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SDGsについての講演を聴いて 2020年10月20日(火)19時12分

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本日は龍谷大学政策学部の深尾昌峰教授をお招きして、SDGsについての講演を行っていただきました。

「SDGs(持続可能な開発目標)」。
単語として聞いたことはあっても、具体的な知識がある人は多くないと思います。
しかし、深尾教授は身の回りの事例や具体的な数値を使って、大変わかりやすく説明してくださいました。
私たちが手軽に食べるチョコレートや手に取るサッカーボール。
それが低賃金で働く子どもたちによって届くのだ、と考えながら生活を送る人が私たちの中に何人いるのでしょうか。
日本が二酸化炭素を80%減らすことを目標にしていることを知っている人はいたのでしょうか。

「地球上の誰一人として取り残さない」をモットーに進む様々な活動や考え方。
激変する社会の中で、皆さん自身も取り残されないように情報を得る必要があります。
今日の皆さんの講演の聴き方は大変素晴らしかったです。
今日得た知識をもとに、さらに大きな学びへと昇華させましょう。

家庭 2020年10月17日(土)17時26分

 本日は高1保護者対象進路ガイダンス。秋雨の肌寒く思われる中、たくさんのご出席をいただきありがとうございました。コロナ禍の下、入学式挙行もままならず、ようやく学校教育活動が学年団単位に拡大され、保護者のみなさまと直接お会いできたありがたいものでした。プログレスコース、選特・一貫コースそれぞれの会場で、校長先生の挨拶にはじまり、コースコンセプト、次年度文理選択の説明と進む中、真剣に耳を傾けメモをとられていました。一人ひとりの生徒はもちろん、目的を一にして同じ方向に歩まれている保護者のみなさまの姿に熱いものを感じました。私たちも真摯に対応しなければならないと改めて強く思わせていただきました。ありがたいことです。
 ガイダンスが終了し、ふと「家庭」ということばが頭に浮かびました。「いつでも頼れる人がそばにいるという安心感があればこそ、子どもの自立心は育つ」と聞いたことがあります。家庭はまさに、そういう安心感に満ちたところ、安心して帰れるところだと思います。そうであってこそ、子どもも、大人も、学校や社会へ出て力いっぱい活動できるのでしょう。いつでも安心して帰ってこられる「母港」があるからこそ、船は雄々しく嵐の大洋を航行できるように……。
 日本の家庭の日常の風景である、「いってきます」「いってらっしゃい」という出かけのあいさつも、「ただいま」「お帰り」という帰りのあいさつも、不思議なことにみんな「帰る」ということが中心になっています。「元気で行って、また帰っておいで。無事に帰っておいで」という願いをこめて送り出し、また「無事によく帰ってきたね。お疲れさん」といういたわりの心で迎える。だからこそ、すくすく育ち、いきいきと外で活動できるのでしょうね。

はじめての講堂仏参 2020年10月14日(水)15時05分

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 本日は初めての学年単位行事、仏参が講堂で実施されました。後期がスタートし、新型コロナ感染症予防対策の下、学校教育活動の活動単位が学級集団単位から学年団単位に拡大されました。しかし、全校行事の自粛は当面の間継続されたままです。学校再開以来、各クラスで実施されていたホームルーム仏参とは違い、学年全体で、場所は講堂、厳かな中、はじめて声を出しての「三帰依」「さんだんの歌」「念仏」。本来ならば、先生方の「法話」、「恩徳讃」と続くわけですが、本日は「校歌」の歌唱指導となりました。「紫匂う 雲のかなた……」、はじめて聞くような、どこかで聞いたような歌詞に「平安生」になった感をより強くしてくれたのではないでしょうか。「応援歌」の歌唱指導も予定されておりましたが、時間の関係から次回(10/28)回しとなりました。「校歌」「応援歌」ともに硬式野球部の甲子園出場時には、アルプススタンドで歌います。わが母校となる「校歌」「応援歌」をしっかり覚えて、歌う機会には声高らかに歌えるようになってほしいですね。

おばあの教え 2020年10月12日(月)17時19分

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 「なんとなく心がぶれているかも…」と思ったとき、心の軸を取り戻すのに、オススメの方法があるとのおばあの教えです。それは、「紙に、自分の名前を丁寧に書くこと」。「写経」のように、紙の端から端まで、何度も名前を書いてみる。ゆっくりと深呼吸をしながら、一文字、一文字、丁寧に書いていく。紙一枚にびっしりと名前を書きあげるころには、不思議と心がおだやかになっているはず。なぜなら、「自分の名前」というのは、その人にとって、特別な意味を持つ「言霊」なのだそうです。名前を何度も書くことで、いまの自分に足りないパワーを補い、心のバランスを整えることができるのだそうです。何か気になることがあって眠れないときなど、この「名前書き」をやってから寝ると、おだやかな安眠をもたらしてくれるかもしれません。心がぶれそうなとき、この方法を、ぜひやってみてはいかがでしょうか。

後期スタート! 2020年10月05日(月)18時09分

 先日、「布施」ということばについて教えていただきした。きれいな心で自分のものを惜しまずに施すことを、古来「布施」という。しかし、この「布施」ということは、自分みずからはぬくぬくとして、余ったものを施し与えるというような、なまやさしいものではなく、自分にぜひ必要なものを、なくては困るものを、割いて与えることだそうです。そういうきびしい意味を持っていることを、この際自覚してください。だから、飢えを共にし、寒さを共にするという心があってこそ、「布施の行」は成り立つのです、との説明を受けました。
 これまた先日、昼休みに校内を巡視していると、ゴミ箱にパンのかけらが投げ捨てられていました。もったいないことだと思います。今、私たちは豊かな時代に生きています。食物もたくさんあります。お米などは余って困るほどです。しかし、その豊かさと比例して、ありがたい、もったいないという心が次第になくなってきていることを悲しく思います。ひとかけらのパンを食べることができないで、飢え死をしている人々がいることを思ってもらいたい。みずからのふやけた心をきびしくたたき直しもらいたいですね。
 話は少し脇道にそれますが、歴史小説作家の吉川英治さんは、いつも「顔施」ということを言っておられたそうです。何もなくても「顔施」だけはできます。「顔施」とは「顔」の施しです。いつもニコニコした顔を、明るくほほえんだ顔をすることです。そういう顔は、周囲の人々の心をどんなになごませることでしょう。どんなに勇気と慰めを与えることでしょう。
 縁あって、私たちはこの龍谷平安に集まってきています。思えば不思議な縁です。不思議な出会いです。この出会いを大切にしたい。そして、せめて明るい顔をして、互いに「顔施」をしようではありませんか。この平安を和やかな、明るい学校にしようではありませんか。

前期を終えて 2020年09月29日(火)12時47分

■その一
 登山を趣味にしている友人のお話です。登山の喜びというものは、麓から重い荷を担いであえぎあえぎ一歩一歩登っていくところにのみあります。ヘリコプターで山頂まで運んでもらったのでは、山頂の眺めは楽しめても登山の喜びはありません。登る途中での人々との交流の楽しさ、移り変わるさまざまな自然の姿への感動、山の命の息吹を呼吸している実感――こんなものを味わいながら、一歩一歩登っていくプロセスこそ登山の喜びなのです。もちろん、自分の体力の限界を注ぎ込んで山と格闘し、最後に頂を極めるという喜びもあります。
 恋愛だって同じようなものでしょう。二人が愛を育て合ってゴールイン。そこが幸せの頂でしょうが、実はゴールに至るまでのプロセスあってのものです。プロセスなしの愛なんか危ないものです。恋が芽生え、行きつ戻りつ、二人が愛を次第に確かなものにしていくプロセス。「只今恋愛中」の時にこそすばらしい幸福感がある。その過程で二人は心豊かになり、人間的にも成長していく。「只今恋愛中」の時ほどすばらしいものはない。人生最高の幸福です。みなさん、恋は人生の必修科目であることも忘れないように!
 前期考査を終えて、いよいよ来月から後期がスタートします。一年生のみなさんには、高校生活の見習い期間を終えて本格的な高校生活の厳しさを知ってほしい。一年後には、なお平安の活動の中心的原動力として活躍してもらうとともに、自分の将来を考えた努力を積んでほしい。そして、二年後には、すでに絞ってある目前の目標に向かってがむしゃらな努力を傾けてほしい。いずれも遠い先の「結果」に向けて、必然的にその結果が生まれるような日々の努力のプロセスを、山登りのように一歩一歩積み上げていってくれることを願っています。そのプロセスにおいてこそ、確かな成長と喜びを手に入れることができると思います。

■その二
 みなさんは、いろいろな点で恵まれてこの平安に通学しています。ただ独力でこの平安に学んでいるのではなく、背後にたくさんの人々の恩恵があることを忘れてはいけません。
 みなさんは、警備員のおじさんたちの存在を知っているでしょうか。六十歳を過ぎたこれらの人々は、この人生における最後の社会奉仕として、進んで警備員になられたのです。みなさんが学校から帰ったあと、くまなく校内を巡って、カギをかけ忘れていたらカギをかけ、窓を開けっぱなしにしていたら窓を閉め、電気を消し忘れていたら電気を消し、夜もほとんど眠らないようにして、校内を警備してくださっています。おかげで、学校は盗難にもあわず、火災もなくて、われわれは平穏に学校生活を楽しむことができるのです。どうかこれらのことに思いをいたして、帰る時には窓を閉め、カギをかけて帰ってもらいたいです。
 また、便所掃除のおばさんがいることを知っているでしょうか。七十歳近いこのおばさんは、終日せっせと便所の掃除をしてくださっています。あるとき、このおばさんが「私は生徒さんのお便所を守っています」と誇らかにおっしゃったのを聞いて、私は深い感銘を受けたことがあります。「平安の生徒さん」の便所をきれいにすることが、このおばさんの誇りであり、生きがいなのです。
 どうか便所を汚さないようにしてもらいたい。そして、もしこれらのおじさんやおばさんに出会ったら、せめて「ありがとう」「ご苦労さま」のひとことをかけてもらえたらうれしいです。どんなに喜ばれるでしょう。
 みなさんは、たくさんの人々の善意と奉仕、さらには大きな期待を背景にして、この学校に通ってきているのです。大いに勉強してください。大いに運動してください。

前期考査一週間前! 2020年09月16日(水)15時43分

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 先日の健康診断を終え、神谷美恵子さんの『人間をみつめて』という本を思い出しました。神谷さんは、この本の中で、人間は―いや、すべての生物は、「内なる自然」と「外なる自然」に支えられて、今日の生命を保っている、と言っています。
 「内なる自然」とは、例えば、呼吸作用や消化作用や血液の循環などです。これらは、私たちが意識しないでも、こんこんと深い眠りに陥っているような場合でも、黙々と働きづめに働いています。また、「外なる自然」とは、例えば、空気や水や適当な温度や、あるいは食べ物などです。これらは私たちが作り出したものではなく、おのずから与えられたものです。もしも、これらの一つでも欠けたり、ちょっとバランスが崩れたりしたような場合には、たちまちにして私たちの生命はなくなってしまいます。「まったく不思議にも、いろいろな内外の条件がうまくそろって健康が支えられているわけなのである。だから、これは一種の不当利得、または恩恵ともいうべきものではないかと思う」と神谷さんは言っています。にもかかわらず、私たちの現実の姿はどうでしょうか。自分の内面を見つめれば見つめるほど、「利己的で、わがままで、でたらめの原始的な自己」がデンと居座っているのに驚かされます。自分を支えている大いなる働きには気づこうともせず、愛と憎しみの間を時計の振り子のように振れて、エゴイズムのカラに閉じこもっている自分の姿に慄然とします。そういうエゴイズムの狭いカラを破って、広い世界に出たいと思います。広大な、いのちの働きの世界に生かされている自分に気づくようになりたい、と切に思います。
さて、初めての前期考査が近づいてきました。テストいうと、すぐによい点数をとりたい、通知表の成績をよくしたいという思いが先行してしまう人がいます。成績を上げるための勉強も試験前の勉強の一つの目的かもしれませんが、それだけではありません。テストには、自分の理解の不十分なところを知ったり、学習方法のまずいところを反省したり、学習の意欲を高めるという目的があります。このように考えるとテストが終わったらそれでおしまいではないことがわかると思います。答案が返されてからが大切ですし、次の学習に役立ててこそテストの目的も達成できるというものです。一夜づけの付け焼き刃では、身についた学力にはなりません。試験が終わったらすべて忘れてしまうようなものではダメです。
 さあ、前期考査まで、一週間。本日、時間割も発表されました。SUTの2日間とちがい5日間、テスト科目も二桁と倍以上です。今までのテストの反省を十分生かして、臨んでください。

オンライン文化祭を終えて 2020年09月05日(土)16時24分

 コロナ禍に伴いオンライン文化祭も初の試み。8:25朝礼・点呼から始まり、ライブストリーミング配信による開会式、動画視聴、高3吹奏楽部員によるライブ配信、開会式と同様の閉会式、そして終礼・点呼と本日の文化祭は感動の中、終了しました。各クラス動画作成は準備期間も短く、正直、期待よりも不安の方が大きいのではと危惧しておりました。が、しかし、一つ一つの動画は先生方の取り越し苦労を大きく裏切る、とてもすばらしい作品でした。ペットボトルチャレンジ、ダンス、黒板アートなど、企画から練習時間、撮影、そしてBGMの選曲、長時間を要したと思われる編集など、すばらしい作品を視聴させていただきました。このような機会に恵まれましたことに感謝、感謝です。みなさん、本当にありがとうございました。
「文化」は、英語で「カルチャー」、「耕す」という意味です。生きていくためにはまず食物がいります。土を耕して作物を作り食料を得るというのが、文化の出発だそうです。つまり、文化とは自然の状態に人の手を加えて何か目的にかなった価値あるものを作り出すこと、あるいは作り出したもののことなのでしょう。
 日々、教室で、部室で、グランドで、図書館で、食堂での語らいの中、今回の文化祭をはじめあらゆる活動を通して、みなさんの、そして龍谷平安の文化を作ってください。一人ひとりの手で作ってください。一人ひとりが作り出すとともに、逆に自分が作られるのも学校文化ではないでしょうか。めいめいが学校文化の担い手です。一人ひとりが肩にかついでいるのです。そのような意識・自覚を強く持って、これからの学校生活を送ってください。

オンライン授業を終えて 2020年09月04日(金)11時14分

 8:25 いつものようにホームルーム開始。シンとして静まりかえった教室の教卓に座って、一人ひとりの空席に呼びかける担任。教室の黒板を背景に一人ひとり名前を呼んで出席確認は、初めてのオンライン授業からくる緊張が、心が少しでも和らげばとの思いから、いつもよりやさしい口調?での点呼でした。
 9月2日、3日の2日間、一時的に通信障害が発生することもありましたが、大きなトラブルもなく高校1年生のオンライン授業は無事に終えることができました。オンライン授業は大半の先生にとって、はじめての体験。生徒のみなさんにとっても同じです。「初期条件が同じだからやることはすべて実験」との共通認識のもと、これまでの授業をふり返り、オンラインだからできることを模索し、先生方もそれぞれ工夫してわかりやすい授業に心がけておられました。画面越しに出会うので、同時双方向の授業ではできるだけ生徒のみなさんの声に基づく授業を心がけておられた姿に、新たな一面を見るような気がしましたが、いかがでしたでしょうか。
 新型コロナウィルス感染症の収束がまだまだ見えない今、通常授業が行われています。しかし、再び休講措置を採らざるを得なくなることもあり得る中、学習環境の確保は必要であり、その対応策の一つとしてオンライン授業の活用です。先生たちも今回のオンライン授業を終え、あなたがたの感想の声に耳を傾け、更なる創意工夫に励み、より良いものを作り上げたいとおっしゃっています。よろしくお願いします。
 9月5日はオンライン文化祭、新しいスタイルで、またとない機会です。こんな経験ができることに感謝し、参加してみましょう。

地獄・極楽 2020年08月28日(金)17時08分

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 山田無文さんの本の中で読んだ、「地獄・極楽」の話を思い出しました。
 ある人が、夢の中で「地獄」に行ったそうです。地獄の住民は、みなゲッソリ痩せて、目をギョロギョロさせ、口は耳もとまで裂けています。見るからに、もの凄い形相です。食べ物はないのかなあ、と思って見ると、丸テーブルの上に、山海の珍味が山のように積まれています。そして、左手は椅子にくくりつけられ、右手には長さが一メートルぐらいのスプーンがくくりつけてあります。みんなはそのスプーンで、われ先にごちそうをすくって食べようとするけれど、スプーンが長すぎるために食べ物は口に入らず、床に落ちたり壁にかかったりします。それでみんな殺気だって、争っています。
 つぎに「極楽」に行きました。すると、みんなよく肥えて、色艶もよく、和気あいあいです。室内の状況は、やはり地獄と同じであって、丸テーブルの上にはごちそうがあり、左手は椅子にくくられ、右手には一メートルぐらいの長いスプーンがくくりつけてあります。極楽の住人たちは、その長いスプーンでごちそうをすくっては、向こう側の人たちに、「おいしいですよ。さあ、召しあがってください。」と言って、スプーンを差し出します。向こう側の人たちは、「ありがとうございます。とてもおいしいですよ。」と言っては、スプーンでごちそうをすくい、今度は逆にこちら側の人たちに差し出します。そういうわけで、みんな満腹し、和気あいあいたる状況であった、ということです。
 自分のことだけを考えているために、周囲と争い苦しんでいる人。一方は、同じ状況に置かれていても、お互いを助け合い、楽しく過ごしている人。どちらが幸せかは、いうまでもありません。私たちは余裕がなくなると、地獄の罪人のように、自分のことだけで頭がいっぱいになってしまうことはないでしょうか。そんなとき、ちょっと周りのことを思いやってみると、お互い協力できたり、助け合うことができたりするものですよ。

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