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2023(令和5)年7月 今月の聖語・言葉について 2023年07月01日(土)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示今月の聖語


【今月の聖語】
その行ないが親切であれ   『ダンマパダ』

『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 仏教には他者に対し、慈しみの心を持って接する「慈悲」という言葉があります。釈尊が「行いが親切であれ」と述べるように、私たちは他者に対してどのように接することができるでしょうか。ここで、「無財の七施(しちせ)」ということに触れてみたいと思います。
一「眼施(げんせ)」・・・温かく優しい眼差しで接すること。 
二「和顔施(わげんせ)」 ・・・柔和な顔で接すること。
三「言辞施(ごんじせ)」 ・・・優しい言葉で接すること。
四「身施(しんせ)」・・・自分の体で出来ることを奉仕すること。
五「心施(しんせ)」・・・思いやりの心を持って接すること。
六「床座施(しょうざせ)」・・・席を譲ること。
七「房舎施(ぼうしゃせ)」・・・場所をあたえ、あたたかく迎えること。
 これらは、財がなくても心さえあれば実践することが出来る事柄です。互いに敬い合い、助け合いながら日々の生活を送っていきたいものですね。

【今月の言葉】
見えないところがほんものにならないと、
見えるところもほんものにならない      東井義雄

 
  この言葉は、人間の内面的で、姿・形として目には見えない「心のあり方」の大切さについて述べられているように感じます。
 今から約十二年前になりますが、東日本大震災直後にテレビで流れた公共広告機構のコマーシャルで紹介されていた詩を思い出しました。宮澤章二氏『行為の意味』に掲載されているものです。

「こころ」はだれにも見えないけれど 「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど 「思いやり」はだれにでも見える

その人の「心のあり方」が、言葉や行動に表れるからこそ、相手に伝わるものがあり、心が動かされるのだと思います。逆を言えば、上辺だけ飾ったような言葉や行動では、なかなか相手には響かないものだと感じます。
 今回紹介した東井義雄さんの言葉ですが、「見えないところが見えるところを支えている」とも述べられています。この言葉の意味も併せて味わってみてほしいと思います。  合掌

2022(令和5)年6月 御命日法要について 2023年06月13日(火)07時30分

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私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 こんな所でお会いするとは、ということを時に経験する。近くに居るからといって会う機会が多いとは限らない。また、出会いには、行きずりもあれば人生の方向を決定づけてしまうほどのものもある。あの時、あの人と出会ったことが、今の自分を作りあげてくれ
た大きな機縁になっていた、と後で振り返ることは誰にでもあることだ。かつて、ある先生にお会いして尋ねてみたいと思っていたところ、たまたま同席する機会があり、自分の名前を名乗りもせず、いきなり聞きたいことを口から発していた。そんな失礼な出会いにもかかわらず、それ以来、その先生とは今日までご縁が続いている。私にとって生きる大きな力になったことに感謝している。もし、あの時、お会いできなかったらと思うと、いよいよその思いは深まっていく。「出会い」は日常使っていることばであるが、このことばには、偶然という文字が伴っていることも多いように思えて、少ししっくりとこない感じもする。限りなく多くの人の中から、出会いによって、この人と時と場所を同じくして生きていく。この出会いは、偶然ではすまされない深いものがあるようにつくづくと思える。ご本願にであったことを、親鸞聖人は「たまたま行
信(ぎょうしん)獲(え)ば、遠く宿縁を慶(よろこ)べ」と言わ
れた。私の側からいえば「たまたま」である。しかし、如来の立場からは、あわせるようにと常にはたらいてくださっている。この深いご縁を慶ばせていただきたい。
「2023(令和 5)年 6 月 1 日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


6月 御命日法要
○ 日時 6 月 13 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 津守秀憲 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年6月 今月の聖語・言葉について 2023年06月01日(木)08時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示


【今月の聖語】
ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ。 『一夜賢者経』                
 今月の聖語は、お釈迦様が説かれた『一夜賢者経』の一句です。「一夜」というのは、「一昼夜」のことで、一日を指します。今日一日を怠ることなく、作すべきことを熱心にする人が「賢者」ということです。
  私たちは、すでに終わったことをクヨクヨしたり、先のことばかり考えてしまうことがあります。テストの結果を見て、「しっかりやっておけばよかった」と過去を悔やんだ経験はありませんか。 そして、「次回のテストでは・・・」と考えます。「過去を追ってはならない、未来を待ってはならない」ということが、この『一夜賢者経』には示されています。お釈迦様は「今」を重点に置き、今日作すべきことをやるよう仰(おっしゃ)っているのです。大事なことは、今やらなければならないことを一所懸命に取り組むことです。勉強やクラブの練習などをコツコツと積み重ねることによって、テストで良い点数を取ったり、試合などで良い結果を出せるのではないでしょうか。


【今月の言葉】
私を見ていてくださる人があり 私を照らしてくださる人があるので
私はくじけずにこんにちをあるく 榎本 栄一                          

  今月の言葉は、仏教詩人の榎本栄一さんの「あるく」という詩です。日常生活の中で、落ち込んでしまうこともあれば、とても苦しく辛い時があるかもしれません。そんな時は非常に「孤独感」を感じ、なかなか前に勧めなかったりします。しかし、私たちは決して一人ではなく、必ず周りにいる誰かがこの私を気にかけてくれているはずです。それは家庭で言うと、お父さんやお母さん。学校で言うと、先生や友人でしょう。
 そして、榎本栄一さんにとって、自分自身を照らしてくださるのは、阿弥陀如来さまにほかなりません。阿弥陀如来さまは、この私を決して見捨てることなく、常に照らし続けてくださっているのです。いつも私のことを見ていてくださる人や、照らしてくださる阿弥陀如来さまがおられる。それだけで心強いですし、とても安心感が得られます。だから、私たちはくじけずに、今日という日を歩いてゆけるのではないでしょうか。

宗教教育係

宗祖降誕会・開校記念式 2023年05月20日(土)15時20分

本日は10時より宗祖降誕会・開校記念式を行いました。そして、本願寺派布教使の三ヶ本義唯先生のご法話をお聴きました。

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阿弥陀如来という仏さまはどういう仏さまなのか。「お慈悲の仏さま」という言い方があり、慈悲は「優しい」「情け深い」といった意味で使うことが多いと思います。この慈悲のなかに「悲(悲しみ)」という一文字が入っているように、眼の前にいる相手の喜びは勿論、悲しみというものにしっかりと眼を向けられているのです。その悲しみも決して見逃さない、見捨てない。そうした人こそ焦点を当てて、その悲しみをなんとかしようと寄り添いはたらくというのが、本来のほとけさまの慈悲なのです。

三ヶ本先生は、お笑い芸人の明石家さんまさんのエピソードをお話されました。3歳のときにお母さんを亡くされ、お父さんは仕事ばかりだったため、お兄さんと2人で寂しい思いをされたそうです。お父さんの再婚により新しくお義母さんを迎えましたが、心を開いてくれず、孤独と寂しさを経験されたのです。そのお義母さんに心を開いてもらうため、さんまさんは学校であった出来事を面白おかしくしゃべり、それが日課となって、さんまさんのお笑いの原点になったとのこと。孤独と寂しさを経験したさんまさんのエピソードを聴き、仏さまの慈悲に近いものがあるように感じました。

次いで、三ヶ本先生のご友人の話が続きました。インドまで仏教の遺跡を巡る旅行をしていた際、同行していた方に、実家からお父さんの訃報連絡が入りました。その方は手続き等ですぐに日本へ帰国できず、そのまま旅行に同行することになりました。次の日の朝、その方が次のようなことをお話されたそうです。

「私は今まで仏教というものを聞くなかで、お浄土のことを聴いていたが、それにあまり意味があるとは思っていなかったんです。昨日の夕方、バスの窓から地平線に沈む大きな夕焼けを見たとき、ハッと思いました。インドにも西はあるんだと思い、沈む夕日に手を合わせてました。私は昨日、お父さんに手を合わせることができました。私は今日ほどお浄土が西にあることを嬉しく思ったことはありませんでした」

三ヶ本先生はこのお話を通して、「私たちの大事な方との別れの苦しみ、いのちを終えるというこの苦しみを決してそのままにしないと思ってくださったのが阿弥陀如来という仏さまであり、このおしえは今の私の苦しみや悲しみのためにある」ということをおっしゃいました。この親鸞聖人(浄土真宗)の教えが、850年という歴史の上でこの私たちの上に届き、850年の世を生きる私たちの人生のよりどころになる大切な教えなのだということ再確認しました。


ところ、同時刻に高1学年は本願寺を参拝しました。

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10時より宗祖降誕会奉讃法要、その後の龍谷総合学園のつどいに参列しました。

2023(令和5)年5月 御命日法要について 2023年05月16日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


「『教行信証』のこと、『難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海を度する大船』と初めてお聴きしたのは、鷺森(さぎのもり)別院での降誕会の時、とても良いひと刻でした」。年の初め、和歌山に暮らす伯母から届いた包みに、こんな手紙が添えられていた。伯母は住職である父のすぐ上の姉で、一般家庭に嫁いだ。幼稚園の先生だったこともあってか、誰に対しても子どもに接するように物腰が柔らかく、穏やかで聞き上手。実家である寺の法座に参っても、本堂の隅で控えめにしているような人で、どちらかといえば教学的な言葉と縁のない印象だった伯母の手紙に、親鸞聖人が書かれた『教行信証』の冒頭、総序のご文が、半世紀以上前の法座で聞いた話としてつづられていたことに、小さな驚きを覚えた。み教えとの出遇いは人それぞれ。人生を揺さぶられるような出来事がきっかけになることもあるだろうし、幼い頃からそばにあって、気がつけばすでに仏さまに抱かれていたと味わう人もいる。率直にまだわからないと自問する人もいるにちがいない。伯母にとっては、どうだっただろうか。62 年前、伯母はどんな縁で降誕会に参ったのか。講師の言葉は 21 歳の彼女にどう響いたのか。そして、これまでの月日、「難度海を度する大船」がどのように寄り添い続けてきたのかと、あらためて想像する。まもなく、850 年の節目の降誕会。手紙の最後には「お参りの刻がとても楽しみです」とあった。

「2023(令和 5)年 5 月 10 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

5 月 御命日法要
○ 日時 5 月 16 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 田坂亜紀子 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年5月 今月の聖語・言葉について 2023年05月01日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし 
                        『歎異抄』

 学校で残って勉強するが、結局友達としゃべってしまって本末転倒。体力増強と思い毎朝早起きしてランニングしようと決めたが、三日坊主。
 何かをしようとおもっても、まわりの環境によって志(こころざし)半(なか)ばで全うできなかった経験をした人は多いのではないでしょうか。
 今月の言葉の意味は、「因縁(いんねん)次第では、人間はどのような行いをもしてしまうということ」です。仏教ではものごとがおこる原因を因といい、間接的な原因を縁といいます。特に縁を強調するところに仏教の大きな特徴があります。
 自分の意志が「因」だとすれば、状況・環境は「縁」。因のみならず縁をも視野に入れて考え行動することが大切です。「縁次第で何をしでかすか分からない」という人間の弱さ。そして、「縁次第で何でもできてしまう」という無限の可能性。今月は宗祖降誕会です。親鸞聖人の言葉を通して、その奥深い人間観を聞かせて頂きましょう。

【今月の言葉】
今を生きずに いつを生きる ここを生きずに どこを生きる             
                         大神 信章

「ちょっと待って」
 ある日、筆者が子供と話をしている時、携帯電話に連絡が入ったので、返答しようとしました。スマホを操作する姿を見て、子供は不機嫌な様子でこう言いました。
「またさわってる!」
はっと気付かされました。今自分は子供と話をしていると思っていましたが、実は心ここにあらずの状態でした。申し訳ないと思い、携帯電話をとっさにしまいましたが、子供はそのことをすでに見抜いている様子でした。「もっと今ここにいる自分をみて」と、言われているように感じました。
 スマートフォンなどのICT端末で、時間や場所を問わず、手軽にコミュニケーションができるようになりました。しかし大切なのは、家族・友人・仲間・先生等と、「今・ここ」で過ごすかけがえのない時間です。にもかかわらず、すぐにそのことを忘れてしまいがちです。
 今月の言葉は私たちに問いかけながら、今という時間の大切さを教えてくれているように思われます。

2023(令和5)年4月 御命日法要について 2023年04月18日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

野球の世界大会、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、日本が劇的な優勝を飾り、多くの人を感動の渦に巻き込んだ。準決勝後の、日本チームで活躍した大谷翔平選手のインタビューだった。けがを押して出場し、献身的に頑張る味方選手などを賞賛し、大谷選手は「身を粉にして、チームのために頑張ってくれている」と語った。若い世代からはあまり聞かない「身を粉にして」という言葉が出てきて驚いた。また、日系人選手のラーズ・ヌートバー選手が日本代表で広めた、両手でペッパーミル(胡椒ひき)をまわすようなパフォーマンスも、「身を粉にして働く」という意味合いだと、実況のアナウンサーが解説していた。「身を粉にして」という言葉。浄土真宗の教えを聞く身としてすぐに思い浮かぶのが、親鸞聖人が最晩年にお書きになった『 正像末和讃』の中にある「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」だ。「恩徳讃」として広く親しまれている。「身を粉にして」も返せないほどのご恩を阿弥陀如来からいただき、そして、阿弥陀如来の教えを伝えてくださった釈尊、浄土の祖師方には、骨を砕くほどの感謝をしても感謝しきれない、と受け止められた聖人の言葉である。このたびの慶讃法要を機縁に、あらためて「身を粉にして」お念仏の教えを私に伝えてくださった聖人に深く感謝し、お念仏の道を歩ませていただいている喜びをかみしめたい。

「2023(令和 5)年 4 月 10 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

4 月 御命日法要
○ 日時 4 月 18 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 朝山 大俊 師(浄土真宗本願寺派布教使)

令和5年度 花まつり 2023年04月10日(月)13時08分

今日は1学期始業式を兼ねて、花まつりを講堂で勤修しました。例年よりも1ヵ月早い実施となり、9時から中学・高1の部を開式しました。

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法話の前に山脇校長先生より式辞が述べられ、その後で本願寺派布教使の田坂亜紀子先生よりご法話をいただきました。

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田坂先生は、まず「おめでとう」と「寿(ことぶき)」という言葉について解説してくださいました。入学といった人生の節目を迎える時に、「おめでとう」という言葉を遣ってお互いを祝福します。「おめでとう」という言葉は、元々愛しいという気持ちを表す「愛(め)でる」という言葉と、その気持ちが爆発した状態を表す「いたす」が合わさったものです。またいのちを表す「寿(ことぶき)」という漢字も遣っていますが、漢字が中国から入ってくる前は「ことほぐ」という日本語を遣っていいたことから、「寿」の読み仮名に「ことぶき」を当てたというお話でした。そんな田坂先生のお寺でご法話をされたある先生が、「いまの時点でいついかなるときでも自分のいのちをおめでとうと祝福し、まわりの人におめでとうという気持ちを持ちながら接していたでしょうか?」と問われたそうです。私たちは段々馴れ合っていくと、そのような気持ちを忘れてしまうのではないでしょうか。「いつでもどこでも変わることなく、自分のいのちやまわりのいのちを考えることは難しく、何事があっても変わらずにこのいのちを祝福してくださる南無阿弥陀仏という仏さまがおられるのです。そして、仏さまのお心を学ばせていただく中に、ちょっとずつ見え方が新しく新鮮になっていくのではないかと思います」と、法話を締めくくられました。

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10時からは高2・3の部が引き続き実施され、「諸行無常」という言葉を説明されました。日本人の多くは平家物語の影響で「儚(はかな)いな」という印象を持ってしまうが、「儚い」だけでなく「成長する」ということも諸行無常です。「夕焼け 小焼けで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」という歌がありますが、田坂先生のお寺は山口県の集落にあります。夕方6時になるとお寺の鐘(現在2代目)がなり、初代の鐘は太平洋戦争中に金属が不足して金属供出令が出され、お寺の鐘も供出しなければなりませんでした。そのような話を同じお坊さんの先輩に話をしたら、その先輩からベトナムの鐘の話を聞きたそうです。戦争があったベトナムで「ココナッツ坊さん」というあだ名で親しまれたお坊さんが、みんなが暗く沈んでいるときに、ベトナム中に散らばっている銃弾や砲弾の残骸(金属)を集め、鐘を作ろうとされました。実際に集め回ってお寺の鐘が完成し、そのお祝いの法要が営まれました。その時の挨拶の内容は、以下のとおりです。

「親愛なる銃弾よ、親愛なる砲弾よ。私はあなたたちがこうして一つになることを手助けいたしました。あなたたちは前世では人々を殺したけれども、後世では毎朝人々の目を覚めさせるために役立っていくのです」

「親愛なる」という言葉はなかなか出なかっただろうが、お釈迦様が「この世は諸行無常である。すべてのものは止まらず移り変わっていく」とおっしゃったように、ココナッツ坊さんは「かつて人を傷つけてしまった金属片たちが、今度は人々に気持ちのよい朝の目覚めや、人間として大切な愛や理解というものへの気づきを促していくような音を奏でる鐘に生まれ変わることだってあるじゃないか」と考えられたようです。田坂先生は「鐘が戦争で持って行かれ、武器に使われてしまって悲しい歴史があったんだな」という時点でとどまっていたことに気づかされたとおっしゃいました。この話を聴き、生徒たちもそれぞれ考えさせられた時間になったのではないでしょうか。

2023(令和5)年4月 今月の聖語・言葉について 2023年04月03日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
先意承問 『仏説無量寿経』
 
 今月の聖語は、『仏説無量寿経』というお経に出てくる言葉です。浄土真宗の本山である本願寺の御影堂門には「和顔愛語」という言葉が掲げられています。「おだやかな顔で、やさしい言葉をもって、人に接しましょう」という意味です。今月の聖語である「先意承問」は、先に紹介した「和顔愛語」に続く言葉です。「先に相手の気持ちを察して、その思いを受け取る」という意味です。
 新入生のみなさんにとっては新たな学校生活がスタートします。学年が変わった三年生と二年生にとっても新たな環境での生活がこれから始まります。クラス替えもあり、初めて接する人も出てくることでしょう。今月の聖語にも示されるように、周囲の人と調和の取れた関係を築いていくためにも、目配りや気配りを心がけ、相手の気持ちを察することを大切にしていきたいですね。新生活にあたり教訓になる教えだと思います。

【今月の言葉】
自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。『スッタニパータ』

 今月の言葉は、『スッタニパータ』という、釈尊の教えが収められたお経に書かれている言葉です。仏教では、人間の行いのことを「業〈ごう〉」といいます。そして、その業には三種類あり、それらを合わせて「三業〈さんごう〉」と呼びます。一つ目は「身業」で、身体での行為、二つ目は「口業」で、私たちが発する言葉のこと、三つ目は「意業」で、心のはたらきのことです。今月の言葉は「三業」のなかで「口業」に当てはまります。
 日常生活を振り返ると、家族をはじめ、クラスやクラブ活動など多くの人との繋がりの中で過ごしています。やはり、自分勝手で周囲の人を苦しめる発言は慎むべきです。今月の言葉をしっかりと踏まえつつ、本校が掲げる「三つの大切」の一つである「言葉を大切に」を改めて心に留めて日々の生活を送ってきましょう。
 併せて今月は釈尊の誕生を祝う「花まつり」が執り行われます。釈尊の教えにしっかりと耳を傾け、新年度のスタートを切りましょう。     合掌

2023(令和5)年3月 御命日法要について 2023年03月14日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 友人との会話の中で、恩師のことが話題にのぼると、互いに口をそろえるように「厳しくて優しい先生」という思い出が出てくる。
厳しさと優しさということばは、一見大きくかけ離れた感を抱かせるが、実は互いによりそうような関係にも思えてくる。つまり、厳しさの中に優しさが、優しさの中に厳しさを感じとっていく世界が知らされるということである。本当の優しさは、厳しさの中から出てくるものであろう。恩師の姿を偲びながらそのようにも思えてきた。「明来闇去(みょうらいあんこ)」ということばがある。光によって闇が破られるという意味だが、闇があるから明かりがあると見ることができるのではないだろうか。また、闇をよく見るものは、光を見るともいう。闇は私たちの姿である。その煩悩具足の凡夫である私を見つめるということは、同時に仏さまの光の中に浴しているということである。短日植物であるアサガオは、夏至を過ぎて昼が短くなっていかないと花芽をつけることはない。朝の光を受けて咲くその前に、長くなっていく夜の闇の中で育てられているのである。3月は別れの季節である。別れを悲しむと言うことは、出会いのそのご縁を深く味わっているということであろう。親鸞聖人はその生涯の中で悲しみを深く味わわれた方である。そして、本願に出遇(であ)われ、導かれることにより、それを超えて生きる道を、力強く歩んで行かれた。私たちも聖人を慕い、み教えを聞いていく日々を送りたい。
「2023(令和 5)年 3 月 1 日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

3月御命日法要
○日時 3月14日(火) 16時~
○場所 礼拝堂
○勤行 正信念仏偈
○法話 藤澤彰祐(しょうゆう)師(浄土真宗本願寺派布教使)