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2020(令和2)年4月 今月の聖語・言葉について 2020年04月01日(水)09時00分

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 今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
遇いがたくして 今遇うことを得たり 『教行信証』

 この言葉は、親鸞聖人が書かれた『教行信証』に出てくるもので、親鸞聖人ご自身が尊敬すべき師に出遇えたこと、そして真実の教えを聞くことが出来たことへのよろこびを述べられています。
 親鸞聖人はここで「遇」という字を用いていますが、この字は「偶然あう」という意味です。みなさんの日常を振り返ってみても、たまたま同じ学校だった、たまたまクラスが一緒だった、たまたま同じクラブ活動だったなど、人との出遇いとは正に偶然だと思います。4月に入り新入生は中学生活、高校生活がスタートします。2年生、3年生も年度が変わり、新学年として新たな気持ちで始業式を迎えたことだと思います。
 新しい環境になり、この1年もみなさんにとって多くの出遇いがあることでしょう。様々な出遇いを大切にしてほしいと思います。そして、平安での浄土真宗のみ教えとの出遇いも改めて大切にしてください。


□今月の言葉
好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓び迎えられる。
つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによってひとの悪意を身に受けることがない。 『ウダーナヴァルガ』

 『ウダーナヴァルガ』とは、釈尊がふと口にした言葉集という意味であり、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句で表したものです。
 新年度を迎え、新入生にとっては新たな環境での学校生活が始まります。また、中高共に2年生、3年生にとっては、新たなクラスでの学校生活が始まります。そのような中で、今月のこの言葉を頭に入れて過ごしてください。
 仏教では、人間の行いのことを「業〈ごう〉」と言います。そして、その業には3種類あり、それらを合わせて「三業〈さんごう〉」と言います。「身業」は身体での行為、「口業」は私たちが発する言葉のこと、「意業」は、心のはたらきのことです。
 今月の言葉を「三業」に照らし合わせてみると、「口業」に当てはまります。家族をはじめ、クラスやクラブ活動など多くの人との繋がりの中にいます。やはり、自分勝手で自己中心的な発言は慎むべきです。今月の言葉をしっかりと踏まえ、一度自分自身がどのような言葉を発しているか、あなたの「口業」を改めて見つめ直してみましょう。 合掌

涅槃会を勤修いたしました! 2020年02月08日(土)18時51分

2月8日(土)午前10時から、龍谷平安中学・高校合同の涅槃会を勤修いたしました。式次第及び行事要文は、次のとおりです。

式 次 第

開式の言葉
1  「行事要文」
2   献灯・献華 
3  「敬礼文」・「三帰依」
4  「さんだんのうた」・・・校長・生徒代表焼香
5  「念仏」
6   法話・・・長倉 伯博 先生
7  「恩徳讃」
8   合掌・礼拝
閉式の言葉

行事要文

写真八十歳を迎えられた釈尊は、故郷への最後の旅に赴かれたが、途中で病に倒れられた。そして、クシナガラの沙羅の林の、大きくそびえる二本の木の間に身を横たえられた。入滅の近いことを悟られた釈尊は、弟子たちに最後の説法をなさった。
 弟子たちよ、皆それぞれに、自らを灯火とし、よりどころとせよ。他をよりどころとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ。他の教えをよりどころとしてはならない。
 弟子たちよ、わたしの終わりは近い。別離も遠いことではない。しかし、悲しんではならない。この世は無常であり、生まれたものは必ず死ぬのである。今、わたしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すことなのである。
 弟子たちよ、今はわたしの最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。仏の本質は肉体ではない。さとりである。肉体は滅びても、さとりは永遠に法として生きている。わたしの亡き後は、わたしの説いてきた法がおまえたちの師である。
 釈尊八十年の人としての人生の旅は、ここクシナガラの沙羅双樹の下で終わった。しかし、釈尊の説かれた教えは、二千数百年を経た今も、世界の人々の心の中に生き続けている。

写真本日、この涅槃会でご法話をいただいたのは、長倉伯博 先生です。先生のプロフィールは、次のとおりです。

■ 長倉伯博プロフィール
1953年、鹿児島県生まれ。鹿児島県善福寺住職。
早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。龍谷大学大学院修士課程修了。
浄土真宗本願寺派布教使。日本緩和医療学会会員。国立滋賀医科大学非常勤講師。
浄土真宗本願寺派ビハーラ活動者養成研修会修了。
地元鹿児島で、医師や看護師とともに「鹿児島緩和ケア・ネットワーク」を立ち上げ、医療チームの一員として終末期の患者やその家族のケアに取り組むほか、全国の宗教団体や大学等で、宗教と医療の終末期医療における協働を呼びかける講演を行う。

先生のお話は、全校生徒の胸に深く染みこみました。目に涙を浮かべていた生徒もひとりやふたりではありません。私も何度ハンカチを目に当てたことか。お話の内容をここに紹介することは大変に難しいことです。保護者の皆さまは、是非お子様にお聞き尋ねください。また、次のURLを、開いていただくとお話の一端がうかがい知れます。是非ともご一読ください。
※  http://kpcn.umin.jp/05-02.html

仏教青年会連盟 涅槃会の集い 2020年01月31日(金)20時34分

1月30日(木)、午後2時から、本校講堂にて京都府私立中学校高等学校仏教青年会連盟の『涅槃会の集い』を開催させていただきました。この集いには、本校を含む12校の加盟校の生徒の皆さんに参加していただきました。

式次第は、次のとおりです。
開式の言葉
1 行事要文   ・・・  当番校代表生徒
2 献灯 献華  ・・・  当番校代表生徒
3「敬礼文」 「三帰依」 ・・・ 導師焼香
4「さんだんのうた」 ・・・ 校長 焼香
5「念仏」
6「涅槃会の歌」・・・ 加盟各校代表生徒 焼香
7「仏教青年会会歌」
8 校長挨拶、講師紹介
9 記念法話・・・ 三浦明利 先生
10「恩徳讃」
11 合掌・礼拝
閉式の言葉

≪ 涅槃会によせて ≫
写真 涅槃会とは、80歳でこの世を去られたお釈迦さまを偲び、またお釈迦さまの説かれた教えに耳を傾ける行事です。
 お釈迦さまは、35歳のとき悟りを開き、亡くなるまでの45年間、インド各地を巡り多くの人々に教えを説かれました。お釈迦さまは80歳のとき、生まれ故郷であるカピラヴァットゥに向けて最後の旅に出たといわれています。その旅路の途中、クシナガラでお釈迦さまはお亡くなりになりました。クシナガラに到着する前に訪れたパーヴァーという村でチュンダから差し出された食べ物にあたったことが原因だと考えられています。 
お釈迦さまは体調を崩されながらも旅を続け、クシナガラに到着しました。そこで、沙羅双樹の間に頭を北にして横になりました。「世は無常であり、会う者は必ず別れねばならぬのがこの世の定めである。怠ることなく精進せよ。」という言葉が最後の教えとなりました。入滅は2月15日であったと伝えられています。
私たちは時として「変わらないもの」を望みますが、そう思っている私自身も変わっていきます。すべては移り変わることが「真実」であると釈尊は教えます。あの頃に戻りたいと思っても当然の事ながら戻ることは出来ません。今日という一日もまさに最初で最後になります。「無常」という教えから、今日という一日を一生懸命生き抜くことの大切さを改めて考えさせられるように思います。

写真記念のご法話は、浄土真宗本願寺派の龍王山光明寺のご住職、三浦明利 様からいただきました。先生は、2011年に龍谷大学大学院を修了し、同年、CD「ありがとう-私を包むすべてに」でシンガーソングライターとしメジャーデビューされ、本願寺仏教音楽・儀礼研究所研究生を経て、仏教の心を盛り込んだ作詞、作曲、演奏活動に取り組んでおられます。シンガーソングライターの生き様が、新しい女性の生き方として注目され、新聞やテレビ、ドキュメンタリー映画ででも取り上げられています。また、エッセイストとして執筆活動もおこない、『わたし、住職になりました』(アスペクト刊)も出版されています。

※ 次のURLもご参照ください
https://columbia.jp/artist-info/miuraakari/prof.html

報恩講を勤修いたしました! 2020年01月17日(金)14時11分

1月17日(金)午前10時から、本校は、本館講堂において、報恩講を勤修いたしました。

開 式 の 言 葉
1 「行事要文」
2  献灯・献華
3 「敬礼文・三帰依」
4 「さんだんのうた」 ※焼香(校長、生徒代表)
5 「念仏」
6 「報恩講の歌」
7  法話- 伊東 順浩 先生(浄土真宗本願寺派布教使) 
8 「恩徳讃」 
9  合掌・礼拝
閉 式 の 言 葉

報恩講とは
 浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、1173年に誕生され、波乱に満ちた生涯にあって多くの人々にお念仏の教えをひろめられ、90歳でお浄土に往生されました。聖人の遺骨は京都大谷(東山五条・大谷本廟)に納められ、聖人の遺徳をしのぶ人々の聞法の集いがもたれるようになりました。親鸞聖人が活躍されていた当時、念仏の教えを喜ぶ人々の間では、その師匠である法然聖人のご命日に「二十五日のお念仏」として念仏の集会が行われていました。親鸞聖人が亡くなられたあと、聖人を開祖として仰ぐ人たちが、それを親鸞聖人のご命日にあらため、法縁にあずかっていたのです。その後、本願寺第三代宗主の覚如上人〈かくにょしょうにん〉は、聖人の三十三回忌をお勤めするにあたり『報恩講私記〈ほうおんこうしき〉』を著され、「報恩講」が営まれるようになりました。
 報恩講とは親鸞聖人の教えによって、阿弥陀如来の教えに遇わせていただいたご恩に対して感謝の心をもって、聖人のお亡くなりになった日を機縁に聖人のご遺徳をしのぶ行事です。この報恩講とは浄土真宗において最も重要な行事となっています。
 親鸞聖人のご命日は旧暦11月28日ですが、本願寺では新暦に改め、1月16日とし、1月9日から16日までの間、報恩講が行われています。

親鸞聖人のご生涯
写真 親鸞聖人は1173年(承安3)に京都日野の里に誕生されました。父は日野有範〈ひのありのり〉、母は吉光女〈きっこうにょ〉といいます。親鸞聖人9歳の春、青蓮院で慈円僧都〈じえんそうず〉のもと得度し、「範宴〈はんねん〉」と名乗り比叡山に登ります。比叡山で勉学と修行に打ち込むのですが、修行を積めば積むほど、学問に励めば励むほど、自己の煩悩の深さを知り、修行の限界を感じた親鸞聖人はついに比叡山を下りることに決めました。山を下りた親鸞聖人は六角堂に100日通うことを決心され、95日目に夢告を受けて東山吉水で専修念仏(「南無阿弥陀仏」と称えることによって救われる)を説かれている法然聖人に会われ、法然聖人のお弟子になりました。そこで名を改め、「綽空〈しゃっくう〉」や「善信〈ぜんしん〉」と名乗られました。
 1207年(承元元年)の念仏弾圧「承元の法難」は、専修念仏を禁止し、法然聖人を四国へ、親鸞聖人を越後へと流罪にし、そのほかに四人の念仏者を死罪とする非常に厳しいものでした。親鸞聖人は越後に流され、1211年(建暦元年)に解かれましたが、すぐに京には帰らず、関東に移られ約20年伝道生活(教えをひろめる活動)を送られました。この地で親鸞聖人は、浄土真宗の教えの要が説かれた『教行信証〈きょうぎょうしんしょう〉』を起筆されました。完成は京に帰られてからで、20年以上の歳月をついやされました。
 1262年(弘長2年)11月28日(新暦では1月16日)、京都市右京区にあった弟の尋有の坊舎(現在の角ノ坊別院)で90年の波乱に富んだ生涯を閉じられ、往生されたのでした。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

龍谷平安『成道会』を勤修いたしました! 2019年12月08日(日)11時01分

写真12月6日(金)に龍谷平安は「花祭り」「降誕会」「報恩講」「涅槃会」とならぶ仏教五大法要のひとつである『成道会』を勤修させていただきました。

成道とは、ゴータマ・シッダッタ(釈尊)が35歳の時に真実に目覚め(悟りを開くこと)仏陀となられてことを意味します。仏陀とは「真実に目覚めた者」という意味です。したがって、成道会とは釈尊が真実に目覚められたことを祝い、またあらためて釈尊の教えに触れる行事です。今日でも成道会は仏教関係学校をはじめ広く執り行われています。

式次第は、次のとおりです。
・開式のことば
・献灯・献華
・「敬礼文」「三帰依」
・「さんだんのうた」
・「念仏」
・法話
・・・(高校3年生対象)浄土真宗本願寺派布教使 高島 幸博 氏
・・・(中学生、高校1/2年生対象)同上 龍田 智 氏
・「恩徳讚」
・合掌・礼拝
・閉式のことば」

本校『成道会』の配付資料より

今年度、「今月のことば」「今月の聖語」で紹介した釈尊の言葉です。あらためて味わってみましょう。

□ 善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない『ダンマパダ』
□ 恨みに報いるに恨みをもってしたならば、ついに恨みのやむことがない『ダンマパダ』
□ もし為すべきことがあるならば、それを為すべきである『ダンマパダ』
□ 善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すな。善いことばを口に出したほうが善い。悪いことばを口に出すと悩みをもたらす。『ウダーナヴァルガ』
□ あたかもひとつの岩の塊が風に揺るがないように、賢者は非難と称賛とに動じない。『ウダーナヴァルガ』

仏教青年会連盟 成道会の集い 2019年11月27日(水)10時02分

写真11月26日(火)午後2時40分から京都中学高等学校仏教青年会連盟の成道会<じょうどうえ>の集いが、本校礼拝堂を会場として開催されました。
成道会とは、「花まつり」「涅槃会」とならぶ釈尊三大法要のひとつで、お釈迦様の成道の日を記念する法要(法会)です。
京都の私立中学校高等学校の仏教系宗門校12校の代表生徒が一堂に会して、お釈迦様の修められた苦行に思いを致し、仏教を開かれたことをお慶びする集いをもちました。

式次第は、次のとおりです。
一、行事要文
一、献灯・献華
一、「敬礼文」「三帰依」
一、「さんだんのうた」
一、「念仏」
一、「成道の歌」
一、「仏教青年会会歌」
一、当番校校長挨拶、ご法話講師紹介
一、記念法話
一、「恩徳讃」
一、合掌・礼拝

記念法話は、浄土真宗本願寺派布教使の 江田 智昭 氏が、いま話題のご著書『お寺の掲示板』(新潮社刊)を基に、おもしろおかしく、平易ご丁寧にお話しくださいました。

行事要文は、次のとおりです。
写真 29歳で出家なさったシッダールタ太子は、その後、6年間、激しい苦行をされた。それは、後に自ら「これ以上の苦行をした者は、過去にも未来にもないであろう」と言われたほどの、苦しい修行であった。しかし、苦行によっては、さとりを得ることはできなかった。
 この苦行をいさぎよく放棄した太子は、尼蓮禅河で沐浴をし、村の娘スジャータの捧げる乳粥で元気をとりもどされた。太子は、しっかりとした足取りで歩を進め、河のほとりにそびえる菩提樹の下に座られた。
 「さとりを得るまでは、死んでもこの座を立たないであろう」
 固い決意の下、太子は最後の思惟に入られたが、甘美なものの誘惑、華やかな生活への未練など、心は騒ぎ、悪魔となって襲いかかった。それは、血も涸れ、肉も裂けるほどの激しい戦いであった。しかし、太子の強い信仰と深い智慧は、それらの煩悩をことごとく砕き去っていった。
 夜明けがきた。空には、幾千もの星がまたたいていたが、ひときわ明るい暁の明星を仰いだとき、太子の心は光り輝いた。さとりは開け、太子は仏陀となられたのであった。太子35歳、12月8日の朝明けのことであった。
 菩提樹の枝をわたるそよ風も澄み渡っていた。朝の雲は、七色に美しく色をかえた。そして、み仏の座から、光明が十方に流れていった。仏教という新しい教えの誕生であった。

本校の成道会は、12月6日(金)に、全校生徒により勤修致します。

宗祖降誕会を勤修いたしました! 2019年05月27日(月)09時35分

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5月21日(火)午前10時から本館3階講堂で宗祖降誕会を勤修いたしました。なお、高校1年生は御本山での宗祖降誕会奉讃法要に参席させていただきました。
この日は本校の開校記念日でもあります。
また、正午からは礼拝堂で本校教職員の永年勤続表彰式典も、龍谷大学藤原副学長の臨席の下、開催いたしました。

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は1173(承安3)年5月21日、京都の日野の里でお生まれになりました。日野の里では、江戸時代からご誕生をお祝いする行事が行なわれていたようです。
本願寺における宗祖降誕会、1874(明治7)5月21日、本願寺第21代宗主明如上人によって営まれました。現在では、5月20日・21日の二日間、法要をお勤めされています。<「宗祖降誕会」(西本願寺)より>
本校では、毎年5月21日に全校生徒・教職員による宗祖降誕会を勤修いたしています。

【式 次 第】
開 式 の 言 葉
1 行 事 要 文
2 献 灯 ・ 献 華
3 「 敬 礼 文 」・「 三 帰 依 」・・・ 導師焼香
4 「 さんだんのうた 」・・・ 校長、生徒代表焼香
5 「 念 仏 」
6 「 宗 祖 降 誕 会 の 歌 」
7   法 話 ・・・ 浄土真宗本願寺派布教使 花岡尚樹先生
8 「 恩 徳 讃 」
9 「 校 歌 」
10 合 掌 ・ 礼 拝
閉 式 の 言 葉

【行事要文】
写真平安時代の末期、政治は混乱を極め、戦乱が絶えることなく、天災が相継ぎ、人々は不安な生活を送っていました。そのような時代に、浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、京都日野の里で誕生されました。1173年5月21日のことです。
親鸞聖人は、9歳の春、出家得度し、比叡山の僧侶となられ、およそ20年間学問と修行に励まれました。しかし、迷いを離れる道を見出すことができずにおられた29歳の時、法然聖人に出会われ、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏する身となられたのでした。
念仏者、親鸞聖人の誕生でした。
その後、90年の生涯を終えられるまで、結婚して家庭をもち、妻を愛し子どもを育て、人間親鸞として人生を歩みながら、お念仏を喜ばれました。そして、いかなる人間でも、あゆむことのできる仏の道、南無阿弥陀仏のみ教えを、不安と苦悩の世に生きる人々に伝え広めていかれたのです。
親鸞聖人のご誕生からおよそ700年後の1876年、浄土真宗のみ教えを建学の精神に掲げ、本校は誕生しました。
本日は、お念仏の教えをお示しくださった親鸞聖人のご誕生をお祝いする行事であり、そのみ教えを建学の精神に謳う本校の開校記念を共に祝う日でもあります。

※ 上段右の写真はご本山での奉賛法要の様子です
※ 文中挿入写真は『鏡の御影』-西本願寺- です

お釈迦様の誕生日をお祝いしました! 2019年05月09日(木)16時38分

写真5月8日(水)午前中に 花まつり を勤修いたしました。これはお釈迦様の誕生日をお祝いする仏事で、所によっては 潅仏会(かんぶつえ) とも呼ばれるものです。ご誕生されたルンビニーの花園になぞらえた「花御堂(はなみどう)」と呼ばれる花で飾った小堂に潅仏盤という水盤を置き、その上に安置した誕生仏の像の頭上に柄杓で甘茶を注ぎます。
本来であれば、「花まつり」は毎年お釈迦さまが誕生されたとされる4月8日に行うべきですが、龍谷平安で5月に行うのは、4月は入学式などの行事と重なるためであることをお知りおき願います。
式次第と「行事要文」は、次のとおりです。
なお、御法話につきましては、中学生と高校1年生の部では浄土真宗本願寺派布教使の 瀧田 智 先生に、高校2年生と3年生の部では同じく布教使の 源 裕樹 先生に、また午後に勤修された京都府私立中学校高等学校仏教青年会連盟(京都府内の仏教系宗門校12校が参加)の部では 季平 博昭 先生にお願いをいたしました。

【式次第】
開 式 の 言 葉
1  行 事 要 文
2  献 灯 ・ 献 華
3 「 敬 礼 文 」・「 三 帰 依 」 
4 「 さんだんのうた 」
5 「 念 仏 」
6 「 花祭りの歌 」
7  ご 法 話  
8 「 恩 徳 讃 」
9  合 掌 ・ 礼 拝
閉 式 の 言 葉

【行事要文】
 ヒマラヤの南に、釈迦族(しゃかぞく)の都カピラがあった。王の姓はゴータマ、名はスッドーダナ、妃はマーヤー夫人といわれた。
 産月の近づいたマーヤー夫人は、生家に帰る途中、ルンビニーの園にお立ち寄りになった。春の陽はうららかに照り、花園の樹木)は、美しい花を咲き匂わせていた。マーヤー夫人が右手をあげて、アショーカの花の枝を手折ろうとしたその時、王子がやすらかにお生まれになった。世界は歓喜に満ち、天からは甘露の水が降り注ぎ、王子の体を洗った。時に4月8日、後に仏陀となられる王子ゴータマ・シッダッタの誕生であった。
 王子はお生まれになってすぐ七歩あゆまれ、天と地を指さし「天にも地にもわれひとり尊し。われはこの世の苦しみをとりのぞき、すべての衆生(しゅじょう)を救うであろう」と言われた。それは、生きとし生けるすべての人々の、一人一人の生命の大切さを示された言葉であり、平和な世界を願って仏陀となられることの、高らかな宣言なのであった。

京都府私立中学校高等学校仏教青年会連盟の皆様方、本当にようこそ龍谷平安におこしいただき、お参りいただきました。
ありがとうございました。

涅槃会を勤修いたしました! 2019年02月08日(金)16時14分

2月8日(金)午前10時から本館講堂にて 涅槃会 を勤修いたしました。講師には 金龍之哉 先生(浄土真宗本願寺派布教使)をお招きしご法話をいただきました。式次第は、次のとおりです。

開式の言葉
 1.「行事要文」
 2.献灯・献華 
 3.「敬礼文」・「三帰依」
 4.「さんだんのうた」・・・・ 学校長、生徒代表 焼香
 5.「念仏」
 6.法 話 ・・・・ 金龍 之哉 先生
 7.「恩徳讃」
 8.合掌・礼拝
閉式の言葉

□『涅槃会』とは

 涅槃会とは、80歳でこの世を去られたお釈迦さまを偲<しの>び、またお釈迦さまの説かれた教えに耳を傾ける行事です。
写真 お釈迦さまは、35歳のとき悟りを開き、亡くなるまでの45年間、インド各地を巡り多くの人々に教えを説かれました。お釈迦さまは80歳のとき、生まれ故郷であるカピラヴァットゥに向けて最後の旅に出たといわれています。その旅路の途中、クシナガラでお釈迦さまはお亡くなりになりました。クシナガラに到着する前に訪れたパーヴァーという村でチュンダから差し出された食べ物にあたったことが原因だと考えられています。  
 お釈迦さまは体調を崩されながらも旅を続け、クシナガラに到着しました。そこで、沙羅双樹<さらそうじゅ>の間に頭を北にして横になりました。「世は無常であり、会う者は必ず別れねばならぬのがこの世の定めである。怠ることなく精進<しょうじん>せよ。」という言葉が最後の教えとなりました。入滅は2月15日であったと伝えられています。
 私たちは時として「変わらないもの」を望みますが、そう思っている私自身も変わっていきます。すべては移り変わること、これを「事実」、「真実」であると釈尊は教えます。あの頃に後戻りたいと思っても当然の事ながら戻ることは出来ません。今日という1 日もまさに最初で最後になります。「無常」という教えから、今日という1 日を一生懸命生き抜くことの大切さを改めて考えさせられるように思います。

『行事要文』は、次のとおりです。

 八十歳を迎えられた釈尊は、故郷への最後の旅に赴かれたが、途中で病に倒れられた。そして、クシナガラの沙羅の林の、大きくそびえる二本の木の間に身を横たえられた。入滅の近いことを悟られた釈尊は、弟子たちに最後の説法をなさった。
 弟子たちよ、皆それぞれに、自らを灯火とし、よりどころとせよ。他をよりどころとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ。他の教えをよりどころとしてはならない。
 弟子たちよ、わたしの終わりは近い。別離も遠いことではない。しかし、悲しんではならない。この世は無常であり、生まれたものは必ず死ぬのである。今、わたしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すことなのである。
 弟子たちよ、今はわたしの最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。仏の本質は肉体ではない。さとりである。肉体は滅びても、さとりは永遠に法として生きている。わたしの亡き後は、わたしの説いてきた法がおまえたちの師である。
 釈尊八十年の人としての人生の旅は、ここクシナガラの沙羅双樹の下で終わった。しかし、釈尊の説かれた教えは、二千数百年を経た今も、世界の人々の心の中に生き続けている。

報恩講を勤修いたしました! 2019年01月18日(金)18時31分

1月18日(金)午前10時から本館講堂にて報恩講を勤修いたしました。御法話には、鈴木君代 氏(真宗大谷派僧侶、シンガーソングライター)を講師としてお招きし、心打たれるお話を生徒たちと共にお聴きいたしました。

□ 報恩講とは
 浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、1173年に誕生され、波乱に満ちた生涯にあって多くの人々にお念仏の教えをひろめられ、90歳でお浄土に往生されました。聖人の遺骨は京都大谷(東山五条・大谷本廟)に納められ、聖人の遺徳をしのぶ人々の聞法の集いがもたれるようになりました。親鸞聖人が活躍されていた当時、念仏の教えを喜ぶ人々の間では、その師匠である法然聖人のご命日に「二十五日のお念仏」として念仏の集会が行われていました。親鸞聖人が亡くなられたあと、聖人を開祖として仰ぐ人たちが、それを親鸞聖人のご命日にあらため、法縁にあずかっていたのです。その後、本願寺第三代宗主の覚如上人〈かくにょしょうにん〉は、聖人の三十三回忌をお勤めするにあたり『報恩講私記〈ほうおんこうしき〉』を著され、「報恩講」が営まれるようになりました。
 報恩講とは親鸞聖人の教えによって、阿弥陀如来の教えに遇わせていただいたご恩に対して感謝の心をもって、聖人のお亡くなりになった日を機縁に聖人のご遺徳をしのぶ行事です。この報恩講とは浄土真宗において最も重要な行事となっています。
 親鸞聖人のご命日は旧暦11月28日ですが、本願寺では新暦に改め、1月16日とし、1月9日から16日までの間、報恩講が行われています。

写真□ 行事要文
 浄土真宗の開祖親鸞聖人は、弘長2年11月、お浄土に往生なされた。90歳というご高齢であった。その90年のご生涯は、口では言い尽くせないほどの、苦難と波乱に満ちた、ながい人生の旅であった。
 9歳で出家されてより、比叡山での厳しいご修行、法然聖人との出遇いと念仏法門への信順、念仏停止の令による越後への流罪、関東での伝道生活、晩年、京都へお帰りになってからの著述の明け暮れ、その間、結婚して家庭をもたれ、妻を愛し,子どもを育て、人間親鸞としての人生を歩まれながら、お念仏を喜ばれたのであった。そして、すべての人々が皆、御同朋御同行として手を取り合い、差別のない、平和な世界をめざす道を説き示されたのであった。
 親鸞聖人のご生涯を偲ぶとき、私たちにとって忘れることのできない歌がある。それは、親鸞聖人がご和讃としてお作りになり、私たちが「恩徳讃」として唄っている歌である。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし