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今月の言葉《宗教教育係》 2017年10月01日(日)12時00分

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十月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成29(2017)年度 御命日法要【9月】 2017年09月15日(金)07時43分

【ご案内】

 夏休みが約40日あった昔にくらべると、ずいぶん短くなった夏休み(約20日)が終わり、慌ただしく学園祭が開催され、まもなく前期を終えようとしています。
お盆には故郷に帰り、家族と過ごす時間は格別のもので、家族そろってお墓にお参りし、亡き人を偲び「ありがとうございました」と手を合わせると、心安らぐ思いがします。
「浄土真宗のお盆」の過ごし方は「お念仏」を通して、私自身の「いのちの依りどころ」をあきらかにしていくことであったのです。お盆の前にお示しすべきでしたが、あらためて、「浄土真宗のお盆」について学んでおきましょう。

お盆迎える心持ち
「お盆には、特別な準備が必要なのでは…」
大切な方を亡くして初めて迎えるお盆。どう迎えていいのだろうかとインターネットで検索したり、本を探す人も多いのではないでしょうか。ネットには「お盆のお供え物のしきたり」「お盆の供養の仕方」…など、いろんな宗旨、はたまた会社などの情報があふれています。
でも、ご安心ください。
浄土真宗にご縁のある方々は、お盆を迎えるための〝特別な準備〟は必要ありません。 お念仏のみ教えをいただき、仏さまの国(浄土)に生まれた亡き方々は、阿弥陀仏とともに、大いなる慈悲の心で、迷いの中で苦しむ私たちを、いつも見守っていてくださっているのです。そして、さまざまなご縁を通して私たちを仏前に誘ってくださっています。ですから、亡くなった方々の罪障を除き、冥福を祈るために行う「追善供養」は必要ありませんし、精霊棚、施餓鬼棚もいりません。
亡き方の恩に感謝し、仏さまの救いにあい、お浄土に先にいかれた方々と、やがてはお浄土であえるというみ教えを聞いていくのが浄土真宗です。その仏さまを「南無阿弥陀仏」といいます。
お念仏をとなえ、み教えを喜ぶ身になってほしいという、亡き方たちの願いを聞いていっていただきたいのです。ぜひとも、お寺で行われる法要、家庭でのお盆参りで法話を聞いてください。そして、仏さまのお話を通して、わが身を振り返る大切な機会にしていきましょう。       「2017(平成29)年8月1日 本願寺新報 浄土真宗のお盆 より」

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

9月 御命日法要 
○ 日時 9月15日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 西村了慶 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年09月01日(金)07時30分

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九月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2017年08月01日(火)08時10分

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八月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

平成29(2017)年度 御命日法要【7月】 2017年07月14日(金)17時21分

【ご案内】
    
 7月1日。今年も折り返した。この機会に、それぞれの前半を振り返ってみるのもよい。「よかった」と思う人、「ああしておけばよかった」と反省する人、いろいろと分かれるだろうが、心機一転、真新しい気持ちで後半に臨みたい。
 この気持ち、何も1年だけのことではない。人生もそうである。どこかで区切りをつけて、今日までの人生を振り返り、今日という真新しい1日を、真新しい気持ちで臨みたい。かく言う私は、いつ人生を折り返したのかを意識もしていなかった。いつまでも走り続けたい気持ちはあるが、とっくに折り返しを過ぎたのは間違いない。しかも、ゴールまで残りがどれだけあるのか…。
 もう40数年前にもなるが、本願寺でお話しされた故・利井興弘さんの言葉を思い出す。「親鸞聖人のご生涯は、慚愧(ざんき)、歓喜(かんぎ)、報恩の連続だったのでは…」と語られ、その3つを味わわれて「お恥ずかしいからありがたい。ありがたいからもったいない。もったいないからありがたい。ありがたいから恥ずかしい」と。今になってしみじみと響く。
 人生の晩年にさしかかっても、自分で都合のよいように思案し、いろいろな出会いに対して善し悪しをつけている。よいこと、悪いことであろうと、すべてはわが人生の大切な出会い。一つ一つの出会いを通して、「お恥ずかしい」「ありがたい」「もったいない」と味わうところに、今日1日を真新しく、大事に生きることができるのではないだろうか。(F)
(2017(平成29)年7月1日 本願寺新報 コラム「赤光白光」より)

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

7月 御命日法要 
○ 日時 7月14日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 寺村 篤 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年07月01日(土)14時16分

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七月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

平成29(2017)年度 御命日法要【6月】 2017年06月16日(金)07時46分

【ご案内】                         

伝灯奉告法要御満座の消息

昨年の十月一日よりお勤めしてまいりました伝灯奉告法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。十期八十日間にわたるご法要を厳粛盛大にお勤めすることができましたことは、仏祖のお導きと親鸞聖人のご遺徳また代々法灯を伝えてこられた歴代宗主のご教化によることは申すまでもなく、日本全国のみならず、全世界に広がる有縁の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことに有り難く思います。
昨年の熊本地震から一年を経過し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から六年が過ぎました。改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。どれほど時間が経過しても心の傷は癒されることなく、深い痛みを感じてお過ごしの方も多くおられるでしょう。なかでも、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散によって、今なお故郷に帰ることができず、不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおられます。思うままに電力を消費する便利で豊かな生活を追求するあまり、一部の方々に過酷な現実を強いるという現代社会の矛盾の一つが、露わになったということができます。
自分さえ良ければ他(ほか)はどうなってもよいという私たちの心にひそむ自己中心性は、時として表に現れてきます。このような凡愚の身の私たちではありますが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられることのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしょう。
凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だから何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。即如前門主の『親鸞聖人七百五十回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』には、
凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏な  れ、仏法ひろまれ」と、精一杯努力させていただきましよう。
と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであり、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このことは、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。
今、宗門が十年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりますなか、来る二○二三(平成三十五)年には宗祖ご誕生八百五十年、そして、その翌年には立教開宗八百年という記念すべき年をお迎えいたします。
改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要に向けたこれからの生活においても、私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。
み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。

平成二十九年
二○一七年  五月三十一日  龍谷門主 釋 専 如

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


6月 御命日法要 
○ 日時 6月16日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 林 重厚 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年06月01日(木)07時39分

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六月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

平成29(2017)年度 御命日法要【5月】 2017年05月15日(月)10時59分

【ご案内】

 新しい年度がスタートした。満開の桜が新入生、新社会人を祝福するかのように咲き誇っている。4月の陽光に照らされ、日本列島は波打つように春色へと染まっていく。希望に満ちた季節の始まりだ。
 日本人は桜が好きだ。昔から多くの詩歌に詠まれてきた。まるで春を告げるサイレンのように一斉に開花し、あっという間に散ってしまう。天を覆うような咲きっぷりが見事なだけに、散った後の喪失感は時の移ろいやすさ、世の儚さを説くための格好の題材だった。
 桜は寒い間、暗い土の中でエネルギーを蓄え、春を待ちわびたかのように、一気に咲き乱れる。多くの人が行き交う道を、豪華な枝ぶりの老木がトンネルのように彩る光景が各地で見られる。路地裏にひっそりと一本だけ咲く若木もある。どちらも同じように美しい。一晩嵐が吹けば、散ってしまうことも変わりない。
 桜だけではない。何事にも終わりがある。学校にも職場にも、そして人生にもいつか終焉の時は訪れる。学園生活が充実していればいるほど、職場環境が恵まれていればいるほど、その終わりは切ない。諸行無常、全てが変化して止まないが、確かなことは、私たちにはこの世での命が尽きた後、次に生まれる世界があることだ。そのお浄土へ間違いなく救い取ってくださる阿弥陀如来。広大なお慈悲に対して、自然と御恩報謝のお念仏が出る。
(2017(平成29)年4月1日本願寺新報コラム「赤光白光」より)

 「お釈迦になる」という言葉がある。思っていた物と異なる物が出来上がったり、壊れたりして使い物にならなくなったときに使われる。語源には諸説あるが、ある辞典の説に目がとまった。鋳物職人の用語で「火が強かった」ので失敗したのが訛って「しがつよかった」となり、それがお釈迦さまの誕生日の4月8日に聞こえるので洒落で「お釈迦になる」と言ったという。お釈迦さまも苦笑されているかもしれない。
 その4月8日、山あいの小さな寺でお釈迦さまのご誕生をお祝いする灌仏会(花まつり)が行われた。ここ数年、入退院を繰り返していた老僧が「最後かも」と、少なくなった同世代のご門徒に呼びかけた。曾祖父母から曾孫までの4世代の家族連れ、そして仏教婦人会と日曜学校の子たちも集まり、お念仏と笑い声が、春の山野に大きくこだました。境内の未だ蕾の紅枝垂も、きっと目を覚ましたことだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。皆が帰り、静まり返った境内に、夕べを告げる鐘の音。その余韻に、ことさら無常を感じた。今日を楽しく共にした人たちとも、やがて桜の花びらが欠け散るように、今生の別れがある。お釈迦さまが説かれたように「愛別離苦」、愛しい人との別れがやってくる。
 言いようのない寂しさを覚える半面、再び会うことのできる世界が恵まれているよろこびにも包まれた。その確かさ、うれしさに、ナンマンダブツの念仏があふれ出た。
(2017(平成29)年4月20日本願寺新報コラム「赤光白光」より)


2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


5月 御命日法要 
○ 日時 5月15日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 中森寿樹 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年05月01日(月)08時00分

ファイル 252-1.pdf

五月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板