久しぶりの講堂仏参で1日を始めました。本日の仏参講師は1年2組の副担任、国語科の河上先生です。
河上先生は「一期一会」の言葉を引用して、今現在の先生に大きな影響を与えた高校時代の恩師について話されました。その先生は、高校2年生でお世話になった日本史の先生で、授業の課題でノート作りを課されていました。その学年の終わりには進路の方向性を決めなくてはいけない頃となりました。河上先生は進路を決めかねていたところ、廊下でその先生とすれ違いざまに、河上先生のノートがわかりやすいと評判で、内容を見ると文字や言葉、文章に興味があるように思える、と声を掛けられたそうです。その時のその先生の言葉が河上先生の進路方向を決定したそうです。このように、10代、20代に出会った人がその後の人生に影響を及ぼして、後で振り返ったときに「あのとき、あの人との出会いがそうだったんだ!」と気づくことがあります。
人との出会いで大切なのは、初めから人に対して心を閉じてしまわないことです。心を閉じてしまうと、せっかくの出会いなのに行き違ってしまうかもしれません。心の扉を少し開け、相手が入り込める隙間を作った方がいいですよ。と、河上先生は人と出会う時の心がけについて話してくださいました。
先週は祝日のため行われませんでしたが、今週も週の始まりとして講堂での仏参が行われました。
お話の内容は、平安中学校の掲げる3つの大切のうちの1つである“時間を大切に”とは具体的にはどのようなものであるかでした。
皆さん時間は有限である、平等であるなどということが多いと思います。その中でも「時間を無駄にする」ということをよく使ったり、耳にしたりすると思います。では実際に時間を無駄にするとはどのようなことでしょうか?
冒頭にそのように伝えられ今回のお話を始められました。勉強をすることでしょうか?本を読むことでしょうか?ゲームをすること?漫画を読むこと?はたまたボーっとすることが時間の無駄なのでしょうか?
𠮷岡先生はこの中に時間の無駄だといえるものは1つもないといえるし、逆にすべてが時間の無駄と捉えられるとおっしゃいました。これはどういう意味なのかというと、時間を無駄にするとは個々人の価値観であるということです。新聞を読めば漢字や言葉の意味、世間ではどのようなことが起きているのかを知ることができるなど、1つのことをするだけでも様々なことを学ぶことができます。漫画を読むことも同じで、何かしら自分にとってプラスになることを得ているはずなのです。ただし、得られているものの種類・量は全く同じことをしている人でも異なっています。またそれらの積み重ねがテストであったり、大会やコンクールであったりといった能力を量る場での規定値を越しているのかどうかが無駄にしたかどうかであると考えることができます。
それぞれの期限までにきちんとこの規定量を超えることができているのかが重要なのです。この話を聞いて基準をクリアするだけの能力を得ることができているのならばよいですが、時間に無駄はないのだからとただ遊ぶだけの言い訳には絶対にしないでください。
1つ1つの事象でも何を考えながらしているのかによって得られるものは増えもするし、減りもします。常に様々なことを考えながら行動をするように心がけてください。
本日から通常通りの学校生活に戻ります。
中学生は講堂仏参で一週間を始めます。本日の仏参講師は3年2組担任、英語科の古川先生です。
先週末に実施された文化祭は、3年ぶりにオンライン開催ではなく対面での例年通りの文化祭に近い状態で実施されました。そのような文化祭の開催状況を見て、ご自身の1学期末の経験から、行事の際に制限のある状況でもその制限内で精一杯できることをやりきることの意味や、制限があったとしても行事を開催できることへの感謝の大切さについて実感された事を話されました。
「今しなければならない事を、悔いなく皆で支え合いながら、感謝の気持ちを忘れずに取り組みましょう。」と、行事や普段の学校生活でも心がけたい事を呼びかけられました。体育祭に向けた団活動が始まります。実践していきましょう。