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2022(令和4)年4月 御命日法要について 2022年04月19日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

「あなたは何のために生まれてきたか」。仏教では人生を四苦といい、生、老、病、死が苦しみと説く。生まれることもその中にある。生があるから老、病、死があり、生と死は切り離すことはできない。だから、生も苦しみの範疇(はんちゅう)に入る。ある人が「死が怖いのではない。むなしく終わるのがさびしいのだ」と言った。毎日同じことをくり返して終わるなら、むなしさが残るという人もあろう。全て順調でも、むなしさというすき間風を感じるという人も。そして、常に比較の中で生き、時に満足しながらも、最後はむなしく終わってしまうのではないかと不安になる。そう考えると、生きていること自体がむなしいことに思えてくる。むなしさに終わらない人生の歩みを教え示してくださっているのが釈尊であり、親鸞聖人である。うららかな陽春、花まつりの季節である。釈尊は誕生されて「天上天下唯我独尊」と声をあげられたという。これは、この苦しみの世界から安穏な世界に至る道があることを示されていることばである。親鸞聖人も「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき」とおっしゃる。聖人のご誕生 850 年の法要も近づく。何のために生まれてきたのか、どういう生き方をしているのか、経教(きょうきょう)という鏡に映してみたい。浄土真宗で一番大事なことは、ご本願を聞くということである。それは、自己自身の姿が知らされるということであり、生きることの意味、死の意味が知らされるということでもある。

「2022(令和4)年 4 月 1 日(金曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

4月 御命日法要
○ 日時 4 月 19 日(火)16 時~
○ 場所 ※講堂
○ 法話 勤行(讃仏偈)のみ