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2020(令和2)年9月 御命日法要について 2020年09月15日(火)09時00分

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私たちのちかい  
一、自分の殻に閉じこもることなく
  穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく 
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 空を流れる雲の形、野山のススキの穂、庭の草花、すだく虫の音に秋の訪れが感じられる。自然の変わっていく様子に季節の移ろいをみることができる。そして、その変化に合わせて人々は生活を営んできた。しかし最近、「衣替え」のような季節の区切りを象徴する言葉があまり聞かれなくなった。食べ物で季節感を味わうということも少なくなったようだ。電車から見える大きな月を眺めようとする人もほとんどいない。みな下を向いて指を動かしている。仲秋の名月に関心を持つ人も数少なく、自然と人間との距離が大きくなっていることの証左であろうか。今年は春から夏、そして秋へと、自然にふれる時間もこころの余裕もなかった。気がつけば、秋の入口に立っていた。そして、この先は冬が待っている。人生を四季になぞらえ、たとえることも多い。長い人生も一年という時間に比定できるとすれば、本当に短く感じられてくる。かつて『青春の門』を著した五木寛之氏の、老いをテーマにした本のタイトルはルは『玄冬の門』の門』である。冬をどう迎えるかである。
 善導大師は「無常偈」で、草花を採って日中に置くとすぐに枯れてしまう。人の命もそのようなものだ、と教え示される。いま、青春のただ中にいる人は、このことばも耳に入らないかもしれない。だが、誰も一人残らず玄冬という時期に入っていくことは確実である。何のために生まれてきたのか、思い尋ねていきたいものである。
020(令和 2)年 9 月 1 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

9月御命日法要
○日時 9月 15 日(火)16 時 00 分~
○場所 講堂
○法話 ※勤行(讃仏偈)のみ
◎みなさん、お揃いでお参りください。

お彼岸について 2020年09月11日(金)09時00分

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「暑さ寒さも彼岸まで」
もうすぐ秋のお彼岸ですが、なかなか暑い日が続いております。
 ところで、お彼岸の時期には仏教の大切な行事「彼岸会(ひがんえ)」が行われます。
 ぜひ、添付データをご覧ください。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター 2020年09月11日(金)08時00分

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 本願寺より、新たな「新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター」が発行されました。(添付データ)
 また、3枚のポスターに関するメッセージ文を、以下それぞれ転載致します。
 未だ収束されないコロナ禍。不安の中にあっても、仏さまは私たちと共にいてくださる。そう思えるところに、力強く生きていける世界が開けてくるのではないでしょうか。ぜひ、ご覧頂き、メッセージ文もお読みください。

①『無常』

 変わり続ける世界。変わり続ける私。仏教が説く「無常」の教えは、何ものも永遠に固定的で変わらないものなど存在せず、事象はすべて変化し、うつり変わるものだという真理を教えてくれています。このことをお釈迦さまは、

こと・ものすべて無常なりと、智慧をもて見通すときにこそ、実に苦を遠く離れたり。これ、清浄にいたる道なり。(ダンマパダ)

と説かれています。ここでは、無常の道理をありのままに知ることが、さとりへと至る道であると示されています。

 しかし現実の私は、変わり続けるものに日々、翻弄(ほんろう)され、出会いや別れの一つひとつに、悲しみや喜びの涙を流しながら苦悩の人生を生きています。それが偽らざる凡夫のすがたです。

 苦悩を抱えて泣き笑いする、この凡情を断ち切ることのできない私の想いのそのままに、「南無阿弥陀仏〈必ず救う、われにまかせよ〉」とのよび声として、いまここにお浄土への道をともにしてくださっているのが、阿弥陀さまという仏さまです。

 専如ご門主の「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」には、

仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。翻って私たちは、この執われのないおさとりの真実に気づくことができず、常に自分中心の心で物事を見て、悩み、悲しみ、あるいは他人(ひと)と争ったりしています。釈尊は、このような私たちをそのままに救い、おさとりの真実へ導こうと願われたのが阿弥陀如来であることを教えてくださいました。

とご教示くださっています。

 「今日もあなたと一緒だよ。一緒に生きていこう。」阿弥陀さまの願いにつつまれて、「ナンマンダブ」とともに生きていく時、決してひとりぼっちではない安心の人生が開かれていきます。

②『落ちつく』

 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、さまざまな不安を抱えながらの生活を余儀なくされています。そのような今だからこそ、私たちの家族や先祖が大切にされてきたものは何か。そのことを見つめ直す機会として、お過ごしいただきたいと思います。

 慌ただしく、移り変わりも早く、先行きも見えない。そのような私たち一人ひとりに対して、阿弥陀さまは、「あらゆるいのちを分け隔てなくおさめ取ろう」と、たえずよびかけておられます。阿弥陀さまの大いなる慈しみの心に包まれていることに気づくとき、私たちの心に安らぎがもたらされます。

 およそ550年前、本願寺第8代宗主蓮如上人は、「南無阿弥陀仏」という六字のお名号をたくさんお書きになり、浄土真宗のご本尊として各地の門弟に送られました。それは、その場その場にご本尊をもつことの意義を見いだされていたからです。そのお心は、お仏壇として現代に伝えられています。

 仏さまの前に座って、心新たに一日を迎え、心静かに一日を閉じていく。お仏壇を安置して、仏さまと向き合う時間をもつことは、仏さまの温かいお心に感謝しつつ、一日一日を心豊かに生きていくことにつながります。

 近年は、住宅事情の関係もあって、ご自宅にお仏壇を置かれていない方も増えてきているようです。そのようなみなさまには、折々の機会にふるさとのお仏壇にお参りいただくだけでなく、それぞれの環境に合ったお仏壇をお迎えいただくようお勧めしています。


③『恩』

 テレビドラマのセリフがきっかけとなって、いま「恩」という言葉が注目されています。「恩情」という語に表されるように、「恩」とは、恵みや情けのことで、他の人から恵みや情けを受けることをいいますが、仏教では、より深い意味があります。

 漢字の「恩」は「因」と「心」からなります。因を尋ねる心です。私たちが今こうあるのは、突然の出来事ではなく、さまざまな原因が重なり合い、あらゆるものに支えられて、生きている結果です。このことを心に深く考えることを「恩」といいます。

 私という存在は一人で生きていくことはできません。一滴の水も、一吸いの空気も、すべてはいただきものです。いのちもそうです。決して自分だけでつくったものではありません。そのような、私を支える大いなる恵みに「心」をかけ、感動している姿を、「恩」という一字のなかに味わうことができます。

 連綿とつらなるいのちの関係性に想いを馳せ、大きな恵みや支えに対して「有り難いこと」、「お蔭さま」と受けとめていく時、私たちは決して返しきることのできない、深い「ご恩」の世界に気づかせていただくのです。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
 (親鸞聖人「恩徳讃」、『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』1181頁)

 親鸞聖人は、仏さまの「ご恩」、そしてみ教えをお伝えくださった多くの方の「ご恩」を讃えられるとともに、その「ご恩」に応えていく生き方をすすめられました。

 この度のお彼岸は、コロナ禍の中で、不安を感じながら迎えることとなりましたが、それぞれの場で、仏さまの大きな「ご恩」を聞かせていただき、いのちのつながりを知るご縁といたしましょう。

 

2020(令和2)年9月 今月の聖語・言葉について 2020年09月01日(火)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語

蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず 伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節を知らんや  『往生論註』

 今年の夏は猛暑厳しく、お盆を過ぎても蝉の鳴き声が聞こえていました。ようやく9月に入りましたが、まだまだこの暑さが続きそうです。
今月の聖語は、中国浄土教の開祖である曇鸞(どんらん)大師の言葉です。「蟪蛄」とは蝉のことで、「伊虫」とはこの虫という意味、「朱陽の節」とは夏のことです。つまり、「蝉は、春や秋を知らない。だから、今が夏だということも知らない」という意味です。 
 私たち人間が夏という季節を知っているのは、春や秋、冬を知っているからです。蝉は夏に鳴き続け、秋を知らないまま命尽きてしまいます。蝉の命は短命で、夏の期間を一所懸命鳴いていると印象があります。蝉の種類によって異なりますが、蝉は地中で幼虫の期間がかなり長く、成虫になっても3週間から1ヶ月は生きます。小学生のころは蝉をよく捕まえたものですが、成虫した蝉はエサが木の樹液のみのため、飼っても一週間も生きられません。そういう理由から、「蝉の寿命は一週間」というイメージが定着していったようです。蝉が精一杯鳴きながら、この夏を生きた姿を見て、私たちの命も儚(はかな)く、限りがあるということをあらためて再確認したいものです。

□今月の言葉

あやまちを指摘する人は、宝のありかを知らせる人  『ダンマパダ』

人から叱られたり、注意されることは気持ちの良いものではありません。ときには腹が立つこともあるでしょう。相手の言い方にもよりますが、あなたのことを思って叱ってくれる存在がいるのなら、その人を大切にすべきです。そして、その人の言葉をしっかり受け止める姿勢を持ちましょう。
ところで、「怒る」と「叱る」の違いを知っているでしょうか。「怒る」というのは、自分が腹を立てたことを相手にぶつけることで、自分のためのものです。それに対して、「叱る」というのは、相手に良くなってもらいたいという気持ちがあり、これは相手のためのものです。ですから、本気で叱ってくれる人は、きっと大切なこと(=宝)を教えてくれているはずです。叱られたときに素直に受け止めることができれば、それが自分を成長させるきっかけになるのではないでしょうか。

お盆について 2020年08月08日(土)09時00分

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 本校の今年度の夏季休暇は、例年よりも短いものとなりました。コロナ禍の影響で帰省もままならない状況かもしれませんが、限られた休暇を充実したものにしてくださいね。
 ところで、夏季休暇中にお盆があり、仏さまにお参りして、ご先祖を偲ぶ機会があるかもしれません。実は、お盆の起源は仏教です。お盆の由来や、お盆を迎える心構えなどがまとめられたものが、本願寺から発刊されております。添付データをご覧ください。
 束の間の休みですが、生徒のみなさんにとって、いまの自分の「いのち」について、ゆっくりとご家族や親族と考えられる機会になればと願っております。

2020(令和2)年7月  御命日法要について 2020年07月14日(火)09時00分

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私たちのちかい
一、自分の殻からに閉じこもることなく
  穏おだやかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑ほほえみ語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲じひに満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯せいいっぱいつとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 春の選抜高校野球大会で敗退したチームに贈られる励ましの言葉がある。「泣くな、夏がある」。そして、敗れた選手は、夏の選手権大会での「リベンジ」を誓い甲子園球場を去る。ところが今年は、新型コロナウイルスの感染リスクを考慮し、春と夏の甲子園大会が共に中止となってしまった。
 選抜大会が中止となったとき、出場が決まっていた各チームの選手や監督は、落胆しながらも夏へと気持ちを切り替えた。だが、コロナ禍は、その希望をも奪った。5月20日、日本高等学校野球連盟の関係者は記者会見で、「苦渋の決断」と繰り返したが、最悪の知らせを聞いた選手たち、特に「この夏が最後」となる3年生の無念さを思うとやりきれない。
 甲子園に春夏あわせて75回出場している宗門校、龍谷大平安高野球部の原田英彦監督は、「最後の夏にかけていた子もいる」と3年生部員の胸中を思いやり、「現状を理解し、納得し、諦めないと前に進めない」と、選手らがこの試練を乗り越え前に進むことを願った。長嶋茂雄さんならこう励ましただろう。「ワーストはネクストのマザー」と。フランスの作家アルベール・カミュは代表作「ペスト」の最終章にこう記す。「この天災(ペスト)に教えられたことは、人間には軽蔑すべきものより讃美すべきもののほうが多くあるということ」(要旨)。
 高野連は先頃選抜に出場予定だった32校を招待し甲子園で交流試合を開催することを決めた。若人の夢を消したくない、その思いに涙する選手も。(N)
「2020(令和2)年6月20日(土曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

7月 御命日法要
○ 日時 7月14日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

2020(令和2)年7月 今月の聖語・言葉について 2020年07月01日(水)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
怒らないことによって 怒りにうち勝て  『ダンマパダ』

『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 度々紹介しているように、仏教でいう三毒煩悩の一つが怒りの心を意味する「瞋恚(しんに)」です。煩悩は、私たちの心身を乱し、悩ますため、離れるべきものだと釈尊は教えます。しかしながら、日常生活の中でも、自分の意に反して思い通りにならないことが起これば、怒りの心を抱くことがあるのではないでしょうか。少し落ち着いて判断すれば、その時の状況や相手の言い分も理解することが出来るかも知れませんが、一旦怒りの心に火がつくとなかなか冷静になれないのが現実だと思います。結果的に怒りの心で相手を傷つけ、周囲を不快な気持ちにさせ、自分自身も嫌な気持ちになってしまいます。したがって、怒りの心は自他共に傷つく結果につながりかねません。
 今回紹介した言葉は、日常生活の中で重なる場面がきっとあるはずです。その時は、今回の釈尊の言葉を思い出し、自分自身の心を少しコントロールしてください。


□今月の言葉
歩んでいても、とどまっていても、ひとの命は昼夜に過ぎ去り、とどまりはしない。 -河の水流のようなものである。  『ウダーナヴァルガ』

 河の流れが一時も止まらないように、すべてのものは移り変わっていきます。これを仏教では「諸行無常」といい、釈尊の中心となる教えの一つに数えます。
早いもので学校が臨時休校から再開して一ヶ月が経ち、暦の上では七月を迎えました。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、今までの日常の過ごし方と比べて「新しい生活様式」が示すように大きく変化しました。これまでの何気ない日常が一転するような今回の混乱の中で、当たり前は決して当たり前でないこと、そして世の中も移り変わっているという「諸行無常」を痛感した人も多いだろうと思います。
 釈尊は入滅される前に「世は無常である。怠ることなく精進するように」と言い残されています。私たちの命も、また日々過ごしている日常も、全てのものは有限であり、変化しています。変化し限りがあるからこそ、「今」というこの瞬間が尊く、貴重だといえます。水流のように流れ、二度と戻らないこの時間の意味を改めて深く考え、自分の目標に向け精進してください。  合掌

2020(令和2)年6月 御命日法要について 2020年06月16日(火)08時00分

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私たちのちかい

一、自分の殻に閉じこもることなく 

  
  穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします

  微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず

  しなやかな心と振る舞いを心がけます

  心安らかな仏さまのように

一、自分だけを大事にすることなく

  人と喜びや悲しみを分かち合います

  
  慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように

一、生かされていることに気づき

  せいいっぱい日々に精一杯つとめます

  人びとの救いに尽くす仏さまのように


2008 年、H2A ロケットで打ち上げられた人工衛星。その名を「きずな」といった。設計寿命の 5 年をはるかに超えて、昨年 2 月まで運用され、一定の役割を果たした。

この衛星は、だれもが平等に高速通信サービスを受けることができる社会を実現することを目的としていた。私たちは知らない間に恩恵を被ってきたということであろうか。遠く離れた人たちとのコミュニケーションが容易にできうるという思いが「絆」という名前をつけさせたのであろう。衛生の知識は全くないが、絆という名に関心を寄せてきた。

ところで、絆を「広辞苑」でみると、「馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱」「断つにしのびない恩愛。離れがたい情実」などと説明する。旧仮名遣いでは「きづな」と書くことから、元来つなぎとめるもの、綱をいったのだろう。「羈絆(きはん)」という言葉もある。同じようにつなぐという意味である。単に物と物とのつながり、つなぐということである。しかし絆には「共にこの道を歩んでいきましょう」とか「共に喜び、悲しみを一緒にしていきましょう」というこころから生まれ出てくるようなつながりもある。大事にしたいつながりである。特に「共に」という語を忘れてはならない。

「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)のスローガンは「結ぶ絆から、広がるご縁へ」。さまざまなつながりの中で、こころの結びつき、ご縁を大切にしたい。(O)

「2020(令和 2)年 6 月 1 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


6月御命日法要

○ 日時6 月 16 日(火)16 時 00 分~

○ 場所講堂

○ 法話※勤行(讃仏偈)のみ

◎ みなさん、お揃いでお参りください。


※浄土真宗本願寺派が 5 月 26 日、「新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター」(4 月 23 日)に続くポスターを3つ制作されましたので添付します。*本校HP【宗教教育ブログ】に「不安の中でも、仏さまと共に」(5 月 28 日)掲載済み


■コロナらしい時は お医者さま

不安になる時は 不安になる

「そのまま救う」の弥陀の慈悲

おやさしい 南無阿弥陀仏に

ありがとう


【メッセージ文について】

いつまで続くとも見通せない、この新しい感染症に、どう向かい合っていくべきかを考えたとき、足元をしっかり見据えておく必要があるでしょう。

事は医学の領域ですから、まずは医師の科学的判断と指示を基本とすべきです。

一方で、私たちの心の中は、必ずしも科学的・理性的な判断ができるわけではなく、「罹患(りかん)してしまうのではないだろうか」、「死んでしまうかも知れない」といった不安も、しばしば起こります。その不安は煩悩(ぼんのう)のしわざ。お釈迦さまのように悟れていませんから、煩悩のわが身は死ぬまで変わりません。

そんな不安の中でも、「そのままのあなたを引き受ける」と立ち上がられた阿弥陀さまは、はたらきつづけておられます。

ご門主さまはご消息の中で「縁起(えんぎ)や無常(むじょう)・無我(むが)というこの世のありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の私たちも決して見捨てられることはありません」(取意)と述べておられます。このようにお慈悲の真実を、その心を聞かせていただくことにより、人生のさまざまな状況の中で、右往左往しながらも、目の前の現実にきちんと向き合う道が開かれてくるのです。

おやさしい南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)に、「ありがとう」と感謝のお念仏が出てくることでしょう。


■一人ひとりを

そのままに

決して捨てないと

よび続け

はたらきかける 仏さま

その願いに

であうとき

ともに響きあう世界が

恵まれる

■つながりの中で

生きている

支えあいながら

生きている

だからこそ

他人(ひと)の

よろこび 悲しみを

分かち合える世界が

開かれる


【メッセージ文について】

仏教では、この世や私たちのありのままの真実を「諸行無常(しょぎょうむじょう)」や「縁起」といいます。「諸行無常」は、この世界のすべての物事は一瞬もとどまることなく移り変わっていること、「縁起」は、すべての物事は、一瞬一瞬に原因や条件が互いに関わりあって存在しているという真実のことです。

ところが、ありのままの真実に気づかない私たちは、つい、得体の知れないものに不安を覚えます。ウイルスを敵視し、排除しようという想いを抱いてしまいます。実は、そうした想いこそが、自分本位にしか生きられない私たちの姿を示しているのではないでしょうか。

阿弥陀さまは、そのような私たちに対して、哀れみ慈しみの心をもって、誰ひとり取り残されず尊い安心を与えようとはたらき続けています。阿弥陀さまのお心に出遇(であ)うとき、憎しみや争い、対立を超えた、心豊かな世界が恵まれます。

私たちは自分一人で生きているのではなく、多くの人々の支えによって生かされています。仏さまの温かいお心にであうとき、仏さまが私たちの喜び悲しみをともにするように、私たちも他人と喜び悲しみを分かち合うことができる慈しみの世界が開かれていきます。


【本願寺大銀杏の写真について】

本願寺御影堂(ごえいどう)・阿弥陀堂の前にそれぞれそびえ立つ大銀杏(おおいちょう)の今の姿を使用させていただきました。

御影堂前の大銀杏は、「逆さ銀杏(さかさいちょう)」ともいわれます。1788(天明 8)年 1 月京都大火の際に、水を吹き出して火を消し止めたと伝えられています。

また、阿弥陀堂前の大銀杏は、2017(平成 29)年の台風の被害を受けて枝葉が折れ、大きく損傷しました。それから数年、今では青々と生い茂り、本願寺の境内を明るくしてくれる存在です。

どんな困難があろうとも、立ち上がり、そして未来へ希望をつなげていく。そうした姿を私たちに見せてくれています。

※浄土真宗本願寺派(西本願寺)HPより

本校の宗教教育について 2020年06月08日(月)08時00分

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●建学の精神 
 本校の「建学の精神」は「浄土真宗の精神」です。
阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、
「真実を求め、真実に生き、真実を顕らかにする」ことのできる人間を育てることにあります。
このことを実現するための日常の心得として、「ことばを大切に」・「じかんを大切に」・「いのちを大切に」という3つの「大切」を掲げています。これらはみな、建学の精神があってこその心であり、生き方です。

「ことばを大切に」 正確な言葉 やさしい言葉 ていねいな言葉
「じかんを大切に」 今という時間 青春という時間 人生という時間
「いのちを大切に」 いただいているいのち 願われているいのち 支えられているいのち

 宗教教育を通して、「ことば・じかん・いのち」という三つの大切を糸口として、自ら深く見つめることのできる目を養い、あらゆる存在により支えられている私のいのちの尊厳に気づくことができる生徒を育てます。

●宗教行事
 校内にある講堂において、以下のような宗教行事を行っています。

5月:花まつり(お釈迦さまの誕生を祝う行事)・宗祖降誕会(親鸞聖人の誕生を祝う行事)
12月:成道会(お釈迦さまがさとりを開かれたことを記念する行事)
 1月:報恩講(親鸞聖人の祥月命日に行われる行事)
 2月:涅槃会(お釈迦さまの入滅の日に行われる行事)
 これら以外に、物故者追悼法要(龍谷大平安関係者が亡くなられたことを偲ぶ法要)も行われます。


●御命日法要
 親鸞聖人の御命日(旧暦1262(弘長2)年11月28日、新暦1263年1月16日)である毎月16日(新暦)前後に法要が行われています。『正信念仏偈』を唱和し、僧侶による御法話を聴聞します。龍谷大平安の教職員や生徒たちが参加します。

●仏参
 仏参とは、仏さまにお参りすることです。週に1回講堂において、仏さまに手を合わせ、音楽法要形式で行われます。聖歌を歌い、学年の先生から仏教的なお話や体験談などを聞き、自分自身を見つめる時間
です。

月曜日:中学生      水曜日:高校1年生
金曜日:高校2年生    木曜日:高校3年生    ※火曜日:教職員仏参(礼拝堂)

※今年度より上記の該当曜日の「講堂仏参」に加えて、毎日、教室で「ホームルーム仏参」が行われます。講堂のご本尊に向かって、音楽法要形式でお参りします。また、今年度より全教室に仏教の象徴である「法輪」が掲げられました。

●宗教の授業
 中学・高校共に、各学年で週1時間、宗教の授業があります。宗教に関する正しい知識と、仏教や浄土真宗の教えを学びます。たとえば、生徒を主体とした授業を展開し、毎月クラスに掲示される「今月の言葉」を用いた言葉の発表をはじめ、グループワーク(プレゼン発表など)を行っています。

●今月の聖語・言葉
 校門前の聖語板に、今月の聖語を掲げており、書道部の生徒たちが揮毫してくれています。また、今月の言葉と共に紹介文を、全教室にも掲示し、この宗教ブログにもアップしています。
今月の聖語は、仏教経典や親鸞聖人、蓮如上人著作の書物より引用しています。今月の言葉については、お釈迦さまや親鸞聖人の言葉をはじめ、浄土真宗の名僧や仏教詩人などによって示された言葉です。とくに本校の「三つの大切」である「ことばを大切に」「じかんを大切に」「いのちを大切に」をテーマとしたものを多く選んでいます。

●仏教コース
  放課後や夏期集中授業等にて、浄土真宗本願寺派の得度式受式資格や教師資格に関する授業を展開しています。

●出版物
 毎年5月に『明るい朝』を発行しています。前の年に実施された宗教行事の法話を中心に、本校の校長、副校長をはじめ、教員が仏参で話したことをまとめた1冊です。
 また、3年間分の今月の聖語・言葉を集めた『今月の言葉集』を作成し、卒業式の日に卒業生たちへ贈っています。

●校内放送
 毎日、校内で流れているチャイム(メロディー)です。
8:10 衆会  ― 作詞:羽田野仁、作曲:平井康三郎
8:23 朝の歌 ― 作詞:杉崎大愚、作曲:末広恭雄
8:25 敬礼文・三帰依・さんだんのうた・念仏 ―「HR仏参」
13:25 平安高等学校・中学校応援歌(空紺碧に) ― 作詞:鴫原一穂、作曲:中村武俊
17:30 恩徳讃 ― 作詞:親鸞聖人、作曲:清水修
18:00 人の世の ― 作詞:八谷秋剣、作曲:服部正
19:00 夕の歌  ― 作詞:渡辺千秋、作曲:藤井制心

●施設
 本校では、講堂に「南無阿弥陀仏」の名号、礼拝堂に阿弥陀如来像を安置し、入堂・退堂の際はご本尊に一礼します。また、登下校時においても、講堂のご本尊に向けて正門で一礼します。

2020(令和2)年6月 今月の聖語・言葉について 2020年06月01日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
悪性(あくしょう)さらにやめがたし 心は蛇蝎(じゃかつ)の如くなり    『正像末和讃』

今月の聖語は、親鸞聖人の言葉です。私の悪の本性はどうにもならず、心はヘビやサソリと変わらないという意味です。その悪の本性とは「煩悩」のことであり、ヘビやサソリに毒があるように、私たちも煩悩という毒を持ち合わせているのです。中でも私たちを苦しめるのが、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)という「三毒の煩悩」です。
この度の新型コロナウィルス感染拡大にともない、私たちの心に潜む「三毒の煩悩」が見え隠れしていたように思います。貪欲とは、貪(むさぼ)るような欲のことです。世間では、マスクを手に入れようと、多くの人がマスクを買い込み、マスク不足にまで陥りました。次に、瞋恚とは、怒りの心のことです。電車内でマスクをしていない人が咳をして、まわりがそれに腹を立て喧嘩になるといったニュースが流れました。最後の愚痴とは、物事の真実を知らないことです。「トイレットペーパーがなくなる」というデマがSNSで拡散され、多くの人がその情報に惑わされてしまいました。これらの煩悩を断ち切ることは非常に難しいことですが、自らを見つめ直すことはできるのではないでしょうか。


□今月の言葉
あたかも、母が己の独り子を命をかけても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。     『スッタニパータ』

六月は梅雨の時期です。毎日雨の日が続くと、嫌な気分になります。しかし、私たち人間はもちろんのこと、外にいる植物や虫たちにとっては、雨の水は欠かせないいのちの源です。インドでは、長く続く梅雨の間、お釈迦さまとその弟子たちは、一ヵ所にこもって修行に専念されました。なぜなら、外へ出歩くと、植物や虫を踏みつけて殺生(せっしょう)してしまう可能性があったからです。この期間を「安居(あんご)」と言うのですが、私たちにとっては、不要不急の外出を控える「ステイホーム」と似ているように思えます。これは東京都を中心に、全国各地で徹底された新型コロナウィルス感染防止策です。つまり、私たちが家にいることが、自分のいのちだけでなく、家族や大切な人のいのちを守ることにつながるということです。一人ひとりが相手を思いやり、まわりの人に対して慈しみのこころを起こす。そのことを考えながら、このお釈迦さまの言葉を味わってみましょう。
合掌

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