HEIAN BLOG 高2学年 BLOG

記事一覧

研修旅行には行けなかったけれども…… 2021年02月16日(火)18時00分

ファイル 930-1.jpg ファイル 930-2.jpg
 本校の教育目標である「いのちを大切に」を実践できる生徒を育成するための一環としてこれまで実施されてきた研修旅行でしたが、世界規模の新型コロナウィルス感染拡大のため、今年度は中止せざるを得ませんでした。
 多くの命が奪われた激戦地である沖縄やハワイを実際に訪問し、戦争について、そして現在の「平和」について改めて考えることは非常に大切な教育活動であっただけに本当に残念な気持ちで一杯です。
 そんな中、今後、皆さんが少しでも戦争や平和について考えるきっかけになるようにと、社会科の先生方が中心になり、今年度最後のHRの時間を利用して、戦争と平和にフォーカスした沖縄の「地理」「歴史」についてのレクチャーを行っていただきました。限られた時間ではありましたが、3人の先生がそれぞれのテーマで、皆さんに伝えたいことを熱く語ってくださいました。
 将来、家族や友人と沖縄やハワイを訪問する機会があれば、本日の講義の内容を思い起こし、観光地としてだけではなく、戦地としての側面についても是非体感してくれればと思います。
ファイル 930-3.jpg ファイル 930-4.jpg

2月12日 仏参 2021年02月14日(日)18時09分

ファイル 929-1.jpgファイル 929-2.jpg

「コミュニケーション力を見直そう」

 今日は3組担任の山之内先生からお話を聴いた。

 最近、人と逢うことの大切さが感じられます。コロナで休校になり、家にいる時間が増えると、自分中心の生活になってしまいました。学校が再開され、学校の生活が戻ってくると、元の生活に戻ってきます。しかし自分中心で動いていた時間から戻すのには大変なことでした。他人と合して生活をするわけですから、人と生活する大切さがよくわかりました。元の生活に戻った今だからこそ、人と合わせて暮らす大切さを考えて欲しいのです。
 私は人と直接話をするときに目を合わせて話をします。それまであまり気にしなかったのですが、顔を見て話すとき、目を見て顔全体を認識しているのです。外国では、口元を見て話をするようですが、日本は目を見て話をします。今、マスクを付けざるを得ないのですが、目ははっきりと認識できるので、何をその人が伝えようとしているのかが理解できます。コミュニケーションは本当に大切なものです。
 一方でメールでのやり取りが多くなり、自分で字を書いて物事を伝えるコミュニケーションが少なくなってきています。しかし今年はコロナの影響なのか、年賀状を出す人が増えたといいます。皆さんの中にも、年賀状を出した人が多いのではないでしょうか。自分の字で書く暖かさ。字で書き伝えることにより、自分自身を見直す機会に恵まれました。
 何かを伝える大切さ。わずかなことですが、提出物が遅れたことを詫びるメモひとつで、相手に自分の気持ちが伝わります。
 自分のコミュニケーションとは何なのかを、しっかり考えて欲しいと思います。

 コミュニケーション手段が発達し、色々な方法でコミュニケーションをとっているのだと思う。みなさんはコミュニケーションが下手だとは思わない。一方で、うまいとも思わない。ただ自分中心でコミュニケーションを深めようと思うから、違う世代の人に伝わらないことがある。これは各年代が自分のコミュニケーションツールが万能だと考えるからこそ起こる問題なのである。世代間ギャップがあることを認めるが、それではお互いが理解しあうことは出来ない。せめて共通のツールである「話し」や「文字」は大切にしていきたいし、それを磨く力はつけたいと私は考えている。
みなさんはどうだろう。改めて考えて欲しい。

涅槃会 2021年02月11日(木)23時13分

 今日は涅槃会。お釈迦様のご命日である。例年であれば講堂で御法話を聴くなどをしていたのだが、コロナのこともあり、報恩講に続きWEBでお話を聴くことになった。講師は相愛大学の釈徹宗先生のお話を伺った。 

学ぶことの理由

 今日はお釈迦様が息を引き取り、涅槃の世界へ行った日として、中国や日本では2月15日近辺で涅槃会の行事が行われます。

 今年は近畿3府県に緊急事態宣言が発令され、みなさんの日々の暮らしも難渋されているのではないでしょうか。昨年の今頃は未知のウイルスという感じでしたが、1年が経ち、少しずつウイルスのことが分かってきて、そのための対応も進んでいますし、ワクチン接種も各国で始まっています。マスクをつけることも当たり前になりました。

 私は今までマスクをつけて外出をするようなこともなかったのですが、今ではマスクをつけないと何か落ち着かないような気がします。マスクをつけ始めたとき、マスクをつけていない人がとても気になりました。何かマナー違反のように思えたのです。今までそのようなことも考えたことがなかったのですが。そういう自分に驚きを感じてしまいました。マスクをつけているだけで、マスクを「つけている側」と「つけていない側」という区分けのようなものが、自分の中に生まれているのです。「二項対立」でものを把握するという癖が人間の脳にあります。この「二項対立の図式に気をつけろ」ということを仏教では取り組んできました。そこにはたくさんの罠が潜んでいるからです。「二項対立」で物事をとらえると攻撃的になったり、排除が起こったり、何より自分自身が苦しむことになるからです。

 日赤が昨年春に発表をした中に「感染の三段階」があります。「ウイルスの感染」「不安やおそれの感染」「攻撃や排除の感染」です。「貪り、愚かさ、怒りに流されず、しなやかな心とふるまいを…」とみなさんの手元にある「私たちの誓い」に書かれています。「ウイルス」「不安やおそれ」は避けられないものですが、「攻撃や排除」は二項対立の罠ですよね。こころとからだを柔らかくしたいものです。

 また「私たちの誓い」には「和顔愛語」のことも書かれています。このことを道元禅師は「慈しみの言葉は、社会を変えるだけの力がある」と言っておられます。
 昔「コロムビア・トップ・ライト」という漫才師さんがおられました。トップさんは参議院議員になられたので、コンビは解散し、ライトさんは「司会者」をめざしました。ある時ライトさんは声帯をとらなければならない病気になりました。仕事が仕事ですから、不安に思われたようです。そこで「食道で発声をする」という道を選ばれたようです。奥さんも一緒になってそのトレーニングに付き合われたようです。しかしそのトレーニングは大変なものでした。奥さんからの叱咤激励にも応じられないようなときもあり、怒りに任せものを奥さんへ投げたこともあるようです。「第1の声は気がついたら喋っていたので、有難いとも何とも思わず喋っていた。でも第2の声は妻と私とが血と涙で、やっと手に入れた声だから、その第2の声で人を傷つけるようなことを言いたくない」と言っておられました。私はこのお話から「和顔愛語」の大切さが理解できました。

 次に「自分の殻に閉じこもることなく…」とあります。時には自分の殻に閉じこもることも大切なことだと思います。誰とでも仲良く…って出来ないこともありますから。でも自分の殻ばかりに閉じこもっていると、自分が肥大化します。そうすると苦しみも大きくなります。コミュニケーションは難しいものです。自分の思いをすべて伝えることは難しいものです。中学高校時代はその難しさを味わうのです。だから私たちは自分の内面を言語化するために学んでいるのです。

 次に「生かされることに気づき…」とあります。自分に気づかされている道が仏教です。それはどうやって気づくのでしょう。仏教という教えの鏡に自分の姿を映してみます。また仏教では私たち自身のこころが鏡のようにこころを目指すとあります。あるものをそのまま映すこころです。私たちは自分のフィルターを通じて映してしまいます。それがなくなれば手放すようにしていかなければなりません。

 滾々と私たちのこころからは色々なことが湧き出してきます。それをきちんとみて、そしてそれを言葉にしたり、表現したりする学びをこれからも進めていってください。

 「学ぶ」ことは「勉強」だけではないことが今日のお話からも理解できるだろう。ましてや「受験勉強」だけが「勉強」だとは捉えないで欲しい。日々生活を営む中で、多くの人から、多くの事柄から学び、そして自分の思いや考えを言語化できるようになって欲しい。

理数研究 聴講 2021年02月05日(金)16時28分

ファイル 927-1.jpgファイル 927-2.jpgファイル 927-3.jpgファイル 927-4.jpgファイル 927-5.jpg

プログレス理数専修クラスは、本日の5・6時間目。
理数研究の最終発表を聴講しました。

先輩方が1年間かけて研究してきた発表を聞く姿は、
まさに科学者の卵「Egg Scientist」でした。

来年は、君たちの番です。
未来の科学者たちよ!
色んなことを学び、考える日々を過ごすようにしてください。

1月29日 仏参 2021年02月01日(月)00時38分

「お浄土に帰るということ」

 今日は本願寺から布教師の野田茜先生に来校いただきお話を聴いた。

 「お浄土へ帰る」ということを言いますが、帰るとはどういうことでしょう。帰るのであれば、私たちはお浄土から来たのでしょうか。お浄土には懐かしい人がたくさんおり、そこへ阿弥陀様が連れて帰ってくれると言います。
 
 みなさんは大切な家族を失った経験がありますか? 私は高校で祖母を、大学で祖父を失いました。
 祖父はお寺の住職をしており、優しく、穏やかな人でした。頭が禿げていたから「お地蔵さま」のような感じでした。その祖父は大変苦労をしたと聞きました。8歳までに父親を失い、母に育てられたようです。その母も病弱で子どもを育てることができなかったので、祖父は親戚を転々として暮らしたそうです。祖父は早く大人になり、自分の母親と過ごすことを夢見たようです。また母親も祖父と暮らすことを夢見ており、たまに帰ってきたときには林檎を食べさせてくれたようです。
 ところが祖父は兵隊にとられ、中国戦線へ送り込まれました。「絶対に死なない」と自分に言い聞かせたようです。敗戦で帰国の途に着き、母親の元へ戻ったといいます。帰国をそれはそれは首を長くして母親は待っていたといいます。そして思いがかない、一緒に暮らし始めたのです。その後祖父は結婚し、祖母と一緒になったこと聞きました。
 祖母がお浄土へ帰った後、祖父の調子が悪くなってきました。足が悪くなり、認知もおぼつかなくなってきました。私は祖父と一緒に暮らすようになりました。ある夜、突然「おかあちゃん」と大声で叫んだ祖父の声にびっくりして起きました。夢に見たのでしょうか。その後肺炎になり入院をして治療を受けました。退院後、またうちへ帰ってきたのですが、死を覚悟したのか、とても穏やかになりました。そして帰ってから「林檎が食べたい」といったので、林檎を擦って食べてもらいました。その時「母が待っているお浄土へ帰れる」というようなことを言っていました。しばらくして祖父は亡くなってしまいました。
 「お浄土へ帰れる」という祖父の言葉は、祖父の人生からとても理解が出来ました。阿弥陀様がお浄土へ帰してくださることは、とても意味があることなのです。

 同じ人生を生きてきた人はいない。その中で「出逢い」があり、「別れ」もある。また「楽しい」ことや「辛い」こともある。誰一人その「楽しさ」「辛さ」は同じものではない。同じ場所で同じ時間を過ごしたとしても。それまでの人生が「その時」を一層「楽しく」したり、「辛く」したりするのだ。
 自分の原体験を振り返って、「今」の自分について考えて欲しい。

報恩講 2021年01月16日(土)16時15分

 今日は報恩講。親鸞聖人のご命日の法要である。例年であれば講堂で御法話を聴くなどをしていたのだが、コロナのこともあり、初めてWEBでお話を聴くことになった。講師は本願寺派布教師で本校の北に位置する知真保育園園長の苗村隆之先生のお話を伺った。
 
阿弥陀仏の眼差し

 今日は親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」です。親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」のお心とメッセージを伝えて下さった方です。今日はその南無阿弥陀仏の眼差しについてお話をしたいと思います。

 教典には「お浄土は金色に輝いている」と書かれています。そこにいる人たちが「金色に輝いている」から、そのように言われているのです。ではみなさんの家族、友だちは輝いているでしょうか。あまり気にしませんよね。そこに人は「ああおるなあ」済んでしまいます。しかしよくよく生活を振り返ると輝いているときがあるのです。私自身の経験ですが、子どもが生まれたとき、これほどにまで子どもが金色に輝いている時はありませんでした。一方で、「こんちくしょう」と思ったときは誰もが「全く輝いて見えません」。自分に勝手なコンタクトレンズがはまって「人」を見ているようです。

 教育者の水谷修先生から「ウサギとカメ」の話を知っているかを問われたことがありました。このお話は明治の頃、「油断大敵」という題で語られていたそうです。駆け比べをして、居眠ったウサギがカメに負けるわけです。カメの勝ちでお話は終わります。実はその続きがあるようです。勝負に負けたウサギはとても悔しかったそうです。そこで再度試合を申し込んだようです。カメは了承をし、再度試合になったようです。そうするとまたカメが勝ったのでした。その理由はカメが勝負の方法を変え、ゴールを島というのです。カメは泳げますが、ウサギは泳ぐことが出来ず、ゴールまでたどり着けなかったということのようです。
水谷先生は「大人の価値観で子どもの価値観を曇らせていないか?」と問われました。確かに我々は大人の価値観で図っています。つい「はよせい」「〇〇するな」と言ってしまいます。私たちは「自分の居場所(価値観)を奪われることが一番イヤなこと」を知っていながら、子どもに条件をつけます。「カメはカメで良い」「ウサギはウサギで良い」と、どうして言えないのでしょう。でも阿弥陀様はそうではありません。ありのままで良いと言ってくれているのです。あなたや私の「ありのまま」をそのまま引き受けてくださるのです。歎異抄では「仏かねてしろしめして」と書かれていることからもわかります。

 さて新人保育士研修会を毎年2月に開催をしています。新しく保育士になる人を対象に研修会をしているのです。その研修会では「恐怖の人差し指」というのがあります。講師の先生から指を指されて受講生の先生に質問をされるのです。
あるとき次のような質問がありました。どの保育園にもすぐにやることが苦手な子がいます。誰からも「遅い」と言われる子がいますよね。「集合」と声をかけたとき、その一番「遅い子」が、誰よりも早く集まるためにはどうすべきかと問われました。もちろん方法はいくらでもあります。その先生はその先生の方法をお話しされました。最後にその先生がお話しされたのは「保育士は子ども一人一人のために悩むということが大切」だということでした。

 阿弥陀さんが示すポーズは「阿弥陀様が私たちを抱きしめてくれていることを示している」のです。私たちは幼少期に多くの人からいっぱい抱っこをしてもらった嬉しい思い出がります。阿弥陀様のポーズは「私の良いところも悪いところ、そのままの私を引き受けてもらっている姿」です。ですから保育園では抱っこをとても大切にしてもらっています。

 私は勉強が大嫌いでした。だから夏休みは楽しみでした。しかし夏休みを超えるための大きなハードルがあります。「通知票」です。小学校中学年まで成績が悪く、父親によく怒られました。そこで両親は勉強が出来るようにと思い、私を塾に入れたのです。ただ何を間違ったのか「進学塾」に入れられてしまい、私は十二指腸潰瘍になったのです。塾に行く前におなかが痛くなります。でもその塾へ自転車に乗せて母親が塾へ運んだのでした、だから私は母親が嫌いでした。嫌々行っていた塾です。中学入試を失敗しました。でも勉強は嫌いでしたが、それなりに一生懸命に勉強はしたつもりです。試験の結果を塾の先生に電話で伝えていると、後ろの部屋で母親が泣いていました。そして電話が終わると私を抱きしめ「しんどかったな。辛かったな。もっと遊びたかったな」と言って抱きしめて泣いてくれたのです。母親を「鬼婆」と思っていたのですが、そうではなく私のありのままを受け止めてくれたのです。まさにその抱きしめられたことは、阿弥陀様に抱きしめられたのと同じことだと思っています。
 
 これから生きていく中で、今までにないくらいの「理不尽」に遭遇するかもしれない。その時に自棄になりたくもなる。しかし自棄になっても解決にはならない。
 「自棄」になっている人を冷ややかに見ることも出来る。一方でその「自棄」につきあうことも出来る。今日のお話を聴き、自分であればどのようなことが出来るのかをしっかり考えて欲しい。

2021年スタート! 2021年01月08日(金)08時00分

 2021年がスタートしました。
 2020年は本当に大変な年になってしまいました。新型コロナ禍でいろいろなものが奪われ、これまでの「日常」というものがどれほど脆いものであるか、そしてどれほど「有り難いもの」であるかに気づかされました。

 いよいよ今年は最終学年になります。
君たちの1つ上の先輩達はすでに最後の考査を終えて、現在は受験に向けて最後の追い込みをかけていたり、入学前課題に必死に取り組んでいる日々を過ごしています。
1年なんてあっという間です。1年後に自分がどうなりたいかをイメージして、どうか1日1日を大切に過ごしてください。
 勉強やクラブ活動など、今、自分の目の前にあることに全力で取り組むことができるという環境がどれほど幸せなことかを決して忘れないでください。
 A(明るく)T(楽しく)M(前向きに)
 2021年を笑顔があふれる明るい1年にしてください。

ファイル 924-1.jpg

12月22日 ライフプラン探究Ⅱ プレゼン発表 2020年12月27日(日)13時08分

『 ライフプラン探究 完結しました 』

 今年度の取り組みは、春休みの課題「自分の身近にある疑問を考える」から始まり、同じような疑問を持つもの同士が集まってグループを組み、疑問について探究しました。
 「HEIAN METHOD 探究MAP」を用いながら、自分たちで立てた「問い(リサーチクエスチョン)」をもとに現状を把握し、なぜそうなのか?という「仮説」を考えました。ライフプラン探究Ⅱでの最も重要なポイントとも言えるのは、この「仮説」をどのようなものにするかというところでしたが、多くの生徒が頭を抱えながら議論し合っていた場面が印象に残っています。独自の結論や解決策を導くためには、「仮説」を「検証」しなければなりません。
 11月のキャンパスビジットⅡの2日間を使って、インターネットや書籍から情報を収集したり、龍谷大学の教授の講義を受けたりしながら探究活動を進めました。この時、多くのグループがクラスの垣根を越えて、「アンケート調査」を実施していました。説得力を持たせる客観的なデータを取って、パワーポイントに落とし込んでグラフを作成したりイラストを挿入したり、チーム内で協力しながら作成する様子が見られました。
 さて、半年間に及ぶライフプラン探究Ⅱの締めくくりは講堂発表ですが、その前段階として、クラス内での発表を行い代表班を選出しました。スライドを動かしながら用意した原稿を間違えないように話す様子は、緊張が伝わってくる発表でした。
 そして、いよいよ12月22日LHRで講堂発表。龍谷大学から原田太津男先生(経済学部)、松永敬子先生(経営学部)、中根真先生(短期大学部)、羽渓了先生(短期大学部)をお招きし、関目校長先生にも審査員に加わっていただきました。クラスの代表班ということもあり、原稿も見ず、身振り手振りを交えながら説得力のあるプレゼンや、工夫を凝らしたスライドを準備したグループもあり、集大成にふさわしいプレゼン大会になりました。
結果は……
  ◆最優秀グループ 6組「地球温暖化とペットボトルと平安高校」
   ファイル 923-1.jpg
  ◆優秀グループ  3組「今日のメディアは『公正な報道』をしているか」
   ファイル 923-2.jpg
  ◆優秀グループ  2組「ITと過労死」
   ファイル 923-3.jpg

以上のようになりました。
 先生方の講評としては、プレゼン内容も重要だが、インターネット上の情報を鵜呑みにしないための「情報リテラシー力」や、人前で話すことができる「プレゼン力」、「問いをたてられる力」の必要性を述べられていました。
今回の取り組みを今後の探究活動に生かしていきましょう。

12月18日 仏参 2020年12月19日(土)17時29分

ファイル 922-1.jpgファイル 922-2.jpg

「時間について」

 今日は2組担任郁芳先生のお話を聞いた。

 今日は「時間を大切にして欲しい」ということについて話をしたいと思います。86,400円を毎日お小遣いとしてあげると言われたらどのように使いますか? 但し条件が1つだけあります。この86,400円は使い切ることです。
 これは「時間」についての例え話なのです。1日24時間。それを「秒」という単位で現すと1日は86,400秒となります。当たり前のことですが、この時間は誰にでも平等に与えられている時間なのです。
 ではこの時間を「1」という数字に置き換えます。手を抜くと「0.01」が引かれます。努力すると「0.01」が加算されます。365日で考えれば37.8と0.03となり、わずかながらも差ができてしまいます。これが何年か続くと、とんでもない差になりますよね。
 一方でそれを取り戻すことはできるのでしょうか。残念ながら「1」に近づくのですが、決して「1」にはなりません。サボったツケは元に戻らないのです。
 さてみなさんは昨年より成長をしていますか? 与えられた時間をどう過ごすかによって、その答えは変わってくるでしょう。「現在」は「過去」の縮図だと私は考えています。自分を成長させるために、時間を大切にするよう心がけてください。

 平安の3つの大切は「言葉」「時間」「いのち」である。今日のお話は数値で示されただけに、とても理解しやすい話であった。「量」ではなく「質」なのである。「生き方」をしっかり考えていかなければならない。2020年が終わろうとしている今、郁芳先生のお話をしっかりと考えて欲しい。

12月11日 仏参 2020年12月11日(金)19時42分

ファイル 921-1.jpgファイル 921-2.jpg

「準備」

 今日は1組担任島田先生のお話を聞いた。

 昨日クラスの生徒から「明日の仏参ですが、先生なんのお話しをされるのですか?」と問われました。仏参の講師に当たっていたことは分かっていたのですが、特に「これ」という話を考えていませんでした。すると「先生、考えていないのですか? 僕らでも話をするときは色々考えているんですよ」と言われました。

 アスリートの生徒は監督さんや先生方の前でスピーチが課せられているのです。内容はどのようなものでも良いようです。その話をするために、練習中や勉強中など気がつけばメモをしていると聞いています。「失敗できない」という思いがあるからだと聞きました。それだけ念入りに準備をしているのに「先生がどうして…」という思いから発した言葉なのだと思います。その言葉は私に突き刺さりました。
 アスリートコースの生徒の目標は「甲子園」です。入学直後は、まだ中学までの生活、考えを引きずっています。それを監督さんや先生方がきっちり指導していき、ようやく人に褒めてもらえるくらいに成長をします。3年生が引退し、自分たちが引っぱっていかなければならなくなった今、自分から率先して動けるようになっています。まだまだ不充分なところはありますが、担任として1年彼らと一緒に歩んできた私としては嬉しいものです。

 甲子園出場の夢は、日頃の積み重ねから準備をしないといけないのです。オリンピックを目指している人も全く同じです。「結果」はその日にすぐにでるものではありません。選抜特進・一貫のみなさんは来年の今頃は入試です。龍プロのみなさんは龍大への進学が決まっている時期です。今からの準備で自分の夢が達成されるのです。コロナでうまくいかないこともあるでしょう。でも自分たちの夢の達成のために1日1日大切にして欲しいと思います。


 アスリートコースの生徒も、オリンピックを目指す人も諸君と同じ年代の「高校生」である。何も特別な存在ではない。諸君も彼らと同じような「準備」を大切にする生活をしてみないか。どうかアスリートの諸君、オリンピックを目指す諸君は、学年の範となる生活を行って欲しい。