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10月28日 仏参 2021年10月28日(木)15時18分

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今日は中森先生のお話をうかがった。
 「縁起について」
 
 宗教の授業で習っていると思うのですが、今日は「縁起」について取り上げ、話をしてみたいと思います。

 植物の種を蒔き、そのまま放っておいても実は実りません。土が必要だし、水も必要です。この必要な起因と結果が「縁起」なのです。これを人間に置き換えて考えてみましょう。

 野球でキャッチボールをやっています。そのときに、相手を思ってとりやすいボールを投げます。また正確にボールをとるようにします。この練習を積み重ねていく中で、どこからボールが飛んできても、正確に相手へ送球することが出来るようになるのです。相手のことを思わないと、ボールはどこへ飛んでいくか分からず、最終的に相手に有利なことになってくるのです。

 私たちの存在は、周囲に誰かいるから存在をするのです。違った角度から話をしてみましょう。

 朝食を摂ってきた人が多いかと思います。米を食べたり、卵を食べたりしたかもしれません。その朝食を用意してくれるのは家族です。また米や卵の購入代金は、家族の稼ぎによるものです。その米や卵は、米屋さんやスーパーから購入をすれば、そこで働いている人の手を通じ、私たちの元に入ってくるのです。そして米屋さんやスーパーは問屋さんから購入するわけですから、問屋さんの手を通して…ということになり、問屋さんは、生産者から買い付けてくるわけですから、生産者さんの手を通じて…ということになります。もっと言えば、卵はニワトリが産むのであり、その飼料は別の業者さんということになります。米であれば、農薬や肥料が別の業者さんによって…。何より米は環境で、ニワトリも環境で、生まれ育つのですから、それだけでも多くの人の手を通じて私たちの元へ運ばれてきているわけです。1つでも歯車が狂うと、その米や卵は私の口に入ることはありません。

 その流れが見えてこないので、「他人を思いやる」ということが出来ないわけです。私の自己判断や今までの生活で考え方は変わります。
 六曜に敏感であっても、四九を嫌うことも、自分の都合です。別にどうということはありません。人の価値観によって、いくらでも変わっていくことはできるでしょう。他人のよって生かされていることを理解し、感謝する気持ちを持って欲しいと思います。

 さて諸君は、「縁起」のことは知っているはずだ。しかし、こころの深いところで理解出来ているだろうか。もし出来ているのであれば、「自転車で危ない乗り方をしている」「座席を占領している」という苦情は学校へ届かない。「これらの行為は私ではない」というのではなく、私を含め、仏教を学んだ生徒として相応しい行動をとって欲しい。

 あと仏参もわずかである。そのことを頭に入れ、残りの仏参に臨んで欲しい。同時に、今日の中森先生の話からじっくりと考えて欲しい。