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2020(令和2)年7月 今月の聖語・言葉について 2020年07月01日(水)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
怒らないことによって 怒りにうち勝て  『ダンマパダ』

『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 度々紹介しているように、仏教でいう三毒煩悩の一つが怒りの心を意味する「瞋恚(しんに)」です。煩悩は、私たちの心身を乱し、悩ますため、離れるべきものだと釈尊は教えます。しかしながら、日常生活の中でも、自分の意に反して思い通りにならないことが起これば、怒りの心を抱くことがあるのではないでしょうか。少し落ち着いて判断すれば、その時の状況や相手の言い分も理解することが出来るかも知れませんが、一旦怒りの心に火がつくとなかなか冷静になれないのが現実だと思います。結果的に怒りの心で相手を傷つけ、周囲を不快な気持ちにさせ、自分自身も嫌な気持ちになってしまいます。したがって、怒りの心は自他共に傷つく結果につながりかねません。
 今回紹介した言葉は、日常生活の中で重なる場面がきっとあるはずです。その時は、今回の釈尊の言葉を思い出し、自分自身の心を少しコントロールしてください。


□今月の言葉
歩んでいても、とどまっていても、ひとの命は昼夜に過ぎ去り、とどまりはしない。 -河の水流のようなものである。  『ウダーナヴァルガ』

 河の流れが一時も止まらないように、すべてのものは移り変わっていきます。これを仏教では「諸行無常」といい、釈尊の中心となる教えの一つに数えます。
早いもので学校が臨時休校から再開して一ヶ月が経ち、暦の上では七月を迎えました。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、今までの日常の過ごし方と比べて「新しい生活様式」が示すように大きく変化しました。これまでの何気ない日常が一転するような今回の混乱の中で、当たり前は決して当たり前でないこと、そして世の中も移り変わっているという「諸行無常」を痛感した人も多いだろうと思います。
 釈尊は入滅される前に「世は無常である。怠ることなく精進するように」と言い残されています。私たちの命も、また日々過ごしている日常も、全てのものは有限であり、変化しています。変化し限りがあるからこそ、「今」というこの瞬間が尊く、貴重だといえます。水流のように流れ、二度と戻らないこの時間の意味を改めて深く考え、自分の目標に向け精進してください。  合掌

2020(令和2)年6月 御命日法要について 2020年06月16日(火)08時00分

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私たちのちかい

一、自分の殻に閉じこもることなく 

  
  穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします

  微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず

  しなやかな心と振る舞いを心がけます

  心安らかな仏さまのように

一、自分だけを大事にすることなく

  人と喜びや悲しみを分かち合います

  
  慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように

一、生かされていることに気づき

  せいいっぱい日々に精一杯つとめます

  人びとの救いに尽くす仏さまのように


2008 年、H2A ロケットで打ち上げられた人工衛星。その名を「きずな」といった。設計寿命の 5 年をはるかに超えて、昨年 2 月まで運用され、一定の役割を果たした。

この衛星は、だれもが平等に高速通信サービスを受けることができる社会を実現することを目的としていた。私たちは知らない間に恩恵を被ってきたということであろうか。遠く離れた人たちとのコミュニケーションが容易にできうるという思いが「絆」という名前をつけさせたのであろう。衛生の知識は全くないが、絆という名に関心を寄せてきた。

ところで、絆を「広辞苑」でみると、「馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱」「断つにしのびない恩愛。離れがたい情実」などと説明する。旧仮名遣いでは「きづな」と書くことから、元来つなぎとめるもの、綱をいったのだろう。「羈絆(きはん)」という言葉もある。同じようにつなぐという意味である。単に物と物とのつながり、つなぐということである。しかし絆には「共にこの道を歩んでいきましょう」とか「共に喜び、悲しみを一緒にしていきましょう」というこころから生まれ出てくるようなつながりもある。大事にしたいつながりである。特に「共に」という語を忘れてはならない。

「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)のスローガンは「結ぶ絆から、広がるご縁へ」。さまざまなつながりの中で、こころの結びつき、ご縁を大切にしたい。(O)

「2020(令和 2)年 6 月 1 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


6月御命日法要

○ 日時6 月 16 日(火)16 時 00 分~

○ 場所講堂

○ 法話※勤行(讃仏偈)のみ

◎ みなさん、お揃いでお参りください。


※浄土真宗本願寺派が 5 月 26 日、「新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター」(4 月 23 日)に続くポスターを3つ制作されましたので添付します。*本校HP【宗教教育ブログ】に「不安の中でも、仏さまと共に」(5 月 28 日)掲載済み


■コロナらしい時は お医者さま

不安になる時は 不安になる

「そのまま救う」の弥陀の慈悲

おやさしい 南無阿弥陀仏に

ありがとう


【メッセージ文について】

いつまで続くとも見通せない、この新しい感染症に、どう向かい合っていくべきかを考えたとき、足元をしっかり見据えておく必要があるでしょう。

事は医学の領域ですから、まずは医師の科学的判断と指示を基本とすべきです。

一方で、私たちの心の中は、必ずしも科学的・理性的な判断ができるわけではなく、「罹患(りかん)してしまうのではないだろうか」、「死んでしまうかも知れない」といった不安も、しばしば起こります。その不安は煩悩(ぼんのう)のしわざ。お釈迦さまのように悟れていませんから、煩悩のわが身は死ぬまで変わりません。

そんな不安の中でも、「そのままのあなたを引き受ける」と立ち上がられた阿弥陀さまは、はたらきつづけておられます。

ご門主さまはご消息の中で「縁起(えんぎ)や無常(むじょう)・無我(むが)というこの世のありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の私たちも決して見捨てられることはありません」(取意)と述べておられます。このようにお慈悲の真実を、その心を聞かせていただくことにより、人生のさまざまな状況の中で、右往左往しながらも、目の前の現実にきちんと向き合う道が開かれてくるのです。

おやさしい南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)に、「ありがとう」と感謝のお念仏が出てくることでしょう。


■一人ひとりを

そのままに

決して捨てないと

よび続け

はたらきかける 仏さま

その願いに

であうとき

ともに響きあう世界が

恵まれる

■つながりの中で

生きている

支えあいながら

生きている

だからこそ

他人(ひと)の

よろこび 悲しみを

分かち合える世界が

開かれる


【メッセージ文について】

仏教では、この世や私たちのありのままの真実を「諸行無常(しょぎょうむじょう)」や「縁起」といいます。「諸行無常」は、この世界のすべての物事は一瞬もとどまることなく移り変わっていること、「縁起」は、すべての物事は、一瞬一瞬に原因や条件が互いに関わりあって存在しているという真実のことです。

ところが、ありのままの真実に気づかない私たちは、つい、得体の知れないものに不安を覚えます。ウイルスを敵視し、排除しようという想いを抱いてしまいます。実は、そうした想いこそが、自分本位にしか生きられない私たちの姿を示しているのではないでしょうか。

阿弥陀さまは、そのような私たちに対して、哀れみ慈しみの心をもって、誰ひとり取り残されず尊い安心を与えようとはたらき続けています。阿弥陀さまのお心に出遇(であ)うとき、憎しみや争い、対立を超えた、心豊かな世界が恵まれます。

私たちは自分一人で生きているのではなく、多くの人々の支えによって生かされています。仏さまの温かいお心にであうとき、仏さまが私たちの喜び悲しみをともにするように、私たちも他人と喜び悲しみを分かち合うことができる慈しみの世界が開かれていきます。


【本願寺大銀杏の写真について】

本願寺御影堂(ごえいどう)・阿弥陀堂の前にそれぞれそびえ立つ大銀杏(おおいちょう)の今の姿を使用させていただきました。

御影堂前の大銀杏は、「逆さ銀杏(さかさいちょう)」ともいわれます。1788(天明 8)年 1 月京都大火の際に、水を吹き出して火を消し止めたと伝えられています。

また、阿弥陀堂前の大銀杏は、2017(平成 29)年の台風の被害を受けて枝葉が折れ、大きく損傷しました。それから数年、今では青々と生い茂り、本願寺の境内を明るくしてくれる存在です。

どんな困難があろうとも、立ち上がり、そして未来へ希望をつなげていく。そうした姿を私たちに見せてくれています。

※浄土真宗本願寺派(西本願寺)HPより

本校の宗教教育について 2020年06月08日(月)08時00分

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●建学の精神 
 本校の「建学の精神」は「浄土真宗の精神」です。
阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、
「真実を求め、真実に生き、真実を顕らかにする」ことのできる人間を育てることにあります。
このことを実現するための日常の心得として、「ことばを大切に」・「じかんを大切に」・「いのちを大切に」という3つの「大切」を掲げています。これらはみな、建学の精神があってこその心であり、生き方です。

「ことばを大切に」 正確な言葉 やさしい言葉 ていねいな言葉
「じかんを大切に」 今という時間 青春という時間 人生という時間
「いのちを大切に」 いただいているいのち 願われているいのち 支えられているいのち

 宗教教育を通して、「ことば・じかん・いのち」という三つの大切を糸口として、自ら深く見つめることのできる目を養い、あらゆる存在により支えられている私のいのちの尊厳に気づくことができる生徒を育てます。

●宗教行事
 校内にある講堂において、以下のような宗教行事を行っています。

5月:花まつり(お釈迦さまの誕生を祝う行事)・宗祖降誕会(親鸞聖人の誕生を祝う行事)
12月:成道会(お釈迦さまがさとりを開かれたことを記念する行事)
 1月:報恩講(親鸞聖人の祥月命日に行われる行事)
 2月:涅槃会(お釈迦さまの入滅の日に行われる行事)
 これら以外に、物故者追悼法要(龍谷大平安関係者が亡くなられたことを偲ぶ法要)も行われます。


●御命日法要
 親鸞聖人の御命日(旧暦1262(弘長2)年11月28日、新暦1263年1月16日)である毎月16日(新暦)前後に法要が行われています。『正信念仏偈』を唱和し、僧侶による御法話を聴聞します。龍谷大平安の教職員や生徒たちが参加します。

●仏参
 仏参とは、仏さまにお参りすることです。週に1回講堂において、仏さまに手を合わせ、音楽法要形式で行われます。聖歌を歌い、学年の先生から仏教的なお話や体験談などを聞き、自分自身を見つめる時間
です。

月曜日:中学生      水曜日:高校1年生
金曜日:高校2年生    木曜日:高校3年生    ※火曜日:教職員仏参(礼拝堂)

※今年度より上記の該当曜日の「講堂仏参」に加えて、毎日、教室で「ホームルーム仏参」が行われます。講堂のご本尊に向かって、音楽法要形式でお参りします。また、今年度より全教室に仏教の象徴である「法輪」が掲げられました。

●宗教の授業
 中学・高校共に、各学年で週1時間、宗教の授業があります。宗教に関する正しい知識と、仏教や浄土真宗の教えを学びます。たとえば、生徒を主体とした授業を展開し、毎月クラスに掲示される「今月の言葉」を用いた言葉の発表をはじめ、グループワーク(プレゼン発表など)を行っています。

●今月の聖語・言葉
 校門前の聖語板に、今月の聖語を掲げており、書道部の生徒たちが揮毫してくれています。また、今月の言葉と共に紹介文を、全教室にも掲示し、この宗教ブログにもアップしています。
今月の聖語は、仏教経典や親鸞聖人、蓮如上人著作の書物より引用しています。今月の言葉については、お釈迦さまや親鸞聖人の言葉をはじめ、浄土真宗の名僧や仏教詩人などによって示された言葉です。とくに本校の「三つの大切」である「ことばを大切に」「じかんを大切に」「いのちを大切に」をテーマとしたものを多く選んでいます。

●仏教コース
  放課後や夏期集中授業等にて、浄土真宗本願寺派の得度式受式資格や教師資格に関する授業を展開しています。

●出版物
 毎年5月に『明るい朝』を発行しています。前の年に実施された宗教行事の法話を中心に、本校の校長、副校長をはじめ、教員が仏参で話したことをまとめた1冊です。
 また、3年間分の今月の聖語・言葉を集めた『今月の言葉集』を作成し、卒業式の日に卒業生たちへ贈っています。

●校内放送
 毎日、校内で流れているチャイム(メロディー)です。
8:10 衆会  ― 作詞:羽田野仁、作曲:平井康三郎
8:23 朝の歌 ― 作詞:杉崎大愚、作曲:末広恭雄
8:25 敬礼文・三帰依・さんだんのうた・念仏 ―「HR仏参」
13:25 平安高等学校・中学校応援歌(空紺碧に) ― 作詞:鴫原一穂、作曲:中村武俊
17:30 恩徳讃 ― 作詞:親鸞聖人、作曲:清水修
18:00 人の世の ― 作詞:八谷秋剣、作曲:服部正
19:00 夕の歌  ― 作詞:渡辺千秋、作曲:藤井制心

●施設
 本校では、講堂に「南無阿弥陀仏」の名号、礼拝堂に阿弥陀如来像を安置し、入堂・退堂の際はご本尊に一礼します。また、登下校時においても、講堂のご本尊に向けて正門で一礼します。

2020(令和2)年6月 今月の聖語・言葉について 2020年06月01日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
悪性(あくしょう)さらにやめがたし 心は蛇蝎(じゃかつ)の如くなり    『正像末和讃』

今月の聖語は、親鸞聖人の言葉です。私の悪の本性はどうにもならず、心はヘビやサソリと変わらないという意味です。その悪の本性とは「煩悩」のことであり、ヘビやサソリに毒があるように、私たちも煩悩という毒を持ち合わせているのです。中でも私たちを苦しめるのが、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)という「三毒の煩悩」です。
この度の新型コロナウィルス感染拡大にともない、私たちの心に潜む「三毒の煩悩」が見え隠れしていたように思います。貪欲とは、貪(むさぼ)るような欲のことです。世間では、マスクを手に入れようと、多くの人がマスクを買い込み、マスク不足にまで陥りました。次に、瞋恚とは、怒りの心のことです。電車内でマスクをしていない人が咳をして、まわりがそれに腹を立て喧嘩になるといったニュースが流れました。最後の愚痴とは、物事の真実を知らないことです。「トイレットペーパーがなくなる」というデマがSNSで拡散され、多くの人がその情報に惑わされてしまいました。これらの煩悩を断ち切ることは非常に難しいことですが、自らを見つめ直すことはできるのではないでしょうか。


□今月の言葉
あたかも、母が己の独り子を命をかけても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。     『スッタニパータ』

六月は梅雨の時期です。毎日雨の日が続くと、嫌な気分になります。しかし、私たち人間はもちろんのこと、外にいる植物や虫たちにとっては、雨の水は欠かせないいのちの源です。インドでは、長く続く梅雨の間、お釈迦さまとその弟子たちは、一ヵ所にこもって修行に専念されました。なぜなら、外へ出歩くと、植物や虫を踏みつけて殺生(せっしょう)してしまう可能性があったからです。この期間を「安居(あんご)」と言うのですが、私たちにとっては、不要不急の外出を控える「ステイホーム」と似ているように思えます。これは東京都を中心に、全国各地で徹底された新型コロナウィルス感染防止策です。つまり、私たちが家にいることが、自分のいのちだけでなく、家族や大切な人のいのちを守ることにつながるということです。一人ひとりが相手を思いやり、まわりの人に対して慈しみのこころを起こす。そのことを考えながら、このお釈迦さまの言葉を味わってみましょう。
合掌

2020(令和2)年度「HR仏参(朝の礼拝)」開始について(お知らせ) 2020年06月01日(月)09時00分

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学年毎の「講堂仏参(音楽法要・講話)」は今まで通りとしますが、2020(令和2)年度より「HR仏参(朝の礼拝)」を開始いたします。

浄土真宗本願寺派の派立学校である本校は、宗教的情操教育、特に仏教精神に基づく情操の涵養を教育方針の基本とし、「浄土真宗の精神」を「建学の精神」としています。

龍谷大学付属平安高等学校・中学校「建学の精神」

龍谷大学付属平安高等学校・中学校の「建学の精神」は「浄土真宗の精神」です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。
迷いとは、自己中心的な見方によって、真実を知らずに自ら苦しみをつくり出しているあり方です。悟りとは自己中心性を離れ、ありのままのすがたをありのままに見ることのできる真実の安らぎのあり方です。
阿弥陀仏の願いに照らされ、自らの自己中心性が顕わにされることにおいて、初めて自分中心の勝手な考え方にとらわれるのではなく、広く柔らかな考え方ができるようになるのです。
本校は、阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。このことを実現するための日常の心得として以下の3つの「大切」を掲げています。これらはみな、建学の精神あってこその心であり、生き方です。

   ○ことばを大切に
     正確な言葉・やさしい言葉・ていねいな言葉
   ○じかんを大切に
     今という時間・青春という時間・人生という時間
   ○いのちを大切に
     いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのち

むすび …… そして始まり ― 平安の願い ―
 本校の「建学の精神」は、「浄土真宗の精神」です。この場合の「浄土真宗」とは仏教の「宗派」を表す言葉ではなく、『無量寿経』の教え、すなわち「阿弥陀仏の本願」を意味しています。この本願を「鏡」として自己を深く見つめ、真摯に生きることのできる人間を育成しようとして、本校は1876年(明治9)年に建てられました。
 みなさんはまだ若くて元気ですが、悲しいかな、いずれ必ず若さを失って老い、また病をえて死んでいきます。誰も逃れることができません。「では、どうすればよいのか」と嘆き悲しむ私たちに、かつてお釈迦さまは「必ず救い取るぞ」の阿弥陀さまのご本願をお説きくださり、人がひととして生きる道をお示しくださいました。その教えを受けて阿弥陀さまのご本願を聞きひらき、真実の人生を歩まれたお方が、他ならぬ親鸞聖人でした。親鸞聖人は、阿弥陀さまのご本願を聞きひらいた時、自己を真摯に見つめ、かけがえのない「いのち」を大切に生きていく道が開かれてくると、教えてくださいました。
 みなさんは入学すると、一般的にいうところの「徳育」「知育」「体育」の三本柱が本校では並立してあるのではなく、あくまでも「浄土真宗の精神」を学ぶ「徳育」(宗育)こそが、その根幹にあることをまず知るでしょう。その幹から「知育」「体育」の枝が伸び、そこに学力や体力の向上、あるいは夢の実現という花が咲くのです。知性を磨くこと、体育に精一杯の汗を流すことはもちろん大事なことですが、それ以上に大切なことは自己の真実の姿を真摯にたずねることです。その姿勢があってこそ聖なるもの(浄土真宗)にふれることができ、そこで初めて人間としての真の生き方、いかなる困難にもくじけることのない強靱な生き方ができるようになるのです。知性の開花も体育の充実も、その上に成り立つものであることを知ってください。
 ところで、みなさんは「IQ」(知能指数)や「SS」(偏差値)という言葉は知っていますね。昨今は、こうした数字で人をはかろうとします。しかし、数字では表すことのできない大切なものがあります。
 たとえば、「EQ」という言葉を聞いたことはありますか?「EQ」とは、「こころの知能指数」あるいは「こころの知性」と呼ばれるもので、現代社会を生きる力の指数をいいます。指数といいましても、「EQ」の「E」は英語の“Emotional”で、「情緒」や「感情」と訳されますから、「こころ」のことです。したがって、本来は数字で表すことはできません。
 この「こころ」を育てることこそが、実は仏教的なものの見方のできる人間を育てることであり、それが本校の「徳育」に他ならないのです。具体的にいえば、みなさんの心に「思いやりの心」を育て、「自制・協力・調和の心」を育む。そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいというのが、本校の願いなのです。しかし、「徳育」と言ってもなかなか伝わりにくいので、さらに具体的に日常の心得として、「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけているのです。
「創立140周年記念『平安の願い 三つの大切 ― 建学の精神 ―』2016年4月1日発行」より

 浄土真宗本願寺派のご本山である「西本願寺」では、毎朝午前6時より「晨朝(じんじょう)(朝のお勤め)」が御影堂と阿弥陀堂の両堂で勤められています。本校におきましても、週に一回講堂におきまして、学年毎の仏参を実施しています。今年度からは、この「講堂仏参(音楽法要・講話)」に加えて、「HR仏参(朝の礼拝)」を開始いたします。
 宗門校である本校にあっては、全校生徒と教職員が、毎朝8時25分、各HRと職員室等において、ご本尊に向かい「合掌・礼拝」をしたいという思いから、「晨朝(朝のお勤め)」を「HR仏参(朝の礼拝)」として勤修することといたします。
 したがいまして、2020(令和2)年度より、「龍谷大学付属平安高等学校・中学校」の一日は「朝の礼拝(敬礼文・三帰依・さんだんのうた・念仏)」から始まり、毎夕、「恩徳讃」が放送で流れて「今日も一日無事に過ごさせていただきました。今日の一日(ひとひ)を静かに振り返りみ仏に感謝いたしましょう。」と一日が終わることとなります。
龍谷大平安の一日をみなさんと共に『私たちのちかい』を肝要として、過ごしてまいりましょう。

  私たちのちかい
  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
    穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
    微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

  一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
    しなやかな心と振る舞いを心がけます
    心安らかな仏さまのように

  一、自分だけを大事にすることなく
    人と喜びや悲しみを分かち合います
    慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように

  一、生かされていることに気づき
    日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
    人びとの救いに尽くす仏さまのように

「2018年(平成30)年11月23日 浄土真宗本願寺派ご門主 ご親教」

不安の中でも、仏さまと共に 2020年05月28日(木)16時00分

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 新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた多くの方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、罹患されている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。さらに、懸命に治療・対策にあたられている医療従事者の方々をはじめ、私たちを支えてくれているすべての方々に深く敬意と感謝を表します。
 このような状況ですが、6月1日から学校再開ができそうです。素直に喜ばせて頂くとともに、不安の多い中であっても、仏さまの学校に通わせていただくことの意義についても改めて考えて参りたいと思います。
 本願寺のホームページに次のように示され、新たなポスターが紹介されていました。ポスターの紹介文を以下引用し、ポスターのデータを添付致します。ご覧ください。
 
 「いつまで続くとも見通せない、この新しい感染症に、どう向かい合っていくべきかを考えたとき、足元をしっかり見据えておく必要があるでしょう。
 事は医学の領域ですから、まずは医師の科学的判断と指示を基本とすべきです。
 一方で、私たちの心の中は、必ずしも科学的・理性的な判断ができるわけではなく、「罹患(りかん)してしまうのではないだろうか」、「死んでしまうかも知れない」といった不安も、しばしば起こります。その不安は煩悩(ぼんのう)のしわざ。お釈迦さまのように悟れていませんから、煩悩のわが身は死ぬまで変わりません。
 そんな不安の中でも、「そのままのあなたを引き受ける」と立ち上がられた阿弥陀さまは、はたらきつづけておられます。
 ご門主さまはご消息の中で「縁起(えんぎ)や無常(むじょう)・無我(むが)というこの世のありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の私たちも決して見捨てられることはありません」(取意)と述べておられます。このようにお慈悲の真実を、その心を聞かせていただくことにより、人生のさまざまな状況の中で、右往左往しながらも、目の前の現実にきちんと向き合う道が開かれてくるのです。
 おやさしい南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)に、「ありがとう」と感謝のお念仏が出てくることでしょう。」

2020(令和2)年度「宗祖降誕会・開校記念式」について 2020年05月21日(木)13時00分

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 本日5月21日は、「宗祖降誕会・開校記念式」となっております。本来であれば、全校生徒でお参りするところですが、臨時休校中のため、行事の概要と教職員で行った行事の様子をお伝えします

(1)宗祖降誕会について
 親鸞聖人は1173(承安3)年5月21日、京都の日野の里にお生まれになりました。父は日野有範<ひのありのり>、母は吉光女<きっこうにょ>という方です。聖人9歳の春、青蓮院<しょうれんいん>で得度し、「範宴<はんねん>」と名のり、比叡山で天台宗の学問と修行の日々を過ごされました。
 比叡山に登った聖人は学問や修行に励まれますが、自力の教えに限界を感じられ、比叡山を下りることを決心されました。そこで、聖人は「六角堂」に通われました。そして95日目の暁に夢告を受けられ、法然聖人に出会い、お弟子になられました。しかし、法然聖人と過ごす日々は長くは続きませんでした。1207(承元元)年「承元の法難<じょうげんのほうなん>」に遭い、親鸞聖人は越後(新潟県)へと流罪<るざい>となりました。その後流罪が赦されましたが、すぐに京には帰らず、関東に移られ約20年間の伝道生活を送られました。聖人62歳頃、京に帰られ、親鸞聖人の主著である『教行信証』<きょうぎょうしんしょう>をはじめ、数多くの書物を執筆されました。そして、1263年1月16日、90年の生涯を静かに閉じられました。
 本日は、親鸞聖人のお誕生をお祝いする宗祖降誕会です。聖人の説かれる教えとは、阿弥陀仏の慈悲に照らされ、一切の衆生が本願念仏によって平等に救われるという教えです。親鸞聖人がお示しになった念仏を拠り所に、生かされている喜びをかみしめ、報恩感謝の生活を送りたいと思います。
 また、本日は「開校記念日」であり、本校の前身である金亀教校が滋賀県に開校したのも5月21日です。つまり、本日は宗祖の誕生と本校の開校を祝う日となります。


(2)「開校記念式」について
 今より144年前、1876年5月21日に本校の前身である「金亀教校〈こんききょうこう〉」が滋賀県の彦根城のほとりに開校しました。この日は、親鸞聖人のお誕生をお祝いする「宗祖降誕会」でもあり、本校では毎年、開校記念式と併せてお祝いの法要を執り行っております。


(3)2020(令和2)年度 「宗祖降誕会・開校記念式」について
日時:2020(令和2)年5月21日(木)12時から
会場:本校講堂
※本校教職員のみで実施

式次第
1.合掌・礼拝
2.真宗宗歌
3.読経 「讃仏偈」
4.校歌斉唱
5.恩徳讃
6.合掌・礼拝


 最後に、「行事要文」を載せておきます。これは行事の肝要を短い文章でまとめたものです。宗教行事の際には、代表生徒2名が朗読します。ご一読ください。

行事要文
 平安時代の末期、政治は混乱を極め、戦乱が絶えることなく、天災が相継ぎ、人々は不安な生活を送っていました。そのような時代に、浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、京都日野の里で誕生されました。1173年5月21日のことです。
 親鸞聖人は、9歳の春、出家得度し、比叡山の僧侶となられ、およそ20年間学問と修行に励まれました。しかし、迷いを離れる道を見出すことができずにおられた29歳の時、法然聖人に出会われ、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏する身となられたのでした。念仏者、親鸞聖人の誕生でした。
 その後、90年の生涯を終えられるまで、結婚して家庭をもち、妻を愛し子どもを育て、人間親鸞として人生を歩みながら、お念仏を喜ばれました。そして、いかなる人間でも、あゆむことのできる仏の道、南無阿弥陀仏のみ教えを、不安と苦悩の世に生きる人々に伝え広めていかれたのです。
 親鸞聖人のご誕生からおよそ700年後の1876年、浄土真宗のみ教えを建学の精神に掲げ、本校は誕生しました。
 本日は、お念仏の教えをお示しくださった親鸞聖人のご誕生をお祝いする行事であり、そのみ教えを建学の精神に謳う本校の開校記念を共に祝う日でもあります。 合掌

2020(令和2)年5月 御命日法要について 2020年05月19日(火)10時00分

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私たちのちかい
一、自分の殻に閉じこもることなく
  穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 ウイルス学、電子顕微鏡学の世界的権威であった東ひがし昇先生の著書『力の限界―自然科学と宗教』を思い出し、あらためて読んでみた。偉大な科学者の姿に満腔まんこうの敬意を表したい。先生は単に科学者というだけではなく、深い宗教的な世界に生きられた方でもある。特に『歎異抄』によって目を開かれ、さらに、よき師に遇あわれたことを懐かしく回想されている。
ある新聞に寄せられた文では、「自然界における生命バランスはまことに妙であり、一方が他を撲殺したとき、ともだおれの結果をまねく。生命集団のきびしい鉄則が厳存している」と言われ、これは仏教の縁起の思想に通じるものだとおっしゃる。
 この短いことばに謙虚な心を垣間見る思いがする。それは、生命のバランスということは、憍慢きょうまんなこころからは見えてこないように思えるからだ。おごりたかぶるこころからは互いに支え合って生きていくという発想は起こってこないといってよい。
 日常生活でも慢心ということばが使われる。プロ野球のある球団がリーグ3連覇を達成したとき、そのことを報ずる記事の中に、「慢心なき黄金期を迎えました」という活字が目に止まった。時々思い出している。すべてのものは、互いに関係し合いながら成立する。単独で存在するということは考えられない。そのことに気づくとき、謙虚なこころが出てくるといえる。それが人間を輝かすことにつながっていく。そう思えてならない。(O)
「2020(令和2)年5月1日(金曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
5月 御命日法要
○ 日時 5月19日(火)13時30分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

コロナ禍に対する仏教者(念仏者)の姿勢 2020年05月14日(木)10時00分

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 今回の新型コロナウイルスが社会に与える影響は計り知れません。

 その社会を生きる人間として、これから先どのように生きていけばよいのでしょうか。

 浄土真宗本願寺派総長であり、学校法人龍谷大学の理事長でもあります石上智康先生が、声明を出されました。また、本願寺から新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスターも出されています。

 添付データをご覧ください。

 宗門校に通う一生徒として、浄土真宗を学ぶ一学生として、知っておいてくださいね。

「花まつり」と甘茶配布について 2020年05月08日(金)09時00分

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◇「花まつり」と甘茶配布について
 
 本校では毎年5月8日に花まつりを行っています。花まつりとは、仏教の開祖であるお釈迦さまの誕生日を祝う行事です。
 休校中で、みなさんと共にお祝いをすることができませんでしたが、出勤している教職員のみでお参りを致しました。
 例年通り甘茶を配布します(5/11発送予定)ので、自宅で家族の方と共に、お釈迦さまのお誕生を祝いながら、甘茶をお楽しみください。また、このような不安な時期だからこそ、いつもよりも仏教に耳を傾けませんか。
 新入生は、なぜ花まつりと言われるのか、またなぜ甘茶なのか、疑問に思うかもしれませんが、以下の「花まつりによせて」を読んでみてください。
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◇「花まつり」によせて

 お釈迦さまは今から約2500年前、紀元前5、6世紀頃インドのヒマラヤのふもとルンビニーの花園で釈迦族の王子として誕生されました。父はスッドーダナ王(浄飯王)、母はマーヤー夫人(摩耶)といいます。ある日母のマーヤーが出産のための里帰りの途中、ルンビニーの花園で休憩されたときにお釈迦さまは誕生されたといわれています。
 お釈迦さまの誕生には伝説があります。ある夜、マーヤー夫人は六本の牙を持つ白い大きな象が自分の胎内に宿る夢を見ました。そして、マーヤー夫人はその後すぐに身ごもられました。妊娠されたマーヤー夫人は、
出産のために実家へ里帰りをするための旅の途中、ルンビニー園で休息をとられました。そのとき、そこに咲くアショーカの花に右手をふれたとき、マーヤー夫人の右脇からお釈迦さまが誕生されたと伝えられます。
 男子の誕生によって後継者をえたスッドーダナ王は歓喜しましたが、マーヤー夫人はお釈迦さまを生んで七日で亡くなってしまいました。生まれてすぐに母を失ったお釈迦さまを養育したのが、父スッドーダナ王が後妻としてむかえたマハーパジャーパティーでした。彼女はマーヤーの妹にあたる人物です。実母と
かわらない愛をこめてお釈迦さまを育てられたマハーパジャーパティーは、後にお釈迦さまがさとりをひらき「仏陀」になられたとき、懇願して出家し、教団初の尼僧となるのです。
 さて、みなさんも知っていると思いますが、お釈迦さまが゙誕生されたときに七歩歩まれ「天上天下唯我独尊」(天にも地にもただわれひとり尊い)と宣言されたことは有名な話です。「唯我独尊」という言葉は「この世で自分が一番偉い」という独善的な意味ではありません。この言葉は「世界にたった一つしかないわたしたちの存在は(唯我)、それぞれかけがえのない尊いいのちである(独尊)」ということであります。したがって、私たちは他に代わることの出来ないかけがえのないいのちを生きています。このように、お釈迦さまの説かれた教えを大切にしながら日々の生活を送っていただきたいと思います。
 お釈迦さまが誕生された日は4月8日とされ、灌仏会(かんぶつえ)、花まつりなどの名で各地で仏事が営まれています。ルンビニーの花園になぞられた「花御堂」(はなみどう)とよばれる花でかざった小堂に灌仏盤という水盤の上に安置した誕生仏の像の頭上に柄杓で甘茶を注ぎます。
 本来であれば、「花まつり」は毎年お釈迦さまが誕生されたとされる4月8日に行うべきですが、平安では5月に行うのは、4月は入学式などの行事と重なるためであることをお知りおき願います。 合掌   

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