2025年2月4日 日誌 参加者:全員 記入者:2年
今日は、石橋先生が見てこられた神武天皇陵御休所建仁寺垣改修工事に伴う立会調査の成果、およびそれに伴って公開された、普段は立ち入りが禁じられている区画の様子についてお話を伺いました。
まずは建仁寺垣改修工事に伴う立会調査について。「御休所」とは、皇族などが神武天皇陵に参拝なさる際に使用される建物ですが、その近くの建仁寺垣(竹垣の一種)の根元の地面が老朽化に伴う改修工事で一部掘り起こされました。そこでわかったのは、神武幕末~明治期および大正期になされた盛り土の下には、江戸期の田畑であったころの地表が確認されたといいます。現在の神武天皇陵の形は幕末・明治期に整備されたものであることが改めて証明されました。
次に、普段立ち入りが禁止されている区画について。この区画の地表にはいくつかの礎石が露出しています。石橋先生はそこで7つの礎石のようなものを確認されました。なお、地図には礎石が約11個示されていますが、それらを全ては見つけられなかったそうです。また、これらの礎石の材質・形が異なっていること、掘り起こされたような恰好になっている礎石があることを踏まえれば、この礎石群は一つの建物の礎石遺構ではなく、幕末・明治期の整備にあたって異なる場所から集められた雑多な礎石の集合体であるとみなすことができるといいます。しかし、古代において礎石はほぼ仏教寺院にしか用いられない建築技法なのであって、かつてこの場所に寺院があったことは確実といえます。ある学者によれば、飛鳥池遺跡出土木簡にある「山本寺」がこの廃寺のかつての名前であるそうです。
写真資料を見ながら古代史についての新たな情報を知ることができ、関連して日本の起源についても考えを深めることができました。