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高等学校卒業式予行の日! 2021年02月26日(金)15時32分

今日、2月26日(金)午後1時から久方ぶりに高校3年生が一斉登校して、卒業証書授与式(卒業式)の予行を行いました。

本年度の卒業式は、コロナ禍、しかも本日現在では政府による緊急事態宣言下での挙行ということで、式場内は卒業生と教職員のみ、保護者の方々はクラスごとに別室でオンラインでのリモート視聴をしていただき、式自体も30分で終了するという異例の態勢をとることとしています。

写真この3年生登校日に合わせて、先日、一般財団法人京都府高等学校野球連盟の米川 勲 理事長様より伝達のありました「優秀選手賞」盾を硬式野球部 奥村 真大 選手に贈呈いたしました。
奥村選手につきましては、あらためて紹介するまでもありませんが、本校硬式野球部の四番・サードの名選手。卒業後は、関東方面の大学に進学し、高校では実現しなかったプロへの道を追い求めるということです。

好漢なお一層精進して、その夢の実現せんことをを念じます!

「梅」の卒業式、「桜」の入学式ともいいます。いま校門付近の枝垂れ梅が清楚にして可憐な花をつけています。
写真枝垂れ梅は、寒さの残る早春に咲き始めます。ということは、寒い冬の内から花芽を付けて、寒さに耐え忍んでいます。この様子から、「忍耐」という花言葉の意味が付いたといわれています。
卒業生の皆さんのこの一年は、将に忍耐の一年だったと思います。コロナ禍での臨時休校からはじまり、熱中症を心配しながらの夏休み返上の授業展開、インターハイや甲子園大会の予選段階からの大会中止。しかしながら、めげることなくくじけることなく本当に立派に龍谷平安の歴史を一歩前に進めてくれました。この「忍耐」は必ずや近い将来、遠い未来の「開花」につながると信じます。

週があけての月曜日がいよいよ卒業式です。異例の形ではありますが、卒業生皆さんとの龍谷平安での最後の一日を心待ちにしています!

涅槃会を勤修いたしました! 2021年02月09日(火)10時51分

2月9日(火)午前10時から、龍谷平安中学・高校合同の涅槃会を本校礼拝堂にて勤修いたしました。明日の高校入試の関係もあり、本日は教職員・生徒ともに在宅勤務日・自宅学習日です。それぞれは、オンラインでリモート視聴いたしました。

式次第等は、次のとおりです。

□ 式 次 第
開式の言葉
1 「敬礼文」・「三帰依」
2 「さんだんのうた」・・・校長代表焼香
3 「念仏」
4  法話・・・釈 徹宗 先生
5 「恩徳讃」
6  合掌・礼拝
閉式の言葉

□ 涅槃会によせて
写真 涅槃会とは、80歳でこの世を去られたお釈迦さまを偲<しの>び、またお釈迦さまの説かれた教えに耳を傾ける行事です。
 お釈迦さまは、35歳のとき悟りを開き、亡くなるまでの45年間、インド各地を巡り多くの人々に教えを説かれました。お釈迦さまは80歳のとき、生まれ故郷であるカピラヴァットゥに向けて最後の旅に出たといわれています。その旅路の途中、クシナガラでお釈迦さまはお亡くなりになりました。クシナガラに到着する前に訪れたパーヴァーという村でチュンダから差し出された食べ物にあたったことが原因だと考えられています。 
 お釈迦さまは体調を崩されながらも旅を続け、クシナガラに到着しました。そこで、沙羅双樹<さらそうじゅ>の間に頭を北にして横になりました。「世は無常であり、会う者は必ず別れねばならぬのがこの世の定めである。怠ることなく精進<しょうじん>せよ。」という言葉が最後の教えとなりました。入滅は2月15日であったと伝えられています。
 私たちは時として「変わらないもの」を望みますが、そう思っている私自身も変わっていきます。すべては移り変わること、これを「事実」、「真実」であると釈尊は教えます。あの頃に後戻りたいと思っても当然の事ながら戻ることは出来ません。今日という1 日もまさに最初で最後になります。「無常」という教えから、今日という1 日を一生懸命生き抜くことの大切さを改めて考えさせられるように思います。

写真本日のご法話は、相愛大学副学長・人文学部教授の 釈 徹宗 先生よりいただきました。先生は、浄土真宗本願寺派ご門主のご親教「念仏者の生き方」のお心を体したご教示「私たちのちかい」を基に、「和顔愛語(わげんあいご)」 の意味をご紹介の上で、高校生はもちろん中学生にもわかりやすいお話をしていただきました。
先回の報恩講と同様、この涅槃会は、オンラインで生徒たちに動画配信されたのですが、生徒たちの心に染み入るご法話であったと確信しております。

□ 釈 徹宗 先生のプロフィール
1961(昭和36)年大阪府生まれ。僧侶。宗教学。相愛大学副学長・人文学部教授。論文「不干斎ハビアン論」で涙骨賞優秀賞(第五回)、『落語に花咲く仏教』で河合隼雄学芸賞(第五回)、また仏教伝道文化賞・沼田奨励賞(第五十一回)を受賞している。著書に『法然親鸞一遍』など多数。

釈先生、本当にありがとうございました。

春、遠し!しかし、・・・・・・・・・!! 2021年01月29日(金)17時42分

写真1月28日(木)の月齢は14.9、満月でした。寒天に輝く満月、寒さも重なり思わず身震いするほどの妖しさです。その満月が、今日(29日)の明け方にも残り、通勤途上の車窓から比良の山並みにかかる絶景が眺められました。

今日1月29日は、センバツ甲子園大会の出場校発表の日でした。結果は、ご存じのとおり、龍谷平安は近畿の第2位補欠校で、京都府からは京都国際高等学校硬式野球部が選抜されました。
午後3時半頃から、数台のテレビカメラや報道記者の方々の前で緊張の待機。午後4時頃になって、電話連絡があるならそろそろかと思ったとき、×マークのサインを確認。報道席から”お疲れさん!”の声がかかり万事休す。可能な限りに冷静を装い、”ありがとうございました。夏に向けてまた頑張らせていただきます。”と挨拶させていただきました。

”行きたかったぁ~!”が本音です。前評判は天理高校が高いとは承知していましたが、一縷の望みを繋いでいました。

この1年、生徒の皆さんは本当によく我慢し続けています。一斉臨時休校、夏休み返上の授業、体育祭や修学旅行までもが中止され、今は楽しいはずの昼食も”黙食”を強いられ、クラブ活動も短縮形です。先生方も教室や関係施設の消毒に追われ、神経質すぎるぐらいの細心さで生徒の皆さんを指導、自らの感染不安も尋常なものではありません。

このような状況の中で、着実な春の足音を聞きたかったのですが、夏に必ずの”望み”を繋ぎます。硬式野球部の選手の皆さんは怠ることない精進を、秋季大会優勝の誇りを胸に秘めて積み重ねます!全校生徒の皆さんは、夏の炎天の下、あらん限りの声を絞って、飛沫を気にすることなく大応援をすることを楽しみにします。

満月は「望」とされ、「望月 モチヅキ」といわれます。
厳寒の天空にも「望」は輝いています!

報恩講を勤修いたしました! 2021年01月16日(土)09時52分

写真1月15日(金)、午前10時から本校礼拝堂(らいはいどう)で『報恩講』を営ませていただきました。報恩講とは親鸞聖人の教えによって、阿弥陀如来の教えに遇わせていただいたご恩に対して感謝の心をもって、聖人のお亡くなりになった日を機縁に聖人のご遺徳をしのぶ行事で、浄土真宗にとって最大の行事です。

当日は、中学校入学試験の前日で、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため学校を閉鎖した関係で、教職員・生徒の皆さんはそれぞれの自宅にてオンラインでリモート視聴するという形式をとらせていただきました。
ご法話は、浄土真宗布教使の 苗村 隆之 氏よりいただきました。苗村氏は、本校敷地北隣の正住寺のご住職で、知真保育園の園長先生でもあります。異例の中でのご法話ではありましたが、仏様のみ教えについて本当にわかりやすくお話ししてくださいました。

報恩講の式次第は、次のとおりです。

開 式 の 言 葉
1 「 敬礼文・三帰依 」
2 「 さんだんのうた 」 ※代表焼香(校長)
3 「 念仏 」
4 「 報恩講の歌 」
5  法話 (苗村 隆之 先生)
6 「 恩徳讃 」 
7  合掌・礼拝
閉 式 の 言 葉
                     
□ 報恩講について

写真浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、1173年に誕生され、波乱に満ちた生涯にあって多くの人々にお念仏の教えをひろめられ、90歳でお浄土に往生されました。聖人の遺骨は京都大谷(東山五条・大谷本廟)に納められ、聖人の遺徳をしのぶ人々の聞法の集いがもたれるようになりました。親鸞聖人が活躍されていた当時、念仏の教えを喜ぶ人々の間では、その師匠である法然聖人のご命日に「二十五日のお念仏」として念仏の集会が行われていました。親鸞聖人が亡くなられたあと、聖人を開祖として仰ぐ人たちが、それを親鸞聖人のご命日にあらため、法縁にあずかっていたのです。その後、本願寺第三代宗主の覚如上人〈かくにょしょうにん〉は、聖人の三十三回忌をお勤めするにあたり『報恩講私記〈ほうおんこうしき〉』を著され、「報恩講」が営まれるようになりました。
報恩講とは親鸞聖人の教えによって、阿弥陀如来の教えに遇わせていただいたご恩に対して感謝の心をもって、聖人のお亡くなりになった日を機縁に聖人のご遺徳をしのぶ行事です。この報恩講とは浄土真宗において最も重要な行事となっています。
親鸞聖人のご命日は旧暦11月28日ですが、本願寺では新暦に改め、1月16日とし、1月9日から16日までの間、報恩講が行われています。

□ 親鸞聖人のご生涯

親鸞聖人は1173年(承安3)に京都日野の里に誕生されました。父は日野有範〈ひのありのり〉、母は吉光女〈きっこうにょ〉といいます。親鸞聖人9歳の春、青蓮院で慈円僧都〈じえんそうず〉のもと得度し、「範宴〈はんねん〉」と名乗り比叡山に登ります。比叡山で勉学と修行に打ち込むのですが、修行を積めば積むほど、学問に励めば励むほど、自己の煩悩の深さを知り、修行の限界を感じた親鸞聖人はついに比叡山を下りることに決めました。山を下りた親鸞聖人は六角堂に100日通うことを決心され、95日目に夢告を受けて東山吉水で専修念仏(「南無阿弥陀仏」と称えることによって救われる)を説かれている法然聖人に会われ、法然聖人のお弟子になりました。そこで名を改め、「綽空〈しゃっくう〉」や「善信〈ぜんしん〉」と名乗られました。
1207年(承元元年)の念仏弾圧「承元の法難」は、専修念仏を禁止し、法然聖人を四国へ、親鸞聖人を越後へと流罪にし、そのほかに四人の念仏者を死罪とする非常に厳しいものでした。親鸞聖人は越後に流され、1211年(建暦元年)に解かれましたが、すぐに京には帰らず、関東に移られ約20年伝道生活(教えをひろめる活動)を送られました。この地で親鸞聖人は、浄土真宗の教えの要が説かれた『教行信証〈きょうぎょうしんしょう〉』を起筆されました。完成は京に帰られてからで、20年以上の歳月を費やされました。
1262年(弘長2年)11月28日(新暦では1月16日)、京都市右京区にあった弟の尋有の坊舎(現在の角ノ坊別院)で90年の波乱に富んだ生涯を閉じられ、往生されたのでした。
                              
合掌

新大学入学共通試験 出陣式! 2021年01月13日(水)18時38分

写真1月12日(火)、高校3年生の新大学入学共通試験受験者の「出陣式」という激励会を開催いたしました。

直前補習講座の合間を縫っての激励会でしたが、大勢の受験者が参集いたしました。一同は、山脇副校長揮毫の『入魂』の前で、激励や最終的な注意事項の伝達を受け、静かな中にも(コロナ感染症予防のため会話禁止!)緊張感と挑戦心がただよう集会となりました。

校長として激励会の冒頭に”あいさつ”の機会がありましたが、唯々ひたすら受験生に”お礼”を申し述べました。というのは、高校3年生になった途端に2ヶ月の学校休業。新大学入学共通試験も右往左往。英語の民間試験も一部記述回答方式も新機軸と前宣伝も高かった施策がすべて撤回され、受験生にとっては弄ばれた感の強い混乱にも直面しました。その上に、ダメ押しであるかのように緊急事態宣言下の共通試験です。それにもかかわらず、初志を貫徹して、出陣式の日を意欲満々に迎えてくれた、ホントウに頭を垂れ涙ぐむような気持ちになりました。言葉を選ばずに表現すると”スゴイ奴らです!” 

写真心身共に厳寒の日々ですが、間違いなく着実に 春 の足音は聞こえています。私自宅の庭先に”蠟梅 ロウバイ”の一輪を見つけました。ロウバイの花言葉は「ゆかしさ」「慈しみ」「先導」「先見」とあります。まだ花の少ない厳寒期に、そっと黄色い花を咲かせるひかえめで奥ゆかしい姿にちなむといわれます。また、季節を先導し春を先見することにもちなむと言われます。

センター試験から新大学入学共通試験への何十年に一度の制度変革を、100年に一度ともいう未知の感染症の拡大を目の当たりにしても、ゆかしくも心折れることなく不屈の努力で乗り越え、希望と開拓の新しい時代に向かうその姿は、「先導」と「先見」のロウバイにこそ重なり合うと思いますl

善戦健闘よりも悪戦苦闘にこそ君たちの真髄が見られると思います。
がんばれ、受験生!!
ガンバレ、龍谷平安!!

修正会を勤修いたしました! 2021年01月05日(火)12時33分

写真1月5日(火)午前10時から本館3階講堂におきまして「修正会(しゅしょうえ)」を勤修いたしました。

浄土真宗の修正会は、新しい年に仏の前で正しい心をもって自分のことを見つめ直し、無事に新年を迎えられたことに対する感謝をすることが一つの目的とされています。また、新年で新たな念仏の生活がはじまることへ気持ちを切り替え、新しい一年を迎えるための準備をすることも目的とされます。

本校修正会の次第は、次のとおりです。

一、 開会の辞
一、 真宗宗歌
一、 勤行
    讃仏偈 - 導師: 燧土 勝徳 副校長
一、 年頭挨拶 - 藤原 直仁 龍谷大学 副学長
一、 恩徳讃
一、 閉会の辞

写真

新年のご挨拶を申し上げます! 2021年01月04日(月)09時28分

写真新年、明けましておめでとうございます。
生徒の皆さん、保護者の皆さま方、ご卒業生をはじめとする校友の方々にも穏やかな新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

コロナ禍の中のお正月で、例年とはずいぶんと様変わりな三が日ではあったかと存じます。昨年大晦日には、東京都だけで1、300人を超える新規感染者を記録するなど、首都圏での緊急事態宣言も取り沙汰される今日です。

本校、来週末には中学校の入学試験も予定されています。また、2月には高校入試、中学・高校の研修旅行も計画しています。先行きの見通せないことは確かですが、万全の準備を積み重ねて、龍谷平安の教育活動への影響を最小限に閉じ込めたいと思っています。ご理解とご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。

4月からの新年度は、2022年度からの高等学校新教育課程の編成に併せて、付属中学も含めて向こう10年間の龍谷平安の新教育活動の基盤を整備する年となります。現在検討中の『 HEIAN VISION 2030 』の作成に、将来構想委員会での討議を含めて、最善を尽くしたいと思います。働き方改革の一層の充実も不可避です。改革は、制度の改善だけではなく、当事者の意識改革を求めます。”オール平安”の総力を結集しなくはなりません。重ねてご理解とご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。

with CORONA の新年ではありますが、皆さま方と手を取り合って、慎重に着実に歩みを進めてまいりたいと思います。

凜として 平安!

冬休み コロナに負けるな! 2020年12月25日(金)11時18分

12月25日(金)、本校は今日から冬休みです。高校3年生の共通テスト直前演習をはじめクラブ活動など大勢の生徒の皆さんが登校してくれてはいますが、学校もやや閑散としている感じです。

写真相変わらずのコロナ感染症の拡大、とうとう京都府の1日当たりの新規感染者数者数も100人を超えて、昨日は107人を記録しました。全国的にも3,738人と過去最大の数字でした。止まるところを知らない感染者の増加、新年を迎えるという高揚感も吹き飛ばす勢いです。今日現在、全国では30,469人、京都府では864人の方々がこの病魔と闘っておられます。また、献身的にこれらの患者さんの治療を支え、自らの感染予防に腐心しておられる医療従事者の皆さんがおられます。”コロナに負けるな!” 心身共にコロナに打ち勝って、少しでも明るい、希望に満ちた新年をむかえたいものです。

振り返れば本当に”激動と混乱”の一年でした。昨年の今頃は「何か中国は大変なことになっているナァ!」ということでした。それがたちまちの間に日本での拡大。2月にはギリギリのところで現高校3年生のハワイ方面研修旅行を実施。3月に入ると突然に緊急事態宣言が発令され、中高の卒業式も非常に簡略化して実施という事態になりました。全国的な一斉休校もとうとう5月末日まで延長され、新入生の晴の入学式も挙行できないままとなりました。6月にやっと学校再開、夏休みも返上して授業の遅れを取り戻し、10月の後期からなんとか学校生活に正常を取り戻せたと思ったら感染症第3波の到来。緊張と暗闇の年末に至りました。

この間、本当に申し訳なく思いますが、先生方や生徒・その保護者の皆さんにも”朝令暮改”を繰り返し、大きな混乱を生じさせました。教職員皆さんの献身的な支えと保護者の皆さまの深いご理解と大きなご協力で、なんとか”激動と混乱”の一年を締めくくろうとしています。

何といっても最大最高の殊勲・功労者は、生徒の皆さんです。本当によく頑張りました。ホントウによくガンバってくれました。

外出もままならない冬休みですが、「自省」を繰り返し「利他」に徹した、凜とした龍谷平安生らしい年末年始を過ごしてください。

来る新年も共に頑張りましょう! 合い言葉は コロナに負けるな!! です。

雪原! 2020年12月17日(木)10時40分

写真12月17日(木)、昨夜来の寒波到来で初雪となりました。早朝のグラウンドは一面の雪景色、学校周辺の民家の屋根にもうっすらと積雪が見られます。交通機関の混乱はあまり見られず、全校の生徒は元気に登校しています。

新型コロナウイルス感染症の拡大も本当に心配です。昨日は、京都府内でも90名を超える新規感染者が記録されたとか。第三波の全国的感染状況を受けて、文部科学省からも学校教育活動に関する通知が発出されています。これに基づき、本校も次のような感染予防措置を取ることといたしました。

1) 各教科における「感染症対策を講じてもなお感染リスクの高い活動」
① 各教科に共通する活動として「生徒が長時間、近距離で対面形式となるグループワーク等」及び「近距離で一斉に大きな声で話す活動」
② 理科における「生徒同士が近距離で活動する実験や活動」
③ 音楽における「合唱」や「リコーダーや鍵盤ハーモニカ等の管楽器演奏」
④ 美術等における「生徒同士が近距離で活動する共同制作等の表現や鑑賞の活動」
⑤ 家庭、技術・家庭における「生徒同士が近距離で活動する調理実習」
⑥ 体育、保健体育における「生徒が密集する運動」や「近距離で組み合ったり接触したりする運動」
これらについては、当面の間、自粛することとする

2) クラブ活動については、当面の間、合同練習及び練習試合などの対外的な交流を自粛する。また、宿泊を伴う遠征、合宿等についても,引き続き自粛することとする。(公式大会及びこれに準じる行事等への参加は、主催者の感染予防対策を確認した上で参加を認める場合もある。)

3) 講堂及びホームルームでの「仏参」では、当面の間、聖歌等の斉唱を自粛する。

4) 健康上、支障のない範囲において、インフルエンザワクチンを全員接種することをお願いする。

※ 中学生の「音楽祭」については、現状に鑑み、これを延期する。

生徒の皆さんは、本当に真剣に健気に感染予防に努めています。
ただただひたすらに一時も早い感染症の終息を願うばかりです。

成道会を勤修いたしました! 2020年12月10日(木)14時04分

写真12月8日(火)、『成道会』を勤修いたしました。

本年度は、新型コロナウイルス感染症予防対策のため、第3校時は高校3年生のみ、第4校時は中学生のみが本館3回講堂に参列着座し、高校1-2年生はホームルームにて放送を通じてのお参りとなりました。


█ 成道会によせて
 
写真 成道とは、ゴータマ・シッダッタ(釈尊)が35歳のとき真実に目覚め(さとりを開くこと)仏陀となられたことを意味します。仏陀とは「真実に目覚めた者」という意味です。したがって、成道会とは釈尊が真実に目覚められたことを祝い、また改めて釈尊の教えに触れる行事です。今日でも成道会は仏教関係学校をはじめ広く執り行われています。
 今からおよそ2500年前、インドの北方の釈迦国の王子として誕生した釈尊は、「生老病死」という人間にとって避けて通ることができない「四苦」に悩み、29歳のときに出家を決意されました。そこで釈尊は、瞑想によって精神を安定させる修行を行いますが、満足いくものではなく、次に苦行という肉体を極限にまで苦しめる厳しい修行に入られました。6年に及ぶ苦行の末、苦行ではさとりは得られないと考え、「中道」という立場に立たれました。これは苦楽の極端を否定することを意味します。苦行をやめた釈尊はネイランジャラー河で沐浴したのちに、村娘のスジャーターがささげる乳粥を食べ体力を回復されました。そして、菩提樹の下に座られ、「悟りをひらくまでは決してこの座をたつまい」と堅く決心されました。そして、ついに真理に目覚め、仏陀となられました。釈尊35歳、12月8日のことであったと伝えられています。
 釈尊はさとりを開かれて、すぐ人々に教えは説かれませんでした。釈尊はさとりを開いた後、じっとその境地を楽しんでおられました。そこにインドの神である梵天が現れて、「どうか人々のために教えを説いてください」とお願いました。このことを「梵天勧請」といいます。釈尊は最初のうちは教えを説くのを躊躇されていました。「私のさとったこの真理は、深遠で、見難く、難解であり、静まり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は、執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりを嬉しがっている」ということから、たとえ真理を説いたとしても理解してもらえないだろうと考えられていました。それに対して梵天はこう答えました。「願わくはこの甘露の門を開け。無垢なる者のさとった法を説け。たとえば山の頂きの巌(いわ)に立って、あまねく諸人を見るように智慧の優れたあまねく見る眼ある人よ。自らはすでに憂いを超えておられるのですから、願わくは、あなたの法より高楼に昇り、憂いに沈み、生と老におそわれている諸人をみそなわせたまえ」このようなやり取りを経て、釈尊は説法に踏み出されました。
 釈尊が説法された場所はサールナートといい、仏教の聖地の一つに数えられます。説法の相手はかつて苦行を共に行っていた5人の友人でした。この釈尊が説法したという事実が今日まで仏教が受け継がれる原点になる重要な出来事なのです。その後、釈尊は80歳で涅槃に入られるまでの45年間、多くの教えを説き、人々を救われたのです。

█ 次第

開 式 の 言 葉
行事要文
三帰依
さんだんのうた
念仏
法話・・・瓜生 崇 先生(真宗大谷派玄照寺住職)
恩徳讃
合掌・礼拝
閉式の言葉