説かれているように、その心とは「大慈悲心」です。「大」とは、分け隔てがないということです。「慈悲」とは、他の者の幸せを自らの幸せとし、他の者の悲しみや苦しみを自らの悲しみや苦しみとして引き受けていくということです。つまり、あらゆるいのちの幸せが私の幸せであると受け止め、あらゆるいのちの悲しみや苦しみが私の悲しみや苦しみとして引き受けるという心を「大慈悲心」というのです。

 朝山先生はその後に、「人の幸せは嬉しいですか。悲しんでいる人や苦しんでいる人がいたら、かわいそうやなぁと思っても、代わってあげたいとは思わないのではないですか」と、投げかけられました。私たちは他人の幸せよりも自分の幸せを考えてしまいがちです。他人のことを考えられるのは心に余裕があるときであり、心に余裕がなくなると自分の幸せが一番だと思ってしまう。それが私たちの本性であると指摘されました。
 
 さらに、「自分さえよければいいという心を持ちながら、仏さまを拝む身になれたことはすごいことです。お釈迦さまがお出ましにならなければ、あり得なかったことです」とおっしゃいました。私たちが仏さまを拝む身になったということは、尊いものが何なのかを知らされた姿です。尊いものが知らされたら、尊くないものがわかる。尊いものが仏さまのお心である「大慈悲心」だとしたら、尊くないものはその反対の心、つまり自分さえよければよいということです。つまり、「それはよくないことなんだな、恥ずかしいことなんだな」ということに気づかされるということが、尊いことが知らされるということなのです。

  今日の朝山先生のご法話に聴聞し、仏さまに手を合わせつつ、そうならないように意識していきたいものです。

2022(令和4)年2月 今月の聖語・言葉について 2022年02月01日(火)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
足ることを知らない者は富んでいても貧しい 『遺教経』

 筆者が小学生の時、スーパーファミコンというゲーム機が発売されました。欲しくて仕方がなかったですが、お小遣いでは買えません。親に買って貰えたとき、天にも昇る気持ちでした。
 ですが、しばらくすると他のゲームソフトが欲しくなってきます。学校の休み時間、友達から「新しいゲームソフトが出た」と聞きまた欲しくなる。が、一つ数千円ほどの値段は小学生には簡単に手が届かない。欲しいけど買えない。その繰り返しで、最初はゲーム機を買えただけで満足だったのに、いつの間にか不満だらけです。
 欲しいものが手に入っても、また欲しいものが出てくる。ものだけではない、地位も名誉も。「足ることを知らない」とはこのようなことです。いつまでも満たされないのですから、精神的には貧しいのです。それを釈尊は「富んでいても貧しい」と仰(おっしゃ)っています。
 もちろんお正月のお年玉はうれしいですが、額(がく)の多少に関わらず思い出して下さい。「足ることを知った」時、よろこびはひとしおだということを・・・。

【今月の言葉】
仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。 『蓮如上人御一代記聞書』
 
 「明日があるさ明日がある♪」
 坂本九さんが歌った八十年代の名曲です。今でもCMで、耳にすることがあります。
 さて、予習復習、家の手伝いなど、今日中にすべきことがあっても、スマホ・ゲーム・テレビの誘惑に負けて、「明日があるさ」と後回しにしてしまうことはありませんか。楽観的になることも必要な時もありますが、目先の享楽(きょうらく)に心を奪われ、大事なことを見失うのは要注意。
蓮如上人は「仏法については、明日ということがあってはならない」と、おっしゃられています。人間のいのちは、はかないもので、明日はどうなるかわかりません。にもかかわらず、時間に追われた生活の中では、仏法を聞くということも、おろそかになってしまいがちです。
 今月の言葉は、本当に大切にすべきことをついつい後回しにしてしまう我々の姿を言い当てられ、忠告されているのです。

令和3年度 報恩講 2022年01月13日(木)11時14分

本日は本校において、報恩講をお勤めしました。報恩講とは、親鸞聖人のご命日をご縁として、親鸞聖人のご恩に報いる集まりであり、浄土真宗では最も大切な法要です。また、親鸞聖人を通して私たちが阿弥陀さまに出遇わせていただいたということを喜ばせていただく御縁でもあります。

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この度のご講師は、本願寺派布教使の鴬地清登先生でした。鴬地先生は、親鸞聖人が「阿弥陀さまと出遇うときには、阿弥陀さまのお心を聞かせていただくことです。そして、南無阿弥陀仏というお念仏は、阿弥陀さまが私たちを喚(よ)んでくださっている声です」と教えてくださっていることをお話されました。どのように喚(よ)んでくださっているのかと言えば、「あなたのいのちを決して空しくは終わらせない」ということです。私たちが「無駄だ、無意味だ」と思うことであっても、阿弥陀さまから見れば、それは人生において尊いことであり、何一つ無駄なことではないということです。

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鴬地先生は、親鸞聖人の比叡山での修行について話された後、ご自身のことを紹介されました。元々在家のご出身で、同志社大学法学部で法律を学ばれ、20歳から29歳までの9年間、司法試験を受け続けたそうです。当時の受験者数は8~9千人が受け、合格するのは2千人。受け続けることでどんどん自分の世界にとわれ、自分よりも上位の受験者に対して劣等感を持ち、また下位の受験生に対しては優越感を持たれた鴬地先生。また、今までの時間が無駄だと感じられました。後に僧侶へ転身後、「人と比べて喜んだら相手が傷つく、人と比べて悲しんだら自分に傷つく」という言葉に出遇われます。ご法話を含めて、本日の行事を通じて、あらためて阿弥陀さまのお心を聞かせていただく御縁となれば幸いです。

2022(令和4)年1月 今月の聖語・言葉について 2022年01月01日(土)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
善き人々は 遠くにいても輝く ‐雪を頂く高山のように  『ダンマパダ』

 釈尊が述べられるように、善き人は遠くにいても輝いているように思います。ここでいう「善き人」とは仏教的な意味では、仏教が目指すべき煩悩を離れた「真理(さとり)に達した人」を指します。このような人を釈尊は雪山に譬え輝いていると讃えておられます。
 この言葉を広く日常生活に置き換えて考えてみると、例えば「何事も一生懸命に取り組む人」、「仲間を大切にする人」、「部活動において凄い技術を持っている人」などが「善き人」に当てはまるのではないでしょうか。そして、それらの「善き人」は自分自身にとって、仮に学校やクラス、部活は違ったとしても、キラキラと輝いて見えるのではないでしょうか。
 仏教の教えを学ぶなかで、釈尊が説く「善き人」という意味を味わい、今年も自分自身と深く向き合いながら日々の学校生活を送っていきましょう。

【今月の言葉】
今を生きて咲き 今を生きて散る 花たち 
今を忘れて生き 今を忘れて過ごす 人間たち  坂村真民

 花壇や道端に咲いている花を見てあなたは何を感じるでしょうか。坂村さんは、その花と自分自身の姿を重ねたのでしょう。この詩には続きがあります。「ああ花に恥し 心いたむ日々」と締め括られています。
 日々の生活の中で、つい忘れがちになってしまいますが、「今」という時間を大切にし、道端の花が美しく彩るように、私たちも自分という花を精一杯咲かせていきたいものです。ふと花を見たとき、「今を忘れて生きていないか、過ごしていないか」と思い出してください。
 新しい年(2022年)がスタートしました。改めて時間の早さと「無常」を感じます。何事においても節目の時期は大切なものです。平安の「三つの大切」の一つでもある「時間」を改めて心に留め、勉強や部活動など、それぞれの目標に向けて、「今」を忘れず、日々精進していきましょう。

親鸞聖人御誕生850 年・立教開宗 800 年慶讃法要 プロモーション動画の配信について 2021年12月15日(水)13時00分

このたび、2023(令和5)年にお迎えいたします親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要のご修行に向け、プロモーション動画が制作されました。この慶讃法要プロモーション動画は、本校中学3年の生徒にもご協力いただき撮影されたものです。ぜひ、多くのみなさまにご覧いただきますようお願い申し上げます。

浄土真宗本願寺派
「親鸞聖人御誕生 850 年・立教開宗 800 年慶讃法要」プロモーション動画
<収録内容>オープニング
親鸞聖人のご生涯について
立教開宗について
法要の趣旨・期日について
本願寺(文化財)のご紹介と参拝のご案内
エピローグ
愛唱歌「みんな花になれ」のご紹介

https://www.hongwanji.kyoto/info/000933.html

2021(令和3)年12月 御命日法要について 2021年12月14日(火)09時00分

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2021(令和3)年度 御命日法要【12月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

いささか古い話だが、こころに残る話を 3 つばかり。まずはカナダ(カナダ開教区)の僧侶から直接聞いた話。メンバー(門信徒)の家にお参りにいくと、玄関のドアに「犬に注意」と掛けてあった。それが 2 度目にお参りしたときには「人間に注意」に変わっていた。その僧侶は、救いのはたらきを受ける己の姿をあらわす〝機の深信(じんしん)〟を交えながらその話を語ってくださった。この家に住んでいる人はきっと仏法を聞かれる方なのだろう。
次は、新聞紙上での話。やはり外国でのこと。ある動物園で、「世界一怖い動物」という看板が檻(おり)にかけてあった。見にきた人は恐る恐る中をのぞいたが、何もいない。よく見ると近くに鏡が置いてあり、それに自分の顔が映っているのであった。最後はこんな話。今度は日本のこと。これも随分前の話になる。福井の吉崎別院にお参りにいったときだった。かなり人生の経験を積まれた女性が朝食の準備をされている。そこへ若者 2 人がやってきて尋ねている。蓮如上人の伝説にある鬼の面が置いてある所が 2、3 カ所あるが、どれが本物か。その女性は「本物の鬼が見たかったら、そこに鏡がある。それに自分の姿を映してごらん」と言われた。私たちは常日頃から、自分の顔や姿を見るために鏡の前に立っている。しかし、鏡に映る自分を「なんと恐ろしい姿だ」と見ることはないであろう。仏法を聞くということは、鏡に映すように己の本当の姿が知らされていく、ということなのである。
「2021(令和 3)年 12 月 1 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

12月 御命日法要
○ 日時 12月14日(火)16時00分~
○ 場所 ※礼拝堂(中学音楽祭予行で講堂を使用するため礼拝堂にておつとめいたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

令和3年度 成道会 2021年12月07日(火)16時00分

本日は、本校において成道会をお勤めしました。成道会とは、仏教を開かれたお釈迦さまが悟りを開かれた日です。3限目が高3の部で、高3生が後期考査最終日を終えて講堂に集まりました。

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5月の宗祖降誕会から引き続いて、広島の中村啓誠先生よりご法話をいただきました。まず、式次第の冊子に載せていた『ダンマパダ』の御文を挙げられました。

「戦いで百万の敵に勝つよりも ひとりの自己に克つひとが まことの最上の勝利者よ」
『ダンマパダ』

続いて、キアヌ:リーブス主演の映画『リトルブッダ』より、お釈迦さまが悪魔に打ち克った(これを「降魔成道」という)場面を紹介されました。菩提樹の下で瞑想をしていると、お釈迦さまの前にたくさんの軍隊が現れ、一斉に火矢をお釈迦さま目掛けて放ったところ、お釈迦さまの頭の上で花となって舞いました。この軍隊はお釈迦さまの心の中にある怒りの心(正確には「瞋恚」という)であり、お釈迦さまを苦しめている悪魔というのは、そうした煩悩の心であり、まさに「敵は我の中にあり」ということです。その煩悩に打ち克った日が、12月8日なのです。

また、12月8日は「真珠湾攻撃の日」でもあります。日本軍の奇襲攻撃によって大勝利を納めましたが、中村先生は「その日は日本人が負けた日なのです。誰に負けたのかというと、自分の心(アメリカを滅ぼしたいという怒りの心)に負けたのです。アメリカもまた、原爆投下の日(8月6日)に煩悩によって負けたのだと思います」とおっしゃいました。

そして後半では、旧日本銀行広島支店長らが被災者のために業務を再開させ、焼けてしまって預金通帳や印鑑を持たない人たちに対して、求められた分の金額を提供したというお話がありました。その後、預金帳簿を確認したところ、銀行側が余分に出したお金はなく、それは被災者が誰一人「嘘をついて多額な金額を引き出そうとしなかった」ということでした。中村先生はその史実について、「アメリカは原爆で広島の街や人を焼いたかもしれないが、広島の人たちの心に宿っている仏の心までは焼くことができなかった。己の中の煩悩に振り回されないように、仏さまならどう生きていくのかを考えて行動するか。それが真の勝利者だと思う」と、法話を締めくくられました。

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続いて、4限は中学・高1・高2の部でした。高2は講堂、それ以外の学年は各クラスで視聴となりました。お釈迦さまが悟られた「諸行無常(すべてのものは移り変わり、滅びないものはこの世にはない)」についてお話されました。その際、「すべてのことには終わりがあるという考えは、人の気持ちを楽にする。ずっと物事が続いていくと、そのものの魅力は半減する」と述べられました。次に、アップルの創立者である故・スティーブ・ジョブズ氏を紹介されました。ジョブズ氏は17歳の時から、毎朝、鏡を見て「もしも人生最後の日だとしたら、君がやろうとしていることは、本当にやりたいことなのか」と、自分に問いかけていたそうです。「今日が人生最後の日だったら、いのちというのは短いから、だからこそ今私が何をしなければならないのかがはっきりしてくるのだと思います。ずっと生きているのだったら、人生の目的がわからなくなるんだろう」と、中村先生はジョブズ氏から教えられたそうです。今日の成道会は、あらためて「いのちの尊さ」を考える時間となりました。

2021(令和3)年12月 今月の聖語・言葉について 2021年12月02日(木)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
目的を捨てて楽しみばかり向かう人は、やがて正しい道を歩む人を羨(うらや)む。
『ダンマパダ』

 いよいよ今年も残り1ヶ月となりました。12月に入ったことで、来年の抱負などを考えている人もいることでしょう。現在、新型コロナウィルスによる感染者も減少傾向にありますが、海外で感染確認された変異株「オミクロン株」が、日本でも感染が確認されました。再び感染が拡大するのではないかという不安がよぎりますが、やらなければならないことがあれば、感染防止に配慮しながら、目的や目標に向かってやるべきだと思います。
 さて、今月の聖語はお釈迦さまの言葉です。ゴールを目指して道を走っていたのに、つい寄り道をしてしまい、後でちゃんとゴールした人を見て羨む。たとえば、テストで良い点数をとるために勉強していたにも関わらず、休憩のつもりでついテレビを観たり、携帯を長い時間触ってしまったようなものでしょう。その結果、テストで点数が取れず、「あのとき遊んだりせず、もっと勉強しておけばよかった・・・」と後悔し、しっかりと勉強して良い点を取ったクラスメートを見て羨む。
 今月上旬は、高三学年が最後の後期考査、高2学年以下はSUTが実施されます。テスト勉強は大変だと思いますが、今月の聖語のようにならないよう、精一杯頑張りましょう。

【今月の言葉】
一番あてにならぬのはわが心です 武宮 礼一(のりかず) 

 よく「他人(の心)はあてにならない」と言いますが、実は一番あてにならないのは私の心なのかもしれません。私たちは、自分の都合や損得勘定(何が得で、何が損なのか)によって、物事を判断しているのではないでしょうか。たとえば、仲の良い友達であれば、相手のことを好きだという気持ちが強いでしょう。しかし、一旦喧嘩になってしまえば、仲の良い友達であっても、相手を嫌いになってしまうことさえあります。こうしたように、人の心というものは、状況に応じてコロコロ変わってしまうのです。また、私たちには自己中心的な心があり、その心の中には物差しというものがあります。その物差しで、他人や物事を測り、判断したり決めたりしているのです。他人と接する場合、相手にも物差しがあり、その物差しは人によって違うのです。そして、自分の物差しが決して正しいとは限りません。私の心はあてにはならないものであることを、一度見つめ直すことが大切なのだと思います。

宗教教育係

2021(令和3)年11月 御命日法要について 2021年11月16日(火)09時00分

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2021(令和3)年度 御命日法要【11月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

ある結婚式の帰り、ふと「邂逅(かいこう)と別離」ということばが浮かんだ。同時にかなり前の結婚式のことも。挨拶に立った方が、お二人にはこれから別れが始まります、という趣旨の話をされた。こんなところで、とも思ったが、よく考えてみると、出会いがあるということは別れる日の来ることを作っているのだと思えば納得できる。めぐりあうことと離れることは決して別物ではないと思えてくる。仏教では、生者必滅 会者定離と説く。生まれたらみんな滅んでいく。その「みんな」の一語に私が入っていけるか問いたくなる。また、別れの悲しみを避けようとすれば、会わなければよいのだが、そうはいかない。四苦八苦のなかには、愛別離苦、怨憎会苦という苦がある。親鸞聖人は別離の悲しみを深く味わわれた方である。ご幼少の頃に両親と別れられ、流罪にあたっては法然聖人と、また60歳を過ぎた頃の帰洛に際しては関東の門弟たちとそれぞれ別れ、晩年には、信じきっていたわが子・善鸞を義絶されている。私たちはいつまでもいい状態が続くことを願っている。このままでいたいと思う。しかし、現実はそうはいかないし、何が起こるかわからない。その場合、よく口から出てくるのが無常という語だ。「白骨の御文章」には、「すでに無常の風きたりぬれば」というくだりがある。遠くで吹いている風が、たまたま吹いてくるのではない。無常の風は必ず吹くのであり、その風は常に私のまわりを吹いている。

「2021(令和 3)年 11 月 1 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

11月 御命日法要
○ 日時 11月16日(火)16時00分~
○ 場所 ※講堂(今年度も密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ