HEIAN BLOG 高1学年 BLOG

記事一覧

1月15日 仏参 2020年01月15日(水)21時44分

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 今日は1月17日の報恩講で唄う「報恩講の歌」について学んだ。

 「報恩講」とは宗祖親鸞聖人が亡くなられた日である。17日は「報恩講」の宗教行事だけで教科の学習はやらない。ただ教科の学習をやらないから行事へ参加しなくて良いのではない。親鸞聖人が我々に伝えたかったことを宗教科の授業で学んでいる。知識の学習も必要であるが、「あなたの傍らには、阿弥陀様も、私(親鸞)もともにいますよ」という声を聴くことが出来るだろうか。報恩講のご法話の中で、その声をしっかり聴きたいものである。

1月8日 仏参 2020年01月08日(水)18時19分

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 今日は6組、7組副担任の西川先生からお話をうかがった。

 「情報の真偽を確かめよう。そして相手を思いやる気持ちを持ってコミュニケーションをはかろう」

 インターネットがみんなが利用するようになりわずか20年。情報は自分の雑誌や新聞などから得ていた時代から、インターネット上を探し回る時代になりました。みなさんはスマホを媒体として、SNSでやりとりをしたり、電話などで連絡をとっていますね。通信手段も大きく変わり、我々のような「家の電話」からスマホに変わりました。我々が高校生の時代、友だちの家や彼氏、彼女の家に電話をかけるときはハラハラしたものです。本人が出てくれるよりお父さんやお母さんが出られる。とても緊張をしていたことを思い出します。

 さて新聞を読んでいると、コミュニケーションのことが書かれている記事を目にしました。内容は次のようなものです。
 中国人と日本人サラリーマンが会社で会話をしていました。エレベータにのり、その続きの会話を中国人は大きな声でやったのです。日本人は「この話はエレベータを降りてから…」と遠慮がちに言ったそうです。エレベータを降りてから中国人は、「なぜ会話を止めるの? 最大限に貴方へ配慮をしたのに…」。日本人は「なぜ貴方が大声で話すのか理解できない。エレベータ内では、他の人を配慮したのに…」。どちらも配慮しているのですが、中国人は目の前の相手に配慮する。日本人は、その他大勢を配慮する。文化の違いですね。お互いに配慮し合っているのです。

 我々が高校生時代、情報は「なかなか手に入らないし、手に入いるのが遅かった」のです。みなさんは「沢山の情報があり、それを探し出して早く自分のものにする」という生活を送っています。しかしその情報が「正しいものか」「間違っているものか」を判断する力がなくてはなりません。
 情報の真偽を確かめ、そして相手を思いやる気持ちを持ってコミュニケーションをはかっていって欲しいと思います。
 
 さて、みなさんは何を感じたのだろう。西川先生のお話になった「他人への配慮」「情報の真偽」を忘れてはいないだろうか。情報科の授業で学習をしているはずだが、実践でき
ているか否かを考えて欲しい。くだらないSNSでのやりとりからのトラブルは、もう卒業しようではないか。西川先生の話をじっくりと味わって欲しい。

12月18日 仏参 2019年12月18日(水)19時27分

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 今日は5組、8組副担任の大西先生からお話をうかがった。

 「人生を楽しめ!」

 わずか22年しか生きていない私が、「人生を楽しめ!」というお話をすることが良いことかどうかはわかりません。しかしみなさんにはしっかりと理解して欲しいのです。

 私は、「人生」とは「日々の生活の積み重ね」だと考えています。みなさんは理解できているでしょうか? 日々の生活は時間によって刻まれているわけですから、平安の3つの大切である「時間を大切に」ということは、しっかりと実践をしていって欲しいと考えています。

 私は次の3つのことが大切だと考えています。
 1つ目は「何か熱中できるものがある」ことです。
 私は中学校の時代からバトミントンをやっていました。正直うまくはなかったのです。でも熱中をして高校でも取り組み、大学でもバトミントンのサークルへ入りました。監督さんやチームメイトにも恵まれ、大きな大会へも参加でき入賞をしました。大学を卒業した今でも、大切な人たちだと思っていますし、交流も続いています。本当に良い人に恵まれたと感じています。
 2つ目は「常に学び続ける」ことです。
 みなさんも得意な科目、不得意な科目があるでしょう。「もう良いわ…」と後ろ向きになると、そこで伸びていかなくなります。たとえ不得意教科であったとしても、努力すれば、それに応じた結果が得られます。何もしないであれば結果は得られません。当たり前のことです。このことは、「学校」というところだけでなく、社会人になれば自分の職場でやっていかなくてはなりません。
 3つ目は「周りの人を大切にする」ということです。
 私たちは1人では生きていけません。家族、親友、クラスメイト、教員…。沢山の人が私たちの周りで生活をしておられます。でもこのような身近な人たちばかりではありません。通学途上のバスの運転手さん、お客さん、道路ですれ違う人たちのことです。人間は社会とつながって生活をしています。周囲に迷惑をかけないように生活をしていきましょう。
 
 さて、みなさんは何を感じたのだろう。大西先生のお話になった「何か熱中できるものがある」「常に学び続ける」「周りの人を大切にする」。入学当初はみなさんが大切にしていたはずだ。その思いを今でも持っているだろうか? 今年の仏参は今日で終わった。この大西先生の言葉を振り返ってみないか。じっくり考えて欲しい。 

12月11日 仏参 2019年12月12日(木)13時21分

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 今日は4組、9組副担任の藤井先生からお話をうかがった。

 「自分の長所、他人の長所が見え、それを認めていますか?」

 今日は「今月の言葉」を引用しお話をします。
 先月の「今月の言葉」を覚えているでしょうか? 「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」でした。これは阿弥陀経に書かれているものです。「人間みんな違う。中にはよく似た人がいるかもしれない。でも誰一人として同じ人生を歩んできたのではないよ」だから「自分の光を灯せば良いんだよ」という意味です。そのためには長所が見えてこないといけません。その長所も「自分」だけでなく、「他人」のものも見えて、認めていけるかどうかということです。

 私は硬式野球部の顧問をしています。グランドにスカウトの人がおいでになることがあります。あるとき、非常に熱心にグランドまで通っておられた人がいたので、「どうしてこれほどまでに通われるのですか? 試合の場面だけを見れば良いではありませんか?」と尋ねたことがあります。その人は次のように答えました。「表のプレーより、自分(その選手)がやるべきことをやっているのか見たいのです」と。ある選手を見ながら、「あの子はちゃんと仕事をしている」とおっしゃいました。この生徒は野球がうまい子ではありませんでした。しかしバックアップをしっかりこなしていたのです。そこをそのスカウトの人は褒めたのです。この生徒の守備としては当たり前のことだったんです。しかしこの生徒の仕事をどれだけのグランドで練習をしている人が見抜けていたのでしょう。気づかない人もいたかもしれません。気づく人は必ずいます。自分らしく輝いて欲しいと思います。

 ただ自分らしく輝くこと(個性)と我が儘は違います。自分一人で生きているのではありません。必ず協調性が必要です。最低限のルールはしっかり守った中で、お互いの長所を尊重していきましょう。

 さて、みなさんは何を感じたのだろう。人間には「個性」を大切にして欲しいという藤井先生の思い。その個性は他人にもあるのだから、その他人の個性も尊重して欲しいということだった。「他人の長所を認めることが出来ているか」。まずはじっくり考えて欲しい。 

成道会 2019年12月06日(金)16時33分

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 今日は成道会(じょうどうえ)。お釈迦様がお悟りになった日である。ゴーダマ・シッダッタが「仏陀」となられた日である。この日を祝い、改めてお釈迦様の教えについて触れていこうとする大切な行事日である。
 今日は西本願寺より布教使の龍田智先生に来校頂き、お話を伺った。

 「真実をありのまま見ましょう」

 私は今治から京都へ出てきました。そして大学の時に浄土真宗本願寺派の僧侶となりました。わずかな時間ですが、お話を聴いてください。今回みなさんと平安中学、平安高校でお出逢いできたのも、仏教がなければお目にかかっていません。こうしてお目にかかれたのも、お釈迦様がお悟りになって、仏教を広めてくださったからです。今日の成道会のおかげですね。ではどのようお悟りだったのでしょう。これは「真実をありのままに見ましょう」ということです。

 事例を話してみましょう。

 1つめはご近所のAさんのお話です。Aさんはお元気な方です。お寺のお参りだけでなく、行事も沢山参加されています。その行事で旅行へ行くことになりました。90代のBさんは足も悪く、いつも一番最後をノロノロと歩かれます。AさんはそのBさんにイライラしていました。だってみんなの行動の足かせになるように思ったからです。ある日Aさんは怪我をして松葉杖をついて歩かないといけなくなりました。やはり行事で旅行に行くことになったのです。みなさんは先に先に歩かれていきます。ところがBさんは、Aさんを気にして、先に歩いてもずっと待ってくださったようです。Aさんは「なんて恥ずかしいことを考えていたのだろう」と思ったということです。

 2つめはひび割れた壺の話です。水を汲みに行くときに、ひび割れた壺を使っていました。もちろん元の場所に戻ったときは、壺の中には半分も水が入っていません。壺は恐縮をしたそうです。自分が完璧ならば…。もっと多くの水を運ぶことができたのに…。水を汲みに行く道中に綺麗な花が咲いていたようです。実はこの壺からこぼれ落ちた水により、この花が開花していることが分かったのです。ひび割れた壺は恥じることはありませんよね。

 最後の話は私自身の話です。高校時代野球部に入って甲子園を目指していました。同級生の中で、選手ではなく「マネージャー」や「塁のコーチャー」がいました。同級生がなってくれていたのです。当時私は試合にも出られるくらいの実力がありました。そのことで天狗になり、彼らを下に見ていました。チームのことを思って、ゲームに参加していることが理解できなかったのです。今、出逢えば「あのときは悪かった」と謝るのですが、彼らは私を責めようとはしません。本当に恥ずかしい話です。

 私たちは、自分の価値観で人を捌いていきます。果たしてそれが正しいことなのでしょうか。この3つのお話からも理解できるでしょう。仏様は自分の価値観で人は捌きません。人には与えられた仕事があることを知っておられるからです。だから私たちは「真実をありのままみつめる」ことをしなければならないのです。

 みなさんは何を感じたのだろう。「ありのままをみつめる」ことは本当に難しい。「成道会」を通し、じっくり利己主義者であろう「自分」について考えて欲しい。

12月4日 仏参 2019年12月06日(金)14時35分

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今日は学年部長の森本先生からお話をうかがった。

 「限界は自分が決める。やってみようと思えば、出来ることもあるだろう」

 2000年頃の卒業生のお話です。
 私はハンドボール部の顧問をしています。ハンドボールはオフェンス、ディフェンスともに激しい競技です。これからお話をする生徒は、男子校時代の人で片腕がない人でした。当時は完全下校もなく、クラブもそれは厳しく指導をしており、途中で根をあげる人が多くいました。新入生の彼は、その当時の厳しいクラブに「ハンドボール、片腕がなくても出来ますか?」と言って訪ねてきてくれたのです。私は「大丈夫。気の持ちよう。出来るよ」と伝えると、彼は決心をして入部をしてきました。念のため連盟にも確認をとり、全く問題なく競技が出来ることを確認しました。
 ただ実際私自身が片腕だけで体験し、なかなか難しいことが分かりました。「大丈夫。気の持ちよう」とはいったものの、「こりゃ無理だわ…」と思ったのでした。
 それから練習が続きます。きつい練習です。でもこの年は例年にないことが起こりました。それは次の2つのことです。

1 退部する生徒が減ったこと
2 口うるさく言っていたパスが出来るようになったこと

 片腕がない彼が必死で練習をしているわけだから、他の生徒は「弱音」があげられません。また片腕がない彼に、的確なパスを渡すために、日頃から口うるさく言っていたところへボールがいくようになったのです。今までは「言っても無理…」とあきらめていたのですが、意識したら出来るのです。彼がいたチームはメキメキ力をつけていきました。そして最後の公式戦では、彼がシュートを打てるように、チームメイトが必死に動いたことを今でも憶えています。もちろん、このような良いことばかりがあったのではありません。

 彼は卒業間際に連盟から優秀選手として表彰されました。その後ある大学へ進み、その後もハンドボールを続けてくれていました。「到底出来ないだろう…」と勝手にこちらが限界を作っていたのです。「限界は自分で決める。やってみようと思えば、出来ることもあるだろう」。みなさんも可能性を信じて懸命に生きていきましょう。

 さて、みなさんは何を感じたのだろう。人間には「限界」がある。でもその「限界」を決めるのが「自分」なのだという森本先生のお話。「限界」も考えず、ただ「ダラダラ」と過ごしていたら、それだけで終わるのかもしれない。まずは「自分の限界」をじっくり考えて欲しい。 

11月27日 仏参 2019年11月28日(木)11時28分

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 今日は13組担任花谷先生からお話をうかがった。

 「人生は選択の連続である。その選択は自分で決め、そしてその結果は自分が背負う」

 今日みなさんへお伝えしたいことは2つです。
1 人生は選択の連続です。だから自分にとり良い方向へ向かうために、良いものを選びたい。
2 10代は可能性の連続帯。いつでも変わることが出来る。

 当たり前のことを言っているのですが、日頃選択ばかりしていますね。購買へ行き、物を買うときには複数の選択肢があります。クラブの練習へ行く、行かないという二択もあります。同じ二択でも、ある行動を「続けていく」のか「止めて違う方向へ向かうのか」という選択肢もあります。
 選択することには「リスク」が生じます。「自分には進学したい大学があった。そのために進学をしたい高校があったのだが不合格になった。その高校へ親友が進学をした。自分は併願で受験をした平安で夢をかなえるため、一生懸命学校生活を送った。すると進学したい学校に合格をした。蓋を開けたらその親友も、進学を目指した同じ学校に合格をした」という話は、卒業生からもよく聞き話です。悔しい気持ちの中、新たな気持ちで平安での生活を送り、色々な友に恵まれ「ああ良かった」。
 これらの選択は「自分」で決めるのです。そしてその選択した道で生きていくと、必ずスランプがきます。一生懸命にやっていればいるほど、スランプになるのです。そして悩んでしまい、また選択をしていくのです。
 10代の頭が柔らかい時期に、「自分にとって良い」と思う選択を、「自分の手」でやって欲しいと思います。

 さて、みなさんは何を感じたのだろう。「選択して生きてこられた」花谷先生のお話。そんなこと「分かっている」と考えている人もいるだろう。しかし、花谷先生は「自分で選択する」ということをお話になった。他人から意見されるのではない。あくまで自分なのだ。その意味をじっくり考えて欲しい。 

11月22日 仏参 2019年11月21日(木)20時02分

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 今日は12組担任森口先生からお話をうかがった。

 「あなたの長所は何ですか?」

 今「あなたの長所は何ですか?」と問われ、大きい声で話をすることは難しいと思います。仏参であるし、席も教室ではないし話しづらい。なによりこれだけの大人数の中で、自分の長所とは…と言える人はそんなに多くはないと思います。長所を述べることは気恥ずかしい所もあります。日本では自分の長所について意見が言える人はとても少ないはずです。長所よりも短所を探そうとしてしまいます。でもその長所が言えるようになるためには、「努力」が必要ではないでしょうか。この努力とは3つあると思います。

1 見える努力
 誰が見ても「見える努力」がないと人には伝わりません。
2 見えない努力
 家で宿題をするなど、時間がおいてからでも結果に結びついてくる努力です。
3 「ツキ」をよぶ努力
 一生懸命努力していれば、必ず「ツキ」がおとずれます。そのツキが自分に大きな影響を与えるのです。

 私たちは色々悩みます。その悩みの中で自分の良さが分かってきます。それを理解した上で「努力」すれば、「結果」は必然的に楽しくなっていくはずです。前期が終わり、今努力をすれば進級後にもっと良いことが起きるでしょう。そのためには学校生活が楽しくなるように「努力」すれば良いはずです。

 さて、みなさんは何を感じたのだろう。森口先生のお話にもあった「長所」と「努力」。常々家族や先生方から言われている言葉である。この2つの実践は、学校生活に楽しみを見いだすために、みなさんにとり必要なことではないだろうか。今日の森口先生の話をじっくり味わって欲しい。 

物故者追悼法要 2019年11月14日(木)09時49分

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 今日は物故者追悼法要であった。「物故者追悼法要」とは本校と縁のある人で、この1年間で亡くなられた人を追悼する法要のことである。今年は28名の人を追悼することになった。法要は本山で営まれ、ご遺族もお越しになった。

 多くの人の中に、今春亡くなられた竹中先生のご遺族もお越しになっていた。竹中先生が生きておられたら、おそらくこの学年団に何らかの関わりを持っておられたのかもしれない。残念なことだが、多くの1年生は竹中先生のことを知らないだろう。竹中先生はバトミントン部顧問でいつも元気だった。それであるが故に、誰もが先生の死を疑った。

 竹中先生の最後の仏参(中学部)は1月11日である。その時の「節目」のお話を振り返ってみよう。
 竹が真っ直ぐに伸びるのは「節」があるからだ。私たちも竹のように真っ直ぐに伸びたい。そのために必要なことは「節目」を大切にすることだと話されている。

 みなさんは高校生活でその1回目の「節目」を迎えていることは実感できているだろうか? 「前期」が終わったところで、今までの自分を振り返ってみないか? 「変わるチャンス」なのだ。

 関目校長先生の挨拶の後、本山の中村先生から御法話を頂戴した。「具舎一所」ということを聴いた。「一つのところで共に会う」。お浄土で「みんなに会えて有難う。今が節目だよ」と呼びかける竹中先生に、今の私たちは「先生、有難う。私は真っ直ぐに生きていきますよ」と応えることが出来るだろうか。

 直接的なご縁がなかった多くの1年生は、是非今年の1月11日の中学部ブログを読んで欲しい。

10月30日 仏参 2019年10月30日(水)18時19分

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 今日は11月12日の物故者追悼法要で唄う「みほとけに抱かれて」の歌を学んだ。
 「物故者追悼法要」とは本校と縁のある人で、この1年間で亡くなられた人を追悼する法要のこと。1年生が代表で本山(西本願寺)へ参拝する。当日は平安の代表としてしっかり行事に参加して、今日学んだ歌を心静かに唄いたいものである。