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11月11日 仏参 2021年11月11日(木)16時24分

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今日は南先生のお話をうかがった。
 「バハキヤ・インドネシア・ムルディカ(インドネシア独立に栄光あれ)について」
 
 私は日本という国が好きです。好きになった理由は、偉人の話を聴いたからです。その偉人のことを今日はお話してみたいと思います。

 もしあなたが、銃で撃たれ重傷を負ったとしましよう。助けは来ず、結局死ななければならなくなったのであれば、その瞬間あなたは何を思うのでしょう。私であれば、撃った相手のことを考え、なぜこんなことに巻き込まれたのかを悔やみながら死ぬのだろうかと思います。実は今日お話しをする阿部頌二(あべしょうじ)さんは、インドネシアの刑務所で亡くなった人なのです。そして、死ぬまでの短時間に、壁に自分の血液で「バハキヤ・インドネシア・ムルディカ」と書いたのでした。
 阿部さんが亡くなった当時のことをお話ししましょう。当時インドネシアはオランダ領でした。太平洋戦争の拡大で、旧日本陸軍はインドネシアに進駐し、オランダで戦ったのでした。当時のインドネシアの人は、オランダの圧政に敵対心を持っていたといいます。古いインドネシアの統治者の「西から白い人が訪れ土地を統治する。それを北から来た黄色い人が解放する」という言い伝えを信じ、日本軍の進駐を喜び、積極的に協力をしたと言われています。民間人としてインドネシアンに渡った阿部さんは、事業を展開するだけでなく、病院や学校を建て、そして回教寺院まで建てたのでした。
 しかし終戦を迎え、インドネシアの内政は非常に不安定になり、暴動が頻発してしまい、阿部さんは収監されることになります。暴動に興奮した民衆が阿部さんの収監されているところを襲い、機関銃を乱射したのです。その弾に阿部さんは当たり、死んでしまいます。被弾し死ぬまでの間に、自分の血液で壁に「バハキヤ・インドネシア・ムルディカ」と書いたのです。インドネシアのために尽くした阿部さんは、どのような気持ちで死と向かい合ったのでしょうか…。
 この血書のことが、当時のスカルノ大統領に伝えられたといいます。その話を聴いた大統領は非常に感激し、「日本人は同胞」ということを民衆に訴え、抑留されていた日本人が解放されたのだといいます。
 いのちを張って、他の国の民族独立のために生きた一人の日本人の功績が、多くの同胞を救ったことは素晴らしいことだと思います。間違って欲しくないのは、戦争を肯定しているのではありません。このように、社会を下支えする人がいることを知って欲しいのです。みなさんは3月には平安を卒業し、各々の進路に向かいます。社会で生きていくということは、社会の下支えになることです。今、私たちが下支えをしていますが、それをみなさんに託すことになります。そしてみなさんは次の世代へ、それを託すことになります。託すために私たちは精一杯下支えしますので、みなさんもしっかりと下支え出来る人になって下さい。

 さて諸君は、「社会を下支えする」ということが理解出来るだろうか。好き勝手に過ごすことではない。周囲に気を遣い、優しい言葉や行動を行っていける人になって欲しいと思う。どうしても若い人は自分よがりになる。ネットの世界では心ない言葉が飛び交っている。今日の南先生のお話をじっくりと味わい、考えて欲しい。