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令和6年度 花まつり 2024年04月11日(木)16時44分

本日は始業式を兼ねて、9時から中学・高1学年の花まつりでした。

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ご講師は、本願寺派布教使の若林唯人先生でした。まず、お釈迦さまの「天上天下唯我独尊」について触れられ、慈悲をテーマにお話しされました。苦しむ者に安らぎを与えることを「慈悲」と言い、阿弥陀さまの慈悲は「同体の慈悲」とも表現されます。それは、全体でその痛みを感じて、その痛みを取り除くからです。まだ、阿弥陀さまのはたらきは重力と同じように目には見えませんが、今もこの私に向かってはたらいている、それが阿弥陀さまのはたらきなのです。

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 若林先生は続いて、遠距離になって失恋したときのエピソードを紹介されました。その際、同じ経験をしたという大学写真部の先輩が話を聞いてくれて、「この先輩はこの失恋の辛さをわかってくれる人だ」と思われ、そのとき「この経験がいつか同じ失恋をした人の支えになる」と確信されたのです。
 また、若林先生は大学院生のとき、ゼミ発表などでしんどい状態になり、そこから大学キャンパスに入れなったときのことをお話されました。人に相談して励まされたものの、「今の辛さが他人からしたら大したことはない」と思われている気がして、自分にとっては100%のしんどさがあったと言います。そのとき阿弥陀さまの存在を知っていれば、しんどさも随分違ったことだろうと、若林先生は当時のことを振りかえっておられました。阿弥陀さまはいつでもどこでも私に寄り添ってくださる仏さまなのだということを、若林先生のご法話からあらためて感じさせられました。

 続いて、10時から高2、3学年の花まつりでした。ご講師は、本願寺派布教使の正親(おおぎ)一宣先生でした。

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正親先生もまず初めに、「天上天下唯我独尊」の言葉を挙げられ、仏陀の意味を説明されました。仏陀とは目覚めるお方のことですが、「目覚めさせる者」でもあります。そして、目が覚めている者からすれば、目が覚めていない者のことがよく見えます。阿弥陀さまからすればよく見えているが、私たちからすればつかみ切れていない。そのたとえとして、実姉とのエピソードを述べられました。正親先生はソファーに座って寝ていた姉がうなされている姿を見て、「目が覚めていない姉からすると、私(弟である正親先生)の姿は全くわからない。そして、自分が見ているもの(=悪い夢)が本当だと思って、悩み苦しんでいる。目が覚めている私からすれば、姉が見ているのは夢であって本当ではない。本当でないものを本当だと思って苦しんでいる姉の姿を見ていたら、目覚めさせずにはおれなかった(起こさざるを得なかった)」と。そのエピソードから、正親先生が仰るとおり、目覚めた者はまさに「目覚めさせる者」でもあると言えるでしょう。
 そして、最後に「天上天下唯我独尊」の言葉に触れられ、いつも他人と比べてしまうこの私に対して、「あなたが誰にも変わることができない尊いいのちなんだぞ」と、阿弥陀さまが教えてくださっている。その尊い阿弥陀さまの眼差しに支えられ、その眼差しを知っているのと知らないとでは違うでしょう。正親先生のご法話も、阿弥陀さまの慈悲につながるお話でした。