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2021(令和3)年9月 御命日法要について 2021年09月14日(火)09時00分

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2021(令和3)年度 御命日法要【9月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


歌舞伎役者・片岡仁左衛門さんの芸に対する思いを記した新聞記事に、「歌舞伎は『型』の芸、『様式美』と言われます。型から入ることは大切ですが、もっと大事なのは、なぜ、その型が生まれたのか、その理由、経緯を研究することです」とあった。こころ揺り動かされる思いがした。
その道を究めた人にして言いうることだと思った。私たちは、目の前にある型に目を奪われたり、その型を覚えることに一生懸命になる。もちろんそれも重要ではあるが、型の出てくる背景を考えていくことも大事だといえる。
浄土教の研究もそうだ。まず経典(浄土三部経)の文章(型)をとりあげる。しかし、浄土教がどう興起し、経典を編纂したのはどんな人たちであったのか、この点の研究を忘れてはいけない。単に型を覚えるだけでは、型そのものが持つ意味、今後のあり方を考えていくことにはつながっていかないだろう。
片岡さんはさらに、芸を書道の世界に例えて、「今の若い役者さんは大変器用でのみ込みも早く、最初からいきなり草書をうまく書けます。しかし、基本をしっかり学んだ人の草書と、そうでない人の草書は、見る人が見れば、一目瞭然です」と。楷書、行書があって草書ということである。早く結果を出したい、早く結果を知りたいという気持ちがどこかに潜んではいないか。華やかな活躍の姿のみに目を向けず、そこに到る過程に思いをよせ大事にしたい。基本を大切にするとは、そういうことであると思う。

「2021(令和 3)年 9 月 1 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


8月御命日法要
○日時 9月14日(火)16時00分~
○場所 講堂(密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○法話 勤行(讃仏偈)のみ

2021(令和3)年9月 今月の聖語・言葉について 2021年09月01日(水)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏(あんのん)であれ、安楽であれ。
『スッタニパータ』

 この夏、全国で新型コロナウイルスによる感染者数が爆発的に増えました。関西では、大阪がすでに緊急事態宣言を発令していましたが、先月には京都・兵庫も追加され、その期間を今月12日までとしています。繰り返し出される緊急事態宣言に対して、「またか」と感じてしまう人も多く、緊急事態宣言による人流の抑制効果は以前よりも低いように思われます。  
 さて、今月の聖語はお釈迦さまの言葉です。この言葉の前には、「他の識者(物事を正しく判断できる人)の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない」とあります。自粛にも関わらず、身勝手な行動は批判の的になりますし、まわりの人にも悪影響を与えかねません。人は少なからず自己中心的になりがちであり、今月の聖語を通して、あらためてそのことを考えたいものです。私たち一人一人がそのことを意識して行動すれば、皆が一日でも早く幸福・安穏・安楽(不安のない心安らか)な生活を送れるようになるのではないでしょうか。


【今月の言葉】
根を養えば樹は自ら育つ 東井義雄

 今月の言葉は、日本の教育者である東井義雄先生の言葉です。立派に伸びている樹は、その分、土の中でしっかりとした根を張っています。当然、その根の部分は表には見えません。根を土台(基礎・基本)と考えたとき、その根をしっかり養っていけば、おのずと成長につながります。皆さんは、勉強や部活動、習い事などに日頃励んでいると思います。どれにおいても、知識を学んだり、技術を身に付けるためには、土台(基礎・基本)が大切です。
 ちょうど先月、東京オリンピックが開催されました。シドニーオリンピックの女子マラソンで金メダルを取った、元陸上競技選手の高橋尚子さんが、「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く」という言葉を座右の銘にされています。高校時代、高橋尚子さんはなかなか芽が出ませんでした。そんな時に、恩師から贈られた言葉だそうです。そして、諦めずに走り続けた結果、土台となる根を養うことで、オリンピックで活躍するまでに至ったのです。
 誰しも、何をやってもうまくいかないような厳しい時期があります。そんなときは、今月の言葉を思い出し、どのように行動して強い根を張ればいいのか考えてみてください。                                                                                                                                                                                                                                     

2021(令和3)年8月 御命日法要について 2021年08月17日(火)09時00分

2021(令和3)年度 御命日法要【8月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

■「みんなちがって、みんないい」
お浄土には「蓮華」が咲いていると説かれています。蓮華はお釈迦さまが最も好まれた花として知られます。それは「さとり」の象徴だからです。皆さんは蓮華が咲いている様子を見たことがありますか? 自然で蓮華が咲くのは大抵、池や沼。高原の陸地には咲かず、泥沼の底に根を張って花を咲かせます。この泥を、まさにドロドロとした世俗と見ると、その濁りの中で清らかな大輪をつけるのですから、まさに、蓮華はさとりの象徴なのです。
『阿弥陀経』には、お浄土に咲く蓮の花は「青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり」と説かれています。青や黄、赤、白の色とりどりの蓮華が咲き、それぞれがその個性のままに輝いて、気高い香りを放っているというのです。

童謡詩人・金子みすゞさんの詩「私と小鳥と鈴と」です。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のようにたくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。 (『金子みすゞ童謡全集』)

私たちはみんなそれぞれに個性があります。そして個々の命に優劣なんかない。だから、「みんなちがって、みんないい」のです。つまり、「さとり」とは、それぞれの命がありのままに輝いていて、それが素晴らしいんだという、ものごとのありかたに目覚めることなのです。そのまなざしに「目覚めてほしい」という願いがナモアミダブツのお念仏にそなわっていると、お釈迦さまは説かれます。私たちは今まさにその教えを聞いて、「みんなちがって、みんないい」と心が動いたのですから、この動かすちからを仏さまの「はたらき」というのです。

「2021(令和 3)年 8 月 1 日(日曜日)本願寺新報『お寺の学校 「宗教」
お浄土 何一つ無駄にならない世界~』より」

~仏さまのメッセージ~君たちは みんな輝いている!

8月御命日法要
○日時 8月17日(火)16時00分~
○場所 講堂(密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○法話 勤行(讃仏偈)のみ

2021(令和3)年8月 今月の聖語・言葉について 2021年08月01日(日)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。『ダンマパダ』

 1951年、サンフランシスコ講和条約が結ばれました。第二次世界大戦と国交回復について日本と連合国との間で結ばれた条約です。その際、敗戦国であった日本は各国から厳しい制裁措置を受ける状況でした。
 しかし、スリランカ代表のジャヤワルダナは異なりました。当時スリランカは日本軍から空襲を受けるなど少なからず損害を受けていました。にもかかわらず、彼は今月の聖語を述べた上で、日本への損害賠償の要求をしないという旨のスピーチを行ったのです。
 このスピーチが、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち、日本の国際復帰への道につながったといわれています。本条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。
 これは歴史さえも動かしたブッダの聖語です。そしていまもなお、我々に語りかけているように思われます。怨みを怨みで返しても怨みはやまないし、何も解決しない、と。

【今月の言葉】
人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。
愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。『スッタニパータ』

 「うざい」「むかつく」などの悪口。学校生活の中で、人のことをついつい悪く言ってしまい、相手を傷つけてしまうことがあるかもしれません。ところがブッダは、悪口を言った本人が自分を傷つけると仰います。これは一体どういうことでしょうか。 
 もしあなたがだれかに悪口を言えば、その人はあなたを憎み、あなたに悪口を言うかもしれません。そうなれば結局自分で自分を傷つけていることになるといえます。
 また、仏教では苦悩の本来の原因は自分の内側にある煩悩であると説かれます。しかしこの私は、悩みや苦しみを感じた時、往々にして人のせいにしてしまい自分の外側にその原因を求めることがあります。そうすると、真の解決には至らないどころか、自分で自分の首を絞めることになります。ブッダは、生まれて以来続けてしまっているこうした私の愚かなあり方を言い当てて、「愚者」と示されるのです。
 8月にあるお盆は正しくは盂蘭盆会(うらぼんえ)という仏教の行事です。お盆休みは、勉強・クラブなどに忙しいことと思いますが、ブッダの言葉にも耳を傾ける機会にしてくださいね。

2021(令和3)年7月 御命日法要について 2021年07月13日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【7月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

青いお空の 底ふかく、海の小石の そのように、夜がくるまで 沈んでる、昼のお星は 眼にみえぬ。
見えぬけれども あるんだよ、見えぬものでも あるんだよ。

散ってすがれた たんぽぽの、瓦のすきに、だァまって、 春のくるまで かくれてる、つよいその根は 眼にみえぬ。
見えぬけれども あるんだよ、見えぬものでも あるんだよ。

この詩は、みなさんがよくご存じの金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」という詩です。昼間の「星」も土の中にある冬の「たんぽぽの根」も眼には見えませんが、「見えないけれどもあるんだよ、見えないものでもあるんだよ、しっかり存在しているんだよ」と詠まれています。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
私たちは、日々の生活の中で、何事においても自分のものさしで物事を判断しています。
自分にとって都合のよいことだけを良とし、都合の悪いもの、自分に合わないもの、眼に見えないもの、知らないものを、否定したり、遠ざけたり、無視することがあります。

「氷山の一角」という言葉がありますが、巨大な氷の塊の海の表面に現れている部分は、実際の氷山のごく一部であって、海の中にはもっと大きな氷の塊が隠れています。これは、海に浮かんでいる氷山のように、「目に見えている部分だけではないこと」「見えないところには多くが潜んでいること」を意味しています。
・ ・ ・ ・
私たちは、しっかりとその見えている部分と見えていない部分の両方を見るまなざしを
持たなければなりません。そして、見えないものの中にこそ大切なものがあり、真実があるのだということを知っておきましょう。

「6 月 21 日(月)中学生対象仏参講話より」


◆「目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ」
2015 年龍谷大平安スローガン


7月御命日法要
○日時 7月 13 日(火)16 時 00 分~
○場所 講堂(密を避けるため礼拝堂から講堂に変更しておつとめいたします)
○法話 勤行(讃仏偈)のみ

2021(令和3)年7月 今月の聖語・言葉について 2021年07月01日(木)15時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
水が一滴ずつ滴り落ちるならば 水瓶でも満たされる   『ダンマパダ』

 早いもので2021年も前半が終了し、7月から後半に突入します。新年や新年度を迎えたときに自分自身が立てた目標に向けて着実に歩みを進められているでしょうか。
 今月の聖語は釈尊のお言葉です。このお言葉には続きがあり、「気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる」と述べられています。非常に親しみやすい表現で、日々の積み重ねの大切さが説かれていると思います。みなさんの日常にも置き換えて、このお言葉の意味を味わってみてください。
 釈尊は入滅前、「世は無常である。怠りなく努力せよ」と最後の教えを説かれたことが伝えられています。今月の聖語のお言葉にも重なる部分があると思います。2021年の後半を過ごすにあたり、改めて日々の取り組みを振り返り、様々な場面でコツコツと出来ることを積み上げていきましょう。

【今月の言葉】
いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。『御文章』

 このお言葉は、浄土真宗の第八代門主の蓮如上人が著した『御文章(ごぶんしょう)』に書かれている内容です。意味は、「いまだ人が1万年の寿命を受けたということを聞かない。一生はすぐに過ぎてしまう。」ということです。
「一生過ぎやすし」と言われたところで、なかなかピンとこないかも知れません。しかし、身近なところで考えてみると、本日から7月に入ります。つまり、2021年も後半に入ります。時の流れは早いものだと改めて感じないでしょうか。みなさんの日常を振り返ってみても、「もう過ぎてしまったか・・・」と実感できる場面がきっとあるはずです。その延長にあるのが「一生過ぎやすし」なのではないかと思います。
 私たちのいのちには限りがあります。1万年の寿命もありません。限られたいのちだからこそ尊いものだと言えます。日々の過ごし方や時間の使い方、そして私たちのいのちは有限だということを改めて考えさせられる言葉だと思います。

2021(令和3)年6月 御命日法要について 2021年06月15日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【6月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 ご門主が 4 月 15 日、立教開宗記念法要の後にご親教を述べられ、「私たちも(親鸞)聖人の生き方に学び、次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を『浄土真宗のみ教え』として味わいたい」として、「浄土真宗のみ教え」を示されました。この度、龍谷総合学園理事長であります龍谷大学・入澤崇学長が「『浄土真宗のみ教え』をいただいて」と題して「本願寺新報」に執筆されました。『浄土真宗のみ教え』についてのご親教を先月に引き続きお示しし、入澤崇学長が執筆されました「本願寺新報(5 月 20 日(木))」に掲載の記事を別添いたします。「社会貢献活動とみ教え」として「仏教 SDGs」にも触れておられますので、是非ご一読いただければ幸いです。

浄土真宗のみ教え

南無阿弥陀仏
「われにまかせよ そのまま救う」の 弥陀のよび声
私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ
「そのまま救う」が 弥陀のよび声
ありがとう といただいて
この愚身(み)をまかす このままで
救い取られる 自然(じねん)の浄土
仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の お念仏
み教えを依りどころに生きる者 となり
少しずつ 執われの心を 離れます
生かされていることに 感謝して
むさぼり いかりに 流されず
穏やかな顔と 優しい言葉
喜びも 悲しみも 分かち合い
日々に 精一杯 つとめます

ファイル 479-1.pdf「本願寺新報5月20日(木曜日)号より転載」


6月御命日法要
○ 日時 6月15日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 勤行(讃仏偈)のみ

2021(令和3)年6月 今月の聖語・言葉について 2021年06月01日(火)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
大悲(だいひ)ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり 『高僧和讃』
              
 親鸞聖人は、『高僧和讃』に「煩悩にまなこさへられて  摂取の光明(こうみょう)みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」 と詠(よ)まれています。私は煩悩によって眼が遮(さえ)ぎられ、救い取ってくださる光は見えないけれど、阿弥陀さまの大いなる慈悲は、常に私を照らしてくださっているのだと喜ばれておられます。
 朝の仏参をはじめ、宗教行事等で阿弥陀さま(ご本尊)に手を合わせますが、普段はついつい阿弥陀さまのことを忘れてしまっているのではないでしょうか。阿弥陀さまはよくお母さんにたとえられます。皆さんは、自分のお母さんに対して、反発したり口答えをした経験はありませんか。たとえそっぽを向いても、お母さんはそんな私を見捨てず、常に私のことを思ってくれていると思います。そのことに気づけたなら、常に私のことを思ってくれているのだと感謝の気持ちが起こるでしょう。それは阿弥陀さまも同じであり、今月の聖語を通してそのことを忘れないようにしたいものです。

【今月の言葉】
すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛おしい。
己(おの)が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。   『ダンマパダ』

 今年の春頃から、アメリカ国内でアジア系の人たちが突然暴力行為を受けるといったニュースが、テレビなどでよく報道されています。新型コロナウイルスの発生源が中国にあるとして、アジア系の人たちを標的にしたのです。すでに昨年から医療従事者への暴力行為が世界中で起こっており、今回のようなヘイトクライム(憎悪犯罪)がより急増しています。たとえば、街中で見知らぬ白人から顔を殴られたり、電車内で一方的に暴行されるなどといった行為です。さらに殺害事件まで至ったケースもあり、あらためて暴力とはおそろしいものだと感じました。
 今月の言葉はお釈迦さまのお言葉ですが、自分の身に置き換えて、あらゆる生命を傷つけてはいけないし、奪ってもいけないのです。そして、この「自分の身に置き換える」ということが大切であり、一人一人がそのことを意識する必要があるのではないでしょうか。
 お釈迦さまは「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて守るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし」とも語っておられます。このお言葉と合わせて、今月の言葉について考えてみましょう。

令和3年度 宗祖降誕会・開校記念式 2021年05月21日(金)16時00分

 今日は本校において、宗祖降誕会並びに開校記念式を実施しました。5月21日は、浄土真宗をお開きになられた宗祖親鸞聖人のご誕生をお祝いするとともに、開校した記念すべき日でもあります。

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 1限目は中学・高校1年生の部で、中学生は教室、高校1年生は講堂に分かれて出席し、摂津市の野田茜先生(本願寺派布教使)のご法話をいただきました。

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 降誕会は親鸞聖人のお誕生日であり、親鸞聖人がこの世にお出ましくださったからこそ、阿弥陀さまの教え(南無阿弥陀仏)に出遇わせていただける。野田先生は相愛高校(大阪にある宗門校)のご出身で、阿弥陀さまのお話を聴き、「私は一人じゃなかった、阿弥陀さまがいてくださっている。私は一人じゃない」と、「南無阿弥陀仏」と声に出すことで心が落ち着くとおっしゃいました。そんな風になったのは相愛高校に通われたからであり、何十年経って同窓会があっても、同級生も覚えていることは阿弥陀さまのことだそうです。その阿弥陀さまのお心は、お経には「大きな慈悲のお心である」と書かれていて、慈悲の「慈」は慈しむ、「悲」は相手の苦しみを除いてあげたいというお心です。それは相手への痛みの共感、苦しみの共感であり、1人でも「辛いね、悲しいね」と思って下さる方がおられたら、私たちは一歩前に進んでいける世界がひらけてきます。
 ここで、野田先生が高校1年生のときに聞かれたお話です。ある広島の高校で起こった出来事で、水泳の学級対抗リレーが行われるにあたり、選手を4名選ばなければならなくなりました。まず3人はすぐに決まり、残りの1人に足が不自由なA子さんが選ばれました。いじめっ子の番長が「彼女を無理やり泳がせてみんなで笑ってやろう」という意図のもと、彼女を推薦したからです。そして学級対抗リレー当日、A子さんは一生懸命泳ぎましたが、なかなかゴールまでたどり着けません。そんなとき、1人の背広姿の男性がプールに飛び込み、「大丈夫、大丈夫、あともう少しだから」と言う励ましを受け、A子さんは無事に25メートルを泳ぎ切りました。同級生たちも途中からA子さんを応援するようになり、ゴールしたときはみんな涙を流したそうです。その背広姿の男性は、その高校の校長先生だったのです。
 私たちもいろいろ辛いことや思い通りにならないことはたくさんあります。そんな涙する私のところまで飛び込んでくださったのが阿弥陀さまです。阿弥陀さまはどんな形で私のところに来てくださるのか。それは「南無阿弥陀仏」という声であり、私たちが自分の思いを言葉で伝えるように、「あなたは一人じゃないよ、あなたのその苦しみ悲しみを共に背負って、一緒に歩んでいるこの阿弥陀がおるよ」ということを伝えるためであると、野田先生はお話されました。


 3限目は高2・高3年生の部で、高校2年生が教室・礼拝堂、高校3年生が講堂で出席し、広島の中村啓誠先生(本願寺派布教使)のご法話をいただきました。

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「相手に合わせることが優しさ」というテーマでした。中村先生は元々お寺のご出身ではなく、高校生のときに『歎異抄』を読んで感動し、親鸞聖人に憧れたそうです。そして、親鸞聖人を「この人は絶対自分を拝めと言わないお方」とみて、親鸞聖人が「人間(親鸞)の言葉を当てしてよりどころにせず、ただあなたのところに届いている阿弥陀さまのお言葉をよりどころにしていくこと」を示されたのだとおっしゃいました。
 次に、中国の伝説上の鳥「鸞」のお話をされました。「鸞」は中国の伝説上の鳥であり、綺麗な羽根を持つ美しい鳥です。それに対して、雛の方は醜い姿をしています。そのため、雛は「お母さん」と認識してくれず、「鸞」は泥の池にわざと泥で汚し、同じ姿になって雛に与えたそうです。そのことから、中村先生は「親というのは有り難いものであり、子供のためなら汚さは厭わない」とおっしゃいました。
 阿弥陀さまは「阿弥陀如来」と言います。如来の「如」という字は、すべてのいのちはひとつながりになっていると見ることができる、仏さまの智慧の眼で見られた本当の世界と言う意味です。「来」という「来る」ということで、遠くにおられるのではなくて、私たち一人一人のところに届いて、いまはたらき続けてくださっています。中村先生は、「相手に合わせて降(くだ)っていくのが優しさというものの形だ」とおっしゃいました。そして、私たちが「南無阿弥陀仏」と拝ませていただくのは、私に降(くだ)って来ておられる阿弥陀様を実感するためです。「そういう阿弥陀さまと一緒だと思ったら、相手が苦しんでいるときに、なんとか相手に関わろうとして目線を合わせてほしい」と、中村先生は生徒たちへメッセージを込められました。

2021(令和3)年5月 御命日法要について 2021年05月19日(水)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【5月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 5月5日は「こどもの日」。子どもをモデルにした伏見人形に「饅頭喰い人形」がある。半分に割ったまんじゅうを両手に持った男の子の立ち姿で、伏見人形を代表するものの一つ。ある大人が「おとうさんとおかあさんと、どっちが好き?」とたずねたところ、子どもはまんじゅうを二つに割って、「おじさん、このまんじゅう、どっちがおいしい?」と問い返し、大人は二の句が継げなかったという。何事も二つに分けて、どちらか一つをとろうとする人間の思考パターンをいさめているのだろう。
 浄土真宗七高僧の第六祖・源信和尚(げんしんかしょう)にも似た逸話がある。幼い頃、川で鉢を洗っている僧を見て、「お坊さま、むこうの川のほうがきれいですよ」と教えたところ、その僧は「すべてのものは浄穢不二(じょうえふに)。きれい、きたないは凡夫(ぼんぶ)の心の迷い」とこたえた。幼き日の和尚はすかさず「それじゃ、どうして鉢を洗うの?」と問い返した。この時の僧の勧めによって、和尚の出家の話が決まったという。 
10円硬貨で知られる平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像は、寄木造りの大成者・仏師定朝の作で、以後の仏像は定朝による童顔を踏襲したといわれる。童顔こそ、この世の汚れに染まらぬ純粋な仏の境界に最も近いということだろうか。大人に成るということは、成長とともに、いろいろな濁りに身を染めることでもある。こどもの日は、大人が子どもに学ぶべき日でもある。

「2021(令和3)年5月1日(土) 本願寺新報『赤光白光』より」


5月御命日法要
○ 日時 5月19日(水)13時30分~
○ 場所 講堂
○ 勤行(讃仏偈)のみ