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本日の仏参 2021年01月13日(水)15時00分

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 本日の仏参は10組担任の山下先生のお話でした。

 山下先生は、今までに約20ヵ国に旅行され、様々なものをご自身の目で直接見て来られました。当時はインターネットが今ほど普及しておらず、海外の情報も少ない中で、言葉が通じない世界に強い関心を持たれたそうです。今回の仏参では、海外旅行を通して経験されたこと、そこで感じたことをお話しされました。

 言葉の通じない異国の地で、メニューがないレストランや移動手段としてのバスの乗車、観光地でのマナーなど様々な場面で困ったことがありましたが、現地の人が優しく教えてくれたそうです。見ず知らずの日本人に優しく接してくれたことから、普段忘れかけている優しさに改めて気づかれたそうです。そこで山下先生は「ありがとう」という感謝の言葉を現地の言語で伝えるように心がけたそうです。

 最後に山下先生自身の考えとして、「いただきます」「ごちそうさまでした」という食前・食後の言葉が示すように、日本の文化は感謝を伝える文化ではないかとお話しされました。日々の生活の中で感謝の言葉を伝えることを大切にと締め括られました。

 私たちの日常を振り返ると、多くの人の支えや応援・励ましがあって成り立っています。改めて今ここに生かされているということを自覚し、その感謝の気持ちを言葉で伝えることを大切にしていきたいですね。

まずは挨拶から 2021年01月09日(土)14時58分

 みなさん、新年おめでとうございます。
 さて、みなさんの中には、朝明るく元気な声で挨拶をしてくれる人も大勢いますが、ぶつかりそうになっても挨拶しない人、こっちから挨拶しても返事さえしない人もいます。また校外で、町の通りや店の中などで会ったとき、なかなか挨拶しにくい人が多いですね。みんな、「したいようにしたい」自分だけがあって、他人が見えない症候群なのかと思ってしまいます。よく「自分を出したい」と耳にします。結構なことです。ただし、他人を意識して、つまり自分と同じように尊ばれるべき他人がいることを配慮して自分を出せばいいのです。だから「自分がしてもらいたいと思うことは、人にもそのようにせよ。」ひっくり返せば、『論語』にあるように、
  己れの欲せざるところを、人に施すことなかれ
ということになります。これが人として生きる基本、古今東西変わらぬ真理ではないでしょうか。自己と他己とが共存・共生するには、お互い同じように資格や権利を持っているという認識が絶対条件です。人間とは人の間と書くではありませんか。人と人との間、他者との関係を認識できてはじめて「人間」だと思います。他人への配慮ができない人は、「人間」として一人前ではないでしょう。
 家族や近所の人、先生や友だちに、さり気なく、何も構えずさらっと挨拶してみよう。言って何を損しますか? 挨拶した後、不快になる人はいません。挨拶できない自分を抱えて、何かつまずいているあなた。言わないで済ませようとしているから、顔を合わせない。目線をそらす。知らんぷりをする。そのくせ「自分を出したい」というあなた。ならば、まず挨拶からはじめてみませんか。さり気なく挨拶してみませんか。自分が変わるかもしれませんよ。
 『論語』にまた言う。
  子曰く、「徳は孤ならず、必ず隣あり。」
徳を備えた人とは、人間として品位のある人。つまり、他者への配慮のできる人です。そういう人は、信義ある誠実な人。必ず仲間ができるというほどの意味です。挨拶は他人理解の窓口、人とのつながりの出発点です。
徳は孤ならず、必ず隣あり
 挨拶からはじめよう。今年はそういう年にしたいものです。

年惜しむ 2020年12月25日(金)08時53分

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 今年もいよいよ押し迫ってきました。この頃の気持ちを「年惜しむ」と言うのですが、ちょっと昔を惜しむような話を……。昔は町外れや田舎に行くと「万屋(よろずや)」というものがありました。「よろず」とは一万・二万の「万」という字を書きます。要するに食料品や生活用品のあれこれ、何でも売っているお店のことで、雑貨屋さんのことです。
 ところが今日、その万屋がなくなって、コンビニ(convenience store)になってしまった。convenience は「便利・簡単」という意味だから、「便利屋」とでも訳せばいいのでしょうか。ただしこのことばは昔からありまして、どこかの歴としたお宅に臨時に雇われて雑用を代行する商売をいったのですから、ややこしくなりますけど……。それはともかく新しいコンビニが次々にオープンして、もう信号ごとにあると言ってもいいくらいです。
 あと一週間で2020年よさようならですが、とりあえず楽しければいい、今がよければいいというのでは明日の保障はありません。明日を見ながらしっかりと足元を踏みしめて今日を歩いていかねばなりません。 
 ではみなさん、よいお正月をお迎えください。

本日の仏参 2020年12月23日(水)08時45分

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本日は8組担任の加来先生のお話でした。

 加来先生は学生時代のボランティア活動から学んだ「お金」の有意義な使い方について話されました。
 先生はアルバイトでコツコツ貯めた10万円を使って、フィリピンの子ども達に音楽を届けるボランティアオーケストラに参加されました。音楽を楽しむ余裕のない生活を送っている子ども達に希望を与えることができたそうです。そして現地の小学校教員から「せっかくの善意の行動が自己満足で終わってはいけないこと」も教えていただいたそうです。この経験があったので、教員になろうと強く思われたようです。最後に、「10万円で子ども達に夢を与え、自分の夢も実現することができた。」とまとめられました。
 学校長が生徒手帳に書かれた「利他」ですが、まさに加来先生の行動は、「利他自利」の行いではないでしょうか。
25日より冬休みに入ります。コロナウイルス感染拡大が止まらない状況です。不要不急の外出を避け、規則正しい健康的な生活を送ってくれることを望みます。
(お年玉の使い方もよく考えてください。)

咳をしてもひとり 2020年12月19日(土)14時12分

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 私は、この時季になると、尾崎放哉の句が思い出します。
  咳をしてもひとり
社会的な地位を捨て、妻とも別れて、各地を転々とした放哉、ついに小豆島の南郷庵で漁師夫妻の手に抱かれたまま息を引き取った放哉、その彼の寂しさが胸に迫ってきます。
 協和?酵工業株式会社(現 協和キリン)の会長をしておられた加藤弁三郎さんは、
   私たちは、だれでも呼吸をしております。呼吸することそれ自体は、宗教人でも無宗教人でも同じであります。同じことでありながら、一方は、自分が呼吸していると思い、他は、自分以外の目に見えない力によって呼吸させられている、と感じるのです。自分が呼吸していると思っていた人が、ある時、ふと、いやそうでない、呼吸させられているのだ、と気づいたといたします。それがすなわち、回心といわれるものではないでしょうか。
と言っておられます。
 加藤さんのことばからすれば、はたして「咳をしてもひとり」でしょうか。咳も、自分で「出す」のではなく、大いなる力に催されて「出る」のではないでしょうか。咳をするというできごとの中に、無量無数の大きな力が働いているのではないでしょうか。
 そんな気づきがあれば、「一人いてにぎやか、大勢いて静か」という世界が開けてくるのもわかるような気がします。

本日の仏参 2020年12月16日(水)08時45分

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本日は7組担任の小須賀先生のお話でした。

小須賀先生は平安高校の「3つの大切」や「今大切にしていること」などについて話していただきました。
「コロナの状況の中、伝えたいことが伝わっていないのではないか」
「時間を量として考え、スポーツや勉強など夢に向かってどれだけの時間をそのことに費やしているか」
「龍谷大平安を空間と捉え、その空間内でこれからどう成長していくか」など様々な角度から学校生活や日常生活についてお話しいただき、自分たち一人一人が今まで生きていた人生を振り返ったり、これからどう過ごしていけばいいかなど自分自身を見つめ直す機会となりました。

休校期間があったせいか早いものでもうすぐ2020年が終わります。自分たちが今まで生きてきた約16年の中で大切にしてきたこと、来年自分たちが大切にしていくことを表面的ではなく具体的に考え、今日感じたことを仏参ノートに文字であらわしてみましょう。

本日の仏参 2020年12月09日(水)20時32分

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本日は5組担任の楠先生のお話でした。
楠先生は、平安高校の三つの大切のうちのひとつ、「時間を大切に」をテーマにお話されました。
ある小学校のブログに載せられた詩、自分の高校時代の話、ドラえもんのとあるエピソード。
これらの三つのお話を通して時間の大切さについて話していただきました。

過ぎた時間は戻ってこない、時間は有限である…
このような事実を分かっていながらも、
「ではこれから時間を大切にしよう!」と実行することはとても難しいことです。
お話にあったのび太は、嫌なことを先延ばしにして昼寝をしました。
こののび太の行動に心当たりがある人も多いのではないでしょうか?
わたしたちにはドラえもんもいませんし、タイムライトもありません。
自分たちで時間の大切さに気づかなくてはならないのです。

SUT3が終わり、冬休みが近付いてきました。
年末年始の予定を考える前に、まずはSUT4に向けて勉強の予定をたててみませんか?
「過ぎた時間は戻ってこない」ですよ。

本日の仏参 2020年12月02日(水)16時50分

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 本日の仏参は、1組担任の山田先生のお話でした。
 山田先生は「無事」という言葉をテーマにお話をされました。この言葉は、山田先生ご自身が高校生の時に、恩師である体育の先生が掲げられていました。体育の授業の時などにけがをすることがないように、この言葉が掲げられていたそうです。
 また、山田先生はこの12月という時期についてもお話をされました。12月は「師走」とも呼ばれ、1年の締めくくりの時期であり、非常に慌ただしい時期でもあります。また、風邪をひきやすかったり、慌ただしいことにより交通事故などが多くなってしまったりしやすい時期ともおっしゃっていました。
 これらのことから、山田先生は学校生活や社会に出たとき無事に過ごせるように願いを込めて、「無事」という言葉を生徒のみなさんに送られていました。「無事」に普段の生活を過ごしていくためにも、自らできることはしっかりとしていきましょう。

本日の仏参 2020年11月25日(水)09時37分

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本日の仏参のお話は、学年部長の松田先生でした。

「せっかく入った平安で、せっかくいただいた日々を、ともに過ごしていきませんか」
「せっかく平安に入ったんですから、平安でできること、平安でしかできないことを、やってみませんか」
「平安の生徒として、平安という名前を背負って、誇りをもってやってみませんか」

平安愛に溢れたお話の中で、松田先生は他の人にはできないことをやってみてほしいというエールを送ってくれました。また、仲の良い人嫌な人、すべての出会いは必然であり、平安での出会いを大切にしてほしいと、温かく包み込むようなメッセージを送ってくれました。そして、1日1回「ありがとう」と口にして、感謝の気持ちを伝えてみませんかと優しく提案してくれました。

平安生活はまだまだ2年以上あります。松田先生の言葉を胸に、せっかくの平安をぜひ楽しんでほしいと思います。

おばあの教え 2020年11月21日(土)14時00分

 「なんくるないさー」という沖縄の言葉を、聞いたことがあるでしょうか。直訳すると「なんとかなるさ」という意味ですが、実は「なんくるないさー」に含まれている意味は、もっと深いのです。「くよくよして自分を縛らなければ、おのずと道は開けていくものだよ。だから、もう心配しないでね」という意味がこめられているのです。
 例えば、何か悩んでいたり、苦しんでいたりする人がいると、ついそばにいる人は、「がんばれ!」と言ってしまうことがあります。でも、悩んでいる人にしてみると、もう十分がんばっているのですから、かえってそれがプレッシャーになることもあります。それよりも、「まあまあ、そんなに心配しないで。きっと、なんとかなるよ。大丈夫だからね」と言われるほうが、ずっと心がラクになり、ホッとしますよね。このような思いで、心をラクにして生きていくことを「なんくる精神」というのです。
 「なんくる精神」は、沖縄の人々が、自分たちがくじけないで生きていくために生み出した知恵だそうです。沖縄では、支配者が頻繁に代わりました。そのたびに、人々は、ライフスタイルの変更を余儀なくされてきたのです。また、台風の被害も多く、せっかく丹精こめて育てた「さとうきび畑」が、たった一夜にして全滅してしまう…ということもあります。でも、そういったトラブルを、いちいち深刻にとらえていては、生きてはいけないのです。いわば、「なんくる精神」は、理不尽な現実の中で、なんとか心をおさめ、前向きに生きていくための琉球人の知恵なのだそうです。
人は生きていれば、自分の思い通りにならないことが、たくさん起こります。自分ではどうにもできないようなトラブルが起きたり、他人から理不尽なことを言われたりすることもあるでしょう。だからといって、毎日くよくよしてもいられないのです。それに、「心配なこと」をいつも考えたり、「不安」をいつも感じたりしていると、「心配や不安の波動」を出すことになり、ますます、そういった事態を引き寄せることにもなります。そのためにも、心をラクで、おだやかな状態にしておくことが大事なのです。
 心が「心配」や「不安」で占領されそうになったら、「なんくるないさー」と大きな声で言ってみませんか。何か突発的なトラブルやアクシデントが起こったときも、すぐに「なんくるないさ!」と大きな声で言えば、本当になんとかなるような解決策が出てくるかもしれませんよ。