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第6回 高2仏参 ―傍に支えてくれる人が居る― 2017年06月13日(火)14時32分

本日は第6回目の高2仏参日でした。

ブレザー着用が不要となり、筆者の位置からではきちんとした仏参に臨む姿勢ができているのかわかりにくくなりました。
ですが、遅刻者の数は少ないようなので、多くの生徒がきちっとできているように見えます。(本日遅刻者席にきたのは1名でした)

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本日の御法話は4組担任の中森先生から頂きました。

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まず、昨年のお話に触れられました。
昨年中森先生は「人生の選択肢」について語られています。

人生の中では様々な選択をする場面があります。
高校受験しかり、大学受験しかり、就職しかり。
しかし、どのような選択をしたとしても、選択した先でどのような人生を送るかこそが最も重要であること。
戦国時代の武将 武田信玄の『一生懸命なら知恵が出る、中途半端なら愚痴が出る、いい加減ならいいわけが出る』という言葉のように、愚痴やいいわけのようなマイナスのものではなく、知恵のようなプラスのものをだせるくらい、一生懸命に過ごすことを伝えられたそうです。

さて、今年のお話は一生懸命にやっていても認められない、誰もわかってくれないと感じてしまう。
厳しい言葉を掛けられてしまうことがあると言うお話です。

今回のお話の主題は“自分の身の回りには自分を見守ってくれて、支えてくれている人が居る”というものです。

一生懸命でありながら、周りから厳しい態度で接せられるということは、自分のことを見てくれているということ、支えてくれているということです。ですが、なかなかそれに気付くことはできません。

中森先生は学生時代にずっと軟式野球をしておられました。
大学に入って野球を始める際に大学のレベルの高さに驚かれましたが、ここで結果を出して頑張っていこうと奮起されました。
1回生のときは試合経験が無いまま2回生となり、春のリーグ戦ではレギュラーで試合に出ることが出来るようになったそうです。
しかし、レギュラーになられるまでに、「他のメンバ-を追い抜かすつもりでやらんと試合には出れん」「お前のポジションを取ったるぞ」などといった厳しい言葉をキャプテンから掛けられ続けていたそうです。
「なぜ自分だけこんなことを言われるのか。」そういった不満が募りつつも、小さい頃からの夢である“全国制覇”に向かってリーグ戦を戦い抜き、見事優勝することが出来ました。
自分の個人としての結果も上々で、頑張ってきた努力が報われたように感じられ、次の大会へ向けた士気も高まっていました。
ですが、その次の試合からメンバ-には選ばれなくなりました。
「他の戦力の強化のためか?」と初めは考えたそうですが、長くそれが続くようになり、また、キャプテンからも何も言われないようになって、どんどんと野球がつまらないと感じるようになっていったそうです。
「こんな状態では野球を続ける意味は無い。けじめとして大会中は部に残るけれど、これが終わったら退部しよう。」
そんな思いで続いた大会で、ついに敗戦したときに退部を告げにキャプテンへと会いにいこうとされました。
しかし、先にキャプテンに呼び出されてこのように言われたそうです。

「なぜ試合に使われなくなったかわかるか?俺はお前のことを弟のように思いながら見てきた。日頃のお前を見ていると、しっかりしてへんなぁというところが目について声を掛けていたけれど、ここしばらくは甘やかしてばかりでいたらあかんなぁと思って、何も言わなかった」

言われてすぐにはその言葉をすんなりと受け入れらたわけではなかったそうですが、思い返すとリーグ優勝で満足して、その後満足にヒットが打てなくなったり、いいかげんにしているところがあったと気付いたそうです。
それから、今までの自分の考えが自分の都合ばかりになっていて周りのことを全く考えていない自己中心的な考えであったとわかったそうです。
そうして、その一言から、自分のあり方を悔い改めて最後まで野球をやり通すことができたそうです。

大抵の人は自分にとって良い話、物事は欲しますが、嫌なことからは耳をふさいで聞こうとしない、逃げてしまいがちです。
自分にとって周りが厳しくなって自分ばかりが責められているように感じるのなら、まず自分の行いを見直してみることが必要です。
自分に対して厳しく接する人は、それだけ自分の先に期待していることにつながります。良くなって欲しいとの願いがあります。
自分の考え方が傲慢になっていないか、自己中心的な考えに陥っていないかよく考えて、誰かに言われる前から自分の振る舞いを是正できるように日々を過ごしてもらいたいと思います。

第5回 高2仏参 ― 一生には後方へのターンはないけれど ― 2017年06月08日(木)18時04分

6月6日(火)は第5回仏参日です。
6月からは衣替え期間となり、ブレザーの着用が必要なくなりました。
今の様子は写真のような感じです。

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本日の仏参は2年3組担任の花谷先生から頂きました。
花谷先生はまず昨年の仏参で話された内容を話されました。

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昨年のお話は「モラトーリアムの時間」についてです。
「モラトーリアム」とは、体や精神が大人になったとしても大人として社会に出ることを先延ばしにしている状態のことで、高校生や大学生などの時期がまさにこれにあたります。
お話を要約すると、「ゴールは決まっていて、少しづつそれに近づいている。だけど、そこに辿り着くまでの過ごし方はみんな自由で、可能性は無限だ」といった内容です。

お話から1年が過ぎ、さらにゴールに近づいて中だるみしやすい高2の時期まできていること。だけど、自分には皆が一生懸命頑張っていると感じられる、まだまだみんなが可能性の塊であると語られました。

今回、お話の key word として次の2つを挙げておられます。

 ①ターニングポイント
 ②主導権を握る

まずは今までの人生を振り返ることから始められました。
「生まれて初めての記憶は何だったのか?」「あんなしんどいことがあった、こんな楽しいことがあった。」
学校におられる先生方よりもずっと短い、16年程度しかまだ過ごしていなくとも、浮きも沈みもあるものであろう。
人には言いたくないような底まで沈む出来事もあったやもしれない。
だけど、いつまでもその状態であるわけではない。きっかけがあれば底から上向きに変えることができること。
先生ご自身も2度ほどかなり沈まれた時期があるそうですが、そこからぐっと上ってきている。人生は右から左にUターンすることはないけれども、下方向に進んでいくのを上方向にターンすることはできる。
つらい何かを抱えて目標に近づいていくことができないならそこは折れ線の底であるターニングポイント。まずは折れ線を上向きに変えることが大切であるとお話しされました。

次に、1人1人の目標は違うとお話しされました。
目標が異なる以上、1人1人やらなければならないことは違う。
それならば、人と同じように動いていたら自分の目標に近づくことは無いということ。自分が自分の行動決定の“主導権を握って”行動することが大事であると話されました。
そうすればその結果は自分の責任、だれの責任にもすることができないものになる。
結果を喜んだり悲しんだり、一喜一憂することはあるだろうけれどもそれで構わない、と仰られました。一喜一憂できるだけ真剣であったなら、それは確実に成長につながっているでしょう。

3年生の担任も何度かもたれ、受験期になると決まって生徒は次のように言うそうです。
「高2の夏に戻りたい。」
今まさにその時期にいるみなさんはたくさんの可能性があります。
何でもやれる自由な時間があります。
自分で善し悪しの主導権を握って、step by step 一歩一歩着実に成長しながらゴールに到達してほしいものです。

演劇ガイダンス 2017年06月06日(火)17時19分

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今年の学園祭では演劇を行います。

各クラス監督や台本係が決まったところですが、本日は外部講師の方に来て頂き、演劇についてお話をいただきました。


演劇は「人間とは」「人間関係について」を問うもので、
そこを中心にして内容を考えるといいものができるとおっしゃっていました。

台本の作り方や、役割分担、評価基準についてなど、たくさんのヒントを教えて頂きました。
各クラスの監督など責任者は是非クラスに持ち帰って発信して欲しいです。

また、7月には演劇指導があるので、それまでには脚本も完璧にして、演技もそこそこできるようにしていきたいですね。

皆さん、いい演劇が披露できるように力を合わせて頑張って下さい。

春の校外学習 2017年05月30日(火)08時23分

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本日は、保津川下りで自然を感じ、京都の雰囲気満点の嵐山・嵯峨野の散策を通じてクラス・学年の仲間との交流を深め、団体行動の規律についても学ぶことができました。

第4回 高2仏参 ―自分から歩み寄らなければ― 2017年05月23日(火)18時33分

本日は第4回目の高2仏参です。

今回は前回よりもブレザー着用ができてなく、また、4Fの遅刻者用の席にも数名の生徒がおり残念でした。

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2年生は中だるみの時期ではありますが、だからこそ自分の生活に気を配るようにして欲しいと思います。

本日の御法話は2組担任の池本先生から頂きました。

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池本先生はご自身の学生時代の体験から、2年生にあがった生徒の皆さんが先輩としてどう接するのが望ましいのかということを話されました。

まず大事なこととして次の2つを挙げられました。
①相手との信頼関係を作ること
②自分が変わっていって、相手と接すること。

池本先生は中学生や高校生の時、性格に少々勝ち気なところが有り自分が出来ることを他人が出来ないことに苛立ちを感じてしまうことがよくあったそうです。
中学2年生となってクラブの後輩ができたとき(おそらくテニス部かと思いますが)、クラブの後輩達のランニングのタイムがいつまでも縮まらないことや、練習をする際の姿勢(速やかに行動して準備をする、次の練習をするなど)がきちんとできていないことが非常に気にかかっておられたそうです。

後輩を待つ時間が増えれば増えるほど、自分たちの練習時間も同様に削られることに不満が募りました。
また毎日きちんと取り組んでいればそのくらいのことはできるようになる(自分ができていたから)との思いもあったため、あるとき後輩の1人に

「やる気無いのか?」

などといった言葉を(苛立たしげに)掛けてしまったそうです。
その相手はそれまでほとんど関わりがない後輩だったそうですが、そのことがあってからは卒業まで目も合わしてくれなくなってしまいました。

当時は深く考えはしなかったそうですが、成長していくとともに当時を振り返ったとき、信頼関係がまるでできていないのに、なぜ自分はそんな辛らつな言葉を浴びせてしまったのかと後悔の念が湧くようになったそうです。。

また、高校の時にも似た体験があったことを語られました。
高校の時は音楽関係のクラブに所属しておられたそうですが、そこでは後輩の面倒を上級生が見ることになっていたそうです。
中学の時を振り返り、相手に言い過ぎてしまわないようにと気を遣われていたそうです。
ですが、『あいさつ』や『言葉遣い』など、技術以前の心構えの部分がちゃんとしていない後輩もおり、なぜこんなことができないのかと次第に苛立ちを感じるようになられたそうです。
そうして上級生として注意を続けていると、後輩はどんどん反発し、自分の言っていることをまるで聞かなくなっていったそうです。

「なぜ人の話が聞けないのか」
「自分は正しいことを言っているはずだ」

こういった考えが巡り、結局その後輩達とも折り合いが悪くなったまま終わってしまいました。
「何を言ったとしてもどうせ聞きはしない」と、思考停止に陥ってしまっていたのです。
今になって思えば、“相手が悪い”と決めつず、“自分が変わって歩み寄ろうとする”ことさえできていたら、きっと別の結果があっただろうと後悔されているそうです。

中高生くらいの子供達は、「年上だから」「先輩だから」と、年齢のみによって相手に従おうとする意識はあまりないと思います。
自分たちが相手を育てようとしたとき、信頼関係の構築と、自分の方が先に変わっていく努力をすることが必要になります。
“自分の方から歩み寄る努力”が不可欠になります。

それはとても難しいことですが、悩んで、考えていくことは自分の成長にもつながるものです。
どうか、自分たちが後輩達を本当の意味で支えられるよう、「1年生頑張れ」と応援する気持ちを忘れないで欲しいものです。

宗祖降誕会 2017年05月20日(土)18時17分

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本日は宗祖降誕会がありました。宗祖降誕会とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご生誕をお祝いする行事です。本日は浄土真宗本願寺派布教使の大竹章和先生にご法話を頂きました。

「誕生日」という言葉を聞くと、私たちはプラスのイメージを持ちます。しかし、「誕」という字には「嘘・偽り」や「騙す」という意味があります。つまり私たちは言葉がでたらめな世界に生まれるということを意味します。ただ、私たちは「嘘もあるけど本当のこともある」と考える一方、仏様は私たちの世界を嘘偽りの苦しみの世界とご覧になっています。そして仏様は私たちの良い所や悪い所、秘密など全てをそのままご存知です。私たちは自分に都合の悪いことは見たり聞いたり、知ったりしたくないものですが、それは自分のものさしで物事を見ている証拠です。

また、私たちは生きていることを当たり前と思っています。しかし、私たちがこの世に生まれるということは宝くじの1等に100万回連続で当たるのと同じぐらい稀なことだそうです。ですから、私たちは頂いている命に感謝しなければなりません。また、仏様は目を細くして私たちを見守っていてくださいますが、それは愛しいものを見ているからだそうです。このように私たちがどんな世界に生まれ、どのように自己中心的に考えていても私たちを温かく見守ってくださる仏様に感謝をして、その教えを私たちに説いてくださった親鸞聖人のご生誕をお祝いさせて頂きたいと思います。

第3回 高2仏参 -マイナスをプラスに- 2017年05月16日(火)14時31分

本日は3回目の高2仏参日でした。

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前回ブレザー着用でない生徒が目立ったため、今日はどうだろうかと見ておりましたが、まだ4,5人ブレザー着用でない生徒がいるようです。
改善はされていますが、1回目が全員ブレザー着用できていたことを考えるとまだまだです。
(念珠の方はどうなのかと少々気になります。)


本日の御法話は1組担任の島田先生から頂きました。

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島田先生は昨年度にある漢字についてのお話をされています。
それは“兆し”という漢字についてです。
物事にはそれが良い物であれ悪い物であれ、起こる兆しというものがあります。
それを感じ取ったときに『手』を出してそれに“挑む”のか、はたまた『辶(しんにょう)』をつけてそれから“逃げる”のかでは、大きくその後のあり方が変わることになります。

この1年の間に生徒達が、物事に“挑んだ”のか、それとも“逃げた”のか、どんな高校生活だったのかと初めに問われました。


そして、今年示された漢字は“吐く”という漢字です。

島田先生は卓球部の顧問をしておられるので、この春卒業した3年生の2人の部員の話をされました。
彼らは小学校4年生の時から卓球を始めていましたが、中学生の時で京都でベスト32~16くらいの実力の選手でした。

彼らが入学してきてすぐの頃は、部員に対して卓球台の数が足りておらず、満足のいく練習が出来る環境には無かったそうです。
しかし、3年生の引退と共に練習時間を多く確保できるようになり、そこからメキメキと頭角を現すようになっていったそうです。
(もちろんそれまでの半年ないし1年間努力を続けてきたことによる結果ですが)

そうして、彼らはダブルスで夏・秋の京都大会、近畿大会で優勝を重ねるほどの実力を身に付けるようになりました。
京都には東山高校という40年以上も京都優勝を続けてきた学校があるため、このダブルスでの優勝はまさに快挙でした。

しかし、急激な伸びが彼らに驕りも抱かせるようになり、その後の全国大会の団体戦では1勝もあげることができませんでした。

敗退を機に、周囲からかけられている期待が自分たちが考えている以上に大きく膨らんでいることに気付いた2人は、それに応えられない自分たちに焦りと不安を感じるようになったそうです。

「どうしたらいいのか?何をしたらいいのかわからない。」

答を見つけられない彼らに島田先生は
「自分の生活を見つめ直し、毎日の中での積み重ねをしていくしかないだろう」とアドバイスを送られたそうです。

彼らはそうして考えました。
『練習をしたい。』『勝てるようになりたい。』
“でも”、卓球台が少ない。
“でも”、部員が多すぎる。
“でも”、東山という強敵が居る。


今までのこうした考え方を改め、

卓球台が少ないから“こそ”、
部員が多いから“こそ”、
東山が居るから“こそ”、

今練習できるこの時間を濃密なものにする。
一瞬一瞬の集中力を高める。
可能な範囲で学校外の卓球場を利用する。

彼らの環境が変わったわけではありません。
彼らのマイナスの意識が、プラスの意識へと移り変わっただけなのです。

しかし、そのたった1つの変化が、彼らを一層真摯に練習に取り組ませ、46年ぶりに団体でも東山に勝利し、インターハイベスト8の結果をもたらすことにつながりました。
マイナスをプラスに。“でも”を“こそ”に変えることが、大きな原動力になるのです。


人はともすればマイナスのことばかり“吐”きがちです。
しかし、それでは何も前には進めません。
ただ、ストレスをため込むだけでしょう。
“吐”ことからマイナス( _ )を取ってしまえばそこにはプラス(+)が残ります。
それさえできれば、想いを“叶”えることができる力を生み出します。

皆さんがポジティブに研鑽を積み、夢を目指すことを望みます。

進路アドバイスシステム 2017年05月15日(月)15時00分

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本日のLHRでは、「進路アドバイスシステム」という適性検査を行いました。
自分の適性を知り、進路選択の参考にしようというものです。進路について
理解を深めるための助けにしてほしいと思います。

第2回 高2仏参 -つなぐということ- 2017年05月09日(火)15時22分

本日は高校2年生2回目の仏参となります。
4Fには遅刻者はおりませんでしたが、前回と比べてブレザー着用をしていない生徒が目立ち少し残念でした。
身だしなみの乱れは心の乱れに繋がるものです。
次回は全員揃うように期待しております。

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さて、本日の御法話は指導主事の草川先生から頂きました。


生徒達は2年生となり後輩ができました。
それに伴い、上級生から与えられる立場から、上級生として下級生へ与える立場へと移り変わっていきます。
そういった中核の時期であるからこそ、自分たちの高校生活を振り返り、受け継がれてきたものを次の世代へと“つなぐ”心の大切さについて語られました。


草川先生は“つなぐ”ことの事例として2つのことを挙げられました。

1つ目は兵庫県立尼崎小田高校についてです。
ここでは、お昼休憩にお茶のやかんを用務員室に取りに行くことになっています。
誰もが入退室時は挨拶を欠かさず、礼の心を持って丁寧にやかんを扱うそうです。
これは特別なことではなく、長年脈々と受け継がれてきたものを自分たちも引き継いでいこうとする心が自然と芽生えていくからです。
その結果このやかんは25年もの間、修理も交換もされずに使用されていますが、傷や凹みが全くないそうです。

2つ目は岡山県西粟倉村についてです。
ここは人口1500人程度の小さな村で、周辺地域に小中学校が1つずつしかないような場所です。
ここでは子供を支援するために、「どのような大人にしたいか」「どんな子育てをし、どんな取り組みをするか」を村一丸となって考えていました。
そこで、子供達が使用する椅子などの備品を大人達が檜を伐採し、自分たちで作成することにしました。
自分たちの使っている備品が、周りの大人達が創ってくれた物だと知っている子供達は何かできることはないかと考え、3月になるとそれらを磨き上げ、次の子供達へ回していくようになったそうです。
大人達や自然への感謝の気持ちを、次の世代へとつなぐという形で表したのです。
“つなぐ”という行為が感謝の気持ちを持ちながら生きる力を育んでいます。


次の世代へと“つなぐ”ことができたときこそ、今の活動に価値が生まれます。
3年生からつながれたものを、次の1年生へつなぐことを今こそ考えていきたいものです。

防災訓練 2017年05月08日(月)12時14分

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本日、花祭まつりのあと防災訓練が行われました。
全校生徒、おはし(押さない・走らない・しゃべらない)を守り
速やかに避難できました。

「東日本大震災から6年、阪神淡路大震災から22年、熊本地震から1年、今日この日、避難訓練の日を迎えられたことを感謝しつつ、家族と防災について話す時間を持ってください。」と校長先生よりお話がありました。