龍大プログレスコースは、明日から夏期休暇となります。勉強やクラブ活動、
遊びなど、様々な計画があると思います。まとまった時間がとれる機会に
なりますので、その時間を有効に使って、有意義な夏期休暇にしてもらいたいと
思います。
龍大プログレスコースは、明日から夏期休暇となります。勉強やクラブ活動、
遊びなど、様々な計画があると思います。まとまった時間がとれる機会に
なりますので、その時間を有効に使って、有意義な夏期休暇にしてもらいたいと
思います。
7月4日は第9回の高2仏参日でした。
また、夏期休暇前の最後の仏参でもあります。
そろそろ2年生の折り返しも近づいてくる中、ほとんど崩れること無く時間までに着席を続けられたようで、ささやかなことながら少し感心しております。
本日の御法話は7組担任の藤井先生から頂きました。
藤井先生は御法話を始められる前に、
「仏参は10~20分程度の長さしか無いけれども、仏教に触れる貴重な時間。
“生老病死”という仏教の四苦の教えは、四苦としっかり向き合って生きるということです。
しっかりと積極的に仏参に参加しましょう。」
と伝えられました。
ここしばらくの仏参の様子(歌の際にあまり声が出ていないこと)を見ていて少し元気がなくなってきているように感じることから、改めて自ら仏教を知る姿勢を大切にするよう訴えられ、それから御法話を始められました。
藤井先生は2つのことを伝えられました。
①最初に皆が『目を閉じて一切何もしない』ようにと話されました。
そのまましばらくその状態を続け、タイミングを見計らってから目を開けるように指示されました。
「今、何秒経ったと思う?」
そのように問われました。
生徒の大部分は1分程度であると回答しましたが、実際の時間は40秒でした。
時間を数えるようにと指示をしていないため皆感覚で答えていましたが、正答できなかったとしても実際の時間より早いと感じる者がもっといても良さそうなものです。
これは、私たちが普段の生活で『視覚に頼る』部分がとても大きく、そこを塞いでしまったときに『見えないことの不安を感じるから』だと説明されました。
ご自身も担任として生徒の進路希望を聞く立場であるけれども、「まだ行きたいところが決まっていない」と答える子も多く居り、その状態は『先が見えない不安』を感じている状態と同じである。
希望が決まっているならその道に向かって進むだけ。
先の道が見えているからこそ進んでいくことができるのだ、と『先を決めることの重要さ』をまず訴えられました。
②また、目を閉じていた時間に『自分たちは何を感じたか』ということを問われました。
目を閉じているので視覚には頼れません。
必然的に、残りの感覚で周囲の情報を得ることになります。
『耳で』普段は聞こえないような音、例えば服の擦れる音がうるさく聞こえるように。
『鼻で』普段は意識することの無いような講堂のにおいを嗅ぐように。
『肌で』普段はわからないような空気の流れを感じるように。
『舌は』さすがに特別なことは何もかんじられませんが…。
普段『目で』見る大きなものばかりを頼りにしてしまいがちですが、『視野』という1つの大きな情報以外にも様々な小さなものから私たちは影響を受けています。
ただ、大きなものの陰に隠れてしまって普段はなかなか気付くことができないだけなのです。
たとえば両親や友達からの影響は大きなものですが、自分たちが身に付けている衣類などにもそれを作った見知らぬ誰かが居る。
そういう小さなものからこそ非常に沢山の影響を受け続けている。
生まれてからこれまで、何億、何兆もの小さな影響を受けながら今までの自分を作っている。
そうして、過去の、今の、未来の自分が、誰かに大きな、小さな影響を与え続けていく。
そういうことを考えながら生活して欲しい。
自分たちを形作るすべてを感じて、自分の先のことを見つめていってくれることを念じられました。
6月27日は第8回目の高2仏参日でした。
更新が遅くなりまして申し訳ございません。
今回の御法話は6組担任の山之内先生から頂きました。
山之内先生は高校時代にソフトボールをしておられ、その時のクラブノートを今でも見返すことがあるそうです。
そのノートは、自分たちが2年生となり、新チームになって自分たちがチームを引っ張っていかなければならないというときに作られたノートです。
そこには主に日々の練習のことが記録されているのですが、クラブ員が誕生日の際にはクラブ顧問の先生が特別にメッセージを書いてくれているそうです。
2年次に贈られた言葉は次のものでした。
「技術はやっていればうまくなる。
だけど、その使い方はその人の人間性による。
他人を気にせずにやれ。
時間はありそうで無い。」
当時はそのメッセージに込められた意味に気付かずに自分が自分がとなって、“自分が”まとめる、“自分が”レギュラーをとる、などの自分中心の考え方に陥ってしまっていました。
だけど、大人になってから見返すともっと周りに敏感になって周囲のことに気を配る、考える。
特に、「時間はありそうで無い」と言われたように、時間をもっと意識して有効に使うこと。
そういうことをしていく、配慮いていなければまとめることはできなかったな、と当時を振り返って感じるそうです。
その時にはわからなかったとしても、後になれば何かを感じることもある。
だから生徒に接するときには、少しでも誰かの記憶に残るものがあればと、考えながら接するようにされているそうです。
ソフトボール部員時代に、誰がどういうバッティングをするかを考えていたことが、クラスの生徒がどう動くか、またはこんなふうに接しようなど考えることの役に立っているように、記憶に、体に覚えてきたことは何年経とうとも先で通じるもの。
高校生の今じゃないと出来ないことがあると思って、挑戦し続けることが、将来にふとしたときに活かされていく。
今は失敗しても大丈夫なとき。
クラブであれ、勉強であれ、挑戦をし続けること。
そしてそれをノートなど形のあるものに記録として残しておけば、いつでも当時を振り返ることが出来る。
今見て感じることと、先で考えることはきっと異なる。
その時に役に立つかどうかはわからないけれど、少なくともそれは自分がやってきたことの“証”になる。
それの有る無しでの違いは大きい。
あのときこうやったと思えるもの、友達との手紙などでもなんだって構わないので、そういったものを大事に、そして増やしていって欲しいと伝えられました。
SUT②が終わったばかりですが、本日は進研模試がありました。プログレス・選抜特進・一貫選抜コースにおいて英数国の3教科で実施されました。どのコースの生徒にとっても大学進学の参考資料となるテストです。解いて終わりではなく、しっかり答え合わせ・復習をして次につなげて欲しいと思います。
本日は芸術鑑賞会が行われました。オペラシアターこんにゃく座さんにご来校
いただき、オペラ「ネズミの涙」を鑑賞させていただきました。戦場を旅して回る
テンジクネズミの「天竺一座」を描いた、笑いあり涙ありの物語でした。色々な
ことを考えさせられる内容でありながら、最後には前向きな気持ちにさせて
くれる、大変見応えのあるオペラでした。
観劇後には、こんにゃく座座員の方々に演劇レクチャーを行っていただき、
舞台で緊張しないための秘訣や、演技で気持ちを伝えるための方法などを
ご指導いただきました。高校2年生は文化祭で演劇を行う予定ですので、
大変参考になったと思います。
SUT②が今日行われました。
自己採点の時間では、自分で設定した目標に到達した教科、できなかった教科が明確になり、次の前期考査へ向けて何をすべきなのか真剣に考える姿を見ることができました。
SUTを終え、今日は研修旅行のパスポート取得についてガイダンスを受けました。初めてのパスポートの申請と言うこともあり、複数の書類を片手に、真剣な表情でガイダンスに臨んでいました。
これから、研修旅行に向けて、はじめて知ること・することが増えていきます。そのなか経験することは、これから何年も何十年も心に残り、さまざまな場面で活かされていくことでしょう。
2学年全員で研修旅行をよりよいものにできるように頑張りましょう。
本日は龍谷大学キャリアセンターから講師をお迎えし、「成功のカギは
『充実した学び』にあり」と題したキャリア講演をしていただきました。講演では、高校と大学の違いを示された上で、大学では「主体的な取り組み」が重要に
なってくることをご説明いただきました。そして、今すべきこととして、充実した
高校生活を送ってほしいとのお言葉をいただきました。
また、今回は本校の卒業生で、現在龍谷大学4回生の村上さんにもお越し
いただきました。野球の全国大会に出場したことや、海外に留学したことなど、様々な活動に主体的に取り組まれた経験談をお話しいただきました。
今回の講演会をきっかけとして、大学生活に向けての意識を高めるとともに、
毎日の生活を充実したものにしていってもらいたいと思います。
本日は第7回目の高2仏参日でした。
蒸し暑い気候となり、体調の管理が難しい季節です。
私たちの中にも体調を崩す者が出ており、生徒の様子が心配されます。
現在のところ、4F席から眺める限りでは欠席者はほとんど見られないようですので胸をなで下ろしております。
(本日遅刻者席には1名おりました)
さて、本日の御法話は5組担任の田嶋先生から頂きました。
田嶋先生はご自身が読まれた本の中から、ご自身が考えさせられたことについて語られました。
今回のキーワードは「夢を“台無し”にする条件」です。
夢を持つことの大切さ、夢を叶えるために努力することの尊さを語られた経験は誰しもあるものかと思います。
ですがそれらのすばらしさを知るためには、その逆の立場について知ることは大変重要になります。
筆者は2年間の研究を経て、夢を台無しにする5つの条件を見つけられました。
①一夜の成功を信じること
②誰かが答を持っていると信じること
③夢にある程度近づいたとき、その場に居続けようと考えてしまうこと
④失敗を他人の責任にすること
⑤結果が全てであると信じること
これらについてそれぞれ次のように説明されておられます。
①一夜の成功を信じること
これは、例えば生徒の立場でなら一夜にしてテストで満点が取れるほどに頭脳明晰になることや、クラブ活動で言えば急にレギュラーに選ばれるようなことがあると信じることです。
世の中には一面だけを見れば、一夜にして成功者になる者はいます。
世界には開発したたった1つのスマートフォンアプリが予想外にダウンロードされ、いきなり億万長者になるような青年がいます。
世界最高峰の大学マサチューセッツ工科大学に2週間程度の勉強で合格できてしまうような少年もいます。
彼らは一見すれば人生をたった一瞬で成功させた幸運な人たちです。
ですが、青年はその1つのアプリを開発するために大学・大学院と勉学を重ね、それまでに30を越えるアプリを開発していました。
少年はマサチューセッツ工科大学への受験勉強こそ2週間という短期ですが、本人が「今までの17年間という時間でムダに使った時間はない」と言うほどに日頃の努力を惜しまなかった結果でした。
彼らのあり方は、何かを積み重ねた者こそが栄光をつかめることを示しています。
②誰かが答を持っていると信じること
人は様々な局面で多くの選択を迫られています。
その都度人は悩み苦しむことになるでしょう。
そんな時に両親や先生などの人生の先輩とでも言う人たちは、その局面での正しい選択を知っているかもしれません。教えてくれるかもしれません。
友人は自分を助けてくれるかもしれません。
ですが、本当にそれで良いのか?
アドバイスを受けることは構いません。
ですが、物事の決定権だけは必ず自分が持たなければなりません。
“誰かの答”に縋って、決定権を放棄する選択をすれば、誤ったときの後悔は大きくなります。
また、自己反省することができなくなるでしょう。
岐路に立ったなら必ず自分の意志で一歩を進まなければ意味は無いのです。
③夢にある程度近づいたとき、その場に居続けようと考えてしまうこと
人はある程度の成功をつかむと、それを手放すのを恐れるようになります。
そのようになれば、そこにあるのは停滞だけで、そこから先には進めなくなります。
たとえとして、野球選手のイチローは安打3000本以上の大記録を有し、また、野球選手の誰もが憧れるメジャーリーグでプレーする超一流選手です。
安打3000本や、メジャーリーグでのプレーは、一般的な選手ならそれ自体を目標と掲げてもおかしくないものです。
ですが、彼がこれほどの記録を達成できたのは、もっと上を見続けていたからです。
夢が近づいたとしても、その場で立ち止まってはいけないのです。
④失敗を他人の責任にすること
②の話で多少重なるところはありますが、責任は必ず自分にあると考えること。
他人がどうであっても、自分がどこまでできているのかという点に意識を向けなければ成長はないということです。
⑤結果が全てであると信じること
夢へ一足飛びで近づくことはありません。
一歩一歩ゆっくりと近づいていくものです。
その道の途中には、何かに成功することも失敗することもあります。
失敗したときに、その失敗をどう捉えるのか。
それを苦としてしまい、成功しか見えなくなってしまえば夢に近づくことができなくなります。
失敗とは成功の道です。
失敗したときにそれを反省し、次に活かすことがとても大切なのです。
(エジソンも次のような言葉を残しています。
「人生で失敗した人たちの多くは、
あきらめたときに成功までどれ程近づいていたかを
悟っていなかったのだ。」
この言葉は上記のことそのものであるように思います。
)
これら5つのことをしてしまえば夢を台無しにしてしまいます。
逆を言えば、これらのことをしなければ夢に着実に近づいていきます。
ふとしたときに自分の行いを振り返って、これらの5つの条件に陥っていないか考えてみて欲しいと思います。
本日は、劇団「チームいちばん星」の朗読劇『いのちをいただく』の観劇を通して、人権学習のテーマである「いただいている命へ」について考えました。
食肉加工センターに勤めている坂本さんや、うまれたときから牛とともに生活してきた少女の声から、いのちを大切にする気持ちとともに、いただかなければ生きてゆけない現実を見ることができました。
私たちは、肉や魚、植物などの多くのいのちをいただいて今を生きています。そして、いのちを明日につなげています。幼いころから口にしている「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉を「いのちに感謝する」という気持ちを込めて言いたいと観劇して思いました。